214 心からあふれ出る涙を誰が止められるだろうか
北四予選会場は朝から賑わっていた。
しかし出場者たちには静かな緊張感がある。
今日明日で予選通過者がほぼ決まるからだろう。
キリは現在四勝。あと一勝でたぶん安全圏だ。
そして今日から協議会側が組んだ対戦になる。もう対戦相手を選り好みできない。本選進出を目指す者には正念場だ。勝者同士の潰し合いが始まる。
「キリの対戦も、もう組まれてるね」
出場者待機所の大テントに掲示された対戦表ボード。登録番号を書いた紙切れがペタペタ貼られている。
キリの対戦は第六戦。午前には終わりそうだ。
「相手は百二十四番、だって。遅れて登録した人かな」
「みたいだね。どんな奴かな」
たぶんまだ見たことのない出場者だろう。
大テント近くにはそれらしい姿はない。見覚えのある勝ち残りばかりだ。
「あれ? 百七〈四〉対百二十四〈〇〉って、相手は初戦ってことか?」
登録番号の後の数字は勝ち数のはず。勝ち数の近い者同士で組むと聞いてたのに。ランダムに組んだのならラッキーかもしれないが、意図的だとしたら要警戒だ。
キリの対戦の一つ前に、シクルブという熊獣人の巨漢が五勝目を上げていた。
動きの速い剣士相手でかなり流血していたが、両手を突き上げて堂々たる勝ち名乗りを見せる。
会場は大歓声だ。
「じゃあ、行って来るね」
「頑張れよ。けど相手が強そうだったら、カッコ悪くても棄権な」
「心配性のシン君、わかったよー」
「キリおねえちゃん、しっかりー」「勝つです」
賭け札の購入や換金で観客の引けた闘技場で、観戦場所を確保する。丸太を打ち込んだ杭と太いロープで囲まれた楕円形のグラウンドだ。
ザワザワと落ち着かない観客たち。
戸惑う声と怒声。やがて嘲り笑いに変わる。
これはキリにではなく、対戦者への反応だ。
「子供? にしか見えませんわ。というか子供ですわ」
「子供、です?」
「耳がオオカミさん」
キリに遅れて姿を現した対戦者。
視力が回復してきたリエステラ王女が訝しむ。同時に魔力感知も使って見ているようだ。
そこには獣人の少年が立っていた。
レティネとそれほど変わらない歳に見える。
粗末なベストと半ズボン。くたびれた革靴。ふわっとした青灰色の髪から狼耳がピンと突き出している。膝小僧に擦り傷。
琥珀色の瞳の美少年だがオドオドと落ち着かない。会場の雰囲気に気圧されている。膨れた尻尾が力なく震える。
出場資格に年齢制限はないとはいえ、これはあんまりだな。
「あの子、――強いのかな」
あれが演技だとしたら。
実はショタ最強、的な。
見た目で欺くのも常套手段なこの場では、弱そうに見えるからといって油断すべきではない。開始の合図の途端に強力な異能が発動するとか、あり得なくもない。舐めてると瞬殺されるかも。
「アラタ殿。あれはただの子供だ。何かの間違いではなかろうか」
この場にそぐわない近衛騎士の制服姿のメアリが、少年から目を逸らさずに見立てを教えてくれる。
「でも剣は持ってますよ」
細い手には刃の欠けた鉄剣が。武装には違いない。少年の細腕には重そうだが、ここが何をする場かはちゃんと分かっているのだろう。
〈魔力糸〉でも異常はない。ごく普通の子供の魔力量だ。怪しい魔道具の類いも無し。精霊がらみの力も感じない。
迷い込んで怯えきった少年にしか見えない。
けれど剣を手放さない。戦う意思はあるのか。
「すっこんでろー! ちびガキぃ!」「武闘会なめんな! なにしに来やがった!」「ケモノの村に帰れやー! きひゃひゃひゃひゃ〜」「イケイケイケ、死ぬまでイケ!」「あばばばば、おネエちゃんタスケテー! うはははは!」
静かに観戦するマナーなどあるはずもなく、子供相手に酔っ払いの容赦ない野次が飛ぶ。煽るように足踏みまでしている。いろいろ酷い。観客の血の気が多い。
少年は涙目どころか、もはや虚ろな目だ。
演技ではない、よな。
しかし、戦意喪失しているのは少年だけではなかった。
キリが不安げにチラチラ俺を見る。
シン君どうしよう、な顔だ。
これはもうダメだな。キリはあんな子供に氷の塊を撃ち込んだり、魔法杖(棒)で殴り倒したりはできない。そこまでするほどの何かが武闘会にある訳でもなし、正直たいした覚悟もないのだから。
腕試しも潮時か。
「始めっ!」
無情にも審判から開始の合図。
暫しのお見合い状態から、キリが魔法杖をゆっくりと水平に倒す。
少年はハッとして、わずかに後退。
自分の踵につまずいてよろける。
あっ?
