002 クールビューティの女神様がクールすぎてちょっと冷たい
「それじゃあ、まるっきり偶然だった、と?」
クラスメイトの手伝いをするために、春休み中の学校に向かっていた俺は〈転移門〉というのに踏み込んでしまったらしい。
〈転移門〉は人間の目には見えないので、避けるのはムリだそうだ。まるで罠、というか、まんま落とし穴みたいだな。
女神様が創造した数多の世界で、住民の交換転移が行われているという。
人口からすればごく僅か。七十億人規模の地球でも、年に一人か二人程度。二つの世界間で互いに交換するのではなく、行き先はランダムに割り振る。
これは世界の基幹構造を維持するための措置だそうだ。
各世界は相互にリンクし、ひとつの〈系〉を形成している。
そのリンクは、ある〈共振現象〉によって維持されている。
いわゆる、波長が合う状態だ。
そしてその共振波形は、その世界で生まれ育った生物の〈魂〉も持っている。
生物が進化し繁栄するほど〈魂〉の波形はより複雑になる。
それぞれの世界の共振波形は、そこに住む生物の〈魂〉と干渉し、しだいにユニークなものになっていく。放置すると、他の世界とのリンクを維持できなくなって〈系〉から外れていく。
孤立した世界は急速に不安定化し、住人が気付くことのないまま基盤が揺らぎ、やがて天地崩壊にいたる。その変動は他の世界にも深刻な影響を及ぼす。
そこに他世界の波形パターンを挿入することで、過度なユニーク化を防止できる。
知的生物ほど〈魂〉の情報量が大きく〈波形〉の運び屋として適している。
そのため人型種族が頻繁に転移者に選ばれる。
近似した種族が住む世界間でしか住民の交換は行われない。
人間を人間の存在しない世界に送り込むことはない。
――すみません。よく分からないです。
つまり、転移者は病気予防のワクチン、ってこと?
『その理解でけっこうですよ』
女神様がどうでもよさそうに頷く。
これ以上噛み砕いて説明する気はないようだ。
異世界への〈転移門〉はランダムに出現する。
女神様でさえ恣意的に転移者を選ぶことはできないという。
転移すればすぐに、〈魂〉の波形パターンはエコーのように転移先の世界に拡散するため、転移の完了イコール目的達成となる。
転移者は老若男女善悪不問、生きてさえいればOK。
転移そのものがミッション。
後はどうぞご自由に。お好きなように第二の人生をお楽しみください。
つまり俺は、異世界に召還された選ばれし存在、とかじゃないのだ。
テキトーに誘拐した、誰でもよかった、なんの期待もしてない、ということだ。
ただの不運な人だ。尊い犠牲(笑)なのだ。
引いてもいないクジが、ハズレだったみたいな。
うん、なんていうか――さすがにガッカリだよ。
「転移者は、――特別な能力とか、スキルとかいったものは貰えないんでしょうか?」
よくある物語なら、異世界転移・転生の際に特殊な能力を得て、その力を使って新たな運命に立ち向かうのが定番である。
もっとも重要なポイントだ。
『今ある資質以上の能力を追加できないか、という意味でしたら、限定的ではありますが、わたくしからの加護を授けることはできます。――ひとつが〈言語理解〉。これは現地の言葉が理解でき、会話を可能にするものです。文字の理解も含まれます。――そしてもうひとつが〈完全耐性〉です。実のところ、これらは転移者のほぼ全員に付与しています』
「完全、耐性、ですか?」
『あくまで保険としてなのですが、新しい世界への転移地点もランダムですから、そこが危険な場所ということもあり得ます。――同種族の住民の存在しうる場所という条件は満たすはずですが、具体的にどこかを予め知ることはできません。戦乱の直中、危険な生物の棲む開拓地、なんらかの呪詛で汚染された土地。――わたくしとしても、転移者が右も左も分からないままいきなり死亡では哀れに思いますから』
「えと、いきなりの神隠しについても哀れに思ってもらいたいです」
『申し訳なく思います』
女神様は無表情のままだった。
『加護〈完全耐性〉はいかなる物理的魔法的攻撃にも対応する、わたくしマールヴェルデの〈神力〉に基づく防御です』
