131 始祖様として生きることの重さは確かにあるみたいだ
シドゥース周辺の森の力が弱まっている。
精霊の力が失われていた。
正しくは森の魔力の流れに不整があるせいだ。こうした大循環は精霊の力によってのみ正すことができる。しかしその精霊を見つけることができない。精霊の〈祝福〉を持つ族長でさえ、もう二十年近くその存在を感知できないという。
作物の実りも年々悪くなり森の獲物も減っている。魔物の数も減ったものの、以前より強力なものが現れるようになっていた。
精霊の恩恵が薄れ、里がゆっくりと衰退に向かっていることを、エルフたちも実感しているようだ。
ヤマダはこうした状況を変えたいのだ。
森の奥に分け入り、〈試練〉をクリアして精霊との絆をつなぎ直し、シドゥースを復活させる。そのために自身を強化したかったのだ。
もしかすると希少なエルフプラに生まれたというだけで、里の敬愛を一身に受けてしまった負い目があるのかもしれない。それに値する者でなければと願っているのかも。
「おらに、やらせて、ください、です」
「ならぬ。お前は強くなった。だが、焦りがあるべ。むしろ危険が増している」
族長ダンノーラとヤマダが押し問答になっていた。
ヤマダも頑固だ。ダンノーラも引き下がらない。
魔物の闊歩する大森林の中で、いるかどうかも分からない気まぐれな精霊とコンタクトして〈祝福〉や〈加護〉を貰って来いというクエストだ。深山に籠って悟りを開け、みたいな難度だ。
これまでの成功者は最短で二十日、最長で三ヶ月。いずれもボロボロになって戻って来たそうだ。クリアできなかった者も多い。半数は二度と戻らなかったようだ。おいそれと許可できない族長の立場も分かる。
俺には意見できない事なので、レティネを撫でながら見ているだけだ。
ダンノーラが大きくため息をつく。
俺をじっと見つめる。ちょっと意味ありげだ。
なんだろう。責められてるの? それとも精霊視されてる?
なんかのアイコンタクトか?
ダンノーラが俺に頷きかける。待て待て。意味が分からないんだけど。
「ヤマダよ。お前の意思は揺るがないようだの。――よかろう。条件をつけよう。明後日、〈バクマク〉退治に里の者を出す事になっておる。それに同行しお前の力を示せ。皆を納得させるなら〈試練〉への挑戦を許そう」
いきなりダンノーラが意見を変えた。バクマクという魔物を退治できれば〈試練〉を受けられるようだ。
「感謝する、です。族長様」
「レティネとヤマダは先に戻ってて。俺は族長様と話があるから」
二人を先に帰す。ヤマダが不安そうに振り返る。大きく頷いて安心させる。
「祝福者殿への信頼は大きいようだべ」
「ずっと一緒でしたからね」
「あそこまでの成長は嬉しい驚きだ。だからこそ、なおのこと心配なのだが」
ヤマダ自身が望んだとはいえ戦闘力だけが突出しちゃったしな。実地の経験は足りていない。
「あやつがいずれ〈試練〉に挑む事は分かっておったが、もう少し月日を経た後の話と思っておったよ。よもや、十四の秋に挑むとはの」
落ち着かなげに手にした杖を弄ぶ。
