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夏の日の

作者: 佐倉くも

茜立つ雲がたなびく夕暮れ。逢魔が時というには少し早いが、縁側に出てロウソクを灯す。一時期凝って集めたアロマキャンドルだが、ロウソクには違いない。立派に迎え火の代わりになる…はずだ。


8月13日、盆の入り。


去年の秋口に祖母を亡くし、今年は初めて一人で迎える盆である。

ジリジリと油蟬が鳴いている。木蓮か、それとも梅か桜か。庭の木を目で追って探してみたが、途中で飽きて、バタリと仰向けに寝転んだ。外へ投げ出したつま先から、体の上を夕暮れの風が過ぎていく。昼間の暑さを詫びるように、涼しくて気持ちいい。昼間に焼けた肌が、やっと少し休まる。


チリん…と、風鈴が鳴った。



「だらしないな」


不意にした声に、ぐるりと顔を向けると、開け放した障子の脇に男が一人立っていた。履き慣らしたジーンズに、白の開襟シャツ。綻んだ口元に、面影の残る片えくぼ。

「…ヤッちゃん?」

「おう。久しぶりだな、千尋」

「一人?」

「ああ。ばあさんがいたらお前、早速ドヤされてるぞ」

「コラ千尋!みっともない、シャッキリしなさい!って?」

「そうそう、そっくり」

一年ぶりにやって来たヤッちゃん ー 従兄の康尋は、そう言ってクツクツと笑った。

「だって気持ちいいのよ、ここで寝るの。突っ立ってないで、ヤッちゃんも来れば?あ、待って待って、こっち来る前に台所行って!冷蔵庫、スイカ切ってあるから」

「お前…相変わらず人使い荒いな」

「昔から言うじゃない。立ってる者は親でも使え」

怠惰な私に呆れ顔をしながらも、康尋は、冷蔵庫からスイカと麦茶を出してきてくれた。塩も忘れずに持ってきてくれたところが心憎い。私も祖母も、スイカといえば塩派である。

起き上がろうと身をよじると、日焼けの腕が床に擦れ、ヒリヒリと痛んだ。

「相変わらず真っ黒だな」

「しょうがないじゃない。汗水垂らして働いてんだもの」

というのは半分本当、半分嘘だ。高校を出てすぐ、私は島内のホテルに就職した。フロントから清掃まで自分でこなす小さなホテルだ。仕事はほぼ内勤だが、場所が、ウチからは島のぐるりと反対側に当たるので自転車で四十分。日焼けは、日々の通勤焼けの上に、本日昼間の庭の草むしりの成果である。

「まったく、いつまでもガキくさいな、お前は」

「うるさいよ」

私は半月型に切ったスイカを皿から取って、ヤケ食いとばかりにど真ん中にガブりとかぶりついた。ダラダラと腕を伝う甘い汁を、舌で舐め取る。

「あーあー、言ったそばから…千尋、お前、いい年してもっとマシな食べ方しろよ」

「うるさいなぁ。ヤッちゃんがスプーン持って来てくれないからでしょ?」

「持って来たって使わないくせに」

「だって噛り付いた方が美味しいじゃない」

「それは一理あるけどさ」

人を呆れ顔で笑ったくせに、結局康尋も、同じようにど真ん中へかぶりついた。垂れた汁が、白のシャツに薄赤く染みるが、気にしない。

「うまい…」

「でしょ。しっかり選んだもの。昔もさぁ、よくここでスイカ食べたよねぇ」

「ああ、庭に種飛ばして、ばあさんに叱られた」

「そうそう。けどその後おばあちゃんも飛ばしたら、結局おばあちゃんが一番上手だったよね」

庭へ種をフツフツ飛ばしながら、私たちは、その、たくさんの夏が凝縮された果実を貪った。三切れに切ったスイカの、皿に残った一切れは、祖母の分と思っていたものだ。

「仏壇にでも上げとくか?」

「いいよ、どうせ来ないんでしょ。ヤッちゃん食べなよ。その方がよっぽど供養だわ」

「じゃあ半分こしようぜ。切ってくる」

康尋が甲斐甲斐しく台所へ向かうと、見計らったようなタイミングで玄関のチャイムが鳴った。

「千尋ー、居るかー?」

男の人にしては少し高い声は、健ちゃん ー 高坂健二だ。

「居るよー、縁側に回って!」

こちらも大声で応じると、ザリザリという足音とともにサンダル履きの健二が顔を出した。両手にスーパーのビニール袋を下げている。ひょろりと上背の高い健二は、並んで立っても見上げる格好になるが、こちらが座っていれば尚更だ。

