143 初対面でいきなり全裸というのはさすがに
精霊の〈祝福〉が増えたことで俺自身に何かの変化が起き、精霊もどきの人形ラクスに出会った。実感はないけれど、おそらく精霊的なものとの親和性が増したのだろう。
そして、精霊祭での的当てのときに知覚が拡張しかけたこと。
これも俺に影響したのではと思わせる出来事が翌日起きた。
ん? 何だこの違和感。
気のせいかもしれないけど、誰かに見られている?
かすかに気配、というか息遣いのようなものを感じる。
圧力? 目の前の気圧が違うみたいな。
自意識過剰かな。
〈身体強化〉して精霊視もどきを試してみる。
何も見えない。
俺の精霊視はまるでダメだしな。
「どうした、です?」
お湯を掛けられていたヤマダが振り向く。
「いや。なんか見られてる気がしてさ。精霊でもいるのかと思って」
ヤマダもすぐに精霊視する。浴室を見回す。
「いないです。精霊様、おられません、です」
「ここらが、なんかヘンな感じしないか?」
俺は手をぐるっと回して、中空を示す。
「――」
ヤマダが小首を傾げている。〈加護〉パワー全開で集中している。
濡れた肌が美しいな。
「精霊様は、いないです――が。誰かいる? です――か?」
誰だよ。
精霊じゃないけど見えないモノって。
非実体系の魔物なら放置できないけれど、魔力はまったく感じないのだ。
形を持たない魔物にしてもそれはおかしい。
「パパ? へんなのー?」
「そだよー。だれか見てるのかもねー」
いや。こんな暢気に話してる場合じゃないし。
入浴中を覗くなんて。狙いはエルフの裸身か。幼女のか。それとも両方か。
まさか俺か?
いずれにせよ許せないな。どこの変態さんだよ。
「――あれ?」
「アラタ?」「パパー?」
「これは――なんとなく――」
魔力も精霊っぽさも感じないけど、馴染みのあるモノがそこにあるような。
感知はできないのに、そこにあることが確信できるような、この感覚。
俺がよく知っている力に似ている。
撃ち込もうとしていた〈魔力弾〉をキャンセルする。
――そして、〈神力〉で空間を〈再生〉してみた。
ちょうど瀕死の人間を治すように。
不完全な空間を正すように。
「あっ?」
「――!」
目が合ってしまった。
犯人と。
おたがいに固まる。
犯人が目を見開く。口をぱくぱくさせる。
何か言おうとして、声が出ないようだ。
覗きの犯人は若い女だった。
白い薄衣の上品な夜着を纏っている。
赤味がかった金髪が柔らかに流れている。エメラルドグリーンの瞳。
長椅子に座った清楚な美少女だ。
えーと。覗き魔って、おっさんとかじゃないの?
いや。それは偏見か。ゴメンおっさん。
覗きって、こんなに優雅なものなの?
豪華な長椅子にもたれて。
おほほほ、裸体鑑賞中でございます、入浴乙。みたいな?
ていうか――どこだよここ?
