181 手の届かないものを掴むために
「――というわけなんだ。頼めないかな?」
『ワタシにできる気がしない、な。――できない、とも、言い切れ、ない――』
俺はラクスを説得中だ。
ラクスはレティネが大切にしている人形に宿った魂。
精霊視すると精霊と性質が近いせいか不明瞭ながらも姿を感じられる。人形を覆うような燐光が見える。上半身がやや明るい橙色に光っている。
「見つからないかもしれない。確率で考えれば有り得ないんだ。でも、もしかして、そこにいるかもしれないと思うと、何もしないではいられない」
アマトゥス神の話から、レティネが宿す〈深淵〉の機能の一部が分かった。
魂のみ、あるいは魂を宿した生物を異空間に収納できる。
レティネが〈ポケット〉として使っているのは、この生体を取り込む機能を食品や家具などをしまうために流用しているのだ。魂を持たない物を入れると空間内の時間は凍結される。そして空間のサイズと個数には制限がない。
まさに神仕様だ。
神の道具である以上、上限とか下限とかを設定する必要がない。〈深淵〉の誤用や本来の目的を違える者がいることもまったく考慮されていない。それも当然なのかもしれない。人間が使うはずのない道具なのだから。
他意や悪意を想定していない。安全装置がない。
壮大なうっかりミスとしか思えない。
〈深淵〉本体とのリンク維持のために、宿主にはそれなりに魔力を持つ者が選ばれる。そして宿主に時空属性があると〈深淵〉を〈ポケット〉として使えることがある。レティネには適性があったのだ。
ただし〈深淵〉が持つ転移機能は種族的限界で人間にはまず使えないという。俺の〈神力〉での新規創造と同じく、人間の認識力の限界なのかもしれない。
そして魂か、魂を持つ生物を収納した場合、時間は凍結されないらしい。
これはラクスが教えてくれた。
〈深淵〉内部にいても意識はあったという。そして、他の魂の存在も感じたそうだ。きわめて緩やかな魂の因果に沿った時間が流れているらしい。たぶん魂の保全のためだろう。強引に時間を止めると変容するのかもしれない。魂というのは随分とデリケートな代物のようだ。
かつてレティネが飼い犬を〈ポケット〉に入れて死なせた事があるそうだが、原因は魂の『格』にあるらしい。ある程度複雑な波形を持つ魂でないと弾かれてしまうという。犬は知的生物じゃないってことなのかな。俺的には不満だけど。
弾かれた魂は自動的に肉体から分離される。要するに、死ぬ。
この魂チェッカーさえなければ機能無制限の便利袋なのに。
つまり、〈ポケット〉は生きた人間ならば収納可能ということだ。
試すのは怖いけど。
だとすると、レティネが〈ポケット〉に入れた真魔将第五席飛竜将コルヴスは生きてるかもしれない。魔族も知的生物には違いないし。
知りたくなかったな。どうしようか。
レティネには精霊や霊魂は見えない。感じとれない。
もし希理の魂が〈ポケット〉の中にいても、見つけるのは無理だ。
かつてラクスの元になった魂を呼び出せたのは、あくまで不安と孤独の中での無意識の行為だと思う。レティネの叫びにたまたまラクスが応えたのだ。
けれど、ラクスなら捜せるのではと考えた。
ラクスは魂が人形に宿った状態だ。これならレティネも〈ポケット〉に収納できる。
レティネの説得は済んでいる。
ラクスの人形を〈ポケット〉に入れて、また出すだけだし。
『――了解した。やってみよう、アラタ。――試すだけの、ことだ』
「ありがとう、ラクス」
『でもワタシはその、キリなる魂を、知らない。それとわからなければ、捜せない』
「俺が念じるから、希理を思い描くから、読み取ってくれないか?」
ラクスとの会話は念話でしている。
俺の方は声も出てるから、お人形と話すイタい人になってるけど。
一緒にいるレティネが妙に温かい眼差しだけど。
だからラクスは俺の中の希理のイメージを読み取れるはず。
ちょうど土の精霊ロアムが俺の脳内を読んでいたように。
『容姿や声でなく、アラタが、持ちつづける――印象を、強く念じて欲しい』
希理の笑顔が浮かぶ。
そうじゃない。
表情じゃなくて、もっと。希理がまとっていた情感や空気のようなものを思い出さないと。見た目じゃないところを。
楽しく、明るく、寂しく、温かく、意地悪で優しい。
希理が醸し出す――希理だけの、存在感を。
身体が熱くなる。ヤバいな。
なんかこみ上げてくる。
『ふ――ふふ、――アラタ。十分だ。それ以上は、もうヤメて。――愉快だ、な』
ラスクの念話から、からかいの気配が伝わってくる。
苦笑いしてる感じ。
めちゃくちゃ恥ずかしいな。そこまで惚気てないよ。
真面目そうなラスクにも、こんな一面があったんだな。
それにこいつ、前世は絶対人間だな。
「じゃあ頼む、ラクス。――レティネ、お願い」
「はいパパ」
