196 木を隠すなら森の中しかも大樹の陰がいい
翌日俺たち〈パパ〉と聖女リオーラは、バシス南東街区のアウディト聖堂を訪ねた。
「こっ、これは、聖従者ヤマダ様。ようこそアウディトの教堂へ。皆さんも歓迎いたします」
大祭壇のあるホールに入ると、愛想のいい若い助祭がヤマダに、そして俺たちに一礼する。
「よろしく、です」
今日はヤマダをあえて聖従者として振舞わせている。
聖従者というのは神聖国の勇者イグナヴの遠征に同行したことでヤマダが得た二つ名だ。そう呼んでいるのはアウディト教会だけだが。
ヤマダは素顔を晒している。注目が集まるがここでは風除けになってもらう。代わりにでフードで顔を隠しているのが聖女リオーラだ。
「聖巫女様との面会を、お許しいただきたい、です」
ヤマダが懐から出した金貨の入った小袋を助祭に手渡す。
有名人ぶると金が掛かるよ。
助祭が大仰に一礼して去ると、代わりに正巫女らしい女性が挨拶に進み出るが、やんわりと流して全員で礼拝を済ませる。リオーラ以外は形だけだ。
助祭の案内で明るい中庭を見ながら回廊を半周、会見の間へ。この部屋は初めてだ。礼拝堂のように厳かな雰囲気がある。
やがて聖巫女パテラ様が入室する。
十歳前くらいの女の子なのに、このバシスではアウディト教の最重要人物である。薄衣ながら瀟洒な法衣を纏っている。前に見たときより着慣れた感じがしないでもない。
「――!」
俺に気付いたパテラがお付きの巫女たちに目配せする。
巫女たちは整然と部屋を出て行く。人払いしてくれたみたいだ。
「アラタおにいちゃん! ようこそなの。座ってくださいな」
パテラも正面の椅子に座る。ちょっと玉座っぽい重厚な大椅子だ。衣の裾で隠れているが、足が届かないのか足台を使っている。これが聖巫女座なのかな。
「こんにちわ、パテラ。元気だった? このあいだはありがとう。おかげで大切な人は見つけられたよ」
「きっとおにいちゃんなら大丈夫って思ってたの。よかった――」
屈託のない笑顔を向けてくれる聖巫女様。
「シン君幼女にモテモテだねー」
「ヘンなこと言うなよ、大切な人」
「へぇっ?」
照れるくらいなら煽るな。レティネが不機嫌になっちゃうだろ。
対パテラ防壁のレティネが俺の膝に座り直す。
「ごめんね、またお願いすることになるけど」
「いいの。おにいちゃんのためなら――パテラ頑張るから」
いつも無理させて済まない。
『お兄ちゃんキタヨー』
俺はアマトゥス神召還の詠唱をする。
キリが呆れた目で見るが、これが正式な神降ろしの祝詞なのだから仕方ない。俺専用ではあるけど、俺が考えた訳じゃないし。
「――むにゃむにゃ。もう食べられないよー。すぴぃ〜」
「おはようございます、アマトゥス様。いきなり古典ボケはご容赦下さい」
「もう、ノリ悪いなー、アラタお兄ちゃんはー」
ちゃんと降臨してくれたらしい。
というか、以前は気付かなかった神威的プレッシャーを感じる。たぶん俺があの日神の視点を体験したせいで感知出来るんだと思う。一時的にしろこれが幼女ボディーに入ってるなら凄い負担だろう。神の依代になるって大変なんだな。もっとパテラを労らわないと。
「それで今日は、従姉妹ちゃんの件かな、それともこっちの娘かな?」
「まずはキリについてお礼申し上げます。ご助力いただきありがとうございました」
「何もしなかったよ、アタシは。止めもしなかったけどさ」
「いろいろヒントをいただきましたから」
事実アマトゥス神の話がなければ確信が得られなかったのだ。口では無理だ難しいと言いながらも、何をすれば良いかを教えてくれていた。
「初めまして、キリと申します。ありがとうございました、アマトゥス様」
キリも頭を下げる。
「またお兄ちゃんに会えて良かったね。アタシも本当に嬉しいよ。キリちゃんが生き返らなければ絶望したアラタお兄ちゃんが魔王覚醒してこの世界が滅びるかも知れなかったんだよ。見つけてくれたお兄ちゃんにはよく感謝するんだよー」
