044 ヤマナ・マヤの世界とハチミツと苦労話
「家族、ですか? ――恋人ではなくて」
「はい。――家族です」
「――――」
「家族なら、たとえ喧嘩しても、離ればなれになっても、関係がつづきますから。私はアラタさんとずっと繋がっていたいのです」
「どういうことか説明してもらえませんか? ちゃんと理解したいので」
告白でもされるのかと思って秘かにドキドキしてたのに。一足飛びに家族とは。どういうことなんだろう。
「服飾専門学校生だった私は、八年前、見知らぬ森のはずれにいました。ずっと東にあるアスタリム公国との国境沿いの森です。そのとき神様みたいな人から別の世界に送られると説明があった気がします。あまりはっきりとは覚えていませんが」
きっと〈女神マールヴェルデ〉だろう。やはり記憶は薄れていくのかな。
「私は異世界に来たことを受け入れられませんでした。人の気持ちを一切無視した、理不尽な誘拐としか思えませんでしたから」
マヤさんは床に座り込んだまま話し続ける。
「弱り切って行き倒れていた私を、近くの村の村長夫妻が保護してくれました。善良な人たちで家族のように迎えてくれたのです。そして農作業や家事を手伝ううちに、私の針仕事の腕前が並外れていることが分かりました。手内職をつづけていると、評判が行商人から町の縫製業者にまで伝わり、働き口を世話してもらえることになりました」
なんだか凄く順調な積み重ねに思える。チート? イラネ、って感じだ。
「みなさんとても親切でした。少しでも恩を返そうと働きました。――でも私は、こうした善意の連鎖を、心の底では受け入れることができませんでした。拒む力のない私は、どんな善意も受け入れるしかありません。拒むことのできなかった転移のつづきにしか思えなかったのです。望んでもいない善意によって自由を奪われ、頼んでもいない親切によって閉じ込められているのだと。――この世界に呑み込まれ溶かされているような、怖気すら覚えました」
「私が異世界から来た人間でなければ幸運に感謝したと思います。――けれど、この世界そのものを拒んでいる私は、幸せを感じることができませんでした。この世界での幸運は、元の世界での不運に劣るのです。元の世界に戻る、日本にふたたび帰ることを諦められなかったのです」
最初に異世界転移を受け入れられなければ、第二の人生を送るなんていう気にはなれないのか。
なんとなくでも受け入れてる俺のほうがおかしいのかな。
「いろいろな工房で働きながら技術を学びました。もともと服飾の基本的な知識はあったので、この世界のやり方もすぐに理解できました。――やがて王都にある大きな工房に移り、仕入れやデザインの作業も一部ですが任されるようになりました。この工房は貴族の顧客も多く、めずらしい素材や流行に触れることができました」
「でもけっきょく、同業者の顧客を奪う形になり妬まれてしまいました。そうしたことにまったく気を向けていなかったのですから当然ですね。怪しい魔法を使っているなんていう噂まで流されて。――そして、工房にいられなくなり、伝手をたどり、王都から遠いこの街に来ました。職工人ギルドを通じて出資者を見つけ、ここに店を構えたのが昨年のことです」
「マヤさんの気持ちを考えなければ、ちょっと羨ましいところもありますが」
「――ふふ。そうかも知れませんね。子供のころの夢は『街の小さな洋服屋さん』なのですから、形だけ見れば叶っているわけですしね」
「でも、――私は、この世界が嫌いです」
冷たい声だった。マヤさんは泣きそうな笑顔を浮かべている。
「そしてなにより、もう疲れ果ててしまったんです」
「元の世界への戻り方も、私以外の転移者も、見つけられませんでした。知人に異世界から来た人間であると明かしても、反応は芳しくなかったですね。――私ひとりだけなんだと思い知らされました。こちらの世界でのしがらみも、嫌々背負うには重くなり過ぎましたし。そして年月を重ねるうちに、元の世界はますます遠くなっていきます」
「私は元の世界とこの世界をつなぐことに失敗したのです。そして拠り所を失ってしまったわけです。――拒絶しつづけたのですから当たり前ですね」
マヤさんは顔を上げ俺の目を見つめる。
「そして私は、アラタさんに出会いました。――日本人のアラタさんに」
「待ってください。なんで俺が日本人と分かったんです。昨日の大通りで見かけたのが最初なんですよね?」
「それは、――運命の糸が、私の方に延びているのを、感じましたから」
はい?