――ごつん――
そのまま仰向けに倒れて動かない。
手を離れたボロ剣が転がる。
頭を打ったようだ。
キリが杖を置いて両手を上げ、降参のボーズを取ろうとした矢先だ。
審判が駆け寄り少年の意識を確かめる。すっと右手を上げる。
「勝者、北四・百七。キリ!」
罵声と嘲笑。歓声。
「やったー! 楽勝ぉお!」「なんだこりゃ? ふざけるなっ!」「がはははははは」「バカヤロー! ただのガキじゃねーか、金かえせー!」「殺したぞー! チビを睨み殺したーっ! キリキリ様ぁー!」
少年は死んでないし。睨み殺したりしないし。キリにそんな魔眼攻撃ないし。
今後出回るキリの出場者情報に〈魔眼〉とか書かれないといいけど。
キリが心配そうに少年を乗せた担架を見ている。
魔力を調べると少年は完全に意識を失っている。打ち所が悪いと危険だな。
「キリ、五勝目おめでとう」
「うん、ありがとう。まるで勝った気しないけどね」
まあ、何もしないうちに終わったよな。
何だったんだろうな。これでも勝ちなんだよな。
「ああ。百七の相手を誰にするか考えて、強いヤツじゃなくて、いっそ弱いのをぶつけてみるかと。丁度出場登録したばかりの百二十四、セカナにした。どうだ、やり辛かったろ?」
出場者待機所にいる対戦係は平然と言いきる。
協議会側の勝手な差配だったとは。妨害工作って程じゃないが困らせようとはしたみたいだ。情に訴えればキリはチョロいと思われたのか。当たってるし。
他の出場者に当てたら少年は酷い怪我をしたかも知れないから、これで正解だったのかな。
「どっちが先に降参するか賭けてたんだが。まさか緊張でぶっ倒れるとはな。ぶははは」
本当に面白ければ何でもいいんだな、武闘会予選。流石に呆れる。
「百二十四ならあっちのテントにいるぞ。頭にたんこぶできただけだ。心配ない」
いや、頭打ってたから心配だよ。
医療テントを覗くと、簀子に粗末なフェルトを敷いた簡易寝台に、狼獣人の少年が寝かされていた。医療スタッフも付かず、いるのは少年だけだ。転がしてあるだけだった。一応安静にはしてもらえたらしい。
意識は戻っているのか横向きで目をパチパチさせている。
〈魔力糸〉で見るかぎりとくに異常はない。頭も大丈夫みたいだ。
「だいじょうぶ? えと、セカナ、君」
キリが声を掛けると、ビクンと体を震わせて縮こまる。耳が萎れる。逃げ場を求めて視線がさまよう。怖いお姉ちゃんが来た、な反応だ。
「キリ。いじめダメ。絶対」
「イジメてないしー」
とりあえずキリに任せる。俺たちは近寄らない。
「セカナ君。私は、キリっていうんだよ。よかったらコレ飲んでみて。元気が出るよー」
キリがセカナに魔法薬〈エルフの雫・甘口〉の小瓶を封を開けて差し出す。
蜂蜜を少量混ぜた試作品だ。日持ちは悪くなるが、甘い香りがして子供でも飲み易い。
キョトンとしていたセカナも、漂う香りに気付き、ヒクヒクと鼻を動かす。
「美味しいよー」