「は、はいっ!」
それは違うけどな。
レティネもマヤさんもヤマダもいたんだから、世界をメチャメチャになんてしなかったさ。キリも真に受けんな。
「でも大事な物はしっかり手にしちゃうところは流石お兄ちゃんだよね。――それで、今日はその聖女ちゃんの事で来たんだね?」
「はい」
「アタシとの感覚同調、つまりお兄ちゃんたちが言うところの〈神聖視覚〉を無効にしたいと。アタシが大元なんだから、なんとかしろってことだね?」
さすがに察しが良い。というか図星である。
「聖女リオーラちゃんも、それでいいのかな? って、何してるの?」
リオーラが床で土下座していた。両手を前方に伸ばしているので日本式とはちょっと違うけど、ひれ伏しているのは間違いない。ひどく震えている。
「あ、アウディ――アマトゥス様に、おつか――れまひては、ごここりん賜りまして、まごとに、おぞ、おぞれおおぎぃ――こ」
噛み噛みだった。
聖女様が壊れていた。
異世界人の俺とキリは、オッス神さまー、なノリだけど、いくら敬虔さが足りないにしろ聖職者であるリオーラにとっては、神というのは根源的かつ絶対的な存在なんだろう。むしろこの場でおかしいのは俺たちの方だ。
身体が硬直しているところを見ると俺と同様に神威を感じていそうだ。
昨日リオーラには、この世界で信仰されるすべての神はアマトゥスという唯一の神に集約されると話してある。そしてその唯一神をこれまで通りアウディトとして扱うのも自由だと。この場でいきなり言われても混乱するだろうから予備知識として伝えておいたのだ。とはいえ、いざ神を前にすると理性だけでは割り切れないようだ。
一瞬、聖女リオーラの身体が淡い光を放つ。
「どう、落ち着いた? リオーラちゃん」
「は、はいっ」
キリとヤマダがリオーラを助け起こして長椅子に座らせる。
いまのは〈幼女光〉(微)って感じだったな。鎮静薬みたいに使ったのか。
「じゃあ。まず、どうしてリオーラちゃんにアタシとの感覚同調が起きるかなんだけど、それはね、リオーラちゃんの魂の一部がアタシの所にあるからなんだよ」
えと――どういうこと?
「この世界では肉体が滅びると魂はそこから離れて、新しく生まれてくる肉体に宿る。肉体を器にして魂が延々と受け継がれていくの。――もちろん、新たに誕生する魂も、消滅しちゃう魂もあるけどね」
魂の循環としての輪廻転生があるってことだな。
「そのとき赤子の身体にきちんと収まるように魂の形を整えるわけなの。前世の知識や記憶、経験とかはほとんどが削ぎ落とされちゃう。そうした因果から解かれた欠片を集めて、また新しい魂、新しい因果を生むための材料にするわけね」
なんとか落ち着いたリオーラも真剣な顔で聞いている。
「ところがごく稀に、アタシからすればそんなに珍しいことでもないけど、人の短い一生のあいだに、とても強力な魂を育てる者がいるんだよ。生涯を自己研鑽に捧げたり過酷な運命をねじ伏せるような、いわゆる異能の人だね。――リオーラちゃんの前世はそうした異能者で、とりわけ強い魂だった。削ぎ落とした欠片は他の欠片と混ぜてしまうには活力がありすぎたの。因果への影響力が強いってことね。だからアタシの手元に置いて鎮めてたんだよ。この欠片が媒介になって、因果のパスでアタシとリオーラちゃんを繋いでたわけなの」
パテラがずびっと天上を指差して宣言する。
「犯人はカケラっ!」
いや、犯人はアンタじゃん。
分たれた魂が互いに引き合う的な現象だったのか。
パスが繋がらないように出来ないのかな。
「けっして置きっぱなしにして忘れてたなんてことはナイヨー」
そこまでバラさなくてもいいけどさ。
「前にもお兄ちゃんに言ったけど、魂ってけっこう厄介だよね。お兄ちゃんも気をつけてねー」
どう気を付けろと?
