133 ぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐー
「多いべ。三十匹もいないと、聞いてただ――」
リーダー格のゴタンが誰に言うでもなく漏らす。
バクマクはどう見てもその倍以上いる。
「たった数日でこんなに増えるはずねえだ。群れの残りが合流したか、それともほかのを吸収したかだべ。ゴタン、ここは仕切り直したほうがよくねえか?」
ゴタンの横で弓弦を張り直している男が言う。
エルフたちは既に臨戦態勢だ。全員が弓使いなのは、いかにもな感じだ。皆射撃には自信があるのだろう。カラフルな色紐を巻いたり錘をつけてバランスを調節したりと、それぞれに弓をカスタマイズしている。
「ノーミたちの班は森の線まで下がるだ。打ち漏らしが里のほうに抜けないように。必ず仕留めるだ」
ゴタンに指示された三つ編み髪の女が頷く。
十人ほど連れて静かに後退していく。
「オラたちは前に出る。イリヤとアザイは左に、シリオとジドウは右に展開だ。前だけ見てはだめだべ。見えてるヤツ以外にも気をつけるだ」
調べたときより数が増えてるなら、他にもまだいるかもしれない。
岩山まで約百五十メートル。
バクマクは黒ずんだ体毛に覆われたゴリラよりやや小さい魔物だ。強化した視力で見ると、灰色の顔には毛がなく、円盤じみた赤い目と鋭い牙が目立つ。仮面のような顔だ。表情は読み取れない。
〈魔力糸〉による感知だと、ほとんどのバクマクが目の前の岩山に集まっていた。ただ五匹ほどが大きく横から迂回して、討伐隊の後ろに回り込むように動いている。挟撃にしては数が少ない。陽動かもしれない。猿っぽいからそれなりに知恵があるのかも。
これだけの人数が急行したせいで、早い時点で気付かれていたんだろう。
今日のバクマク討伐は、できれば殲滅、無理なら数を減らして群れの維持を不可能にする。中途半端に散らしたり里の方角に敗走させることは避ける。
バクマクは動きも速く腕力もあるが物理的防御力はそれほどでもない。急所を狙えば魔法矢でなくても倒すことができるそうだ。
この岩山からシドゥースの里まで距離があるが、その間に深い谷や断崖がないので、いずれエルフの生活圏に侵入することになる。里に入れば住民や作物に被害が出る。なるべく精霊祭前にカタを付けてしまいたいのだろう。
「始祖様には、ここからお力添えをお願いしますだ。危なくなったら後ろのノーミたちに合流して下さい、ですだ」
ヤマダを形だけ参加させ、安全圏から出さないつもりらしい。
「わかっただ」
素直に頷いたヤマダの手に愛用の強弓が現れる。
「――!」
ゴタンは目を見張る。
華奢な始祖様が自分の物以上の強力な弓を手にしているからだ。さすがにヤマダも身体強化しないとまともに引けない弓だけど。ここの岩山に貼り付いているバクマクなら十分に必殺圏内だ。
「よ――よし、前進だ。まだ刺激するな、だべ」
二十人のエルフがじりじりと前進する。身を隠す樹木もなくなるが、そのぶん射線は確保できる。バクマクは突進のみで遠距離攻撃はしてこないので、先制の一斉射撃で数を減らす作戦だろう。
バクマクは動かない。
相変わらずジッとこちらを見つめている。
一匹も視線を外さない。異様な集中力だ。
「ヤマダ。バクマクって、なんかの素材になるの?」
バシスの冒険者ギルドの魔物図鑑には載っていなかった。大森林のこっち側にしかいない魔物なのかな。
「わからないです。おらも初めて、見るです」
里で必要とか高値で売れるとかじゃないなら、あえて回収を意識しなくてもいいか。
ゴタンたちがもうすぐ矢の射程内だ。
バクマクが微動だにしないのが不気味だ。これじゃただの的だし。何かを待ってるのかな。
先行していた男が片膝をつき弓を構える。
エルフたちが次々に射撃の体勢になる。弓弦を引き絞る。
「パパ、あれー」
レティネが一番高い位置にいるバクマクを指差す。
一匹だけ頬袋を膨らましている。体も大きい。あいつが群れのボスなのか。
――ぶぉお、ぐぉお!――
ボスが低く喉を鳴らす。
殺気を感じて怒ってる?