ラクスの人形が、寝室の定位置から消える。
十日ほどしたら一度〈ポケット〉から取り出すことになっている。経過を見て、さらに続けるか、見込みがなさそうなら別の方法を考えることになる。
アマトゥス神の指摘どおり、精霊の〈祝福〉があるくらいでは、希少価値のある魂にはならないだろう。〈深淵〉がわざわざ収集するまでもない。
けれど、希理に〈祝福〉を与えたのは元いた世界、この世界からすれば異世界の精霊のはずだ。そして希理には不思議な力があった。おそらくその〈祝福〉によるらしい、人や物を探すことに長けた〈失セ観〉の力が。
迷子の飼い猫から、トラブルで消息がたどれない知人の居場所、悪意で隠された遺失物まで。希理は俺が信じていないと思っていたようだけど、あれだけの精度は単なる偶然や勘のよさでは説明できない。
今は俺も、ちょっとだけ人と違っているから、そうした能力に納得さえしている。やっぱり希理は特別なんだと。
さらに希理は探す力だけでなく、手掛かりを残す力も持っていた。
もしかしたら本人も気付いてなかったかもしれないが。
自分を見つけさせる力、と言ってもいい。
手掛かりを丹念に手繰っていくと希理にたどり着く。そんな力だ。
おそらく〈失セ観〉と表裏一体のものなのかもしれない。
希理が俺を見つけられるだけでなく、俺も希理を捜せるはずなのだ。
校章が俺のところにやって来たこと。
それが知り合いのロタム氏所縁の品だったこと。
水の精霊スーの泉まで導かれたこと。
アラクネのクロコが墓所を守っていたこと。
まるでこの世界に俺が現れると期待していたかのようだ。
どれもが偶然とは思えない。
思いたくない。
俺の勝手な願望だし、拠り所としては強引に過ぎるかもしれない。
しかし、細いけれど確かな因果の〈糸〉が届いてる気がする。
そう考えるだけで力が湧いた。
◇◇◇
「アラタ様。くれぐれもアムニス様とレティネ様のことを、お願いいたします」
〈エルフの雫〉の転移ルームで、アムニスに付き添って来た熟女小間使いのクナリアが涙目で訴える。何度目だろう。
レティネの母アムニスを、シラヌス王国の町シレンテスから迎えていた。
引っ越しだった。居住階の模様替えもした。
「レティネ様も、どうかお健やかに」
「おつかれさま、クナリアさん。二人は全力で守ります」
マジ全力で。
クナリアを転移でシレンテスの家に送り、迎えの馬車が来るまでねぎらう。手土産もたっぷり渡す。無事に家族の元に着きますように。
これで熟女小間使いと慣れない攻防を繰り広げた家も見納めだ。
〈エルフの雫〉でのアムニスの寝室は別になっている。
当然なのだ。いつかのマヤさんの予想など当たるはずない。レティネを挟んで川の字で寝たりはしないのだ。きっとレティネがアムニスのベッドで寝ることもあるだろう。ずっとそうしてもいいのだ。
ただ俺とアムニスを同時に指名しないで欲しいけど。
「ポーラちゃんがいなくなる前にアムニスさんが来てくれてよかったです」
〈ユリ・クロ〉店員のポーラはめでたく寿退職となる。
祝いの品もすでに贈ってある。マヤさんからは祝い金とドレス、小物一式。俺からは初級魔法薬豪華百本パックと蜂蜜だ。平民だと双方の家族で会食して祝うくらいで、豪華な披露宴とかしないそうだ。俺たちだけでご馳走尽くしの慰労パーティーを済ませた。
「この冬はアラタさんが暖房してくれたからでしょうね、鉢植えの成長がすごいですよ。アマリリスもたくさん咲きました」
う。ごめんなさい。
もうマヤさんにも正直に言わないとな。
「えとですね。精霊の〈祝福〉のせいなんですよ。どうやらこの辺りの植物を元気にしたり、水や空気をキレイにしたり、土を肥やしたりするようです。勝手に」
「それって、素晴らしいことじゃないですか。あ、そういえば水が美味しくなったって、お隣の宿屋さんも――」
「それが、いい事ばかりでもないみたいで。俺もレティネもヤマダも、いくつも〈祝福〉や〈加護〉を持ってまして。しかも一緒に住んでますから過剰に効果が出ているのではと」
最近は〈エルフの雫〉周辺の街路樹や商店街の植木にも影響が出ているようなのだ。気になるのでこっそり様子を見て回っている。プルナ婆さんも、店の鉢植えが元気過ぎて水遣りの回数が増えたってこぼしてた。
まだ街中だからマシだけどな。
俺たちが森林や農村地帯に住んだら、みるみる豊穣の大地になってしまうだろう。
でも立ち退いた途端に、過剰ドーピングの弊害で荒れ地になったりして。
これからも〈パパ〉で活動するなら、精霊光の制御を覚えるか、一箇所に長く留まらないようにしないと。
本来は喜ぶべき事のはずなんだけど。
精霊共の考え無しの結果だし。
あえて忙しくしつつ、けれど心中穏やかでないまま、十日間が過ぎた。
◇◇◇
『キリを、見つけたよ。アラタ』
え? ホントに?
