012 森の中でクマさんお逃げなさいと言ってみたかった
朝のお茶を楽しんだ。
レティネの飾り棚にあった茶器は陶器のポットとカップ、木製のソーサーのセットだった。レティネはノリノリで準備していた。やっぱりままごとにティータイムは欠かせないよな。
熱めのお湯でいれてみた。地味なハーブティー風味だ。
ホッと一息。
後片付けにもお湯は便利である。贅沢にじゃばじゃば使う。生活水準が大幅に向上した。後は調理のできるコンロと鍋があるといい。流し台も欲しい。
いつの間にか幼女のままごとにすっかり毒されていた。
昨夜はちょっとビミョーな気分になってしまったが、あまり思い詰めないようにしよう。考えても正解が見つからないし。
ジョーロは俺製造の謎肉を嫌がることもなく、バリボリと勢いよく食っていた。知らないって凄い。
味がどうかは分からないけれど、見た感じおかしいところはないようだ。後は中毒症状がないか観察だ。消化できない肉だと問題だしな。
俺の熱湯でいれたお茶はヘンじゃなかったから、たぶん大丈夫――だろう。
◇◇◇
異世界三日目の午後、ようやく不毛の地を抜けた。
「パパ、あっち、へんなの」
「うん、見えるよ。――なんだろね」
地平線の色が変わっていた。赤味がかった灰色だったのが、青紫色っぽくなっている。湿った匂いがする。雨雲が広がっているのだ。
雨具代わりにシーツを被る。レティネは顔だけ出して完全梱包。
幼女は濡らさない!
風邪引かれても困るし。
霧雨だった。
暗くて視界も悪い。直進することに集中する。
雷鳴は聞こえないが念のため高度を下げた。気分的に。
十五分ほど耐えていると、いきなり空気が変わった。
明るくなった。
晴天だった。
異世界も青かった。こちらに来て初めての青空だった。
景色が鮮やかだ。
見下ろすと一面の緑だった。
彼方まで広がる大森林だった。
「――ほえー」
「うおおー。これは凄く、綺麗だ」
振り返ると雨雲の壁を背景に、巨大な虹がくっきりと輝いていた。
思わずスマホで撮影。
高原のような涼しさだった。
なかなか降りられる場所が見つからない。
川、集落、街道など、行き先のヒントになりそうなものはない。
静かだが異様に密度のある森林だった。
やがて右側に長大な山脈が見えてきた。
その麓に不規則な形の空き地が見える。
そこに着陸する。
「レティネ、まだお部屋出しちゃダメだよ」
「はーい」
集落か何かの遺構らしい。
ほとんど森に呑まれているけれど、風化した建物の土台だけが僅かに地表に見えている。倉庫のような建物が並んでいたのかもしれない。人間が作った施設かどうかは判別できない。
遺棄されたのはかなり昔のようだ。
「もうちょっと待っててね――」
俺は土台のひとつを整地した。
――土魔法もどきを使って。
うん。
昨夜あれだけのことをしたのだから、できない気がしない。
ぱさぱさした土を平らに均して雑草も埋めてしまう。
広さを確保したら一辺が六メートルほどの壁を四方に作ってみる。高さは二メートル。まだいけそうだったので三メートルに。厚さは一メートル。壁の表面はざらざらだが気にしない。
これは地面を盛上げているのではなく、土を作りだして積み上げている。
水が作れたんだから土だって作れるはず。複製だから見た目は周りの土にそっくりだ。土埃もほとんど舞わない。土木工事というよりクレイアニメーションみたいだ。
傾いた太陽の方角に大きな入り口を開ける。ようやく東西南北が分かる。俺たちは南東に向かって進んでいたらしい。
屋根を作る自信はまだない。
「レティネ、もういいよー」
はしゃぎながら屋根なしの部屋に入ったレティネが、家具調度をセッティング。いつもは出さない飾り戸棚や長椅子も並べている。魔王城での部屋と比べると狭いけれど、久しぶりの壁のある部屋が嬉しいんだろう。
「今日はお風呂も入るよー」
「おふろー?」
外で拾ってきた壁石の欠片を、部屋の片隅に複製して敷き詰める。見た目は悪いが石畳だ。バスタブの周りが土の地面だと泥だらけになるしな。
壁に穴を作り外に排水できるようにする。穴を空けるには、土を掘るんじゃなく、イメージした穴の形を出現させる。そこにあった土は消滅する。
