240 盗賊の襲撃なんてイージーイベントはスルーで
ブクマ、評価、ありがとうございます。
新章になります。引き続きよろしくお願いいたします。
「あれは?」
「巡回兵だな。装備を見るに、モラトリオ領軍だよ」
俺たちの馬車の進行方向。
街道をやって来る三十騎ほどの隊列が見えてきた。
晩秋の曇り空が彼方まで続いている。吹き渡る風に土埃が舞う。
ここは乾いた大地に岩塊の点在する荒野だが、低木に囲まれた沼沢もあるので砂漠というほどでもない。
「サイトウ様。ここはもう侯爵領じゃなくてドワーフ自治区内ですよね。モラトリオ侯爵の軍が巡回するのはヘンじゃないですか?」
馭者台で俺の隣に座るエルフの魔法使いサイトウ。
ローブ姿で手には魔法のロッド。
今回の冒険者パーティー〈パパ〉の旅の同行者だ。というか依頼主である。
「ドワーフにとってはドーヴンだけが自分たちの町なのさ。そこから外れた周辺の治安には関心がないらしい。街道はモラトリオ侯爵が警備を代行している。侯爵領にとってもドーヴンとの交易は大きな収益源だからね。通商路の保全ということだ」
「侯爵が自領に組み込んだりは?」
「自治領といっても国王の預りという扱いだ。さすがにそれはできないよ」
顔が判るほどに隊列が近付くと、先頭の兵士に手振りで停車を指示される。二騎が進み出てくる。防寒用のマントは制服と同じ青色だ。
「お前たち、どこに向かってる?」
「ドーヴンです」
一本道だから目的地はそれ以外にない。
俺は冒険者証と人数分の侯爵領通行証を見せる。
「ふん。冒険者か。お前たち全員がか?」
「はい」
馬車の中の幼女と少女たちを訝しげに見る領兵。
「ちゃんと護衛に見えるような武器を――いや。まあいい」
何か言いかけた領兵だが、そのまま隊列に戻る。
騎馬隊が通り過ぎるのを待って馬車を出す。
「襲われないように武装を見せておけって言いたかったんでしょうけど、どうして言い止めたのかな」
護衛もいない二頭立ての馬車。しかも富裕な商人や下級貴族が使うような客車型。
乗っているのはフードを被った二人の少女と幼女。馭者台には短剣を下げただけの俺と妙齢の美女。場違いではある。なんか奴隷商人みたいに見えるかも。
「侯爵領と無関係と思われたのさ。たいして利益をもたらす者ではない、守るべき対象ではないと」
「つまり、見くびられたと」
「そうだね。領の商人やドーヴンの馬車でなければどうでもいい、それこそ盗賊に襲われても構わないと」
サイトウが前方の岩山に目を凝らす。頂上に人影が辛うじて見える。
「で、あれが盗賊ですか」
「見張りだな。すぐには手を出してこないだろう。もっと巡回兵が離れないと」
「単純な待ち伏せ――のはずないですよね」
「昨夜泊まった町で目を付けられたんじゃないか? 宿の者が一枚噛んでたとしても驚かないよ。カモが来たとね。私のような美女が一緒では目立つのも仕方あるまい」
それだと、あんたはネギかよ。
◇◇◇
――事の始まりは初夏、六の月にさかのぼる。
「こんにちわ、サイトウ様。お裾分けに来ました」
「こんにちわ。ニーラちゃんも元気してた?」
俺とキリは、久しぶりに手に入れたランバジ村の特産チーズと蜂蜜を土産に、領主の相談役でもあるエルフの魔法使いの家を訪ねた。
ソバカス顔の小間使いニーラちゃんは相変わらずビクビクしている。そろそろ俺たちに馴れてくれてもいいのにな。絶対に懐かない小動物キャラなのかな。
「おお、我が友アラタか。キリもよく来たな」
木箱入りのチーズと蜂蜜の瓶を見てサイトウの頬が緩む。
大人っぽい部屋着姿だ。引きこもりの魔法研究者というより貴族に囲われた愛人のように見える。エルフらしく肉感的な色気は控え目だけど。
「蜂蜜は大森林で? 滅多に巣は見つからないはずだが」
「俺たちだけの秘密の場所があるんですよ。スイートホーネットの大群生地です」
「あの場所はズルだよね」
誰も行けないレリカム大森林の奥地に〈パパ〉専用の養蜂場があるのだ。蜂の数を調整しつつ蜜を回収するだけの楽チン農場だし。蜂を狙う魔物を間引きしたりもするけど。
「その様子だと、どうやら吸血鬼の件は片付いたようだな」
吸血鬼騒ぎで知り合ったフリード国の王族シクセスの依頼を済ませたことを話す。シクセスに口外無用と念を押されたので詳細までは話せないが。
「しかし最初に会ったときも思ったが、キリは大陸共通語が堪能だな。こちらに来て間もないのだろう?」
ニーラちゃんが入れたお茶を飲みながらサイトウが今更なことを言う。
キリがこの世界に来たのは二百年前だけどな。
「えと、女神様の力だっけ? 私ももらえてたってことだよね、シン君」
「これは異世界転移を司る創造神マールヴェルデから与えられる〈言語理解〉という加護のお陰なんですよ。俺たちのような〈来人〉はもれなくこの力を得るようです」
「なんと、そんな力が――」
サイトウが驚いている。加護〈言語理解〉のことは知らなかったようだ。ちゃんと話してなかったっけ。
「読み書きもできるのか?」
「はい。人の使う文字なら。けど記号や絵文字は無理なものもありますよ」
読めない絵文字はあった。それともあれは、ただの模様だったのかな。
少し考え込んでいたサイトウは、立ち上がると奥の書斎に向かう。
両手で古い木箱らしきものを抱えて戻って来る。重厚な造りで、実際重そうだ。
テーブルの上で蓋を取ると、中には厚手の紙束が詰まっている。
しなやかな指先で慎重にめくり、小さな紙片を俺に差し出す。
一枚の紙を分割した切れ端だろうか。紙質は悪くない。メモ書きかな。
「これを読んでみてくれないか。もし読めるのなら」
「これは、――文字なんですか」
まさにミミズののたくったような線。頻繁に脱線する一筆書きの渦巻き。酔っ払いが描いた大小の蚊取り線香にしか見えない。マジで字なのかよ。子供が考えた迷路とかじゃないの?
