145 聖女様と行く異世界ナイトツアー
「レティネの母親が、生きている――ですか?」
翌日。俺はソルデス商会を訪ねロタム氏と会っていた。
勇者との試合の後で〈エルフの雫〉にロタム氏から手紙が届いていたのだ。以前頼んでおいた調査の結果が出たらしい。レティネとヤマダは〈エルフの雫〉で留守番している。
「はい。テクスタム家の当主と補佐していた息子二人、そして先代当主夫妻が焼死。当主夫人は重傷ながら一命は取り留めたそうです。そして、――娘のレティネさんは焼死、または行方不明。どちらともつかない扱いになっています」
「では、レティネの家族で生きているのは母親だけということですね?」
「そうなります。ほかにも主だった使用人と警備に雇われた傭兵、冒険者二十人以上が死亡。避難した十数人は軽傷だったそうです」
四の月の第一旬の夜半。
シラヌス王国の王都ヴェテリスでの大火。
豪商テクスタム家の屋敷が襲撃され焼失した。火魔法と風魔法が使われたらしく周辺にも延焼して大きな被害が出た。テクスタム家が事前に警備を強化していたこともあり、盗賊あるいは恨みを持つ者が殺害と略奪のために計画的に襲撃したとされている。しかし、使われた魔法が強力過ぎたことと魔族を見たという目撃者がいたため、テクスタム家と魔族の関わりを噂する者もいるという。
「レティネさんの母君であるアムニスさんは、王都のすぐ北にあるシレンテスという小さな町で療養なさっているそうです。テクスタム家所有の家があるようですので」
「テクスタム家はレティネを捜索しているんでしょうか?」
ロタム氏は微妙な顔になる。
「それがですね、亡くなった当主の弟さんがテクスタム家の新当主を名乗って事態の取りまとめに当たっているのですが、いまだに資産の散逸を防ぐことに手一杯の状態らしいです」
「レティネを探す余裕はないと?」
「はい。当分は手が回らないのではと。まずは王都の有力貴族の後ろ盾を固めて表向きの信用を確立すべきだと思うのですが、この方は大きな商会を営んだ経験がないようですね。融資がらみで引き抜かれる者が後を絶たないとか」
なんかテクスタム家自体が分解するんじゃないかな。
「それと、気になるのが、デヴヌス神聖国からレティネさんの保護要請が出ていたという話があるのです。すでに取り消されているようですが、王都衛士隊の関係筋によると、緊急の案件として事前に神聖国が動いていたらしいですね。このことが魔族がらみの噂に真実味を持たせてしまっています」
これは以前、神聖国勇者騎士団のディオラからも聞いている。
金色の瞳を持つ女の子を捜していたと。シラヌス王国にレティネの身柄確保を要請していたのだろう。
魔族との関わりはこの世界の貴族がもっとも忌避することだそうだ。数百年前の魔王戦役の際、魔族と通じた貴族たちの裏切りで甚大な被害が出たらしい。いまだに芝居の演目になっているほどの有名な話だという。古くからの豪商とはいえ、そんな噂が立ってしまったテクスタム家が貴族の支持を得るのは容易ではない。
魔族マジ迷惑。
「アラタさんはどうなさるおつもりですか? やはりアムニスさんに会いに?」
ロタム氏は調査をまとめた書類と一枚の地図を渡してくれる。
シラヌス王国は遠い。馬車を使っても片道二ヶ月以上掛かるらしい。
「はい。――そうしたいところですが」
「もう飛竜もお持ちでないですしね。そうでなくても、この国の王都方面に飛ぶことになりますから察知されてしまいます。この街に魔族の飛竜部隊が来襲したことで上空への探知魔法が強化されているようです。とくに主要都市周辺は常時監視のようですね」
飛竜の調達はできるけど、そのまま飛んでいくのは無理っぽい。
魔族マジ迷惑。
◇◇◇
その夜、俺は神聖国聖女の寝室を覗いていた。
〈界門〉で小さな窓を開いて。
先日覗かれたから覗き返しているわけではないのだ。本当だ。
一人でこっそり覗いているのは後ろめたいからではない。本当なのだ。
聖女リオーラは夜着姿でベッドに横になり物思いに耽っていた。
というか、ヒマしていた。顔をこっちに向けているのに気付かない。覗くのは得意でも覗かれるのには慣れてないのかな。
俺は転移門を一気に広げ、聖女の私室に侵入した。
「うふふっ、御使い様。今夜は服をお召しですね? ふふふ。アラタ様ぁ」
驚いてない?