俺をこの世界に転移させた創造神マールヴェルデの言ってた魂の〈波長〉は、アマトゥス神の言う〈因果〉のことなんじゃないかな。なんとなくそう思う。電波的な波長のイメージだったけど、もっとねっとりとした蜘蛛の糸みたいな感じかもしれない。
「でね。いちばん簡単な解決法は、この欠片をリオーラちゃんに返すこと。もう赤子じゃないから受け入れることができるよ。それでアタシとの感覚同調は起きなくなる。――でもある日突然、覚えのない不思議な能力が発現したりするかもね」
ついに完全体となったリオーラの新たな異能が覚醒するのか。
何故か一人荒野に旅立つ美しき聖女を幻視する。ちょっとカッコいい。
「もうひとつは欠片を置く階層を変えること。因果から完全に切り離すことはできないから感覚同調はちょっとだけ残るけど、五感をほとんど奪われるようなことにはならないよ」
最初からそうしとけよと思わないでもないな。
「あの、アマトゥス様。畏れ多いことですが、そちらの方法でお願いできますでしょうか――」
聖女リオーラがおずおずと、しかしハッキリと願う。
「いいよー、リオーラちゃん。――はい、終わったよ。長いことゴメンね」
「感謝いたします」
涙ぐんでいる。
リオーラは完全覚醒を選ばなかった。まあ、異能で苦労してたんだからもう懲り懲りだろうし。〈神聖視覚〉を捨て、普通を手にしたのか。
「ところでアマトゥス様。どうしてリオーラ様は、遠い俺たちの家まで転移できたんですか?」
転移の魔道具〈界門〉でも使わないと無理なはず。
アマトゥス神がやったのかと思っていたが、リオーラの魂が持つ異能なのかもしれない。
「うーん、それはね。お兄ちゃんに会いたかったからなの、かな?」
会いたいだけで瞬間移動出来るなら誰も苦労しないし。
「アタシは世界を見守ってるけど、もちろん同時にたくさんの場所や人を見ているのね。けっしてお兄ちゃんのことだけ覗いてるわけじゃないの」
覗いてるって言っちゃったよ。
「リオーラちゃんはその中のどれかをランダムに見ていたんでしょうね。でもお兄ちゃんのことをくり返し見るのは、リオーラちゃんが見たがったからだよ。因果の力は一方通行じゃないからね。リオーラちゃん自身が望んだものを見ていたの。お兄ちゃんて面白いもんねー」
リオーラが真っ赤な顔を伏せる。
「そしてアタシが観察していると空間重複が起きやすいの。アタシと繋がってるリオーラちゃんとお兄ちゃんトコにもね。――そう、ちょうどリオーラちゃんの寝室にお兄ちゃんたちが裸で忍び込んだときみたいに」
変態みたいに言うなー。
確かにあのときは転移の魔道具を使わずに転移できたっけ。
「それだけ強い願いだったのかしらね」
うん。腹ぺこパワーおそるべし。
「じゃあ聖都大聖堂に戻れなかったのは――」
「戻りたくなかったのねー」
聖女様が顔を手で覆ってイヤイヤしている。
可哀想だからそっとしとこう。
「さて。今日はアタシと会うのはついでみたいだから、そろそろ失礼するのね。――で、従姉妹のキリちゃんは魔法属性は決めたの? なんならすぐにあげられるよー」
「はい。では、水属性と火属性をお願いします」
「お湯はだいじだもんねー」
「はい! 大事です」
水属性の上位版の氷魔法を目指すのかと思ってたよ。水と火の二属性にしたのか。この世界では水と火は必ずしも打ち消し合う属性じゃないしな。複数属性は威力が落ちるらしいけれど魔力量が多いからあまり支障はないかな。
キリの身体が小さく揺れる。属性が付与されたらしい。
「そなたには水と火の本地をここに付与した。双属の魔法使い〈水炎〉のキリよ、奔滅と瀬淵の理を顕わし示せ」
「ははっ。感謝いたします」
やっぱりそれやるんだ?
