192 ひと仕事終えたらのんびり気分で観光してみる
微妙な空気になりつつも、〈王鼎器〉が本物とシクセスも納得してくれたようだ。なんか泣きそうな顔だけど。
「あとはどうやってフリード国まで運ぶか、ですね」
「まだ運送の手配までは考えておらん。まさか今日この時に手にするとは、予想もしていなかったのである」
悪かったね。
俺の仕事はシクセスに手渡すまでだから、本来はこの時点でほぼ終了だ。申し訳ないくらい簡単だったな。ただ、このままシクセスと〈王鼎器〉が長旅に出ても、どこかの国で留め置かれれば神託の儀に間に合わなくなるかもしれない。報酬が手に入る確率は少しでも上げておきたい。
一番良いのはシクセスに収納の腕輪を使わせて運ばせることだが、ギリギリで魔力が足りない。魔力切れでフラフラになって、また行き倒れるかも。
「転移の指輪で運ぶことは出来ないのですか?」
一応確認してみる。
「これは一度きりしか使えない魔道具なのだ。もう魔石が力を失っておるし、そうでなくとも人一人を近距離に移動させるのがやっとである」
シクセスが取り出した大きめの指輪は、嵌め込まれた魔石がひび割れ灰色に変色していた。これだと魔力を注いでも魔石の復活は無理だな。
「シラヌス王国からフリード国までの道中は安全ですか?」
「問題無い。わが国はシラヌス王国とは交易も盛んである。王家のみならず貴族や商会との付き合いもあるでな。むしろ諸候領内のほうが慎重にならざる得ないが、それなりの伝手はあるのである」
さすがに隣国ともなれば懇意の貴族がいて助力も得られるのかな。
「では明日の朝、シラヌス王国まで転移魔法でお送りします」
「なんと!? アラタ殿はそれほどの魔法が使えるというのか?!」
「使えます。そのための魔道具を持っていますから。ですが残念ながら直接フリード国へは跳べません。シラヌスの王都近郊までになります。そこからは改めて手配いただきます」
あくまで連れて行くだけだし。
「アラタ殿はこの国では高名な魔法使いであるか?」
「それはないですね。ただの薬屋で冒険者ですよ」
「ふぅむ。それにしては、驚かされてばかりなのだが」
シクセスはおもむろに腰のベルトから剣を外し俺に差し出す。
鞘袋に包まれた短剣だ。
「アラタ殿にはこれを受け取って頂きたい」
「これは?」
「フリード国の王族であることの証となる剣である。手付けも用意できぬ不甲斐なさを許して欲しい」
「それはシクセスさんがお持ちになるべきでは。今後に不都合が出ませんか?」
「すでに依頼の範疇を超えし大恩である。是非に」
「分かりました。ではありがたく」
この剣がシクセスの唯一の身分証でなければいいが。
折角なので担保代わりにしよう。報酬が支払われたら返却の方向で。失礼かもしれないから口には出さないけど。
翌朝。
梱包を済ませた〈王鼎器〉を収納の腕輪に仕舞う。
「じゃあいい子に留守番しててね。プルナさんのお手伝いをお願いねー」
「はーい」「任せる、です」
レティネとヤマダはシラヌス王国の王都ヴェテリスへは連れて行かない。
二人も同行したがったが昨夜のうちに説得した。
レティネの事件の熱りはまだ完全に冷めていないし、ヤマダが人目を惹いてシクセスまで注目されるのも困る。シラヌス王国でもエルフは珍しいみたいだし。だから今回は留守番だ。魔物狩りもないしな。
「おはようございます、シクセスさん」
「うむ、おはよう。本日はよろしく頼む、アラタ殿、キリ殿」
「よろしくお願いします」
シクセスは旅の冒険者風の出で立ちだ。短かめのマントとかっちりした革のブーツ、バックパックと鉄剣を下げている。出発の準備はできている。
俺はダミーの剣を背負っている。キリはローブと杖。自称魔法使いスタイルだ。
「これを、潜るので――あるか」
「はい。危険はありませんよ」
〈エルフの雫〉一階の転移ルームで〈界門〉を使う。転移門からは疎らな木々が見える。王都近郊の林の中だ。天気は良さそうだ。
「どうぞ、シクセスさん」
呆然としているシクセスを急かす。キリはすでに潜って笑顔で手を振っている。
「儘よっ!」
決死の表情で飛び込むシクセス。転移の指輪も使ってたなら平気かと思ったのに。
俺も潜り、見送るレティネとヤマダに手を振って門を消す。
丘の陰から街道に入り、王都ヴェテリスを目指す。
旅人や荷馬車の列とすれ違いながら小一時間歩くと、なだらかな大小の丘の連なりを覆い尽くす街並が見えてくる。
俺はレティネの件でヴェテリスに潜入したことがあるが、もちろんキリは初めてだ。