どうやらエルフたちを敵認定したようだ。
――ぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐー――
バクマクの群れが一斉に唸り声を上げる。山が鳴いてるみたいだ。
変だな。これは何だ?
声だけじゃなく魔力も放出してる?
「は、放てっ! う、射ち、つづけろ!」
――ぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐー――
二十人の弓の名手の放つ矢が岩山に陣取る魔物に降り注ぐ――とはいかなかった。
半数以上のエルフが矢を放てなかった。
弓を取り落とし尻餅をつく者、両手で耳を塞ぎしゃがみ込む者、嘔吐する者もいる。
なんとか放たれた矢も、岩山まで届くだけの威力はない。
ぽすぽすと手前の地面に突き立つだけだ。
――ぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐー――
「あたまが、頭がクラクラするだ。――ゴタン、あの声だべ。バクマクの声を――これ以上聞いたら、ダメだ」
ゴタンの横の男が膝をつく。
「くそっ、こ、こんなことが――」
――ぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐー――
ゴタンが振り向く。
「――し、始祖様のところまで、下がるだ! 動けないやつを助けろ! 急げ」
俺たちが無事なので安全圏だと判断したのだろう。
でも、本当にそうかな?
後方のノーミという女の班は無事のようだ。魔物の声の影響外らしい。
むしろ何が起きているか分かってないみたいだが。
「レティネ、気分はどう?」
「だいじょぶー」
「ヤマダは?」
「平気です。でも、嫌な声、です」
ヤマダはすでに身体強化をしている。
よくよく集中すると、かすかに立ち眩みに似た感覚がある。
これは、群れの数を活かしたバクマクの〈魔声〉による状態異常攻撃ということか。強烈なデバフ効果だ。
「始祖様っ! 祝福者様! この声は?!」
ノーミがこっちに走ってくる。全力疾走で。
マズいんじゃないか?
「来るな! 戻れっ!」
――ぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐーぶーぐー――
遅かった。
ノーミは足をもつれさせ、俺たち目掛けて派手にスライディングした。
もしかして、アホの子なの?
おーい。大丈夫かー?
「ぐふっ。い――いったい、――なにが――?」
うつ伏せのままノーミがうめく。
まあ、仕方ないよね。
レティネが平気だから、俺たちのところは安全に見えるよね。
異変の影響もなさそうだよね。
でも実は、ようじょつよい。
一方、前衛のゴタンたちは撤退すらままならなかった。
程度の差はあれ身体に力が入らない。倒れた者を助けようと、少し引きずるだけで力尽きている。
そしてついに、バクマクが動いた。
山肌がずるりと滑り落ちるように、魔物の群れが討伐隊に向かって降りてくる。
ぶーぐーぶーぐー唸りながら。
「ヤマダっ。頼む」
「はいです!」
機関砲じみた射撃が炸裂。
ボスを筆頭に、次々に喉を貫いていく。
魔法矢も交ぜているので首が千切れ飛ぶバクマクもいる。
俺も両手をのばし、ソフトボール大の火球を高速連射。
精度は二の次。手数で支援する。
岩場だから森林火災の危険は低いだろう。ここは見た目の派手さを重視。
群れを散らさないように牽制。逃げそうなやつには命中させて先んじて倒す。
矢と火球の飛翔音と着弾音、そして魔物が落下して地を打つ音が響く。
バクマクに苦鳴を上げる余裕も与えない。
もう、ぶーぐー言わせない。
同時に切断の〈魔力糸〉を使い、後詰めの班の後ろに回り込んでいた五匹の首を落とす。何かやらかすのを待つこともないだろう。
「これが、始祖様の御力?」「――すごい、だ」「夢、だべか」
「祝福者様は、――火の精霊、さま?」「ヤンギン様の祝福、だべ」「おおお」
違うし。火の精霊じゃないし。
でも今は誤解されたままでいい。
バクマクの〈魔声〉が止み、ゴタンたち前衛がよろよろと立ち上がる頃には、すべての魔物が動かなくなっていた。