キリもノリノリだ。学芸会か。
「良かったのか、キリ?」
「うん。シン君がいなくてもお風呂に入れる女子を目指すのです」
俺が風呂の支配者なのが地味にストレスだったのかな。がんばれよー。
「それじゃあ、なの」
パテラの身体がカクンと椅子に沈む。アマトゥス神が去ったようだ。
「お疲れ様、パテラ。ありがとう」
聖巫女様を撫で撫でする。
「――おにいちゃん? うん。へへ」
「大丈夫? これ飲んでみて。元気が出るよ」
パテラ籠絡用スペシャルドリンク〈エルフの雫はちみつレモン味プレミアム〉特製クリスタルグラス入り、を差し出す。
グラスを両手で抱えて口を付けるパテラ。
「なにこれ? えっ、美味しい! あああ、甘ーい!」
爽やかな柑橘の香りと上品ながら超濃厚な甘さ。さらに魔力体力の回復効果がある。子供舌の持ち主から甘味と縁遠い疲れたおっさんまで、誰もがイチコロの薬用飲料である。しかもイイ感じに冷えてるのだ。
パテラが偉くなってしまったので、そこらの甘味ではご機嫌取りが難しいと新たに開発した一品だ。高価なスイートホーネットの蜂蜜と人気の魔法薬の夢のコラボ。もちろん非売品である。
「パテラ。あらためて紹介するね。こちらはデヴヌス神聖国聖女リオーラ様だよ」
「お初にお目に掛かります、聖巫女様。リオーラと申します」
リオーラが進み出て膝をつき頭を垂れる。
「え? ほんとうの聖女さま? なの? ――おにいちゃん」
俺は頷く。聖女は聖都にいるはずだから驚くのも無理はない。
「お、お立ち下さいリオーラさま。――はじめまして。アウディト教会アルブス辺部布教区聖巫女パテラです。お目にかかれて光栄です」
パテラも両手を胸に当てて頭を垂れる。
俺は本題を切り出す。
「それでね、このリオーラ様を匿ってほしいんだけど」
俺たちは、リオーラが思いがけず神聖国の聖都大聖堂からバシスに転移したこと。聖都では行方を捜索していること。この機会にリオーラは聖女の力と立場を捨て只人として生きたいこと、をパテラに伝える。
「パテラにはリオーラ様の身元保証人になって欲しいんだ。巫女見習いとして迎えてくれるなら嬉しい」
元の世界なら十歳に満たない保証人なんてあり得ないが、この世界では身分がすべてなのだ。
消息不明の聖女を匿ったら神聖国への背信になっちゃうけど、アウディト神でもあるアマトゥス神自身が〈神聖視覚〉を無効化したんだから、神のご意思ということで納得してほしい。
「わかりました。よろこんでお手伝いします。けど――」
「けど?」
「おにいちゃんがまた会いに来てくれるって、約束して――ほしいな」
「もちろん約束するよ、パテラ」
何故かキリがジト目になり、レティネが俺にギュッと抱きついたけど、考え過ぎだよ。きっとパテラは手土産のスペシャルドリンクが楽しみなんだよ。
パテラが右手をかざし軽く指を握り込むと、カリーンと澄んだ音が響く。
呼鈴の魔法だ。ちっちゃな指輪が魔道具らしい。
すぐにやって来た御付きの巫女に指示して書類と書卓を運ばせる。
拙いながら整然と書き込み推薦書を作成するパテラ。俺たちに立派に仕事する姿を見せられたからか、なにやら得意気だ。
「では、リ――ネライアさん。明日の朝これを持って聖堂に来てください。身の回りの物も忘れずに。えと、巫女長と修道長には話しておきますので、指示にしたがってくださいね」
「はい。お心遣い感謝いたします、パテラ様」
ネライアというのはリオーラの新しい名前だ。亡くなった祖母の名前だそうだ。
パテラの縁者でアウディト教の正巫女を目指す娘、という設定だ。
リオーラはすでに髪の色も変えている。光魔法で鮮やかな金髪をくすませて胡桃色にしている。実際はそう見せているだけだが、しばらくはこれで様子を見る。髪の色が違うだけでも受ける印象は大きく変わるしな。
作法も習慣も教養も身に付いているから、さほど苦もなく馴染めると思う。むしろメキメキと頭角を現して目立ってしまうことは避けてほしい。〈バシスの聖女〉なんて噂されたら本末転倒だ。
パテラをサポートするような立場になってくれるのが理想だけど。
もし発覚して連れ戻された場合、俺が救出大作戦を敢行することになっている。成り行きでお願いされてしまった。そうならないように上手くやってくれないと困るんだけど。
「ああ、すごく賑やかです。こんなの初めてですよ」
聖堂を辞して、リオーラのバシス見物に付き合う。
聖都セデスのほうがずっと華やかで賑やかだと思うけど、大聖堂からほとんど出られなかったのだから、はしゃぐのも仕方ないかな。街娘になりきって自由に歩くなんて初めてだろうし。
「ねえ、あれってジェラートじゃない? リオーラさん、食べてみようよ」
テンションの近いキリと連れだって、市場や露天を覗きまくり。
何を見ても楽しいみたいだ。
目を離すと二人で迷子になるかも。
ジェラートと思って食べたら、すり下ろした甘芋だったでござるの巻。
買い食いし過ぎて腹こわすなよー。