一体どこに行っちゃうんだろう。複製した土がどこから来るかも分からないんだけど。
レティネのバスタブには水栓がない。柄杓で湯を汲み出すための流し場も作る。
作業を興味津々に見つめるレティネ。
わくわくオーラが出ないうちに終わらせる。やり過ぎて自分でハードルを上げると、がっかりパパの刑に処されてしまう。
出してもらったバスタブに、やや温めのお湯を満たす。子供は熱がるしな。
「レティネ、お風呂だよー。おいでー」
「はーい」
あっという間にすっぽんぽんだ。
素直な幼女で嬉しい。ジト目で『はぁ? へんたい?』みたいな顔をされることもない。
脱いだものはきちんとベッドの上に畳んであるし。この子はエラいな。
レティネを流し場に立たせてお湯を掛ける。手から直接だ。
色白で白金の髪。妖精みたいだ。本物見たことないけど実際にいるのかな。
「ちゃんと洗ってね」
「うんっ」
お湯を浴びながら両手でちゃぱちゃぱと身体をこする。
「よーし、入ってよし」
なんとこの世界にも石鹸があった。缶詰みたいな円柱形でちょっとゴツい。香草の香りがする。レティネのやり方だと、バスタブに浸かったまま手で泡立てて身体をこするらしい。温かい石鹸水に身体ごと入って香りを移すのかな。泡立ちはそれほどよくない。
俺は手に石鹸をつけて、レティネの背中を洗い、髪も洗う。思ったほど髪の毛がキシキシしないな。シャンプー代わりにもなるのかな。
レティネは、はしゃぎたいのを我慢しているのか、ときどきピョンピョンと跳びはねそうになっている。なにこの子可愛い。
「はい、おしまい。下着はちゃんとキレイなのをねー」
「はーい」
バスタオル代わりの布でレティネを乾かす。
髪の毛は念入りに。ヘアドライヤーがないのを忘れてたよ。手から温風とか出せる気もするけど実験してからじゃないと不安だ。
世話してもらえるのが嬉しいらしく、レティネはこの上ない笑顔だ。
レティネに寝間着を着せてから俺も流し場で身体を洗う。
石鹸を使ってセルフシャワーだ。
レティネのバスタブは小さいので俺が入ると膝がはみ出す。お湯も溢れてしまう。代わりに洗濯物を浸けておく。
鏡がないから自分で見える範囲でだけど、身体に傷はまったく残っていない。あれほどメチャメチャにされたのにな。
それどころか、肘にあったはずの傷跡や、脇腹の手術痕まで見当たらない。過去の事故のときのものだ。古傷まで消えているとは。〈加護〉さん、治し過ぎ。
幼女のパンツを手洗いする男子高校生。全裸で。
しかし恥ずべきところはない。これは必然だし。家事だし。褒められてもいいくらいだし。そういう事案じゃないし。
すすいで軽く絞り、キツく絞った布に挟んでさらに水気を取る。全裸で。
風呂場に紐を張って洗ったものを干していく。全裸で。
ずっとレティネがガン見している気がする。
自分の下着も洗濯したかったが替えがないので今は仕方ない。
服を着てから食事の準備。
レティネが出した食器に食材を刻んで並べるだけだ。
やっぱり加熱調理ができるようにしたい。これだと食事のレパートリーが少ない。なまじ食材があるだけにもったいない。
日が沈み切ってはいないがレティネが眠そうなので、歯磨きとトイレを済ませてベッドへ。俺に抱き付いてないと寝てくれないが、寝入ってしまうと離れても目が覚めないみたいだ。
さて、俺はこの部屋を作り始めてからずっと〈威圧〉を使っていた。
でなければ暢気に風呂なんて入っていられない。
ジョーロの様子を見ながら、飛竜が怯えないくらいの強度を維持していた。
ここはもう昨日までの不毛の地ではない。
深い森の中だ。他の生き物がいて当たり前の場所だ。不毛の地には虫一匹いなかったがここは違う。
ジョーロが飛蜥蜴なのか飛竜なのか知らないが、それなりに強力な生物なのは間違いない。ヘタレだとしても。
飛竜が傍にいて、さらに俺が〈威圧〉を使っていれば、普通の獣が襲ってくることはまずないだろう。
恐ろしいのは、それでも怯まない強者だ。
今夜は俺たち、いや俺にとって、森デビューの夜になる。
〈威圧〉を加減しながらジョーロのところに向かう。
深い森から暮色が消え、闇に包まれていく。
もう夜が来ていた。
そこで俺は、クマさんに出会った。