「おおー、まるで外国みたいだよ、シン君」
外国どころか異世界だし。今更だし。バシスでも同じこと言ってたし。
「なんと本当にヴェテリスであるな。うむむ。これほどの距離を――」
「この転移魔法のことは内密に願います、シクセスさん」
「承知した。だが実際に見ねば信じられないのである」
転移魔法自体は知られているし、シクセスの持つ指輪のような魔道具もあるけれど、俺が使う〈界門〉ほど自在な物はないはずだ。魔法使いを集結し軍団ごと転移できる大規模術式も伝承されているらしいが、難度が高すぎて実際に使われることはないという。個人で気軽に使うような魔法でないのは確かだ。
バシスの市壁より低いものの、街の南東の大門付近は色味のある大理石レリーフがふんだんに使われて豪壮な造りになっている。
門の両脇の尖塔を見上げる。夜中にとんがり屋根の上に立ったっけな。
門前には人と荷馬車がひしめいていたが、シクセスが懐から出したメダリオンを門衛に見せると、一言二言交わしただけで行列に並ばずに街に入ることができた。
「これより、貴族区に向かうのである。わが王家とも繋がりのある者の屋敷がある」
門を抜けた広場から続く大通りには新旧の商館や商店が建ち並んでいる。緩やかな石畳を馬車や荷車が行き交う。街の匂いもバシスとは違う。冒険者や獣人の姿は少ない。物乞いの姿も目立つ。身形からすると貧富の差が大きいみたいだ。それでも表情は明るく、むしろ貧しそうな人たちのほうが元気に通りを闊歩している。
レティネの件もあってこの王都ヴェテリスには良い印象がなかったけど、普通に訪れるとワクワクするな。
「通りは狭いけど人がいっぱいだね、シン君」
「さすがに都だけあって活気があるよな。歴史のありそうな建物も多いし」
王都の栄華を感じさせる密度のある街並。ぼーっと歩いてると人にぶつかりそう。
シクセスは道に迷うこともなく、俺とキリを引き連れて坂道を上る。護衛でもある俺たちは周囲に目を配りつつ、その実キョロキョロしながらついて行く。
人通りが途絶え、手入れの行き届いた庭を持つ屋敷街になる。
「見えてきたのである。あれがそうである」
そろそろ坂道に飽きた頃、糸杉に似た並木を配した屋敷が現れる。
建物は大きくないが敷地は広く取ってある。
「わたしはフリード国のシクセス・ルレ・コズンである。ファルトン子爵に取り次ぎ願えまいか」
二人の門衛はシクセスの口上と掲げたメダリオンを見て門をゆっくりと開けてくれる。馬車も余裕で通れそうな内開きの門だ。
門前払いの心配は要らなかったな。
「ご案内いたします、シクセス様」
門が開き切る前に従者らしい男が現れて礼をする。
鷹揚に頷くシクセスに俺とキリもついて行く。
正面に屋敷の玄関が見えるが、それ以外は植木の配置で上手く隠されている。視線を誘導して屋敷を広く見せる効果があるのか。余計な物は見せない造りでもある。
日当りのいい落ち着いた談話室に通される。
俺とキリは長椅子に座るシクセスの後ろに立っていた。
今の立場は護衛の雇われ冒険者だから人格は無いのだ。シクセスだって冒険者の格好なのに。これぞ身分社会だな。
「こちらの二人は友人である。よしなに」
シクセスの取りなしで席とお茶を確保。喉渇いてたから助かった。
一応行儀良くしておこう。
「おお、シクセス殿下。ようこそお運び下さいました」
笑顔で現れた若い男。
銅髪で線の細い貴公子だ。瞳はダークグリーン。目付きが鋭くひ弱な印象はない。襟と袖に飾りのある白シャツと光沢のある灰色のスラックスを着ている。スラックスのデザインは軍服っぽい。たぶんファッションだと思うけど。
俺とキリには目もくれない。でもこれが正しい作法らしい。シクセスが紹介するまでは空気なのだ。
「父は登城しておりますゆえ失礼をお許し願いたい」
「いや、テイラス殿。先触れ無き訪問、無礼はわたしにある、許されよ。そして殿下というのも。わたしはその立場にないのである」
王位継承権はないんだっけ。口調は殿下っぽいのに。
「シクセス様は遠方に出向かれたと伝え聞いておりましたが、いつこちらへ?」
「先ほどヴェテリスに着いたばかりである。実は子爵殿にお力添えいただきたい事があるのだ」
シクセスが重要な荷物をフリード王室に届けたい旨を説明する途中で、俺とキリを紹介する。
テイラスは父の判断を仰ぐと前置きしつつも、輸送を快諾してくれた。もちろんシクセスも同行する。
準備が整うまでの数日間、シクセスはこの屋敷に滞在することになった。
シクセスもファルトン子爵を信用してるようだし問題ないだろう。
