136 忘れないうちに種を蒔くことにしよう
『おはよう、だべ』
「うん。おはよう、ヤマダ」
「おはよう、です。アラタ」
「パパ、おはよー」
あれ。一人多くね?
いつのまにか眠っていたようだ。空は白んでいる。もうすぐ日が昇る。
照明の魔道具で部屋を照らす。
「で、誰?」
ヤマダがベッドから飛び降りてひれ伏す。
誰もいないところに向かって。
「せ、精霊様! 御来臨たまわり、身にあまる光栄だべ。です」
『起きるべ。エルフの娘よ。さような作法、ワレには不要だべ』
声だけが聞こえる。
脳内にではなく、ちゃんと耳に音が伝わっている。姿はまるで見えないけど。
しかし、朝から精霊とか。
なんてステキな目覚めだろー。
「パパ。だれかいるー」
「うん。精霊さんだってさ」
『ワレはアエル。風の精霊とされるものだべ。お前たちに感謝を伝えに来ただ』
綺麗な声だ。ちょっと中性的だけどヤマダに似た感じもする。
もしかすると、ヤマダの声を模しているのかもしれない。
霧の精霊じゃなくて風の精霊だったのか。
「失礼します、精霊様。感謝というのは昨日の猫――黒い獣のことですか?」
『その通りだべ。アレを抑えるのに難儀しておっただ。いきなり現れたお前たちが封じてしまうとは魂消ただ。あやうく本当に消えそうになったべ。ぶふっ』
部屋の中で小さなつむじ風が踊っている。
あちこち移動して落ち着かないが、声だけは同じ場所から聞こえる。
もしかして、はしゃいでるのか。元気いっぱいだな。
『お前は獣の姿を見たのか。アレはさまざまに姿を変えおるで。人の姿でおったこともある』
「あれは一体なんです? 魔物ですか?」
『魔物ではないべ。ふいにこの地に現れた。気付くとそこにおった。アレがなにかと訊かれれば、アレはアレとしか。――虚の体を顕現させるために魔力を喰らいつづけるモノ。大地の魔力をもことごとく吸い尽くし、生き物を根絶やしにするモノ。どれほど喰らっても足りることがないモノ。この上なく不自然なモノ。――とにかく、はるか古よりアレはおったのだ』
なにそれコワい。
真っ当な方法だと対処できないんじゃないか?
もはや神様案件の類いだろ。
『お前たちはどうやってアレを封じただ? ワレでさえずっと対峙して果たせなかっただに。秘術かなにかかの?』
「この子の力を借りたんですよ」
まだ眠そうなレティネを撫でなでする。
『ふむ、なるほどの。この童も古の者か。この地で邂逅するとは。これもまた天の采配だべか』
精霊って〈深淵〉の存在を感じられるのか。
古くから継承されてきたものだからかな。
さて。とにかく着替えて顔を洗わないと。そして朝食の準備だ。
膝をついて頭を下げたままのヤマダを立たせる。
精霊なんてマイペースな存在なんだから、俺たちもいつも通りでいいのだ。奉っても喜ぶわけじゃないし。
一階のダイニングで簡単な朝食。
味自慢の宿〈ドルミー〉のスープとパン。俺が作ったベーコンエッグ。ヤマダがスライスした果物とレティネがいれたお茶。
一緒にいるつむじ風には、余計な埃を立てないように注意しておく。
「ところで、力を使い果たしていた風の精霊アエル様が復活するには、かなりの年月が掛かると思ってたんですが、ずいぶんとお早いお戻りですね?」
『たまたま近くに魔力の湧き出る泉があっただべ。失ったものをすっかり満たすことができたべ』
ふーん。きっと俺も知ってる泉だよね。
「それは幸運でしたね。魔力以外にも何か湧き出てたんじゃないですか?」
『え? あ。うん。あったべ。あれはよいものだべ。な』
よいものだべ、じゃねーよ。
