3匹の御老体
昔々ある島に、のんびりと暮らす一人の鬼がいました。
掃除、洗濯、農作物の手入れ、規則正しく一日を過ごし、夜には星空を眺め、眠る。
気ままな生活を、気が遠くなるほど長い年月繰返していました。
ある時、この長い悠久の時をあとどのくらいこうして過ごすのだろうか、と鬼はふと考えました。他の鬼との交流などはありません。きっと、たった一人で死を迎えて朽ちていき、この自然に溶けて交わるのだろうと、漠然と理解したのでした。
そんなある日、他に誰も居なかったこの小さな島に誰かがやってきました。
侵入者です。
彼らは言いました。
お前は鬼か――と。
☆
「ねぇ、その杖っていうか枝、使いやすいの?」
「使いやすいねぇ。一度使ったら手放せないよ」
「軟弱な奴」
「肩に乗ってじっとしてる雉にだけは言われたくないね」
「言えてるかも」
「中途半端な二足歩行の猿とは違って腰痛なんて無いからな」
「僕も腰痛とかはないなぁ」
「煩いな、犬はどっちの味方なのさっ!」
「お前ら、いい加減にしないと鍋にして食らっちまうぞ」
「やだな、こんなご老体たち食べたって美味しくないよ」
山間にある小さな村で。
犬と猿と雉とを連れた旅人と思しき男が、まだ灯りがついている一軒の扉を叩いた。刀も差さず、風呂敷に包んだ少ない荷物を肩から斜めに掛けて、目深に笠を被っている。
扉を開けて中から姿を見せた男は、やってきた背の高い来訪者を胡散臭そうに上から下まで眺めて言った。
「男が一人に、犬と猿と雉か。何の用だ」
「夜分に申し訳ない。一夜を過ごす宿を提供しては貰えぬだろうかと思い、扉を叩きました」
「……裏にある納屋でいいか?」
もちろん、と答えて案内された納屋は使っていないのか伽藍としていた。光が入らないから扉を閉めてしまうと真っ暗だ。
仕方が無いから扉を開けて月明かりを入れることにする。
よっこらせと硬い地面に腰を下ろすと、お腹がすいたと犬が言ったため、おもむろに荷物から葉に包まれた団子を出した。
「これ、食うか?」
「黍団子がいい」
「贅沢を言うな。金が無い」
「僕の毛並みが最近悪くなってるのは、この餌のせいなんじゃないかって思うんだけど……」
「食わなくてもいいぞ」
「……わかったよ」
文句を言いながらも犬は一つ口に入れた。俺も、と猿も手を出す。お前たち、歩きながら木の実を拾って摘んでなかったかと男は思ったが、何も言わないことにする。
旅の合間に銭を稼いでいたものの、持っていた資金は底をつきそうだった。
一度家に戻ったほうがいいかもなと、男は考える。結局ぐるりと本州を巡って、家は目と鼻の先、というところまで戻ってきてしまった。
探し続けているのに、未だに見つからない。三年前、村中を荒らして出て行ったきり、消息が掴めないのだ。
隠れやすそうな山の中を重点的に探して歩いてきたが、どこか見落としがあるとしたら、もうこの近くにある山しかなかった。
ここに居なけりゃもう分からんなぁと一人呟いて、疲れた体を伸ばそうとしたところで、未だ肩に乗ったままの雉に気づいた。ご老体を労われなどと訳の分からないことを言いながら、日がな一日乗っかっていたから気がつかなかったのだ。このところ餌をとる時以外は毎日ずっと肩に乗っているから、そのうち飛べなくなるのではと思う。
「お前もそろそろ肩から降りろ」
「実は暗くてご老体の目には何も見えないんだな」
「それさ、ご老体関係ないよ」
ご老体ではない、ただの鳥目だ。
冷静に犬が言葉を返せば、
「やーい、雉さんこっちら! 手の鳴る方へ」
手を叩いて猿が遊ぶ。
「遊ぶな」
「遊んでるわけじゃないよ。こうして僕らの連帯感って言うのが生まれてくるんだと思ってる」
「絶対違う」
犬の言葉に雉が呟いた。
男は一つ息を吐いて、雉を下ろしてやる。よたよたと地面をニ、三歩動いて、その場で蹲った。
「明日、この近くの山の中を散策しに行くぞ」
それで駄目だったら一旦家に戻ろうと思いながら。
「見つかるかな」
「見つけるさ、必ず」
それ以上は言わず、笠を外してごろりと横になった。
虫たちの声が賑やかな山の入り口に一人の童子がいた。齢は十くらいだろうか。大きな籠を抱えて、調度良い切り株に腰掛けている。山菜でも取りに来たような姿なのだが中身は空だ。
視線は虚空を見つめ、休んでいるのか、何かを待っているのか。
朝の日差しは生い茂った木々で遮られて、幾本もの光の筋となって差し込んでいる。この季節は日が出ていなくとも暑いのだが、これから更に気温が上がるはずだ。
じっとりと汗が流れるのも気にせず、童子は暫くじっとしていたが、人通りの少ないこの場所に近づく声が聞こえてきて、視線を向けた。
「ねぇ、いい感じの枝があったら教えて。昨日の失くしちゃった」