談話室で梱包済みの〈王鼎器〉を収納の腕輪から出す。
俺とキリについては関心の外だったテイラスも、収納の魔道具には目を見張っていた。従者たちが〈王鼎器〉を別室に運ぶ。
これで俺たちの仕事は完了だ。
「それでは俺たちは失礼します」
「世話になったのである、アラタ殿、キリ殿。この恩には必ず報いよう」
「シクセスさんもお気をつけて。無事のご帰国を祈っています」
シクセスからすれば〈王鼎器〉の回収と運送を望外にショートカット出来たことになる。先に帰したはずの従者を追い越しちゃってるし。
お家騒動がどんな結果になるか判らないが是非頑張って欲しい。
ファルトン子爵家の門を背にする。
レティネの実家であるテクスタム家の屋敷跡がどうなってるか見てみたいが、ここからだと遠い。王城を挟んで反対側になる。
「さて。腹も減ったし、なんか食べてから帰ろうか」
途中に食べ物屋横町みたいな所があった。
露店とかじゃなくちゃんとした店で食べるのもいいな。
キリが思いっきり伸びをする。気疲れしたよな。
「ねえ、二人っきりの海外旅行みたいだね」
「そだなー」
「テンション低いよっ」
「ノリノリは恥ずかしいだろ。それに海外じゃないし、地続きだし」
「もう、気分の話だよー」
気の抜けたやり取りで坂道を下る。
「さっきのお菓子の屋台がいい。いいニオイしてた」
「屋台の甘味は地雷だよ。果物屋ならお薦めだけど」
「えー、食べてみないと分かんないよー」
あからさまに一見さん仕様の屋台に騙されるキリ。これも通過儀礼なのか。イメージ通りの品じゃないことが多いのに。
キリはすっかり観光気分だな。俺もだけど。
広場に面したレストランに入る。テラス席からは広場の三分の一を占める露天市場の様子もよく見える。日除け幕がカラフルだ。
名物らしい豆のキッシュを食べる。
チリペッパーみたいな辛味があるのに甘味も妙に強い。食感はグラタンっぽくて柔らか過ぎる。面白いけど微妙。慣れれば美味いのかな。
果実水は新鮮でよく冷えていた。果実の絞り汁に水やハーブを加えるお馴染みのものだ。
「シクセスさん大丈夫かなー」
「貴族の馬車で運ぶなら心配ないよ、たぶん。アルテ諸候領に入ったら分からないけど」
「シン君は面倒見いいよね」
「成り行きだけどな。店の前の行き倒れは放っとけないし。それに、あの〈王鼎器〉も処分に困ってたから」
実在する国の玉座(新品)なんて売りにくい。
本音は自分が暮らす街の吸血鬼騒ぎをさっさと終わらせたかったからだ。原因を取り除くのが一番だし。
「でもシクセスさんの思惑通りにならなければ報酬はあの短剣だけなんでしょ?」
「そこは宝くじでも買ったつもりで気長に待つしかないよ」
「シン君、あれ乗ろうよ」
街丘の谷が貯水池になっていて、小舟がぽつぽつと浮かんでいる。
桟橋と貸しボート屋があった。
二三人乗りの手漕ぎボートだ。日傘や膝掛け、クッション、そして船頭がオプションになっている。傍に食べ物の露天もあるから、そこで買ったスナックで水上ランチを楽しめるみたいだ。
舳先が平べったい箱形で揺れは少ない。オールは白く塗られている。
二人で向かい合わせに乗り込む。すぐに係の男がトモ側の竿に緑色の小旗を立てる。他にも赤や黄色、青色などに色分けされた旗があり、貸し出した時間を判別する目印になっている。桟橋に同色の大旗が揚がったら戻らないといけないらしい。
漕ぎ出すと街の喧噪が遠ざかる。かなり静かだ。
「二人っきりだねー」
揃えた膝の上に顔を載せたキリが嬉しそうに俺を見上げる。
「さっきからそうだろ」
照れるからわざわざ言うなよー。
「水は綺麗だよな」
「魚見えるかな」
生活排水とか流れ込まないのか思ったより澄んでいる。街中なのに。浄化処理をしてるのかな。魚は姿が見えない。これで錦鯉とかいたらビックリだが。
ゆっくりと池の真ん中を目指す。水辺に植えられた並木越しに古都の眺望が楽しめる。
「アラタ君や」
「何ですか、キリ先生」
「未確認物体が接近中です」
「え、どこ?」
「あれ」
キリが左前方の水面を指差す。
漕ぐ手を止めて振り返ると何かが泳いでいる。こっちに近付いてる。
うん?
魔力はないから魔物じゃないな。魚? 水鳥?
「わんちゃんではないかと、キリは思います」
「犬――だと?」
一心不乱に泳いで来る姿。確かに犬に見える。
狼やらジャッカルやらの魔物ではない、動物の犬。
頭だけ浮かべた必死の犬掻き。すぴすぴと荒い息をする黒い鼻。涙目にも見えるつぶらな瞳。
俺がこの世界で初めて出会う、――普通の犬だった。