予想はしてたけどな。
今朝は最初から部屋にいたみたいだし。いきなり絶好調だし。
昨日霧が晴れたとき、俺に入り込んだわけだ。
こいつも勝手気ままか。
土の精霊ロアムといい、俺を食べ放題の宿みたいに利用するのは止めて欲しい。
俺の中で、生き返るわ〜、とかやってんのかな。
せめて許可を取れよ。許可しないけど。
「アエル様。それでは、おらたちの里は――」
ヤマダがまた膝をついて頭を垂れている。
精霊への敬意はエルフとして譲れないものがあるのだろう。
『ああ、心配ないべ。滞りも消えた。ワレも以前の状態に戻った。循環の恩恵はお前たちの里にも及ぶだ』
「感謝します、ですだ!」
さらに低頭する。
『お前たちエルフは誤解してるべ。お前たちのために森を地を風を整えてるわけじゃないだ。――精霊は安寧な地でないと気分が悪いだ。乱れた地は我慢ならないだ。だから整える。お前たちはそれを壊さずに暮らす。適度な距離を置いてな。それを守っていれば頼まれなくても森も地も豊かになる』
『だが、それを外れる願いなら、お前たちがどれほど願ってもワレは聴くことはないだ。――元々、お前たちには願わなくても叶う願いか、願っても叶わない願いしかないだ。お前たちが精霊を崇めても崇めなくても、変わりはないべ』
だとしても、豊穣やら安寧やらを精霊がもたらすなら、崇拝したくなるエルフたちの気持ちも分からなくはない。
『それでも、ワレら精霊を感じにここまでやって来るのとは面白いべ。わざわざ顔を見せに来る酔狂な住人というわけじゃな。ワレのほうからエルフや人族の里に行くことはないしの』
風の精霊ならどこでも自由に飛び回っているのかと思っていたが、案外地理的な縛りがあるのかな。
数十年前に〈猫〉が唐突にこの森に現れたそうだ。
相容れない強烈な存在に、はじめは為す術もなかった風の精霊アエルだが、魔力の流れを偏向させた結界で少しずつ包囲を固めていった。直接的な戦闘力は低くても、じわじわじっくり攻め立てるのは得意みたいだ。
のらりくらりとかわしながら魔力を遮断し続けた。押し込んだり押し返されたりをくり返し、あの谷まで追い込んだ。
しかしこの結界による外向きの魔力の流れは森の魔物を惹き付け、〈猫〉に思わぬ餌を供給することにもなってしまった。
そしてそのまま膠着状態になった。少しずつ森のバランスを崩しながら。
人間からすればずいぶんと気の長い戦いだが、アエルは飽きて放り出すこともなかったようだ。精霊にとってはどうってことない時間なのかな。
『というわけで、エルフの娘ヤマダには〈精霊の加護〉を、人族のアラタとレティネには〈精霊の祝福〉を授けただ。これはワレの感謝のしるしだべ。お前たちの旅路がつねに順風とともにあるように。――その石を身に着けているなら、ヤマダはシレンのために来たんだべ? アラタとレティネにはもうドライアドの祝福があっただ。アラタにはロアムのも。ヘンな人族だべ。――祝福を集めてるんだべか?』
ちょっと待てーい。
勝手に〈祝福〉授けんなよ。希望者だけにしろよ。集めてねーし。
ヤマダが身に着けている『石』というのは、族長ダンノーラに渡された指輪のことだ。
〈恩恵の石〉とダンノーラは呼んでいた。これが〈試練〉を受ける者の証だ。勝手に〈試練〉に挑む者が出ないようにとの里の掟だ。かつてシドゥースの里を開いた初代の族長が、精霊からもらった石で作ったそうだ。
かすかに精霊光を放っているのだが、もちろん俺には見えない。
「あのー。〈祝福〉って消せないんですか?」
