005 はじめて女の子の部屋に招かれたよお兄ちゃんじゃなくパパとして
「こっちだよーパパ」
穴を潜ると暗いホールに出る。
鉄扉の穴は蝶番で開く仕掛けのハッチになっていた。
しかし、パパ呼び確定なのだろうか。
おじさん、と呼ばれるのと大差ないので地味にダメージだ。
パパじゃなきゃダメなんですか、お兄ちゃんじゃいけないんですかー。
ホールの縁に沿って鉄の円柱が並び回廊になっている。僧房のような部屋がいくつもあったが、どれも扉が閉まっている。
回廊のかなり奥まったところに女の子の部屋があった。
鉄の扉は開いていた。
光が漏れている。
女の子は嬉しそうに俺を招き入れた。
――おお。
女子の部屋だった。物がたくさんあった。
さっきまで殺風景だったのがウソのようだ。
学校の教室くらいの広さの部屋の真ん中にベッド、というか天蓋付きの寝台。二段ベッドの上の段が屋根になってるみたいなヤツね。壁際には飾り棚や本棚が並び、陶器やら人形やらがどっさり置いてある。
ピンク系とかのいかにもガーリーチープって感じではなく、美術品のように質感の高い物ばかりだ。大きな衣装箱もまるで宝箱みたいな装飾がある。香水瓶なのかクリスタルの細工物もたくさんある。
まるで、美術工芸品のお店にベッドを置いて暮らしているみたいな。
女の子がベッドをずびしっと指差した。
「べっど」
うん。
「えほん」
うん。
「らくす」
はい?
ああ、その人形の名前なんだね。
「てーぶる」
そうだね、テーブルにしか見えないね。
「おといれ」
ありがとう、まだ大丈夫だよ。あとで借りるかもだけど。
トイレは、部屋の隅を衝立てで囲っただけだが、手水を使う器と小さなバスタブも整えてあった。このコーナーだけ急造っぽくて違和感がある。食事以外はこの部屋で済ませるようになっているのかな。
さて、――こんなところに普通の女の子が住んでいるはずはない。
魔王の玉座の間のさらに奥とか、とんでもない重要区画のはずだ。
この子が魔物とは思えないが、それなりの事情があるのは間違いない。
〈玉座〉で寝てるヤツをパパと呼ぶなら、魔王の娘ということになるが、あの骸骨魔王の実の娘にはとても見えない。似てないにもほどがある。
成長するとみるみる痩せて骸骨になるとか?
たんに母親似とか、隔世遺伝とか?
第一あんなアンデッドみたいな魔王に子供とかヘンじゃないか。
話もしづらいので訊いておこう。
「君の名前は?」
少女は目を見開き、えっ忘れちゃったのパパ、な顔で固まっている。
しかし俺はさらにたたみ掛ける。
幼女にもNOと言える男なのだ。まさに外道。
「俺は君のパパじゃないから」
「――しってる、よ――。でもいまは――レティネの――パパなんだよ」
言葉を区切るたびに、唇を固く結ぶ。
涙が今にもこぼれそうだ。
俺は悪くないよね。本当のことだし。
なのにどうして俺のチキンハート先生は息をしていないのだろう。
しかし、それでも、この流れのまま押し通す。
「俺の名前はアラタ。よろしくな、レティネ」
「――うん。わかった。――パパ」
分かってないし。
分かってたし。
「で、食事はどうしてるの?」
さりげなく聞いてみる。
実はドキドキである。水と食料がどこにあるかを知りたい。
武器は、さすがに無理かな。
この子が食べられる物なら俺も食べられるはずだ。幼女頼みなのは情けないが他に伝手なんてないのだ。
この部屋のトイレの手水鉢にはきれいな水が残っていた。
飲める水もきっとどこかにある。
どんなバケモノがうろついてるかしれないこの城を、あてもなく探しまわるのは避けたい。食べ物を探しに行って自分が食べられるのはゴメンだ。
「おさらがくる。いつもなら。――でもきょうは、まだこない」
おーっと、何かあったのカナー(棒)。
食事番が来られない状況らしい。
魔王を筆頭にあれだけの魔物が消えたり逃げたりしたら、通常進行なんて無理だ。だとしたら厨房的な所は大混乱、またはもぬけの殻だったりして。今がチャンスかも。厨房があればだけど。
もっとも魔王城の厨房とか、見たらトラウマにしかならない気がする。
「食べ物はどこから来るの?」
「おさらは、ノームたちがはこんでくる。――たべものは、レティネがだす」
「出す?」
はて?