「まほう? やっぱり魔法があるんですか?」
魔法という言葉に思わず食いつく。
『はい。そうした世界もあります。他にも、あなたにとって馴染みのないことが多々あると思いますよ。――そして〈完全耐性〉の作用期間は約一時間になります。あなたの世界の時間尺度に倣うならばですが』
「い、一時間? ――って、短か過ぎませんか?」
砂漠の真ん中とか雪山の奥地とかにいきなり出たら、一時間の猶予では厳しくないか。それほど危険な場所はない世界なんだろうか。転移時の事故防止にはなるけど、その後の生活にはまったく役にたたないよ。使い切りってことか。
『かつて丸一日作用させていたことがあるのですが、〈完全耐性〉を使ってあっというまに一国を、それもかなりの大国を簒奪した者がいたのです。わたくしも人間のたくましさ、したたかさを甘く見ていたようです。結果、その世界へ予想外の悪影響をもたらしました』
「でも、こんな世界の秘密というか、裏事情を話してしまってよかったんですか? 俺がこれから行く世界で広めてしまうかもしれないですよ」
『かまいません。この〈うーみーだー世界〉で得た知識は――』
「あのー。その、うーみーだー世界とはなんですか?」
『あなたが「うーみーだー」と言ったからこの場所は〈うーみーだー世界〉、なのです。転移の中継点のここには、もとより名前はありませんでしたし』
ボケてみたのかな? 分かりづらい。
『ここであなたが得たことは通常とは違うプロセスで脳に記憶されます。今後ここでのことを実体験として認識することは難しくなります。夢の中のイメージのように薄れていきますし、他者に伝えなければならないほどの重大事とは思えなくなるはずです』
それから小一時間、〈女神マールヴェルデ〉と〈うーみーだー世界〉で過ごした。
ずっと立ち話なのに疲れないのは、この場所が現実でないからだろうか。
ついつい視線が下がってしまい、最後はおっぱいと話す少年の図になってしまったが、これはきっと男子高校生の日常的な何かのせいだ。脳内記憶素子がフル稼働している。
女神様は自身が創造したもの、世界のインフラ的なことには詳しかったが、個々の世界でどういう種族が栄え、どんな国があり、どういった魔法が使われているか、みたいなことはほとんど知らないようだった。
全知全能、というわけでもないらしい。
それぞれの世界には、そこでのみ信仰されるローカルな神様がいて、魔法などの能力を住人たちに付与していることがあるそうだ。創造神はそうした神様たちを束ねているわけでもなく、ローカル神たちも創造神の存在を意識することは、それこそ天地崩壊でも始まらなければないという。
〈創造〉を終えてしまった創造神。ちょっと淋しい神様かもしれない。
クールな印象だった女神様も案外気さくだった。退屈してただけなのかもしれないけど。ここでのことを忘れてしまうのはちょっと残念。おっぱいは絶対忘れないが。
「いろいろ教えていただいて、ありがとうございました」
『わたくしも楽しかったですよ。こうした場所を介さなければ直接お会いすることはできませんし。ほとんどの転移者とは、ゆっくりと話す機会は持てませんから。あなたは不思議なほど冷静でしたね。――さて、そろそろのようです』
『あなたに女神の加護があらんことを』
〈女神マールヴェルデ〉は、ほっそりした右手を俺のほうにかざしながら、これまでの無表情がウソのように、柔らかく輝くような笑顔を見せた。
それって女神自身が言うセリフじゃないよと呆れながらも、最高の全裸笑顔に見蕩れたまま、俺の意識は薄れていった。
どんな世界へ行くんだろう。
元の世界に転移、なんてわけにはいかないんだろうな。
伯父さん夫婦に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
結局恩返しができなかった。
お礼すら、お別れすら言えないのか。
あんな俺を引き取ってくれたのに。
高校まで通わせてくれたのに。
いなくなってしまうのは事故なんだ。俺のせいじゃない。
――また事故か。
――やっぱり、俺のせいなのかな。
――そして何より、
――あいつの――