「え、また腰痛?」
「またとかじゃない。慢性的に痛いから」
「それもどうなのさ」
「軟弱な猿はこれだから」
「だっから、ずっと人の肩借りてる奴に言われたくない」
「わぁかったから、お前ら喧嘩すんな」
男が一人、犬、猿、雉を連れて歩いていた。あの男が曲芸師で一人四役をやっていたのではないとすれば、あの獣たちが話していたのだろうか。
腰をさすりながら歩く猿と、男の肩に乗る雉と、ちょこまかと動き回る犬。
「さぁて、この辺りから入ってくかな」
そのまま目の前を通り過ぎて、童子からさほど離れていない山の入り口に立って男が言った。
「いるといいなぁ」
「そろそろ家に帰りたいよね」
「婆さんのつくる本物の黍団子が恋しいな」
「どの道ここに居なかったらもう南の方へ向かうしかない。一度家に帰るぞ」
「よし、気張っていこ……あたたた」
腕を振り上げた拍子に猿が腰を痛めたらしい。
「無理して前足なんて振り上げるから……」
「前足じゃない! 腕だよ、腕!」
「犬猿の仲って言葉はお前たちの為の言葉だな。雉と猿だが」
言葉と動作から、やっぱり獣たちが自ら話をしているのだと童子は結論づけた。そしてふと、ある噂を思い出した。
人の言葉を操る犬、猿、雉と共に旅をしている桃太郎という存在がいる、と。その御仁は人とは思えない怪力を持ち、そこらの男では扱うことが出来ない太刀を振るって鬼を倒したと聞いている。
この男がそうなのだろうか。
背中に太刀は見当たらないし、怪力なのかどうかも分からない。が、喋る犬たちを連れているじゃないか。それに話に出てきた黍団子。確か噂の中で桃太郎は、黍団子でお供の獣たちに餌付けをしたのではなかったか?
ひょっとして……この山に鬼がいて、それを倒しに来たのだろうか。
生まれてからずっとこの近くで生活しているが、そんな話は聞いたことがない。
でも、ひょっとして……。
童子にある考えが浮かんだ。
ちょっと後ろから着いていってみよう。そうすれば、彼らの目的が分かるかもしれない。
持ってきた籠はその場において、童子は気づかれないように後を追うことにした。
「ねぇ、僕たち付けられてるよね」
「うん。さっきの子だね」
「ほっとけ。そのうち疲れて帰るだろう」
道とは呼べない場所に無理矢理道を作りながら進む一人と三匹と、その後ろから懸命に着いて来る童子。途中で休憩をしたが、もう既に日は頭上にあってかなりの距離を歩いている。
男の言葉に犬は少し考えたあと、言った。
「僕ちょっと声かけてくるね!」
「あぁ……は? おい!」
男が制止する間も無く、嬉しそうに尻尾を立てて走っていく犬。
「あーあ」
「構ってくれそうな相手には、すぐ声かけたがるからな」
諦めた声を出した猿と雉。
そんな言葉には耳を貸さず、駆け寄ると汗だくで息を荒くしている童子に犬は声をかけた。
「ねぇねぇ、僕たちに何か用?」
「え、えっとぉ……」
気づかれていないと思っていた童子は、突然向かってきた犬に話しかけられて驚いた。先ほどから見てはいるが、実際に声をかけられるとやっぱり不思議な感じがする。自分の犬もこんな風に喋ることができればいいのに、と家に置いてきた愛犬のことをつい思い出してしまった。
「話ができる獣って初めて見たから、それで……噂に聞いた桃太郎かなって思って」
犬は、ふーんと納得して振り返って言った。
「ねぇ、僕たち噂になってるってよ!」
「え! そうなのぉ?」
「どんな?」
何故か喜ぶ猿と興味なさそうにしつつも気になる雉。それに面倒なことになったと額を片手で押さえた男だったが、無視して進むわけにもいかない。
結局、こっちに来いと声をかけてしまった。
犬について男の傍まで近づいた童子は、男の背の高さに驚いた。自分の両親よりもかなり大きい。
何か用かと聞いた男に、意を決して言った。
「あの。噂に聞く桃太郎って、お兄さんのことですか?」
男は少し迷ってから、いや、と否定しようとした。自分は唯の曲芸師で、犬が喋っているわけではないと適当なことを言おうと思ったのだ。
その、刹那。
狙ったかの様な突然の突風に、被っていた笠を吹き飛ばされた。
「っひ……」
「あーあ」
「だから紐直した方がいいよって言ったのに」
「まぁ騙しとくのも可哀想だし、いいんじゃない?」
口々に言うご老体たち。
だが童子には、そんな気楽な声は届かなかった。
男の頭に視線を釘付けにして、後ずさる。黒い短い髪の合間から並んで見える小さな角が、その正体を表していた。
「お、に……鬼が……」
「落ち着け。別に取って食ったりしな……」
一歩近づこうとした鬼を見て、一目散に逃げる童子。行き先なんて分からなかった。
彼を動かしたのは、恐怖。
おいらなんて食っても、おいしくない!