「実際、ヤマダには過大なほどの期待が掛かっておる。この里で初めてのエルフプラでもあり、衰退する里に現れた吉祥、幸運の兆しでもある。希望の子なのだ。ゆえに、あやつの失敗は一エルフの失敗にはとどまらぬ。里として万全を期したいことも理解してもらいたい」
「はい。ですが――それでも俺はヤマダの意思を尊重したいです。ヤマダがやると決めるなら全力で協力します」
「ふむむ。それで祝福者アラタ殿はヤマダが〈試練〉に耐えられると思うか?」
「分かりません。〈祝福〉を持っていても俺は所詮人族ですから。精霊視も精霊を感知することもできません。そうしたことでは力になれないでしょう」
土の精霊ロアムを宿した状態なら役に立てるかもだけど、ロアムがこちらの思い通りに動いてくれるか分からない。
「ただ、〈試練〉への同行を許してもらえるなら、必ずヤマダを守り抜くと約束しましょう。きっと無事に連れ帰ります」
「たいそうな自信だの」
「大切な仲間ですから当然のことです」
俺にとってはヤマダの安全が第一だ。〈試練〉に失敗してもまた挑戦すればいいだけだ。今回が最初で最後の機会というわけじゃないだろうし。
「分かった。同行を許可しよう。――さきほどは条件などと言ったものの、バクマクの群れなど今のヤマダにとっては障害になるまいからの。よろしく頼む、祝福の冒険者アラタ殿」
ダンノーラは杖をついて立ち上がり、あらためて頭を下げる。
〈祝福の冒険者〉はやめて欲しい。胡散臭過ぎる。
「明日はヤマダの帰還を祝う宴を催す。賓客として存分に楽しまれるがよい。そして、心尽くしの贈り物に里を代表して感謝する」
ヤマダの家に戻ると、母親のカンノが早めの夕食の支度をしていた。
ヤマダとレティネがお手伝いしている。
「パパおかえりー」「お帰りなさい、です」「アラタ様、おかえりなさいだ」
「ただいま」
で、いいのかな?
「パパ、のんでー。レティネがいれたー」
レティネが陶器のカップを運んでくる。
ちょうど緑茶みたいな色のお茶だけど、飲んでみると味が全然違う。ミントティーをちょっと重くしたような風味だ。身体の余分な力が抜けていく。鎮静効果があるみたいだ。
「おいしいよ、レティネ」
ホッとため息をつく。
レティネも嬉しそうだ。
さっきまでヤマダを見にエルフたちが詰めかけていたらしいが、じいやことオギスの号令で解散させたそうだ。明日の宴で目通りできるからそれまで控えるようにと。
風呂の準備を始めようとしたカンノを止める。薪で巨大ヤカンにお湯を沸かすのは一苦労のはず。風呂場の真ん中に長楕円形の大きな盥が置いてある。これがバスタブだ。ゴツいけど意外に格好いい。
「魔法でお湯が出せるんですよ。風呂とかは任せてくださいね」
一瞬でお湯が溢れたバスタブを見てカンノが唖然としている。
レティネが走ってくる。お風呂タイムを察したようだ。早く早くと足踏みしている。
ちょっとお行儀悪いな、レティネにしては。
初めての家ではしゃいでるのかな。
「すみません。先にお風呂頂いていいですか?」
「ど、どうぞ、御遠慮なく、だ」
一瞬で幼女が全裸幼女に変身する。
続けて俺が全裸少年、じゃなくてパンイチ少年に変身する。
カンノが目をぱちくりさせて固まっている。
一応パンイチに抑えたんだけど、インパクトは変わらなかったようだ。
全裸のほうがよかった?
