216 大注目の黒い魔法使いさんがやって来るよ
カトカとセカナの兄弟が住んでいた小さな村は焼かれた。
去年の冬。俺たち〈パパ〉が新年の準備をしていた頃。
盗賊団がサファロウ侯爵領の山村に逃げ込み、それを追って来た魔法使いが焼いたのだ。
村人諸共。
盗賊団も村人も全滅。家屋も全て焼け落ちた。
薪拾いから戻った兄弟が見たのは、燃え盛る村と、劫火の前に立つ黒ローブ姿の魔法使いだった。
訳が分からなかった。
なぜ村が、全てが燃えているのか。
黒いローブの男が誰なのか。何をしたのか。
兄弟は折り崩れた。その場で座り込んだ。
声も出なかった。
せっかく集めた薪がこぼれ落ちる。
呆然と炎を見ていた。熱気が渦を巻く。
慣れ親しんだ村の形は残っていなかった。
悪夢だった。
ローブの男が去り際に兄弟を見た。
ぎょろりとした暗い目の男だった。そこには何の感情もなかった。
獣人への侮蔑も。獲物を見つけた昂揚も。
何の熱意もない顔だった。
動くこともできずに夜を明かした。
空腹も寒さも感じなかった。
魔法の炎は崩落した土壁まで灼き焦がし、こもった熱は夜半を過ぎても抜けなかった。
夜が明けて陽が昇り、町から戻ったイヒタに揺り起こされるまで、兄弟は身を寄せ合っていた。
この男は手配師。村の住人だが、町での仕事を斡旋したり村の産品の買い手を捜したりする役目だった。村を離れていて難を逃れたのだ。
完全に灰になった村に言葉もない手配師。
家の形も、家族や仲間の姿もない。遺骨すら灰になっていた。
兄弟の面倒を見てくれていた祖父も家ごと消えていた。
あまりに跡形もなくて、悲しみも怒りも感じなかった。
ただただ途方に暮れていた。
兄弟は手配師の伝手で麓の町に身を寄せ、やがて王都に出てきた。
狩の腕前と格闘に自信のあるカトカは、父親と同じく冒険者になって身を立てようと、他の冒険者パーティーの手伝いをしながら修行中だ。フェラル教会の養導院に滞在している。
「前の町にいたとき、手配師のイヒタさんが教えてくれたんだ。村を焼いたヤツがわかったって。オッキゾルっていう、公爵様のところにいた魔法使いだって。オレたちが見たヤツなんだ」
カトカがグッと拳を握る。
「そいつが武闘会に出るっていうから、オレが殴ってやるって。村のみんなに、死んじゃったみんなに謝らせるって。あの魔法使いが来るって思ったら、すごい悔しくて、カッとなって。そんで、オレは――セカナと貯めてた金で――出場登録したんだ」
一転、うなだれている。
幼い弟の面倒を見ながら銀貨三枚分貯めるのは大変なはず。
長く抑え込んでいた感情が溢れて、思わず突っ走ったと。
セカナがいるから我慢してたんだろうな。
セカナが酔っ払いの駄賃で出場してたなんて言えないな。あまりにやるせない。
「カトカとセカナのお父さんって冒険者か。連絡はつかないのか?」
「勇者様の戦いのあとで、仲間の冒険者の人たちと北の大森林に行ったんだ。まだ戻ってこない。もうすぐ一年たつけど。――村のこと知らないかも」
おそらく勇者騎士団と諸候連合軍が出陣したヤヌア砦の戦いの後で、大勢の冒険者がヴァネスク大森林に入った件だろう。魔力大爆発による一時的な魔物の空白地帯ができたせいで、普段は行けない深部に入れたからな。冒険者的にはゴールドラッシュだったはず。
無事ならいいけど、流石に一年も戻らないのは心配だな。
「オッキゾルって、そんなことしてたのね。もしかしてそれって、サファロウ公爵領の話?」
「うん。こうしゃく様の村だよ。山がちかい村」
アーデの問いにセカナが答える。
「その公爵もあんまりいい噂は聞かないわね。インスティアと通じてるみたいだし」
「それは、どういうこと?」
メアリが口を開きかけたので、先んじて俺が訊ねる。
メアリが混じると立場上雑談にならないし。
「去年、ボロウ伯爵の領地にインスティアのアバル子爵軍が攻め込んだじゃない?」
おい。えらく他人事だなアーデ。
「あのとき別働隊が公爵領に入ったらしいの」
「それは、侵入されたってこと?」
サファロウ公爵領は王都からボロウ伯爵領への途上にある。
