183 水辺で語り合えばそれはエピローグだったりするし
カーファ島に来ていた。
バスキニ湖の北岸の半島だ。
アラクネのクロコがずっと守ってきた聖域で墓参りをした。
もう遺骨もないし復活してるのにと思うけれど、ここで死んだ希理も希理に違いないのだ。
そして湖畔のオープンテラスのレストランを背に立ち、茫洋とした湖面を眺める。
俺とレティネ、マヤさん、ヤマダ。そして希理とクロコがいる。
俺と希理はお互い見慣れた制服姿。この世界に来たときのままだ。
明るく光る静かな波。
魔物の棲む危険な森なのを忘れそうだ。
「この世界は気に入った?」
「うん。今は好きになったかも。――最初は怖いだけだったけど。シン君がやんちゃした世界だと思うと、ふふっ、ちょっと感じるものがあるしね」
希理は元の世界にいた頃の姿とそっくりだ。
違いは分からない。声も話し方も。
異世界で命を落として二百年。何もかも元通り、ということはないだろう。
俺にできる限りのことはしたけれど。
ほぼ百パーセントは、ほぼ、でしかない。
「シン君」
「なに」
「そんな目で女の子を見たらダメだよ。優しいのに、そんなに遠い目で見ちゃダメ。ちゃんと目を留めてくれなきゃ」
なるほど。気を付けないと。
「違和感はなくなった?」
「ふつうは自分が本当の自分かなんて考えないよね。こんなところが嫌とか、こうなりたいとかは思うけどさ。でも、そういうトコも変わってないから、私はシン君の知ってる私だよ」
希理自身の口から聞けてちょっとホッとする。
「ただね、長いこと微睡んでた名残り、みたいのがあるよ。一度忘れてた気持ちを思い出し直してるみたいな。――違和感があるとしたらこれだけど、だんだん薄れてるから、大丈夫じゃないかな。たぶん」
柔らかな笑顔を見せる。
「じゃあ、やっぱり二百十七歳ってことになるのか」
「いやっ! そこはノーカンで。違和感なんて今消えたし! 十七歳だから!」
焦るな。俺、年上もOKだし。
「シン君に『大好き』なんて言えるようになったんだから、変わったっていえば変わっちゃったんだけどね」
「お、――おう」
面と向かって言われるとちょっと。
「私。生きるつもりだから。もっと生きるから」
「うん」
そんな真っ直ぐな眼差しに眩しさを感じたのだが。
「それでぇ、浮気男はいつマヤさんと別れてくれるのかなぁ?」
希理がイジワル顔で俺に迫る。
こいつ。なんてことを言いやがる。
ふん。俺も悪人面になる。
「別れない。マヤさんとは絶対別れないよ」
「ヤマダさんとは?」
「ヤマダは俺が拾ったから俺のだし」
最近はヤマダのマイペースな健気さが可愛過ぎる。
希理がヨヨヨとウソ泣きする。
「ひどすぎる。純情な幼馴染みが異世界でゲス男になっていた件。まさか、レティネちゃんも?」
「レティネは娘だし。大切な女の子だし。嫁にやるまで育てるし」
「まじでパパかよー」
「俺より強い男になら喜んで嫁がせるし」
「手放す気ねーじゃねーかよっ!」
希理の鋭いチョップが俺の脳天に命中する。
「俺はさ、本人が望まない形で家族や仲間がいなくなるのを許せないかもしれない。事故や非業の死なんていらない。納得できない。きっと助け続ける。いつまでも生きてもらう」
「傲慢すぎない?」
「ほら俺、アラタな神様だし」
二発目のチョップが炸裂。これは痛かった。
身体強化してんの? まだできないはずじゃないか。
希理も自分の手を押さえている。
「くっ。タチの悪いヤツに再会したと諦めてくれ。――辛いことや淋しいことなんて忘れるくらいに、幸せが超過になるまで生きて、もうこれ以上ないってくらい生きたら、俺たちが転移した時間に戻ろう。元いた世界に。そして伯父さんたちに会って話そう。どれだけ俺たちが幸せに過ごせたかを」