出すって、――どこから?
ノームっていうのは使役魔物とかかな。
「おさらがないのに、たべものだすのは――おぎょうぎわるいんだよー」
「お皿がなくて悪いけど、何か食べ物、すぐに出せる?」
レティネは少しためらってから、右手の平を上に向けて差し出した。
その真上に、円形の蜃気楼のような揺らぎが一瞬だけ見えた。
赤い球体がぽとりと手の平に落ちた。
林檎によく似た果実だった。
えーっ?!
驚いた!
これは魔法だ。
林檎を召還した?
いや、転移させたのか?
「これはどこから? 転移魔法なの?」
「てんい?――ぽけっとから、だした」
「ポケットには、他にもあるの?」
レティネが手の平を前に向けて差し出した。
さっきより大きな揺らぎが見えて、床の上にひと抱えほどのバスケットが現れた。
林檎で一杯だった。果実の甘い香りが広がる。
「おんなじかごが、あと、――、――、――、――、――じゅう、よん――こ」
レティネが虚空を見つめて懸命に数えながら教えてくれた。
これは収納魔法っぽい。
しかもこれほどの容量があるのか。
この子凄いな。林檎屋さんができるよ。
「林檎、――食べ物はこの赤い実だけなの?」
「ぶどう、おかし、ミルク、パン、――チーズ、――ぶどう、ハム、おみず、バター、――おさけのびん、へんなおやさい、くるみ」
おお、マジ凄いぞちびっこ!
お前どこの食品ストアだよ。
うん、葡萄が好きなんだね。でも食べ切れないほどあると傷んじゃうんじゃないか?
「くさらない――もん。ずっと、おいしいまんま、だもん」
レティネがむくれている。
ごめんよ。
ということはレティネの収納魔法は時間経過がない、あるいは時間を遅らせる魔法でも使われているのかな。しかしなんでこれほど大量に。
「どうしてこんなに、ポケットに入れてるの?」
レティネによると、ここに連れてこられたときいっぺんに渡されたそうだ。そして勝手に食べないように言われたらしい。食事のときは食器類が運ばれてきて、それに出したときのみ食べていたようだ。
たぶん、これは推測だけど、この魔王城で人間用の食事が必要なのはこの子だけなんだろう。
誰がそうさせたかは分からないけれど、収納魔法が使えるのを利用して、毎日レティネのためだけに特別な食事を用意する手間を省いたんだな。
人間の食べる料理を作れないだけかもしれないが。
そして食器を使わずに食べるのはいけない、というルールを押し付けた。食事をコントロールするために。
〈玉座〉でもレティネは自分のスリッパをきれいに揃えて脱いでいた。
子供をきちんと躾ける家庭で育ったのかもしれない。だからこそ『おぎょうぎ』の一言で縛れたんだろう。
この部屋も乱雑さがまったくない。すべての物が収まるところに収まっている。つたない感じでベッドメイクまでしてある。
こんな小さな子の部屋にしては不自然なくらいに。
きちんと暮すことが使命みたいに。
――ままごとを続けていないと、夢が覚めてしまうかのように。
「おお、美味い!」
――もしゃもしゃもしゃ――
俺たちは林檎を食べている。
甘酸っぱく水気も多くて美味い。ちょっと繊維質でコクがある。
レティネに刃物がないか聞いてみたら、フルーツナイフくらいの鞘付きナイフをチェストの中から見つけてくれた。小さな子供の部屋に置くには危険な鋭さだ。
四等分して芯をとる。半分は皮の部分を切子ガラスのようなおしゃれ模様にカットする。
ナイフの切れ味がよいので悪ノリしたのだ。簡単にウサギさんカットにしようかとも思ったが、この世界にも兎がいるか分からないのでやめた。
残りはきれいに皮をむく。そして食べやすいようにさらに切れ目を入れた。
見つめるレティネの瞳がキラキラだ。
まさにわくわくが止まらない状態。
パパすごーいオーラが出まくり。
やめてー、
そんな目で見ないでー。
あんたの収納魔法のほうが百万倍も凄いからー。
こんなの芸のうちに入らないからー。
幼女のおやつをピンハネしている男子高校生という現実をごまかしてるだけだからー!