「ううん、公爵が引き入れたはず。ボロウ領支援軍が編成されたら妨害工作でもするつもりだったんじゃない。捨て駒としか思えないけど。公爵はそいつらに拠点を提供したのよ」
インスティア王国と密約でもあったのかな。
「でも侵攻したアバル子爵軍は壊滅。そして別働隊も一人も戻らなかったわ」
チラと俺を見る。
俺たちは関ってないぞ。そんな別働隊がいたことも知らないし。
「あれ。それじゃあオッキゾルが殲滅したっていう盗賊団がその別働隊なのか?」
「確証はないけど、そうじゃないかな。公爵がオッキゾルを使って証拠隠滅したとしか」
兄弟の村がその巻き添えで滅びたとしたら酷いな。
「どう思います? メアリさん」
もう近衛騎士様に投げちゃおう。公爵とかどうでもいいし。
「公爵家には代々よからぬ噂があります。そのお話が事実とすれば売国、いえ亡国の逆徒と言えましょう。確かに降って湧いたような盗賊討伐の話でしたし」
リエステラ王女は、ぱちぱちと瞬きする。
「おそらく公爵は、喉元に剣を突き付けられたのではないかと思いますわ。ボロウ領侵攻が次の段階に進めば、その別働隊が何らかの動きを見せて、公爵に行動を迫るつもりだったかと。インスティア王国に有利となるような行動を」
人形参謀か。
桃のゼリーを美味そうに食べる。無表情だけど。
「幸いにもインスティアが引き連れていた魔物の大集団は、一日で全滅したそうですわ」
そんなこともありました。
「そういえば、アンタたちあんまり光ってないわね。精霊の力が弱まった?」
アーデが俺とレティネ、ヤマダを順番に見る。
よくぞ気付いてくれました。
むしろ精霊の力はパワーアップしたけど、それを隠蔽できているのだ。
「ふふふふ、知りたいかー?」
「うっ、知りたいけど、アンタの態度が腹立つから、やっぱりいいっ」
話は聞けよ。ドヤ顔はお互いだろ。
「アーデが最初にオッキゾルに会ったのはどこ? エシュリート王国か?」
エシュリートはインスティアの南方の国だ。
「いいえ。インスティア王国よ。モンテム大森林の中に冒険者たちの基地があって。わたしはそこで他の魔法使いと合流したんだけど、オッキゾルはもうムーズと一緒にいたわ」
「あの魔物軍団にはオッキゾルも絡んでたってこと?」
「それは――ないと思う。〈鼠王杖〉の使い方についてムーズに助言してたくらいかしら。ムーズもプライドが高いから素直に聞かなかったけど、カルケル要塞ではオッキゾルの言ってた通りにしてたわ。まったく魔法使いは意地っ張りで面倒臭いわね」
ですよね。
「でも去り際に、アルブス王国側に強力な異能者が現れるかも知れないから、油断しないようにって言ってたわね。あの男が魔法以外の話をするなんて珍しかったわ。――あれってもしかして、アンタたちのことだったのかしら」
違うと思う。誰も魔物軍団の掃討に新米冒険者パーティーが単独で派遣されるなんて予想はしないだろ。
「オッキゾルは何が目的だったんだ?」
「わたしはほとんど話したことがないから知らないわ。――でもムーズが言うには、何か探してるらしいって。人なのか物なのか分からないけど」
最初から〈深淵〉が狙いなのかな。
「アーデはオッキゾルの魔法を見たかい?」
「いいえ全然。魔法の見識はかなりだったけど、使ってるとこは見てないわ。――というかあいつ、あんまり魔法使いっぽくないのよね。格好だけは確かに魔法使いなんだけど」
一人で村を焼き尽くし灰にするほどの戦術級火焔魔法。
そして魔族判定の魔道具を破壊できるだけの魔力操作。
それだけしか分からない。
威力だけの魔法ならともかく、感知できないような力を使われると怖い。
「キリねーちゃんがわるい魔法使いをやっつけるよ」
セカナがキリを持ち上げる。すっかり仲良しになってる。
「なに? アンタも武闘会に出るの?」
「うん、そうだよー。アーデさんとは違う予選会場だけど。たぶん本選に出られるよ」
「ふうん。でも本選でわたしと当たったら、運が悪かったとあきらめるのね。ふふ。アスラン本気の〈飛掌打〉でぶっ飛ばしてあげるわ」
猫形態のアスランを見てしまったキリに勝ち目はあるのか。