大理石をふんだんに使った室内。
魔道具で柔らかく照明されている。
春を思わせる穏やかな色合いの風景画が掛かっている。
レティネのものよりずっと大きな天蓋付きのベッド。防音効果の高そうな豪奢なタペストリー。そして目立つ位置にあるリング状のアウディト神のシンボル。
俺たちの浴室が、見知らぬ部屋につながっていた。
犯人の部屋に。
かなり身分の高そうな少女の寝室に。
「きゃっ」
犯人がよろけるように後ずさり、長椅子の陰に隠れる。
いやいや。今さら隠れても。
逃がさないよ。
つい追いかけて、犯人の部屋に足を踏み入れてしまう。
柔らかい敷物の感触が裸足に気持ちいい。
「あ、レティネ待て!」
レティネとヤマダも俺についてくる。
謎空間なんだから危ないだろ。安全の保証はないんだよ。
まあ、俺がまっ先にやっちゃってるけどさ。
いつも〈界門〉を使っているせいで警戒心が薄れてたな。これは転移魔法じゃないはず。
〈魔力糸〉を全力で展開する。
〈エルフの雫〉に見知らぬ部屋が出現したんじゃなくて、ここはすでに知らない場所みたいだ。振り返れば浴室はそのままあるけれど。
この部屋には少女と俺たちしかいない。
半径十メートル以内には他に誰もいない。
さらに遠く、二十メートルになると二人、いや三人いる。
二人は外向きで立っている。隣の部屋のさらに外側だ。もう一人は隣の部屋の奥で椅子に座っている。立っている二人はそこそこの魔力があるから、護衛かなんかかな。座っている一人はどうやら居眠りしてるみたいだ。この三人には〈魔力糸〉を貼り付けておく。
それと、魔道具によるものらしい結界状の魔力を感じる。この部屋を中心に建物の一区画を包み込んでいる。触れるだけで警報が鳴る仕掛けかもしれない。
どうやら覗き魔さんは重要人物らしい。
「すまない。俺たちは怪しいもんじゃないんだ」
いや。めちゃめちゃアヤしいけどな。
さっきまでは覗きの被害者だったのに、この部屋に踏み込んでからは、若い女性の寝室に全裸で侵入した不審者なのだ。加害者と被害者の立場が入れ替わっていた。
卑劣な覗き魔を追って風呂を飛び出した途端、こっちが変質者とか。納得はできないけど。
ていうか、言い逃れできなくね?
幼女とエルフもいるから大丈夫?
今の俺たちは、全裸パーティー〈パパ〉なのだ。
まさに冒険者である。
ここは相手に主導権を取らせてはダメだ。
居直るしかない場面だ。怯むんじゃない。
俺は堂々たる仁王立ちで、ちょっと腹を立ててる感じで訊ねる。
悪いのはそっちだ状態を作る。悲鳴でも上げられたら負けだ。
「見ていたのはあなたでしたか。失礼ですがもしかして、聖女様ではありませんか?」
この世界で最も有名な覗き魔はデヴヌス神聖国の聖女だったはず。
その力は〈神聖視覚〉。
あらゆる事柄を見通す〈眼〉だ。
逃れることは不可能らしい。恐ろしい力だ。
きっと聖女で間違いないだろう。
長椅子の背に隠れてぶるぶるしてるから、あんまり聖女らしくないけど。
「うううぅ〜」
聖女は真っ赤な顔を両手で覆ったまま頷く。
でも指の隙間からしっかり見ている気がする。
俺の顔はもっと上だ。どこを見ている?
「パパー、びしょびしょだめー」
レティネに叱られる。
おっと、うっかりしてた。
バスタオルをポンポン出してレティネとヤマダに手渡す。
俺も身体を拭いてから、温風で全員まとめて乾かす。
そして部屋着を出して着る。
聖女はその一部始終をしっかり見ている。
「ど、どうか私の罪を、お、お許し下さい。御使い様!」
聖女がひれ伏している。
長く柔らかな髪が床に流れる。
この世界の人達はひれ伏し過ぎだ。こういうのに慣れたくない。
「えと、御使いって、誰?」
「じ、慈悲深きアウディト神の御使いであらせられるアラタ様。その尊き御業にて今宵、ご――御顕現賜わりしこと光栄の至りで御座います。されど当今〈神聖視覚〉にて御降心無きままご尊顔を拝謁せし罪咎、デヴヌス神聖国第十一代聖女リオーラ、この一身をもちまして贖罪とさせて頂く所存に御座います」
ちょっとナニ言ってるか分かんない。
現場を押さえられちゃ仕方ないし。ごめんね。どうにでもして。で合ってる?