本当に見つけたのか!
レティネが〈ポケット〉から取り出したラクスから聞こえた声に、思わず叫びそうになった。頭の中が真っ白になった。
朗報を信じていたつもりなのに、かなり無理してたのかな、俺。
『というか、こちらが見つけられた』
「本当に、希理が――いたんだな?」
『ああ。アラタが、キリと呼ぶ魂に、違いない。――いくつもの魂がたゆたっていた。ワタシには判別できなかった。ワタシはアラタの魂を模してみた。アラタ自身の印象を使った。すると、すぐにパスの繋がる魂がいた。それがキリだった』
「――そう、だったのか」
希理の魂は、ずっとレティネの中にいたのか。
レティネにも希理にも、そんな自覚はないわけだけど。
『だが、キリを連れ出せなかった、ようだ』
どういうことだ?
『ワタシと一緒に出られるかと、パスを強くしていたが、レティネにとってワタシは、この人形でしかない。キリの魂までは、力が及ばないようだ』
レティネではキリの魂を取り出せないということか。
魂を認識できないし。自分でしまったものでもないし。
しかし〈ポケット〉はレティネでないと使えない。
出し入れ出来るのはレティネだけだ。
――手が届かないのか。
『手はあるよ。アラタ』
本当に?
『ワタシの代わりに、キリを人形に、宿らせればいい。もう一度〈ポケット〉に入れて。ワタシと、入れ替わる』
「そんなことが――」
『できる。ただし、ワタシと違って、キリの魂は、この人形に馴染まないだろう。〈ポケット〉を出たら、長くは宿って、いられない』
希理の身体を準備しておく必要があるな。
取り戻した魂をまた見失うわけにはいかない。
「なら、それで――いや。それだとラクスはどうなるんだ?」
『もう、戻れないだろう。キリとの入れ替わりに、力を使い果たす。あいまいな、魂のカケラに、なるだけだ』
「そんな!」
『だが、それでいい。どのみち、霊力は、ほとんど残っていないのだ。ワタシも長くは、ラクスではいられない。人形には留まれない。あくまで仮の姿、なのだから』
ふと、ラクスの気配が優しいものになる。
『もともと、レティネに望まれて、生を受けたのだ。そのレティネの望みは、叶った。アラタのおかげで。ワタシに託されたことを、アラタが叶えて、くれたのだ。だから、アラタの願いをワタシが叶える。今ならそれができる。ごく自然なことだ。ワタシの気持ちの収支も、これで付くというものだ』
『気にすることはない、アラタ。〈ポケット〉の中に、魂が閉じ込められているとでも、思っているようだが、とても居心地はいいのだ。創造神は、魂を慈しんでおられるようだ。そう感じる場所なのだ』
本当ならいいが。
俺が気に病まないように言ってないよな。
『十日間だったはずだが、ワタシの主観では、お茶を飲むほどの時間も、経ってはいない。つぎは丸一日ほどで、人形を取り出してくれ。あまり長くは、無理だ。話し掛けても、ワタシが応えなければ、成功だ。あとは――幸運を』
「ラクス――ありがとう。本当にありがとう」
そばで控えているレティネの頭をぽんぽんする。
「レティネ。ラクスにお礼を」
今のレティネにはラクスの声は聞こえない。
それでも、お別れをとは言えなかった。
「ラクスありがとー」
『感謝する、アラタ。――幸せにな。レティネ』
ラクスはふたたび〈ポケット〉に戻った。