猫を殴れないと思う。
「まあ、俺とヤマダも出るんだけどね。本選」
「――――へ?」
アーデが固まる。
ヤマダも頷いている。
「俺たち招聘選手なんだ。もし当たったら運が悪かったとあきらめてくれ」
俺は優しく、ヤマダは容赦なくライオンを倒す。
「ぐぬぅ。なによ、やってみないと分からないわっ」
食事が終わる頃にはアーデの扱いについて確認に行った騎士も戻ってきた。一人だけ働かせて申し訳ない。
アーデはとくに手配されていないそうだ。
「よかったな」
「アンタが脅かしたんじゃないっ!」
アーデと別れ、カトカとセカナの兄弟をフェラル教会の養導院に送る。
アーデは魔法士ギルド傘下の宿に滞在しているそうだ。アスランが一緒でも問題ないらしい。部屋の都合もあって猫形態でいるみたいだが。
養導院は孤児院みたいな所かと思ってたけど、コミュニティーセンターとかに近い感じだった。老若男女が出入りして、教会行事の手伝いや読み書きの勉強、奉仕活動とかをしている。僧房みたいな宿泊施設もあって、兄弟はそこで寝泊まりしている。質素だけど安全に過ごせる。ただし無料ではなく、カトカたちも僅かな稼ぎの中から幾らかずつ納めているそうだ。
活気があるのが救いかな。
兄弟を知る助祭を通してたっぷりお布施をしておいた。
「オッキゾルは俺たちが代わりにやっつけるから任せろ。お前たちは無茶なことするなよ」
「分かったよ。きっとだよ、あにきっ」
「おにーちゃん、ありがと」
耳ピコピコ。尻尾フリフリ。瞳キラキラ。
決して後には引けない戦いが、そこにはあった。
離宮に戻り、レティネを連れてバシスの〈エルフの雫〉に転移。
数日ぶりに商品の補充と店の清掃をする。店番のプルナ婆さんも元気だ。売上も変わらず。
マヤさんとアムニスに現況を伝え、王都の離宮に戻る。
母親のアムニスもレティネの元気な姿に安堵している。
これくらいの時間ならリエステラ王女から離れても問題ない。
リエステラの状態も安定している。再編された魔力の流れに身体が馴染んでいる。自律型王女人形までもう一歩だ。自分の意思で動き、苦痛に苛まれず、生きている喜びも感じられる。ちょっと普通の人とは違うけど。
そんな王女になれそうだ。
翌朝、大量の栗が届いた。秋の味覚だ。
エルフの里シドゥースの別荘を覗くと、どっさりと置いてあった。始祖様への貢ぎ物だ。
離宮の料理人にも渡したところ、その日のうちに焼き栗とマロングラッセが楽しめた。焼き栗はともかくマロングラッセって作るのに何日も掛かるんじゃなかったっけ。魔法的な裏技があるのかな。
大粒で皮も薄い栗の実。庶民的な焼き栗が凄まじく丁寧で高級感のある仕上がりになっていた。もちろん香りも味も極上。みんな笑顔になった。
リエステラも甘いマロングラッセを堪能した。
北四戦区ではキリを含めた六人の本選進出が決まっていた。
今年はこの戦区では死者は出なかったそうだ。怪我人は多数。予選終盤には観客からも怪我人が出ていた。ただの喧嘩だ。場外の血の気が多すぎるし。
そしてついに、サファロウ公爵が王都入りしたとの報せが入った。
件のオッキゾルを伴い王都屋敷に入ったそうだ。
これまで聞いた話から、おそらくオッキゾルには自身の手駒がいない。
公爵やその配下を信用していないだろう。
公爵家を隠れ蓑にしているだけだ。
そして本当に魔族なら、王都では各所にある〈試験盤〉が自由な移動を妨げる。目的の〈深淵〉を手に入れる前に、魔族とバレるのは避けたいはずだ。最低限の動きしかできないだろう。
なら本選など待たずに、公爵の屋敷に乗り込んでオッキゾルと対決しようか。
けれど襲撃への対策はしてるかも。自分が動けないなら尚更だ。どこまで俺のことを知ってるか分からないが、面倒な罠に嵌って長引いたり、逃げられるようだと困るな。
レティネの異能を狙う魔法使い。
武闘競技会という舞台で、俺に照準を合わせてきた敵。
俺を倒して〈深淵〉を奪う自信があるんだろう。
正面からぶつかってやるさ。
でも、オッキゾル、
ちゃんと勝ち上がって来れるのかな。