「それを書いた研究者専用の筆記体だ。むろん本人しか読めないものだ。秘匿文字ともいう」
それでも凝視していると、謎模様が意味を成していく。
表意認識が形成されていく。
〈言語理解〉スゲー。
「えと、『リプレス円環の偏差は対称近似となるべくプレ・クラヴィス変換されるべし。偏向近似値として、1121、1132、1144、――2366、2379の各値の代入も可』って書いてありますね」
「なにっ? 本当に読めているのか、アラタ!?」
「え、ええ。はい」
読めてるけどチンプンカンプン。読み解けてる訳じゃない。
サイトウはまだ半信半疑な様子。
「キリも読めるはずだよ」
キリに紙片を渡す。
しばらく向きを変えたりして眺めていたキリ。
「『リプレス円環の、偏差は――』」
俺と同じ内容を読み上げる。
「驚きだよ、アラタ、キリ。解読不可能と放り投げていたメモが――これなら――」
サイトウは感無量といった面持ちだ。
それからの数時間、サイトウが差し出す謎メモを俺とキリが読み上げ、サイトウが共通語に筆記する作業を続けた。付箋のような短文から数字の羅列、長めのレジュメまで、渦巻き尽くしだった。目が回りそう。
「これほどの進展があるとはな。二人に心から感謝するよ!」
興奮冷めやらぬサイトウ。一人だけ元気だ。
「蜂蜜届けに来ただけなのに、なぜこんな目に――」
「シン君、私渦巻きコワい」
サイトウによると、これらの紙片はある高精度魔法陣の欠落した部分を埋めるためのメモだったそうだ。数百年前の研究者が余人には解読できない秘匿文字で補完したため、魔法陣の復元を諦めざる得なかったらしい。この魔法陣はサイトウの研究の要となるもので、これを元に特殊な魔道具を作る予定だという。
――そして数ヶ月後。
サイトウは魔法陣の復元を終え、それを組み込んだ魔道具をドワーフの魔技師に作らせるため、アルブス王国南西部の町ドーヴンを目指すことになった。
冒険者パーティー〈パパ〉はその護衛を依頼されたのだ。
◇◇◇
「やっと動いたみたいですね」
前方の荒野で土煙が舞い上がる。
もちろん〈魔力糸〉でもすでに捉えている。
盗賊だ。
数は十四。接近中。
街道には領兵も他の馬車の影もない。賊と俺たちだけだ。
「盗賊にはドワーフ自治区は居心地がいいんでしょうか」
「ドワーフたちは討伐をほとんどしない。むしろ他領から流れて来る盗賊もいるくらいだ。そして賊共もドーヴンの馬車やモラトリオ領の有力商人を襲うことは避けている。本格的に討伐隊を送り込まれたくないだろうしな。獲物の選別はしているのさ」
「俺たちは丁度いい獲物ってことですね」
「アラタの正体を知っていれば近寄る気にはならないはずだがね、〈魔王殺し〉殿」
殺しシリーズはご遠慮ください。
名乗っても痛い奴と笑われるだけだ。
「で、魔法使いはいたか?」
「いいえ。でも魔道具はいくつか持ってるようです。たいした物はなさそうですが」
眠りこけた一団の脇を通り過ぎる。
馬の背に突っ伏した者、転げ落ちたままうずくまる者、ちゃっかり仲間を枕にしてる者もいる。すべて〈魔力糸〉によるおネム波形で処理した。馬たちが所在なげだ。お疲れ。
片手剣と革鎧の装備。そしてヘルムは全員が装着。安全第一なのかな。一様にガタイがいい。兵士崩れっぽくもあるけど、背景をあれこれ推測しても仕方ない。
「盗賊相手にお優しいことだ」
「まともに相手するのも面倒ですから」
「これだと帰りも狙われるかもしれんぞ」
「帰りはここ通らないですよ」
馬車の窓からキリが顔を出す。
「シン君。何かあったの?」
「なんでもないよ。もうちょっとしたら休憩な」
馭者台の周りに〈神力〉で空気の絶縁層を作っている。繭状のエアシールドで荒野を渡る寒風を防ぐ。自称百十一歳のお年寄りの身体を冷やしたら気の毒だしな。
静かな街道を二頭のゴーレム馬に引かれた馬車が進む。
しだいに山岳地帯に分け入る。
ドワーフの町ドーヴンまであと少し。