――まさか、〈魔力糸〉を逆探知された?
いやいや、そんなはずない。どんな凄腕の魔術師だよ。
「ひらめきがあったのは確かです。たぶん疲れのせいで感覚が鋭くなっていたのでしょう」
マジですか。
「あのとき身体さえ動けば駆け寄っていたと思います。――それに、助けにきてくれたアラタさんが履いていたボロボロのローファー。胸が詰まりました。――あれはこの世界にはありません。あんなになっても捨てられない気持ちはよく分かります」
そこは違うから。
ボロ靴愛好家じゃないから。
あんたを助けるためにダメにしたんだからー。
「アラタさんがお帰りになったと聞いてうろたえました。このまま会えなくなりそうで恐ろしかったです。耐えられなかった。街を去ってしまったらどうしよう。――それで、夜分、無理にお訪ねしたのです」
何かを思い出したのかマヤさんの顔が赤くなる。
たぶん俺の顔も赤いと思う。
『二十六になっても初めては痛いんだと知りました』
いや、それ口にしちゃダメだから。ズルいから。
「昨日はじめて生きていると実感できました。これまでの八年間は、ずっと息を止めていたような気さえします。アラタさんが私を救ってくれたのです。失ったと嘆きつづけた世界がアラタさんという姿で戻ってきたのです。――今なら、これまでの八年間を捨てても惜しくありません」
「私を受け入れてください。おねがいです。――拒まれたら今度こそ心が死んでしまいます。ズルくて、卑怯で。ですが、これが本心です。――みっともない、執着です。――勝手に気持ちを、望みを押し付ける――これ以上――ないほど――重い女で、ごめん――なさ――」
熱意はそのままに、マヤさんの声はしだいに小さくなっていった。
異世界にひとりぼっち。転移を受け入れられず、ずっと心をすり潰してきたマヤさん。俺を見つけたことで張り詰めていた気持ちが切れてしまったみたいだ。
レティネもそうだったのかな。
魔王城での自分の状況を直視できず、ギリギリまでままごとに逃げていた。そして、そこにたまたま現れた俺にすがった。玉座で俺を見つけたとき、どんな気持ちだったんだろう。
――誰でもよかったけど、そこにいるのは俺だけだった。
――ただ、それだけなんだけどな。
そして、俺自身もレティネに助けられている。
レティネを守る、という指針がなければ自分の行動が決められない。レティネのために、という言い訳が必要なのだ。
――レティネをほっとけないし。
俺もじゅうぶん重い。幼女をダシにしてるのだ。
「俺で、いいんですか?」
「美味しそうにコーヒーを飲んでもらうだけで、あれほど幸せを感じるんですから、間違いありません」
「よろしくお願いします、マヤさん」
「――ありがとう、ございます」
俺はマヤさんを受け入れた。
マヤさんに受け入れてもらった。
考えるまでもない。もうマヤさん以外の日本人に会うことはないだろう。むしろ凄い幸運といえる。同じ世界から来た人がいてくれるのはありがたい。相談できる人がいるのは心強い。
「それで、どうしましょう。俺とレティネは冒険者をやっているんですが、――その、どうすれば――」
「最初はときどき顔を見せにきてくれるだけでも、と思っていたのですけど、――できれば一緒に、住んでいただければ、嬉しいな、と」
そんな赤い顔で見つめられても。
「店員のみなさんは?」
「あの娘たちは住み込みではありませんから。この街に実家があります」
「パパ、ここおうちー?」
あ。レティネが復活した。マヤさんの話をまるまるスルーして、絵本で遊んでいた幼女様が。〈ポケット〉から出した絵本が怪し過ぎる。五冊もあるし。まさに、どっから出てきたこの絵本、状態。