「そんなこと、できるのかな? 本当にパパとママに会えるかな」
「できるよ。――分かるんだ」
希理が水平線を見つめる。残してきた家族を思い出しているようだ。
俺には分かる。
〈神力〉行使のための展開野をさらに拡張していけば、いつかは時空を渡れることが。そのとき俺はもう人間ではいられないだろうけど。
でも、なんか気合いで人間に戻れる気もするんだよな。
きっと手はある。
創造神の力舐めんな。
「そこからまたやり直してもいいし。俺たちがしたいようにしよう。あらためてお互いのために生きてもいい」
やりたいことも、やれることもたくさんあるはず。
「おお、ヤル気の目をしてる。いいよシン君。カッコいいよ」
「惚れてもいいんだぜ」
「もう――ほれてるし」
「――」
「――」
頬を染めて見つめ合う。
人前で。
うん。これはもうバカップルだ。
「パパー!」
レティネが抱きつく。ほっぺを押し付け、金色の瞳で俺を見上げる。
よしよし。
パパはわたさない、な表情だが、きっと気のせい。
今日でちょうど一年だ。
俺がこの世界に来たのが一年前の今日。レティネに出会い、パパにされた日だ。
魔王とかはどうでもいい。この子に会えたことが素晴らしい幸運だった。レティネを守らなきゃと思って行動したことが、俺自身をも守ってくれた。
一緒にいるっていう約束も、たった一年守っただけ。もっと頑張らないとな。レティネも七歳になったことだし。
いずれレティネから〈深淵〉を引き剥がすこともできるかもしれない。
〈深淵〉は、創造神マールヴェルデに所縁の装置だ。たくさん作られ、当初の用途は失われ、回収されていった太古の遺物。俺たちのような世界間転移者に取って代わられることになった、時空の彼方に消えたはずの試作品。わずかに現存するものの一つ。
しかし〈深淵〉はすでにレティネの一部だ。これが宿ったばかりに悲劇を呼び込んだけれど、捨ててしまえば本当のレティネが残るのかといえば、それも違うだろう。その能力と責任をちゃんと理解できれば、誰かを助けたり守ったりする力になるはずだ。本来の仕様なんか知ったことか。
「それで――マヤさんは、どうしてそんなところに?」
マヤさんが俺から距離を置いている。
斜め後ろ三歩、いや六歩下がった感じ。
「いえ。希理さん綺麗ですし、アラタさんとお似合いだなーと」
「――?」
「アラタさんと希理さんの間にはとても割り込めないな、お邪魔だな私――と」
どうしちゃったんだよ二十六歳。遅れて来た幼馴染みに敗北宣言かよ。
「しっかりしてくださいマヤさん。負け犬の目になってます。ほら、最初の夜のことを思い出して。あの勢いがあれば幼馴染みなんて敵じゃないですよ。元カノみたいな顔してちゃダメです」
「あああああわ。あれは、あれっきりですよー。――アラタさん容赦ないですね!」
マヤ暴走を指摘され、真っ赤な顔で慌てている。
「マヤさん、やり逃げはいけませんよ」
「ひ、ひどすぎます!」
俺につかみ掛かろうとするマヤさんを片腕で引き寄せる。
ぎゅっと力を込める。
「愛するのも憎むのも俺だけにしてください。この異世界に男は俺だけだと思って」
「はじめから、そのつもり――ですし」
俺の胸にこつんと額をつける。にまにまと笑みが浮かんでいる。
湖の妖精のように美しく佇んでいたヤマダ。
ようやく自分の番とばかりに俺の身体に両腕を回す。レティネとマヤさんも巻き込んで。
二人が苦しそうな息を漏らす。ヤマダはけっこう力持ちだ。
空気を読んでいるのか、いないのか。
翡翠色の瞳で俺をじっと見つめる。
言葉を待っている。
「ヤマダ」
「はい、です」
「俺といろよ」
「はいです、アラタ」