「どうもお邪魔サマです。あれ?誰か来てる?」

縁側には、麦茶のグラスが二つ置いてある。

「…ヤッちゃん。お盆だからね」

そう答えると、健二はいささか怪訝そうに眉を寄せたが、ロウソクの炎が揺れるのを見て、何かしら納得したようだった。

「いつもこの時期に来てたもんな、アイツ」

「うん」

「ばあちゃんは?初盆だろ?」

「おばあちゃんは、どうだろうねぇ…『アタシゃ死んだらサッサと生まれ変わるからね』っていつも言ってたから。それより、どうしたの?用事?」

「ああ、これ。母さんが」

健二が差し出した袋には、トマトやらナスやらキュウリやら、不揃いだがツヤツヤとした夏野菜がたんまりと入っていた。健二のお母さんの、家庭菜園の成果だ。

「わぁ、ありがとう。あ、シシトウもあるんだ、ラッキー。お母さんにお礼言っといてね、いつも助かる」

「伝えとく。な、千尋、今日これから暇なら飯でも行かないか?拓哉のオバサンの店。盆だから拓哉、帰って来てんだ。里菜と保恵も来るってさ」

私と健二と拓哉。それから、里菜と保恵。私たちは、この島でたった五人きりの同級生だ。高校を卒業してから、私と健二を除く三人は島を出てしまったので、五人が揃うことは滅多になくなってしまった。一番最近顔を合わせたのは、祖母のお葬式だ。

「会いたいけど…今日はやめとくかな。初盆だからね、一応。家、空けるのはちょっと」

「そっか…そうだよな」

「ん、ごめん」

「いいんだ。こっちこそゴメン。じゃあ…またな」

「うん。みんなによろしく言っといてね」

「わかった。あ、それと…千尋、」

「ん?」

「その…この前の話。俺、急がないし。ゆっくり考えてくれればいいから」

「…うん。ごめんね、ありがとう」

「謝るなよな。…じゃ、また」

「うん、また。ばいばい」


健二がいなくなると、どうしてか急に辺りが薄暗くなった気がした。ロウソクの灯りだけでは、そろそろ心許ない時間だ。台所にいた康尋は、健二の足音が遠く聞こえなくなってから、縁側に戻ってきた。

「今の、健二だよな?デカくなったな、アイツ」

「見てたんなら、会ってあげればいいのに」

「面倒だろ、いろいろと説明が」

「確かに」

康尋からスイカの半分を受け取ったが、なんだか食べる気が失せてしまい、結局仏壇に上げた。もし祖母にバレようものなら、「残りもん上げるなんて、この罰当たりが」と叱られるところだ。


仏壇の上では、遺影の祖母がしかつめらしい顔でこちらを睨んでいる。とかく写真が嫌いな人で、枚数も少ない上にどれを見ても同じ顔をしているものだから、遺影を選ぶのは本当に苦労した。

「小さい頃から、鳥になるのが夢だったよ」

亡くなる前、病床で祖母はよく昔語りをした。鳥になって自由に飛びたかった。そんな祖母の最初の結婚は、まだ十六の頃で、相手は顔もろくに知らない農家の長男だった。優しい男だったというが、子どもが出来ずに離縁され、そんなことがもう2度続き、塞いでいた時に出会ったのが祖父だった。

「おじいちゃんは随分と早くに死んじまったけどね、でも子どもたちを授けてくれたから」

そう話す祖母の目は、優しかった。祖母の隣に掛けてある祖父の遺影は若く、事実祖父は、四十手前で亡くなっている。女手一つで5人の子どもを育て、更には鳥のようにピューっと飛び去った不肖の末娘の子の私まで面倒をみてくれたのだから、正に見上げた人生である。

