206 お客さまの中に薬師様はいらっしゃいますか?
お茶会とは程遠い雰囲気。
言葉もないキリと違い、レティネとヤマダは大物ぶりを発揮してお茶とお菓子をしっかり味わっている。頼もしいな。流石ままごと名人と始祖様である。この二人に任せておけばギリギリお茶会には見えるかな。――無理か。
レティネがお茶のお替わりを求めてティーワゴンに立つと、従者騎士メアリが慌てて給仕を始める。客人にやらせては主の体面に関わるとか?
「では、どうすれば、何をすれば殿下をお救いできるのでしょうか? 俺にやれる事があるとは――」
「シン君、鬼?」
戸惑いつつもキリが復活。
俺だって何でも治せる訳じゃないぞ。
「いや、すごく真面目な話なんだよ」
リエステラは健康だったことがないのだ。
どの時点を基準として治療、快復すればいいのか。
〈神力〉による〈再生〉で五感を失う前に戻すと、五、六歳のリエステラになってしまう。そこから改めて重度の魔力症の治療と、異能の魂の相手をすることになるけど、王女様がいきなり十歳も若返ったら大問題だろう。偽者と入れ替わったと思われるよ。
現状のまま改善するなら、とにかく余剰魔力をなんとかしなければならない。
それだけでは五感は戻らないから、これまで通り魔力操作によって生体を維持することになる。死を遠ざけても普通の生に戻れる訳ではない。
健やかに成長した十五歳の王女という、架空の理想的な存在を作り出すことはできないのだ。
リエステラが望む自身の姿になるべく近付けるしかない。
それすらできるか不明だが。
「リエステラ殿下。まず俺に何ができるかを知る必要があります。試験的な治療をお許し下さい。――そのお身体に触れることになりますが」
「アラタ殿! それは畏れ多いことですよ!」
反射的に従者騎士が食って掛かる。
だがメアリは自分の主がどれほどの地獄を生きているのか、本質的に理解できていない。この際礼儀や身分は忘れて欲しい。
「かまいません、メアリージョー。何を取り繕うことがありましょう。――わたくしの在り方を、これほど理解されている方は他におりません。アラタ様にわたくしの――希望を、委ねさせてはくれませんか?」
「――ははっ」
不満げな視線を俺に向けるが、それだけだ。
普通なら身体に直接触れることなく、〈魔力糸〉を介して体内魔力を詳細に感知できるが、リエステラの場合は魔力の奔流が激しすぎて難しい。微細な〈魔力糸〉だと弾かれてしまう。
「では、失礼します」
車椅子に座っているリエステラ。俺はその前で膝を突く。
まるで肉付きを感じさせない白い手を取る。
冷たく生気の失われた肌だ。
まともな筋肉は付いていない。ふんわりしたドレスはそれを隠すために着せられているのだろう。異能の魂の重圧で破壊され、その魂の片割れを生命維持装置として、なんとか生を繋ぎ止めている身体だ。
その手から直接、魔力干渉を開始する。
魔力の流れを人為的に作っていく。かなり強引に。
リエステラには本来の魔力の流れというものが存在しない。
掻き回され、すり潰され、荒れ果て、跡形もない。
原型となるものがない。
勝手ながらヤマダの体内魔力の流れを模して再現する。
単に俺がよく知っているパターンだからだ。
無理矢理に他人の流れの形を押し付ける。
とにかく俺が魔力操作をする取っ掛かりというか、橋頭堡が必要だ。
当然ひどい軋みが発生する。
それは痛みを伴い、リエステラの壊れかけの肉体を傷付ける。
けれど悲しい事に、痛覚がないから耐えられる。
実際痛みの波形は出ていない。それを示す反応はない。
ただし、長く続ければ身体がさらにボロボロになるけど。
乱流を対流に。
混沌を循環に、変えていく。
リエステラの全身がカタカタと震える。
寒さに凍えているのではない。何かと共振するかのように。
荒療治に身体が悲鳴を上げているのだ。
本当に壊れた人形みたいだ。
「アラタ殿! なにが起きているのだ!?」
メアリが声を荒げる。
俺とリエステラ以外には、ただの異常事態としか思えないだろう。
「ご心配なく。容態が悪くなることはないですよ」
嘘だけどな。そんな保証はない。
これは未知の治療だし。
しかも途中で止めたりできない。中断すればリエステラは多分死ぬ。
特異な患者と特異な薬師。
安全なやり方などない。
試行錯誤と力尽くの治療になる。
俺の魔力が押し負けることなどないが、ただでさえ劣化した肉体に、さらに負荷を掛けているのだ。いつ崩壊するか分からない。
肉体と魂が拒絶し合い、心身が乖離したら、リエステラは終わる。
それでも、叱り付け、脅し、押さえ付ける。矯正を緩めない。
奔放すぎる魔力の流れを躾けていく。
何度くり返したか。
ようやく野放図なものとは明らかに違う流れが生まれる。
それが本来の流れであるかのように、存在に擦り込む。
けれど、そこから零れる魔力もある。
むしろそうした魔力のほうが多い。
それらがわだかまって渦を巻く。急速に膨れ上がる。
魔力圧がみるみる上がる。あっさりと限界を超えていく。
リエステラの表情が完全に消え、身体が崩れ折れる。
すぐにバネが戻るように身体が起きるが、震えは止まらない。
不味いな。
