006 命がけの大脱出も幼女にとってはただのお引っ越しでないとね
とりあえず食料確保のメドは立った。うほん。
あとは旅支度、サバイバル的な準備ができればいいのだが。
レティネの部屋には俺が使えそうな物はない。
「他の部屋には何があるか知ってる?」
「しらない。はいっちゃ、だめだって、――こわいおばさんが」
え。怖いおばさんタイプの魔物とかいるの?
それは――会いたくないな。
ゴブリンだのスライムだのならともかく、コワイオバサンとか。勝てる気がしない。玉座の間にいた魔女だったりするのかな。もう確かめようもないが。
「うぉ? これは、凄い!――んだけど」
回廊に面した扉の一つを押し開いた。鍵は掛かっていない。
そして息を呑んだ。
「おー、ぴかぴかー、パパすっごくぴかぴかー」
俺が光っているのではない。部屋が黄金色に照り輝いているのだ。
金貨の詰まった大小の木箱が無造作にぶっ積んであった。あふれた金貨が土砂崩れ状態で床を埋めている。壁一面の棚には、金銀の装飾品と工芸品、宝石類がびっちりと、だけどガラクタのように乱雑に押し込まれていた。でかい鉄のスコップが置いてあるのが笑える。
魔物に黄金とか必要なんだろうか。
あれかな、カラスみたいに光りモノが好きとか。
だが、俺が欲しいのは布か革の鞄。
できればリュックサックのように背負えるのがいい。
あと、丈夫な靴。
さっき気が付いたんだけど、右の靴の爪先が裂けてしまっていた。〈玉座〉を腹いせに蹴ったからだろう。あの触手ベンチ野郎め。替えの靴が必要になったじゃないか。軽く蹴っただけなのに。
まあ、俺が悪いんだけど。
「やったねー、お金持ちだねー、使い切れないねー。て、持ってけねーよ!」
俺的にはハズレだ。今は金より装備が必要なのだ。
それでも金貨をひとつかみ私物の財布に入れた。迷惑料である。
ふん。今日のところはこれでカンベンしてやる。
次々に扉を開けた。
空っぽの部屋、不思議鉱物が一杯の部屋もあった。
鉱物の部屋で大きなリュックくらいの厚手の革袋を手に入れた。中にごろごろ詰まっていたクリスタルの髑髏は捨てた。いらないし。呪われそうだし。
ヤバい部屋もあった。
いわゆる魔道具部屋だ。
金属表装もいかめしい書物や、材質不明中身不明の小箱、魔法陣と呪文のびっしり書かれた木片や羊皮紙の束、人骨を加工したっぽい奇怪な形の杖などが、石の台の上に整然と並べられている。
黄金の部屋の、とにかく放り込んどけな扱いとはずいぶん違う。
厨二病患者でも敬遠しそうなグロいデザインの指輪や腕輪、アミュレット。中心に何かの影が見える、人間の頭くらいの透明な石球とかもある。強力な魔道具なのだろう。それらすべてから陽炎のようなオーラが出ていた。魔法の使えない俺でさえ見えるのだ。
そしてこの部屋で靴を見つけた。
サイズも合いそうだし、外見上は黒革のショートブーツである。
爪先の金具が蹴爪になっているのを気にしなければ、かなり丈夫そうだし使えると思う。なんらかの魔法的な効果もあるはずだ。
けれども正直怖い。
履いたら一生脱げないとか、死ぬまで踊り続けるとか、血に飢えちゃうとか。
足ムレ防止とかツボ刺激効果とかならいいんだけどな。
「なあレティネ、この靴どう?」
「かっこいーよパパ」
「えーそうかあ、じゃあコレにしようかなあ」
買い物かっ。
一応キープで。他に靴ないし。
覚悟を決めてエイッとつかんで革袋に突っ込む。
謎の部屋もあった。
緑色の強烈な光を放つクリスタル柱があるだけ。
ところが壁も床もまったく照らされていない。光は届いているはずなのに暗い。
扉を開けたとき、ざわざわっと霞のような風が吹き付けたのが不気味。何か逃げ出したとか?