「ちょっと待って。あの、堅苦しいのは苦手なので起きてくれませんか?」
あまり騒がしくもできないし時間もない。
聖女の腕を掴んで引っぱり起こし、長椅子に座ってもらう。無作法ですまないね。
「俺はアウディト神の御使いじゃなくてただの冒険者です。聖女様に奉られるような者じゃないですよ。それより教えて欲しいんですけど。ここはどこでしょうか?」
「聖都大聖堂でございます。ここは私がお許しいただいている居室にございます」
「聖都ってことは、デヴヌス神聖国の都ですか?」
「はい」
デヴヌス神聖国の聖都セデス。
おいおい。ずいぶんと遠い所だったんだな。
でもそれは、ますますヤバいな。聖女の私室に侵入って。俺たち三人不敬罪とかで即処刑レベルじゃね?
問答無用で。
「えーと。今夜のことは内密に願えませんか。勝手とは思いますが、面倒は困るので」
神聖国から指名手配されたりしたら怖いよ。
罪状は聖女への全裸夜這い。
逃げ切れる気がしない。神聖国の威信をかけて追い回されそうだ。
リューパス辺境伯にも確実に迷惑がかかる。
「あ。はいっ。仰せのままに!」
あれ。なんかちょっと嬉しそうだな。
まだ俺のことを神の御使いと思ってるのかな。
この場はそのほうが都合がいいけど。
「それと、これは答えられたらでいいんですけど。〈神聖視覚〉って聖女様自身が望んだものが見れるんですか?」
「いいえ。アウディト神様がご覧になるもののみ、私も拝見できるのです」
「それでは聖女様が見たいものを見ているわけではないんですね?」
「――は、はい」
なんか顔を赤らめてうつむいてるし。
望んでもいない俺の入浴シーンとか見せられるんじゃイヤだよな。
それじゃ聖女も気の毒だ。
いつかサイトウが言ってたとおり、〈神聖視覚〉にも制約があるんだな。たんなる超高性能監視装置ってわけじゃないようだ。
――真犯人はアマトゥス神。
「では、俺たちは戻りますね。お騒がせしました、聖女リオーラ様」
あまり長居もできない。
外の回廊を近付いてくる者がいる。こちらに気付いた様子はないけど、動きからすると見回りだろう。室内を走査する魔法とか使われるとマズい。
お宅拝見状態のレティネとヤマダを呼び寄せる。浴室に戻らないと。
聖女の寝室のほうが俺たちの浴室より大きいので、一面が開いた箱を別の大きな箱に入れたような構造になっている。でも、裏に回ると浴室の箱は見えない。いかにも異次元空間だな。
浴室に入る。
凄い長距離を移動したことになるんだろうけど、なんの手応えも無い。まったく魔力は感じないから、アマトゥス神の〈神力〉による空間転移なのかな。
俺は濡らしてしまった敷物を〈再生〉で乾かす。
変態行為の証拠は隠滅。
聖女を性女にしてはならない。
「あの、アラタ様。レティネ様。ヤマダ様。今宵は直接お目にかかれて嬉しゅうございました。レティネ様が無事にご帰還なされたこと、心よりお喜び申し上げます。それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」「おねーちゃんおやすみー」「おやすみ、です」
俺は空間の〈再生〉をキャンセルする。
一瞬で聖女の部屋が消え、すっかり元通りの浴室だった。
あのままだったら大問題だ。
あらためて〈魔力糸〉を展開、周囲を確認。
ここはバシスにある〈エルフの雫〉に間違いなかった。
しかし、――レティネの無事の帰還、か。
やっぱり聖女リオーラは、レティネが〈深淵〉だと知っているんだな。それならもう一度ちゃんと話を聞いてみたいな。人族側でのレティネの扱いについても何か分かるかも。
転移の魔道具〈界門〉を使えばまた行けるだろう。
さて、レティネとヤマダも期待する目で見てるし。
風呂に入り直すか。
もう、覗かれないよね。