カンノがフラフラと退場する。
たっぷりと幼女にお湯を掛けて、二人でバスタブに浸かる。
「「ふぅ〜」」
ラッコ抱きされた幼女とため息がシンクロする。
立ち上る湯気と、開いた窓から入る山風が混じり合って心地いい。
「アラタっ!」
ヤマダが走ってくる。足踏みしている。
お前もかよ。久しぶりなんだから母娘で洗いっこでもすればいいのに。これじゃいつもと同じだろ。
仕方なく全裸エルフに変身させる。
頭からお湯を掛けてやると嬉しそうに目を細める。三人で浸かれるほどバスタブは大きくないので、俺は洗い係に徹する。
美幼女と美少女を丹念に泡立てて、じっくり洗い上げる。
もはや滞ることもない手際だ。熟練の技だ。
なんだか視線を感じるが、きっと気のせい。
「いただきます」
夕食はまともだった。
失礼ながら以前のヤマダのイメージで、エルフの食卓には幼虫やらバッタやら草の根やら怪しいキノコやらの謎珍味が並ぶのではと不安だったのだ。
根菜の煮付けや夏瓜、猪の塩漬け肉のシチュー。風味付けのハーブ類も爽やかだ。シドゥース産の白ワインもよく合っている。派手さはないが、どの料理も味に自然な繋がりがあって、腹に染み込むような美味さがある。
とくに鳥のレバーと山芋を蒸し、岩塩とハーブを加えてペースト状に混ぜ合わせたものが、初めての味と食感だった。
食事の間、ヤマダ自身の口から里を出てからの出来事が語られていた。
俺たちに会うまでにも相当難儀していたらしく、道に迷って崖を滑落したり、汚れた水で腹を壊して血を吐いたくだりでは、カンノが青い顔になっていた。
よく生きてたナー。
俺たちに命を救われ迷宮探索をするあたりから、いきなりハイテンポの超展開になる。事実には違いないが、あらためて聞くとなんか妄想塗れの物語のようだ。
レティネが早々とおネムになったので、客間に案内してもらって寝かしつける。
今日はたくさん歩いたから疲れてるしな。慣れない部屋だと不安だろうから俺もついていよう。
ヤマダはカンノの部屋で一緒に寝るようだ。母娘水入らずで過ごしたいだろうし。
◇◇◇
(うん?)
気配を感じて目が覚めた。
いくらも寝ていない気分だ。夜中くらいかな。
両腕が動かせない。
金縛りではなく、レティネとヤマダが両側から抱きついているのだ。
ていうか、なんでヤマダ? かあちゃんと一緒じゃないのかよ。
気配の正体はヤマダではなく、暗い部屋を覗き込んでいるカンノだった。
俺が起きているのが分かったのか手招きしている。
しばらくお待ちください。
俺は、ヒネリを加えたイモムシのような動きで、幼女とエルフから身体を抜き取る。
ダイニングでカンノがお茶をいれてくれる。
「アラタ様。眠れない、だべか?」
いや、あなたに起こされたようなもんだし。
「ヤマダはすっかりアラタ様に懐いているですだ。おら淋しいです」
「アラタでいいですよ。様付けされるような者ではないですから。精霊の〈祝福〉があるといっても、俺は精霊を感じることすらできませんし」
「命を落としかけた娘を救ってくれたです。恩人に失礼は許されませんだ。――それでもアラタ様が望まれるでしたら、アラタさんと、お呼びしても?」
「よろしくお願いします」
「アラタさんは、ヤマダを嫁にするんだべか?」
「いえ。そこまではまだ考えられません。ヤマダは慕ってくれているようですが。俺はエルフについてよく知らないですし」
「エルフと人族が結ばれることはめずらしくないですだ。子供を授かることすらあります。ただ――」
「寿命ですか?」
「はい。人族の一生は短すぎるです。生きる時間の違いには悲しい終わりが待ってるです」
この世界では障りなく生きても七十歳程度が人族の寿命だ。
それに対してエルフは二百歳以上。三倍も生きることになる。人間は三倍の早さで老いていく。これは人間にとって想像以上の重圧になる。いつまでも若いままの配偶者と過ごし自分の幸運を感じるのは最初だけ。やがて自身の老いがのし掛かってくる。心のどこかで羨望し嫉妬し諦観し、自分が相手を縛っているかのような負い目を感じるようになる。相手に釣り合わない自分が許せなくなる。愛情が深ければ深いほど、執着が強いほど苦しみが大きくなる。共に生きようともがくほど軋みがひどくなる。