「ずっとだぞ」
「ずっと、です」
笑顔が輝く。燦然と。
つか精霊光漏れ過ぎ。眩しいよ、始祖様。
順当ならエルフのヤマダが俺たちの中で一番長生きするはずだけど。
実際にどうなるかは分からない。
俺たちは誰一人普通じゃないしな。
「これがシン君の本音ってことでいいのね? 調子に乗ったハーレム野郎なのね?」
「うん。これが俺の気持ちだよ」
なんか身悶えしそうだ。
なんで堂々と宣言してるかな。
俺たちは互いを必要としていた。
助け合ったまま今日まで来た。
最初の日に戻ってやり直したとしても、俺とレティネは手をつなぎ、マヤさんと家族になり、ヤマダを助けるだろう。そして希理を復活させるのだ。
信頼して依存し、そのまま流されていく。
それでいい。
何かを無理に選んだわけでもない。当たり前を続けただけだ。
これが幸せでないのなら、俺は――俺たちは――きっと幸せにはなれないだろう。
それに、ハーレム野郎の汚名を雪ぐ方法だってあるのだ。
「俺を複製して増やしたらハーレムじゃなくなるよ」
「――は?」
「皆に俺を一人ずつ。本人とまったく違わない、劣化品じゃない俺。あなただけのアラタ。悪くないだろ?」
「えぇー。――なんか、それは嫌だなー」
「そう? 究極の解決策だよ。どれもが俺だし。それぞれ距離を置いて暮らせば問題ないだろうし」
俺にしか出来ないけど。
最初から四つ子だったと思えばいいよ。
全員〈神力〉を使えるのが恐ろしい気もするが。
〈エルフの雫〉もいよいよチェーン店展開だな。胸熱。
「あの、私もそれは、なんだか嫌です」
マヤさんもかよ。
「シン君にはこういうところがあるんですよ、マヤさん。自己評価が低いっていうか。自分自身に淡白なところが。――自尊心とか普通にあれば自分をポンポン増やすなんて考えませんよね、まったく。夏休みの宿題が終わらない小学生かい」
いや、俺は自分の分身を信じられるぞ。
悪いようにはしないはず。きっとどの俺も紳士だし。
「はぁ。これでアラタさんは私たちをないがしろにしてるわけじゃないんですよねー。ご自分をもっと大切にして欲しいです」
マヤさんがしみじみとため息をつく。
あれ、なんか思ったより不評だな。
「パパー?」「――アラタは、そのままが、いいです」
受け入れてくれそうな二人も反応が悪い。
俺ってズレてるの? 解せぬ。
「アホなシン君はスルーしてと。――私も冒険者になって、いいよね?」
「うん。もちろん。そうだな、盾役とかどう? 俺たち〈パパ〉にはいないし」
大盾じゃなくていいけど、盾を装備したメンバーが欲しいかも。
今のままだと俺たち防御力ゼロに見えるし。冒険者は見た目が大事だし。
幼女がいる時点で無理あるけどさ。
「盾役って、前衛で魔物を受け止める役? マッチョ万歳みたいな」
言い方はアレだが、まあ間違ってはいない。
実際は別のスキルも必要なはずだけど。
俺以外は対人戦に不安がある。過度に傷付けずに無力化するのが難しい。
手加減的な意味で人族の相手ができる実力者が欲しいな。
「シン君たちにお任せでもいいけど、もっと女子っぽいのは? ほら、魔法使いとか」
「たぶん希理には魔法属性ないよ。異世界人だし」
「え。――マジ?」
なんかショック受けてる。実は魔法少女に憧れてたのかな。
パワーキャラもアリだと思うけど。
「大丈夫。希理ならできる。魔物なんてどかんと殴り飛ばせ」
「ううぅ」
希理も妙に魔力量が多い。
女神の加護〈完全耐性〉が働いて〈継承〉による力の配分があったからだ。つまり転移してすぐに酷い体験をしたわけだ。胸が痛い。
「魔力はあるんだから後でアマトゥス神に魔法属性を付けてもらおう。希理に合った属性がもらえるよ、きっと。それから考えよう」