美味しいぞ。
キリの笑顔に心を許したのか、甘い香りに惹かれたのか、セカナは魔法薬をこくこくと飲み干す。急ぎすぎて咽せたのでキリが背中をさすってやる。
知らない人からもらった薬なんて無警戒に飲んだらダメだぞー。
「――?」
急に力が湧いてセカナが驚いている。
体力も魔力量も小さいから魔法薬の効果はてきめんに現れる。
この子は空腹だ。獣人の子供の標準が分からないが栄養状態も良くないみたいだ。深刻な怪我もないから、まずは食事だな。
「美味しい、セカナ君?」
「――おいしい」
セカナがコクリと頷く。
「ゆっくり食べるんだよー」
セカナを連れて早めの昼食を食べている。
粗末なベンチとテーブル、軽食屋台の並ぶ、配置だけを見ればどこぞの青空フードコートだ。いろいろボロいが。
肉入り粥を頬張る獣人の少年。冷めるまで必死にフーフーしてた姿が可愛い。やっぱりケモ耳っ子は猫舌じゃないとな。食事のお陰かセカナの瞳にも光が戻っている。
雑穀のハーブ粥に油で揚げた鳥肉が入っている。ここでは中々の高級料理だ。素材は怪しいが味付けには手を掛けているのが分かる。半ズボンからはみ出たセカナの尻尾が楽しげに振られている。口に合ったみたいだ。
敗者はもう用済みなので、セカナを連れ出すのは簡単だった。
キリは明日も待機所に顔を出すように言われた。もし五勝した者が多かった場合はもう一戦あるかも知れないと。本戦出場選手が正式に決まるのは明後日とのことだ。
「じゃあ、セカナ君はおにいちゃんを捜してるの?」
「うん。にいちゃんはぶとー会に出るって。ぜんぜん帰ってこない」
「北四、――この会場にいるのかな?」
「ここにいるだろうって、おじちゃんが」
「おじちゃんって、セカナ君のおじさん?」
「知らないおじちゃん。あと、よっぱらいの知らないおじちゃん」
適当に教えられたんですね。わかります。
「どうしてセカナ君まで武闘会に出てるのかな?」
「よっぱらいのおじちゃんが、ぶとー会でればにいちゃんにあえるって、お金くれた」
おじちゃん酔い過ぎ。太っ腹過ぎ。
セカナによると、四日前の朝、兄のカトカが武闘競技会の予選に出場すると言って教会の宿舎を出たきり戻らないという。街で予選会場の場所を訊き、この北四会場に来たそうだ。
兄は見つからず途方に暮れていると、酔っ払いのおっさんたちに絡まれ、飲み屋を引っ張り回され、さんざん酒の肴にされた挙げ句に銀貨三枚を押し付けられて追い払われたという。
セカナの参加登録費を誰が出したのかと思ったら、親切な酔っ払いさんだったとは。賭けで大勝ちでもしたのかな。きっと今頃おっさんたち頭を抱えているか、すっかり忘れてるかのどっちかだろう。金じゃなくて食事をやれよ。
そして武闘協議会も子供から金受け取るなよ。しかもボロ剣まで貸し出してるし。
「ならセカナ君には帰るお家があるのね?」
「ふぇらる様のじょさい様のところ」
ふぇらる、様?