『消すことはできないべ。でも、放っておけばすぐに薄れるだ。数百年しか保たないだ。薄れたらまたワレを見つければいいだ』
ですよねー。
一生消えないだろそれ。
が、文句を言いかけて、思いとどまる。
ヤマダが泣いていた。
ぼろぼろと涙をこぼして。声も上げずに。床に女の子座りで。
シドゥースの里を救う。これはヤマダが物心ついてからずっと持ち続けた願いだったのだ。感極まったのだろう。
レティネが黙って背中からヤマダを抱きしめている。よしよししている。
おんぶをせがんでるように見えるけど。
いい子だなレティネ。
〈祝福〉イラネって言えないよな。
『アラタは不思議な術を操るだな。たまげたべ』
家を消し跡地を復元するとアエルが驚いている。
俺たちはこれから森の状態を確かめながらシドゥースの里に戻る。族長や長老に森の状況を伝えなければならないし。
でもその前に――
「アエル様。魔物の死骸が転がっている灰色の谷は、あのままで大丈夫ですか?」
『アレがもういないのだから、ゆっくりと森に戻るべ。悪いモノはもう残ってないだ』
「なら、ドライアドの種を埋めたいんですけど。問題ないですか?」
以前、木の精霊ドライアドにもらった種だ。
どこでもいいから大きな森の中に埋めるよう頼まれていた。レティネの〈ポケット〉に入れたままだけど、死んでたりしないよな。
『そんなモノを持ってるべか。構わないべ。面白いだ。育つのをワレが見守るだ』
精霊同士仲が悪いとかじゃないみたいでよかった。
ミイラの谷に立つ。
やっぱりここだけ殺風景だ。いずれ朽ちて消えるにしても魔物の墓場なのはちょっと。灰色の地面じゃ種も可哀想だしな。
大量に土を出す。ミイラの群れを埋めつくす。
『おおっ! これはまた、すごい土だべ』
あんたもかよ。
〈ポケット〉から出してもらったアーモンド大の種を、謎土のど真ん中に埋める。
種蒔きというより埋葬気分だ。ミイラの谷だしな。
大きな岩の上に立って、スプリンクラーみたいに大量の水を撒いていく。
『またまた、面白いことをするべな。アラタは』
謎土と謎水のコンボなら、ドライアドも満足だろう。
安らかに眠れ。
すると突然、
――しゅるしゅるしゅるしゅるしゅる――
種を埋めた場所から若草色のツタが伸びてきた。
成長早っ! 芽が出るまでに百年くらい掛かると思ってたのに。
意外にせっかちだな、ドライアド。
いや、俺の謎土謎水のせいかな。
ツタがまわりの様子を探っている。先っぽをアホ毛みたいにびゅんびゅん振り回す。
俺たちに気付いたのか、岩場に這い登ってくる。
『えと、――やあ、コンニチワ、みなさん』
いつか聴いたドライアドの声だ。べつの個体のはずだけど。
ヤマダが跪き頭を垂れる。
『また会えたね、アンタたち。元気そうじゃないか。へえ。ここはまた、面白いトコロだね。アエルまでいるとは。こっちの娘はエルフだね。はじめまして』
「俺たちのことが分かるのか?」
『いまナカマと交信した。こんなに早くワタシの種を蒔いてもらえるなんて、ウレシイよ』
インチキ宇宙人臭さは健在だった。
『久しいべ、ドライアドよ。変わりないだべか?』
『生まれたばかりで気分がいいよ。――とはいえ、もう眠くなってきたけどね』
『ワレが守るべ。安心して休め』
空気とツタが会話してるよ。
シュールだなー。
『まかせた。――またね、アンタたち。〈祝福〉を集めてるなら、あとでヤンギンやスーに会ったら伝えとくよ。それじゃあ』
するするとコードが巻き戻るように、ツタは土に潜ってしまった。
だから、集めてないし。いらないし。
コンプリートとか目指してないし。