あとでマヤさんにはちゃんと話しておかないとな。
「うん、そうだよー」
マヤさんに明日の閉店後、泊まりに来ることを約束した。
そのための準備は必要ないことも伝えた。店があるのに手間を取らせるわけにはいかないし、実際俺たちには不要だし。
渡しそびれていたお土産を取り出した。
「これは?」
「スイートホーネットの蜂蜜です。とてもおいしいですよ」
おしゃれな陶器製のジャーを買って、大森林で採集した超高級蜂蜜を詰めたのだ。
さっそく味見させるとマヤさんが目を見開く。
「みなさんでどうぞ」
「ハニートラップに蜂蜜のお返しですか。――すべてご存知だったと。私はアラタさんの掌の上ということですね?」
いや、どこの策士だよ。
そんな意味深な蜂蜜じゃねーよ。
◇◇◇
「お久しぶりです、ロタムさん」「おじちゃん、こんにちはー」
「おお、アラタさんとレティネさん。お元気そうでなによりです」
俺たちは〈ユリ・クロ〉からの帰り、バシスのソルデス商館でロタム氏と会っていた。さすがに本拠地だけあって、気後れするほど立派な建物だった。
ここはその応接室のひとつだ。約束のないまま訪ねたのに、すぐに会ってくれた。
「身分証の件はありがとうございました。お陰さまで無事冒険者になれました」
ロタム氏にも〈スイートホーネット〉の蜂蜜を手渡す。
「それはよろしゅうございました。――それに、こんな貴重なものまで。ありがとうございます」
プラシド砦の様子はとくに変わっていないらしい。
警戒態勢は継続中。魔族領との境界であるヤイラ高原全域に偵察隊を送っているが魔族側に動きは見られないという。
魔族との戦争なんてないほうがいいしな。
金貨の両替も頼んだ。
前回のデヴヌス神聖国大金貨の他に、シラヌス王国大金貨、エケス騎士国大金貨、アスタリム公金貨を加えて、合計三十枚だ。
レティネが魔王城で〈ポケット〉に入れた財宝のほんの一部だ。レティネが持ち出した金貨だけど、『これはパパのー』の言葉に甘えることにした。ちょっとまとまった金が必要になる予感がするのだ。
ありがたや。便利な魔道具〈幼女型貯金箱〉とか思ってないよ。
アルブス大金貨で二十五枚になった。エケス騎士国とアスタリム公国の大金貨はやや価値が低いらしい。今回はちゃんと手数料を払うつもりだったけれど、ロタム氏は俺からは取らないと決めているそうだ。なんか申し訳ないな。
そして、かつて倒したオオカミさんこと〈シャドーウルフ〉の魔石を革袋から出した。濃紫色のボスの魔石と、オパールのような手下の魔石だ。さらに、先日〈レリカム大森林〉で見つけた土竜〈モールサーペント〉の青いウンコ、もとい、謎玉も出した。
俺がこうした、駆け出し冒険者としてはありえない魔物の素材を持っていることを見てもらい、商会を通じて売却できないか訊いてみたのだ。もちろんソルデス商会にも十分利益の出る形で構わない。
冒険者ギルドで売ると目立つだけでなく、出所や経緯を詮索されるだろう。それはちょっと困る。なんか素材を売りたくて冒険者ギルドに登録したのに、そこが一番売りにくいのは皮肉なものだ。
「いつもアラタさんには驚かされますなあ」
なぜかロタム氏が嬉しそうだ。
青い〈モールサーペント〉を丸々一体持っていることを知ったときは、さすがに言葉がないようだったけど。
二日後に商会の倉庫で内々に査定してもらえることになった。ロタム氏も立ち会ってくれる。これでちょっと安心。
そして俺は、魔力を操作してレティネを眠らせると、本当の要件を切り出した。