「アラタ殿。フェラル教会の助祭殿のことかと。フェラル教会は獣人教会とも呼ばれていますので、獣人支援の活動をしていたはずです」
メアリが耳打ちしてくれる。
フェラルは鍛冶を司る神で、ドワーフ族にも信仰されている。もちろん人族にも。ドワーフと獣人は仲が良いらしく、互助意識があるという。困窮した獣人を保護したり援助したりするらしい。
なるほどなー。
「シン君。耳と尻尾が可愛い男の子をお持ち帰りとか、ダメなんだよ」
「ぐっ。せめてお風呂に入れるだけなら、ただの親切なお兄さんだからセーフと言えなくもないのではないだろうか」
「シン君のお風呂はキケン。帰る所がある子はダメっ」
意外に厳しいキリなのだった。
セカナを連れて東三予選会場へ向かう。
兄のカトカがどこにいるのかを、通商ギルド本館にある武闘競技会事務局で調べたのだ。カトカが戦っているのは東三戦区だった。
東三・九十六、カトカ。
王都東地区、第三壁と第四壁の間にある湧水広場が会場だ。
セカナをフェラル教会に送り届けるだけで良かったのだが、他の会場の見物ついでに兄のカトカを捜しに行くことにした。
それにセカナ一人だと王都壁門を通れなかった。
通行証も金も持たずに来たから、誰かと一緒じゃないと街に戻れないのだ。
出るときは通りかかった荷馬車に付いて来たそうだ。出るのはチェックが甘くて、入るときは厳しいのかな。孤児の流入や人身売買を防止するために子供の出入りは監視されているはずだけど、交通量が多くて目が届かないのかも。
湧水広場はかなりの広さで、南の一角に立派な屋根付きの水場がある。
誰でも生活用水を汲むことができる泉だ。噴水や並木もあって市民の憩いの場だ。
広場の北側半分にテントやら仮設小屋やらがひしめき、その中心に円形の闘技場が設えられている。ここだけ猥雑な空気だ。
歓声と剣戟の音が響くが、戦いの様子は人だかりで全く見えない。
「にいちゃん!」
「――セカナっ? なんでっ?」
カトカは医療テントにいた。
俊敏そうな体格の少年だ。十二、三歳かな。セカナによく似ている。耳の内側の毛が白くないのは年長だからか。力なく曲げた右膝に湿布がゆるく巻かれている。
駆け寄るセカナに驚いている。
「キリねーちゃんたちに、助けてもらった」
「キリ――姉ちゃん?」
セカナがキリと俺を見るので、挨拶と自己紹介をする。
レティネたちにはテントの入口で待ってもらっている。
「待ってろって言ったのに。ったく、バカが。――すまない、アンタら。セカナが世話になっちまって」
責めるような口ぶりだが、弟に会えて嬉しそうだ。
「にいちゃん、ケガ? いたい?」
「う、ああ。あの剣士め、刃先の伸びる仕掛けなんか使いやがって。ライオンには猫パンチを喰らった。ありゃズルだろ」
カトカは一回戦を脚を負傷しつつも勝利。しかし昨日の二回戦でライオンに膝を砕かれて敗退。痛みを抑える治療だけで医療テントに転がされていた。
しかしライオンって。猛獣使いとかもいるのか。テイマーも出場できるってこと?
なら、キリの土ゴーレム〈レム〉もアリかな。
「シン君」
「うん」
〈魔力糸〉で診察したところ、カトカの右膝はマズい感じで壊れている。
側面から強い衝撃を受けたようだ。骨は砕け靭帯も損傷。動脈が破断してないのが奇跡だ。治癒魔法の効果が切れれば酷い炎症を起こすだろう。
このままだと元通りにはならない。障害が残る。
「俺は薬師なんだ。君の怪我を治すよ。このまま歩けないと困るだろ」
「え? でもこの傷は――。それにオレたち、そんな金――」
「気にしない」
獣人さんからは金は取らない。現物でOK。とか。
怪我人に手を貸しながら帰るより、自分で歩かせた方が楽だしな。
兄のカトカも半ズボン姿。半ズボン兄弟かよ。動き易いよね。
カトカの武器は年季の入った拳闘用の革グローブ。ナックルガードのような半月型の金属蹄が付いている。軽量の格闘戦士かな。
「アマトゥスの神よ、いたいのいたいのとんでけー」
俺は謎詠唱と共に光属性治癒魔法(強)を複製。魔力をたっぷり込める。
カトカの膝がまばゆい白色光を放つ。
「うおっ、ああっ?!」
「にいちゃん!?」
カトカが驚きで固まる。セカナも初めて見る派手な治癒魔法に仰天。
すぐに光は収まる。
「これでおしまいだよ」
「――い、痛くねえ。ぜんぜん痛くねえよ!?」
怖々膝をさすったカトカが、気合いを入れるようにパンと叩く。
ぴょんと立ち上がり、その場でスクワットする。
小さなセカナも真似して伸び上がる。
ナニコレかわいい。
「すげえ! 動けるよ。オレ動けるぞっ。治ってる。あ、ありがとう、あにきっ!」
「ありがと、おにーちゃん」
幼いケモ耳っ子の無垢で晴れやかな笑顔が俺を直撃。
耳ピコピコ。尻尾パタパタ。
そして、――おにーちゃん。
――ぶわわっ――
「ええっ!? どうしたの、シン君? なんで泣いてるの?」
「なんでぼないじ(涙声)」
心の汗が出ました。