なんか目がとろんとしてるし。エロいし。手の位置がなんか微妙。
「こんばんは、聖女様。お休みのところ失礼いたします」
俺が小声で挨拶すると仰天して跳ね起きる。
「え? はい? こんばん、わ? み、御使い様っ?」
すべて疑問形で挨拶された。取り乱してるし。
「た、大変お見苦しいところを。ひらにご容赦を!」
ひれ伏そうとする聖女を止める。
「今夜はリオーラ様にお願いがあって参りました」
◇◇◇
「アラタさん。夜遊びはほどほどに」
「は、はいっ!」
昨夜マヤさんはすぐに気付いた。帰ってきた俺から知らない女の匂いがすることに。聖女と密着したしな。
そして今夜は女物のフード付きマントと靴を持って出掛けようとしている。まさに怪しさ満点である。浮気を疑われて当然の場面である。もちろん誤解だ。
「えと。では、レティネをお願いしますね」
今夜は寝かしつけてやれないのでマヤさんに頼む。
いい子でな、レティネ。
俺はふたたび聖女リオーラの部屋に転移した。
「こんばんは、御使い様。アラタ様。楽しみで眠れそうにないです」
「こんばんは、リオーラ様。寝られると困ります」
リオーラに頼んだのは、俺と魔力を合わせて〈界門〉を使うことだ。リオーラが行ったことのある場所に俺も行けるのではと考えたのだ。
エルフの里に行く前にヤマダと同じことを試したことがあった。けれどヤマダとは魔法属性が違うせいか、俺の魔力を使ってヤマダが転移門を開くことはできなかった。
リオーラは俺と同じ光属性だ。
昨夜実験したところ、リオーラの生まれ故郷の村に窓を開くことができた。真っ暗なので本当にそこが村なのか俺には分からなかったが、〈魔力糸〉を潜らせて探知すると、ちゃんと転移門として機能していた。
リオーラは子供の頃に大きな街の修道院に移り、その後聖都セデスにやって来た。行ったことのある場所はそれだけだった。聖女の資質を見いだされてからは自分の意思でどこかに出掛けたことはないそうだ。
リオーラの故郷ペポン村はデヴヌス神聖国の中西部、シラヌス王国寄りの位置にある。そこから旅を始めれば、シラヌス王国の王都ヴェテリスへの道を大きくショートカットできるはずだ。片田舎なのも好都合だった。
「アラタ様。準備できましたっ!」
なんかいい笑顔だ。そんなに楽しみかよ。
顔立ちは妹のユニオレよりもずっと優しい。まあ、勇者の従者巫女ユニオレはたいてい俺たちを睨んでたしな。
外出用のマントを着て靴を履き、俺に背中を預けてくる。
後ろから密着する形でリオーラの身体に太い〈魔力糸〉を挿入。魔力を大量に注入しつつ、リオーラが右手で突き出す〈界門〉へと流していく。念のため俺も手を添えている。そのあいだリオーラは記憶の中の故郷をイメージし続ける。
「大丈夫ですか?」
「はっ。はっ。は、はいっ。――だいじょうぶ、うふっ、――ですよ」
膨大な魔力が体内を流れるのはかなりの負担なはず。
潤んだ切なそうな目。上気した顔で耐えてくれている。
痛くないように気を付けないとな。
ありがとう聖女様。
「では、いきます」
「私もっ」
転移門さえ開けばリオーラはもう必要ないのだが、一緒に行くのが手伝ってもらう条件なのだ。二度と帰れない故郷をもう一度見たい気持ちは分かる。
夜の、秘密の、お出かけ、とブツブツ言ってるのはたぶん俺の空耳だ。
闇の戸口から夜風が吹き付ける。
俺はリオーラの手を取り、暗い転移門に踏み込んだ。
小さな水路に架かる石橋の上だった。
「本当にここがペポン村なのですか?」
畑らしき大地とまばらな並木の小径があるだけだ。人影はない。
俺もリオーラも身体強化して視力を上げているので、暗くても物の形を判別できる。
「農村なんてこんなものですよ。――ああ。村のにおいが、します」
リオーラが大きく伸びをしてから深呼吸。記憶を辿るように辺りを見回す。
「夜、内緒で外に出るなんて。初めてですよ。ふふ、子供の頃にもなかったです。家を見てきたいのですが」
「お供します」
リオーラが小さな丘に向かって歩きだす。
はじめての場所なので俺はついていくだけだ。はぐれないようにしないとな。
「え?」
丘を越えるとリオーラが困惑している。
道脇に石造りのモニュメントがあった。夜目にもはっきりと白い、見上げるほどのオベリスクだ。人家らしいものはない。
俺は警戒する。闇の中、石柵の陰に焚き火と人の気配がある。
「だれだぁ? ツベルんとこの若い衆か?」
焚き火の端に座っていた者が立ち上がる。背の低い初老の男だ。
「いえ。――あの、ここに、家があったはずですが。か、カレチさん」
「おれを知ってんのか? こりゃたまげたな、見たことねえような別嬪さんだな。ああ、ここにゃあ聖女様の家があったよ。このすげえ記念碑になっちまったがな」
気が動転しているリオーラの代わりに俺が訊ねる。
「家の人たちは今どちらに?」
「ああ? 聖女リオーラ様ならこんな村にはおらんよ。聖都の大聖堂におわすそうだで」