人生の歯車の規格が違うのだ。
愛情の解消による離別にしろ死別にしろ、苦く悲しい終わりを迎えることが多い。月並みの人生が、同じ時間軸を生きることが、何よりの救いと感じるようになる。
子を生せば生したで、それはハーフエルフとなるそうだ。
そのほとんどは魔力が弱く、寿命は人族と変わらない。
配偶者に先立たれたエルフは、その子にも先立たれることになる。場合によっては孫にも。
違う選択をすべきだったかと必ず思い悩むことになる。
退屈しのぎのお遊びの恋愛か、愛人の一人としてか、奴隷的な所有物か。そうした世間的に不道徳な関係のほうが、むしろ上手くいくのかもしれない。
まあこうしてカンノに脅されたわけだが、辛そうな様子から意地悪してるのではなく俺を気遣ってのことだと分かる。
もし俺とヤマダがそういう関係になっても、ズレた歯車を強引に戻してしまえる気もする。そのとき本当に俺が、俺たちがそれを望むのならだけど。
どういう方法でやるかは不明だし、そのときまで関係が続くかも分からないけど。
強気に考えるなら、それくらい出来てこその〈神力〉だし。
「アラタさんには、その覚悟があるですか?」
「覚悟といえるのか分かりませんが、納得はしています」
「納得、だべか?」
「結果がどうあれ、俺たちが仕方なくそれを選ぶという形にはならないと思います。それだけは確かですよ、カンノさん。――話してくれてありがとうございます。今は感謝を」
「不思議な人だべね、アラタさんは。意地を張ってるでもなし。なんていうか、単純に温かいべね」
意地は張ってるけどね。
「失礼かもですけど、もうヤマダもレティネと同じ、家族のつもりなんですよ」
「婿じゃなくて家族が増えたべね」
「立ち入った話ですみませんが、俺からも聞きたいことがあるんです。――ヤマダのお父さんは今どちらに?」
確かヤマダには父親もいるはず。
しかしこの家に父親の影はない。母子家庭にしか見えない。
夫婦は同居しないのがエルフの習俗なのかもだけど、昼間見たかぎりでは同じ家に入っていく夫婦者らしい村人を見た。やはり同居が基本みたいだ。
「ヤマダが物心つく前にいなくなったです。もう戻ることはないべ、です」
「え?」
「あの人は始祖様の父親でいることに耐えられなくなったのです。人族の町に買い付けに行ったまま帰って来ないです。お金を置いて行ったので買い付けは嘘だべね」
まさか父親が蒸発していたとは。
「ヤマダが生まれて、始祖様と分かったときの里の熱狂はすごかったですだ。ちょうど森の異変が明らかになって、皆が不安がっていたときでしたから。ヤマダは、里に変化をもたらす救世の子とされたのです。誰にも悪気なんてなかったんですが、色々あって。――あの人は真面目すぎたべ。期待のすべてが重荷になったのですね」
カンノが途方に暮れたような表情をする。
「おらも始祖様としての娘をどう育てればいいか、分からなかったです。里の皆はどんなことでも喜んで力を貸してくれたです。でも、それに応えなければと。――おら不安で仕方なかっただ。族長様やオギスにはずいぶん助けられました。健康に育てればそれで十分と言ってもらえて楽になりました。素直な娘に育ってくれたですが、始祖様としてこれでいいのかは、おらには分からないべ」
生き神様育成マニュアルなんてないだろうしな。
エルフプラがどんなことを成す存在なのかも、実のところ分かっていないのだ。
ヤマダ自身も知らないわけだし。
漠然とした期待だけでひたすら奉られるのは辛いな。
「あの娘は父親に似て生真面目なところがあるです。皆の期待に応えようと無理をするかもです。お願いですアラタさん。ヤマダを支えてやってくれないべか。あの娘が潰れてしまわないように」
「もちろんです。俺は家族を守りますよ」
なんか俺、変なスイッチが入ったかも。
ヤマダの〈試練〉をさっさとクリアして始祖様として実績を上げてもらおう。精霊が見つからなければ狩り出してでも〈加護〉なり〈祝福〉なりをもらうとしよう。全力で手伝うぞー。
やり方はサッパリ分からないが、やる気だけは十分だった。