従わない魔力が多すぎる。過剰な魔力の行き場がない。
俺は自分のものでない魔力は消去できない。
破裂しそうだ。
もう決壊する。
「アラタ殿っ!?」
仕方ない。強力な助っ人を頼もう。
「レティネ。ごめんね、こっちに来て」
「はい、パパ」
「ちょっと嫌かもだけど、お手伝いをしてくれないか? あのね――」
レティネの耳元で囁く。いつも頼っちゃって済まない。
「だいじょぶだよ。レティネ、平気だもん」
「ありがとう」
「王女さまのおねーちゃん、まかせてー」
レティネの言葉にリエステラが再び微笑む。
こんな状況なのに、笑顔だけは痛ましいほど見事だ。
押さえ付けていた魔力循環を崩す。
一部を解くように。
膨れた魔力袋を刃物で突くように。
それをすべて、レティネに向けて放出。
途端に大量の魔力が、行き場を求めてリエステラの身体から吹き出す。
この離宮にいる生き物が、俺とレティネ以外が、即座に意識を失う量だ。
魔力の監視装置や防護結界があるなら、警報が鳴りっぱなしになるレベルだ。
俺以外が出していい魔力量じゃない。
しかし俺の右前に立つ幼女が、そのすべての魔力を呑み込んでいく。
レティネの持つ〈深淵〉が、溢れるそばから異空間に呑み込んでいる。よく見ると、レティネの身体全体が微かに揺らいでいる。
俺はリエステラからさらに魔力を絞り出す。
徹底的に。涸れるほどに。すべてを奪い取るように。
レティネの力を借りれば、それができる。
今、リエステラの肉体は、魔力圧の急低下でショック状態だ。身体が魂の制御を離れてしまいそうだ。
因果のリンクが安定するまで、俺が代わりにコントロールする。
同時に光属性の治癒魔法を掛ける。
強弱を微調節しながら掛け続ける。
ボロボロのリエステラの身体を、少しでも修復していく。
壊され続けた肉体を治し続ける。
治癒魔法への反応は悪い。長年過剰な魔力に晒されていたせいか。
そこに再び、強引に、魔力の流れを擦り込んでいく。
長い長い時間。――俺の主観では。
おそらく数分間に過ぎないだろう。
長時間の処置にはリエステラが耐えられないし。
身体の震えがおさまる。
俺が作った新しい魔力の流れを受け入れている。
魂も無事だ。
因果のリンクは保たれていた。
王女を殺さずに済んだよ。
応急処置に過ぎないけど、一応生きている。
さっきまでとは違う、新しい魔力循環で。
リエステラ本人には凄い違和感だろう。作り替えられたような気分のはずだ。
これで良かったのかはまだ判断できない。
俺が考え付き、実施できた治療はこれだけだった。
魔力の暴風はすっかり凪いでいる。
今のところは。
魂はそのままだから、いずれ魔力を帯びてまた暴れ出す。
異能の魂が、それを受け入れ切れない脆弱な肉体に宿っている状態は、まるで変わっていない。体内魔力循環の原型はできたものの、膨大な魔力が戻ってくれば流路が壊される。
猶予はできた。数日ほどの。
「レティネ。よくやってくれたね、ありがとう」
「はいパパ」
よしよしする。
「俺がやったことは分かりますか? 殿下」
「――はい。分かり――ますわ。自らでは――とても――できないこと――でしたが」
外見上は変化がないが、自分の存在を押し潰していた重りがごっそり外れたように感じているはずだ。
アマトゥス神の助力は得られなかった。
治療中もその存在を感じていた。
たぶん俺のした事を見ていたはず。
リエステラの延命には何の必然性もないからだろうか。
アマトゥス神としては、リエステラが魂の輪廻に戻るだけで十分なのだ。それが自然な事だと。むしろ早く異能の魂を回収すべきと考えているのか。神からすれば俺は余計な事をしてるのかもな。
「でもあまり長くは保ちません。時間が経てばいずれ、さっきまでと同じ状態になります。殿下の魔力の大部分を消しただけですから」
「あの、アラタ殿。――何をしたのです?」
メアリは怪訝な顔だ。
傍目には俺とレティネが頑張ったようには見えないしな。
今も魔力操作を続けてるのに。
「そういう魔法です。そして今のうちに追加の治療をしなければなりません。しばらく俺たちが殿下に付きっきりでいる必要があります」
「アラタ様。わたくしは――期待して――よろしいのでしょうか?」
「確約はできませんが。そして殿下と皆さんにもご協力いただかないと」
最大の難点。余剰魔力の捨て場所を、リエステラの身体以外に確保しなければ。
でも体外、周囲に放出するのは不味い。威圧と同じだから従者たちが失神してしまう。この離宮が魔王城みたいな異界になってしまう。
独りぼっちの環境ではリエステラは生きられない。要介護者なのだ。
とにかく容態が安定している今のうちに、やれるだけの事はやろう。
リエステラは下がらせていた従者を呼び、俺たちが離宮に滞在する旨を告げ、その準備を命じる。
王女が客を招いて滞在させるのは初めてらしく、従者たちは戸惑っている。従者騎士のメアリや俺たちの顔をそれとなく窺う。
要するに、微妙な空気というやつだ。
「シン君。お姫様のお茶会って疲れるんだねー」
「いや、こんなお茶会があってたまるか。ノーカンにしとけよ」
これを基準にしたら、お茶会恐怖症になるわ。