まあ、百匹以下の群れなんて、俺たちにとってはどうってことないし。
「起きるだ。もう大丈夫。辺りに魔物は――」
集まってひれ伏すエルフ戦士たちをヤマダが見回す。
俺を見たので頷いてやる。
「――いないだ」
〈魔声〉で倒れた者は、体力は消耗したものの怪我はなかった。
というか、明らかな怪我をしたのはノーミだけだ。
倒れ込んだ地面は粗い石がゴロゴロしていたから、肌が傷だらけになっている。せっかく妙齢(仮)の美女なのに血塗れは気の毒だ。
「ああぁ! なんだべぇー?!」
俺は治癒魔法を複製してノーミの傷を治す。
いきなり自分が光りだして驚いている。
「魔法? 治癒魔法だべか? これほどの!」「消えたべよ!? 消えてるべ!」
痛々しい傷が綺麗サッパリ消えている。
自分の顔が見えない本人より、周りの者が驚いている。
でもちょっと大袈裟だな。そんな重傷じゃないし。これくらいなら中級魔法薬でも治るよ。
俺はヤマダに耳打ちする。
「怪我をした者は、祝福者アラタが治療する、だ。動ける者は、息のあるバクマクがいないか確かめるだ。できるだけ、魔石を回収する、だ」
まあ、他に怪我人はいないけどな。
バクマクもすべて死んでいる。仕留め損ねたのも〈魔力弾〉で処理済みだ。
ヤマダをリーダーっぽく振舞わせただけだ。
死骸の確認と魔石の回収はエルフたちに任せた。皆解体の手際がいい。エルフの必須技能なのかな。
「感謝いたしますだ、始祖様。そして、祝福者様。あとはオラたちに、お任せくださいだ」
ゴタンがひれ伏していた。
俺もなんだか慣れてきちゃったよ。エルフひれ伏し過ぎだし。
俺たちは集めた魔石を持って、ノーミの班と一緒に里に戻ることになった。
残りのエルフたちは後始末と周辺の調査。他に異変がないかを調べてから戻るそうだ。いつもの森がどんな状態か知らない俺たちは役に立たないしな。
来たときよりもゆっくりと山道を帰る。
◇◇◇
翌日は早朝からシドゥースの森を散策する。
というのはカモフラージュで、俺たち三人は森の中からバシスの〈エルフの雫〉に転移。伝言どおりの時間に魔法使いのカーリと合流。さらに、プラシド砦に近いヤイラ高原に転移。
先日の逆順でプラシド砦の大門を通る。
面倒だけど、ちゃんと門から戻らないと未帰還者になってしまう。
冒険者間での簡易依頼とはいえギルドを通している。砦の通過事実が必要だ。エア依頼と疑われないように。
プラシドの町を横切り、人目に付かない場所からバシス近くの林に転移。北門から街に入り冒険者ギルドへ。
ギルドに入ってからずっと視線を感じる。
冒険者たちが遠巻きに見ている。
やっぱり俺たち〈パパ〉が遠征隊で活躍したことは知られているみたいだ。
買取りカウンターで魔物の素材を換金する。
担当の職員がわざわざ立ち上がって会釈してくる。
換金するのは魔吸晶探索のついでに狩った魔物だ。カロスイーグル五匹と雑魚魔物がいくつか。それとツタの魔物の魔石だ。合計で金貨七枚になった。
それを見舞金としてカーリに渡す。
「こんなに受け取れない。わたし、守られてただけ」
探索の報酬金貨十五枚は少し多過ぎると思う。とくに苦労もなく三日で終わったし。〈パパ〉でなければ人数も日数もはるかに必要だから赤字だろうけど。
いくらかは相殺したい。依頼者側が儲かるたぐいの仕事じゃないし。困っている知り合いからそのまま受け取れる金額じゃない。
「受け取っておいてよ。俺たちから何か頼むこともあるだろうし。ね」
無駄な押し問答にならないよう強く迫る。
「わ、分かったわ。ありがとう、アラタ。――これからはどんな怪しい薬でも、わたしが最初に飲んでみせるからっ!」
いや、なんで実験台志願なんだよ?
カラダで返す気かよ。べつに脅してないのに。
そんな悲壮な決意いらないから。泣きそうな顔しなくていいから。
俺はマッドサイエンティストじゃないから。善良な薬屋だから。
カーリの魔法の師匠の具合はいいらしい。
杖を使えば家の中を歩けるようになっているそうだ。なるべく支障なく暮らせるようにリハビリ中ということらしい。
〈エルフの雫〉でマヤさんと一緒にランチを食べる。
そして再び、エルフの里シドゥースに転移した。