「ご家族は」
「ふん、ペデルとヴァリデならとっくに町に引っ越しただ。聖父様、聖母様なんて呼ばれていい暮ししてるらしいで。笑っちまうよなぁ」
「――そ、――そんな」
「あんたらも聖女様の石を盗りに来たんか? だめだ、だめだ。あきらめて帰れ。不届きもんが荒らさんようにおれらが交代で夜番をしてんだ。いつまでウロウロしてっと衛士様を呼んでくるど」
男が焚き火を掻き回していた棒を振り、追い払う仕草をする。
聖女様の石とは、聖女生誕の家の遺構から出土する白い石片のことだそうだ。さらに細かく砕いて加工し、聖女様にあやかるお守りや招福グッズとして売られている。
とはいえ、元々のリオーラの家にはそんな石材は使われていない。記念碑建立時に残された端材がその正体のようだ。
「私――知りませんでした――全然。父さんと母さんが――そんなことに」
とぼとぼと夜道を歩くリオーラ。
「ええっ!? ユニオレが、勇者様の従者様、ですか?」
この聖女様、何も知らされていないようだ。
実の妹のユニオレが、神聖国正巫女になっていることも、勇者イグナヴの従者になっていることも知らなかった。何でもお見通しな人じゃなくて、何も知らせてもらえない人だった。
おそらく〈神聖視覚〉を持つリオーラには常に誘拐や奪取の危険があるので、万一に備えて聖女に必要のない情報は持たせないように徹底しているのかもしれない。家族のことまで知らせないのはやり過ぎな気がするけど。
俺たちは村で一軒だけの酒場にいた。開いている店はここだけだ。
数人の客が固まっている。常連らしい。
あからさまに俺たちは浮いている。じっと見られてる。この辺りの者じゃないのは一目で分かるし。子供の頃のリオーラを知ってる村人がいるかもだけど、今の容姿ならバレないだろう。
「〈神聖視覚〉でご覧にならなかったのですか?」
「アウディト神様は私の家族にはまるで関心がないらしく、見えたことは一度もないのです」
リオーラが絶妙なぬるさのエールをごくごくと飲む。聖女に酒飲ませて大丈夫かな。
酔ってもいないのに、すでにヤケ酒感がする。
アマトゥス神も俺の入浴シーンとか覗いてないで家族の安否確認くらいさせてやれよ。
「ひとつ、どうしても教えていただきたいことがあるのですが。――神聖国がレティネを保護対象にした経緯は分かりますか?」
「私がレティネ様のお力のことを〈神聖視覚〉で知り、お名前と特徴、居場所を審問官様たちにお伝えしました。しばらくして審問官のお一人、エフィオ様が突然お亡くなりに。魔族によって〈読心〉の魔法を無理矢理掛けられたために衰弱なさったのです。優しく穏やかな方でしたのにひどく苦しまれて。――そこからレティネ様のことが魔族側に漏れたのです」
そのあたりはちゃんと見ていたようだ。
「私が見てしまったことでさらに大変な悲劇が起きました。その悲劇さえ私はただ、見ているだけでした。申し訳ない思いです」
見ていたのはアマトゥス神で、リオーラは付き合わされただけだ。
それが切っ掛けにはなったろうけど、遅かれ早かれ魔族の手が伸びたんじゃないかな。魔王クランカルヴは本気で〈深淵〉を探してたらしいし。
ただ魔族も〈神聖視覚〉の存在は知っていたんだな。リオーラの警備態勢もそれを踏まえているということか。
「御使い様に守られてレティネ様が戻られたときは安堵で涙が出ました。笑顔まで浮かべておいででしたし。――私はもう、お二人のことを審問官の方々にお伝えすることはできませんでした。これは聖女としてのお務めに反する、許されないことなのですが」
そのお陰で俺の力のことは神聖国に知られずに済んでいるようだ。今はレティネも捜索されてはいない。この点は聖女リオーラに感謝しなければ。
「ありがとうございます、聖女リオーラ様。おかげで俺もレティネも救われています」
「リオーラとお呼び下さいませ。御使い様に尊称いただくわけには参りません」
「では、俺のこともアラタと。アウディト神の御使いではないですから」
俺たちは微笑み合う。
「さて、そろそろ戻りますか?」
店じまいを始めている。
眠そうな親爺がお前らまだいるの? な目で見ている。
「え、――もう少し、ダメですか?」
いや、門限があるし。
真夜中に一度、夜番の侍女がリオーラの部屋に入るそうだ。それまでに戻らないと聖女の不在が露見する。
籠の鳥のような暮しをしていると、こんな寂れた酒場でも楽しいのかな。
ちょっと気の毒だな。
「今度は俺たちのところに招待しますよ。上手く抜け出せればですが」
「きっとですよ。約束ですよ、アラタ様」
石の橋まで戻り、リオーラを自室に転移させる。マントと靴はリオーラが大切そうに持っている。回収するつもりだったのに。見つからないよう気を付けてくれよ。
俺は飛竜を複製し夜空へと飛び立つ。
このまま夜通し、シラヌス王国を目指そう。