そしてついに階段部屋を見つけた。
下り階段だ。
レティネの食器やリネン類はここから運ばれていたようだ。暗くて先が見通せない。隠し通路っぽい。
――出口がたどれるかもしれない。
武器は最後の部屋にあるにはあった。
まあ予想どおりだった。サイズがね、合わないよ。
巨人が使いそうな戦槌やらメイスやら、戦斧があった。
削った鉛筆を長さ三メートルまで拡大したみたいな金属棒がいくつもあった。武器なのかな。
俺の身長より長いバールのような物もあった。
L字部分が二股になっていて二本指を曲げたような形だ。それぞれの先端部はちゃんと釘が抜けそうな形状だった。本当に工具だったりして。
結局リュックサック代わりの革袋と怪しい靴を見つけただけで、俺に使えそうな武器や防具、衣服の類いはなかった。
マントとか欲しかったのに。
そして、魔王の居室のようなものも見つからなかった。
さて、あえて言わなければ。
「レティネ、俺はもう行くよ。ここでさよならだ。――それとも俺と一緒に来る?」
酷いよね。
むしろ俺のほうがレティネが必要なのだ。
なにしろ歩く食料庫なのだから。俺一人で脱出となれば、レティネに土下座して食べ物を分けてもらうしかない。
俺はレティネに訊けなかった。
父親や母親がどこにいるのか。
他に家族はいないのか。帰る場所はないのか。
魔王はレティネを閉じ込めて何をさせようとしていたのか。
なぜ魔王城の最奥で子供が一人きりなのか。
部屋を披露するとき、レティネの目は訴えていた。
ほら。ちゃんとしてるよ。いい子にしてるよ。お行儀良くしてるよ、と。
――だから、きかないで。
レティネは俺を〈パパ〉と呼んでしまった。
あのとき、支え切れないままごとの片棒を、俺に担がせてしまった。
俺がいなくなれば、レティネのままごと世界は壊れてしまうだろう。
決して元に戻らない。
レティネはもう限界なのだ。
これ以上現実に耐えられない。たまたま現れた俺に〈パパ〉役を押し付けなければならないほど追い詰められているのだ。
――こんな目をした子供を、俺は知っている。
もしレティネを助けたいなら、ままごと世界ごとレティネを連れ出すしかない。
親子ごっこを続けながら、安全な所まで逃げ切る。
こんな子を置いて行けるわけがない。
出会った時点で選択肢はなくなったのだ。
「パパといっしょにいくー。パパつれてってー」
笑顔で即答だった。
レティネが逡巡して素の顔を見せるかもと思っていたけれど。
訊かれることを予想してたんだろう。
「じゃあ、お外に行くかもだから動きやすい服があったら着替えて。あと靴もね。――それと、持って行きたい物をできるだけ〈ポケット〉に入れといて。でも食べ物は出しちゃダメだよ」
「わかったー」
あくまでただのお引っ越しのように気軽に言いつける。
ままごとセットでもあるレティネの私物はなるべく持たせよう。きっと必要になる。馴染みの物に囲まれていれば気も紛れるだろう。
レティネが衣装箱を開けて、もぞもぞと服を引っぱり出しているのを横目に、部屋の扉際に畳まれているシーツやリネン類を、リュック代わりの革袋に詰め込んだ。目についた布や紐なども持って行く。
野宿することも考えると火をおこせる道具や雨具が必須かもしれないが、無いものはない。
子供連れにしては無謀もいいところだ。
「これから階段を調べてくるから、あわてないで準備してるんだよ」
「ん、わかったー」
一人になるのを嫌がるかと思ったが素直な返事だった。
ままごと進行だと、よい子を演じるのだろうか。
だとしたら余計に痛ましい。
階段部屋に入り、物音を立てないように階段を下りていく。
暗く急な傾斜の石段だ。幅が狭いので大きな魔物と出くわすことはないと思う。
小さな踊り場を何度か折り返すと扉に当たった。
そーっと引き開ける。
正方形の部屋だった。粗い石組みの壁面に鉄のタラップが取付けてあり高い天井の上まで続いている。どうやら塔の中らしい。
驚いたことに、ここにも黒い煤のような遺骸がある。
原形をとどめていないので、どんな魔物だったかは分からない。
この塔は〈玉座〉の間からは遠い。しかも光が直接届かないはずだ。いったどれだけの〈神力〉が放出されたんだろう。
通路から城壁の上に出てみる。
ごう、と風が吹き付ける。
曇天だった。厚い雲のせいで朝なのか夕方なのかも分からない。
左手にそびえる魔王城の威容。背後は絶壁のような岩山。
こっちへ抜けるのは不可能だ。
胸壁から乗り出すようにして見下ろす。
どこまでも続く荒涼とした灰色の大地だった。
「う、ウソだろ? ――どうすりゃいいんだコレ」