希理もこの異世界をもっと見たいんだろう。
自分の住む街が世界のすべてなんて満足できない。見聞を広げて自分の立ち位置のようなものを確かめたいはず。冒険者ならいろいろな場所を旅して回るには最適だしな。俺だって行ってみたい場所、まだ知らない国が幾つもある。
まずは冒険者登録して、最初は薬草の採取とゴブリンかな。
希理をパワーレベリングで強化して〈継承〉の謎を解き明かすのも面白いかも。
パラソルの並ぶテラスでランチを楽しむ。
串焼きだけじゃなくサラダやサンドイッチ、フルーツを分け合う。
クロコには焼き鳥以外も食べさせてみる。
俺の胃袋を掴むためのマヤさん謹製BLTサンドは、しっかり希理の胃袋も掴んじゃったようだけど。
レティネは湖で泳ぎたいのかな。でもまだ、ちょっと水温が低い。
もうすぐまた夏になるからね。
寄り添うクロコの背中を撫でる希理。
クロコが目を細めている。
まるで仲良しの姉妹みたいだ。
クロコがアラクネになるとき、人の姿を模すモデルが希理だったからだろう。奇妙だけど微笑ましい光景だ。
希理とクロコのふれあいに、マヤさんもすっかり気を許している。
害が無いと分かればクロコはなかなか美しい魔物なのだ。
それでも空気読まずにこっそり〈魔力糸〉を貼り付けている俺。まさに外道。
レティネが汀で綺麗な小石を集めている。
透明感のある丸石がお気に入りみたいだ。
ヤマダも真剣な顔で付き合っている。
お宝探しゲームのつもりかな。
両手一杯の宝物を見せにくるレティネ。
がんばったね。
その元気な笑顔が、俺の心を温かく満たしてくれる。
俺たちは思い思いに、明るく穏やかな湖水の午後を堪能する。
「じゃあ、戻るよー」
「はーい」「お願いします」「はい、です」「また来るね、クロコ」
手を振るアラクネに見送られながら、
俺たちみんなの家、〈エルフの雫〉に転移した。
あとがき
これにて拙作「異世界転移すればそこは玉座への階段だったりするし」をひとまず完結といたします。
ここまでお付き合い下さった皆様に心からの感謝を。本当にありがとうございました。感想を下さった方、評価、ブックマークいただいた皆様のおかげです。とても励みになりました。
初めて書いた小説を完結だけはさせるという目標は一応達成できたのでホッとしています。エタるのもイヤですが、いつまでも終わらない話というのもアレですし。
え? ちゃんと終われてない?
まあその、いろいろご意見はおありかと思いますが。
「小説家になろう」を読み漁り、異世界物って面白いなー、けど自分でも書けるんじゃね? で書いてみたのがこの作品になります。無茶しやがって。
とりあえず異世界に放り込んどきゃ主人公がなんかやるよ、なノリで書き始めてはいけないようです。ちゃんと設定とストーリーを錬ってからじゃないと。これを面倒がると後で大変なことに。タイヘンなことに。
作中で立ち枯れていく無駄設定の森を見せられることに。
復讐とか成り上がりとか元の世界への帰還とか、そういうハッキリしたテーマがないので、何処に向かってるのかサッパリ分からない話だったと思います。とりわけ構成が悪かったなと反省しています。
百五十話くらいを一年間で、のつもりでしたが、やや超過してしまいました。あまり書くのが速くないので。毎日更新とか憧れますが。
次回作はたぶんまた異世界物になると思います。そして本作は完結扱いとなりますが、続きを章単位で、ちょろっと書くかもしれません。大っぴらに確約すると実現しなさそうですから小声で。もしお目に留まりましたらお楽しみいただければ幸いです。
マイペースな作品を最後までお読みいただきありがとうございました。