祖母が祖父と結婚したのが二十六歳の

時。私ももうすぐ、その年だ。


「あ、」

縁側で、私の横へ腰を下ろした康尋が、また呆れたように顔をしかめた。

「なに?」

「皮。めくれてるぞ」

康尋に言われ目をやると、左の二の腕の皮が白く乾いてめくれていた。チョイチョイと指先で突き摘むと、ペリペリと剥がれる。

「こら、剥いちゃまずいんじゃないのか?」

「んー、でもなんか楽しいじゃん、剥がすの。」

「…女の子って、もっと美容とか気にするもんなんじゃねぇの?」

「うるさいなぁ、生意気だよヤッちゃん。昔は一緒に遊んだじゃん。剥がした後の形がさぁ、島の地図みたいとか言って。ホクロのところがお宝の印とか言ってさ」

子どもの頃、本土に住んでいた康尋は、毎年夏休みになるとこの家に泊まりで遊びに来ていた。他に八人いる従兄弟たちと比べ年の近い康尋は、私にとっては祖母の次に近しい家族だった。


夕暮れの風が再び吹いて、チリん、とまた風鈴が鳴った。


島の人たちは、みんな優しい。伯父伯母たちも、こんな厄介者の妹の娘を、よく気にかけてくれている。それは、わかっている。わかっていても、いつも、一人ぼっちで迎える夕暮れは寄る辺ない。

「千尋?」

急に押し黙った私を見つめる康尋の笑顔は、とても気遣わしくて優しい。だから、私もどうにか微笑み返す。

「外、暗くなっちゃったな」

「うん。部屋、入ろっか」

きっと、もう、祖母は来ない。その落胆を掻き消すように立ち上がると、電気を点け、ロウソクの火を消した。


******


翌朝、再び大合唱を始めた油蟬の声に目を覚ました。どうやら康尋と話している途中で寝落ちしたらしい。居間でちゃぶ台に突っ伏し、肩には自分では出した覚えのないケットが掛かっていた。

「ヤッちゃん?」

声に出して呼びかけてみたが、家の中はシンとして独りだ。

「帰っちゃったの?」

答える声も気配も、どこにもない。ため息を一つつくと、私は仏壇の前に座り、いつもより少し強めにリンを叩いた。二回、三回、いつもより多く叩く。しかつめらしい写真の祖母が「行儀が悪い」と怒っている気がしたが、初盆というのに帰ってきてくれない方がどうかしているのだ、と、心の中で祖母を責めた。

仏壇の中には、遺影ではない、小さな写真を一枚置いている。祖母とは対照的に、自慢のロードレーサーに跨り満面の笑みをカメラに向ける少年。片えくぼの笑顔は、16歳の康尋だ。十二年前の八月。本土から島へ、自転車で向かっていた康尋は、カーブで後ろから来たトラックに巻き込まれて亡くなった。

「ヤッちゃんは、十二年も欠かさず来てくれてるのにね」

独りごちると、自分で言った言葉が胸に突き刺さった。


十二年。律儀にも、一年一年、年を重ねた姿で帰ってくる康尋。祖母が帰ってこなかったのが、生前の宣言通り“サッサと生まれ変わった”からなのだとしたら、なぜ康尋はそうしないのか。


「ごめんね、ヤッちゃん」


従兄の康尋が、伯父伯母にとっては養子で、本当は私の兄であることを、私は康尋の葬式で聞かされた。



「ごめんね…心配かけて」



健二にプロポーズされたのは、半月前のことだ。嬉しかった。とても。だけど、すぐに「うん」と言えなかった。怖かったのだ、私は。


そんな不甲斐ない自分を、祖母に叱って欲しかった。シャッキリしなさいと言って欲しかった。

そしてヤッちゃんには、もう心配しなくていいよって言いたかった。言いたかったのに。




写真の康尋があんまり楽しげに笑うから、私は、込み上げた涙を堪えることが出来なかった。




チリん…と、風鈴が鳴った。


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