おいらなんて食っても、おいしくない!
おいらなんて食っても、おいしくない!
食われるに違いないという思い込みから、疲れていたことも忘れて無茶苦茶に走った。
勿論その後を鬼は追いかける。が思うように進めない。身体の小ささを活かした逃げ道が、鬼にとって前進しにくい道となっていた。
「お前、ちょっと止まれ!」
声をかけながら、鬼は必死に追いかけた。犬と同じくらい発達した耳には先ほどから水の流れる音が聞こえていて、更にどんどん近づいている。
童子は知らないのか、逃げることに必死で気づいていないのか、どちらかは分からなかったが、そんなことはどうでも良い。
「くそっ。俺は阿呆か!」
悪態づくと、そのまま高く跳んだ。
そもそも地面を一生懸命走る必要なんてどこにも無かったのだ。鬼の跳躍力は人のそれを大きく上回る。逃げる童子を捉えるなど、朝飯前だったということに漸く思い至った。太い枝を右足で捉えて更に跳ぶ。木の上を通っても、葉の間から見え隠れする童子の服で居場所はわかる。
通せんぼするように着地すると、踵を返そうとしたその背中を摘んだ。
「放せ!」
「却下だな」
「いやだ! おいらなんて食ったって美味しくないぞ!」
「俺は美食家なもんでな、お前みたいな痩せた餓鬼は食いたいとも思わんから安心しろ」
「……ぇ」
そのまま向かっていたほうへ数歩進んで、眼下の様子を見せる。大きな川の音が谷間に響いていることに、童子も漸く気がついたらしい。ごくりと唾を飲み込んで、恐怖に目を大きくしている。
「あと少しで川に突っ込むところだったんだぞ? しかも、なんだよ谷じゃねぇか。逃げるのはいいが、ちゃんと周り考えてから動け」
「……ごめんなさい」
分かれば宜しいと頷き、漸く童子を地面におろした。――おろそうとして、童子が腕に巻いている布に気づいた。
「お前、これはどうした?」
ぼろ布のようだが、薄い紫だったと思われる布に桃の花が描かれていた。
「……前にこの山で怪我をして動けなくなったときに助けてくれた人が、傷口に巻いてくれたんだ。着物の布を裂いてやってくれて……」
「なるほど」
「お礼が言いたかったけど、気がついたらこの山の入り口で寝かせられてて言えなくて……」
「それで、あそこでずっと待ってたのか」
「うん」
「お前、名は?」
「蘭丸」
「蘭丸、一緒にくるか?」
その言葉に頬を綻ばせて力強くこくんと頷いて、蘭丸は聞いた。
「お兄さん、鬼なの?」
「あぁ、鬼だ。生まれてからずっとな」
「鬼が桃太郎の真似して鬼退治?」
「鬼退治……いや、これは壮大な捕獲作戦だ」
「ほかく……」
あぁ、鬼なんかよりよっぽど厄介な相手のな、と言って鬼は片目を瞑った。良く見ると緑色をしている瞳は、笑っていた。
後から追いかけてきた三匹と合流して蘭丸を連れたまま、更に一行は奥へと進んだ。川の上流に向かおうという男の案だ。流石に蘭丸に疲れが見られたため、男は肩車をしてやり、雉は犬の頭の上に移動した。
「僕の頭に落し物、しないでね?」
「しないわ!」
「いくら腰痛が見られないって言ってもさ、ご老体には変わらないんだしねぇ。うっかりとかさ」
「あぁ確かに、うっかり猿の頭に落すかもな」
「げぇ! 絶対近寄らせないぞ」
「お前ら、うるせぇ。少しは黙ってられんのか?」
放っておくといつまでも喧嘩をしていそうで、男は制止をいれる。それを見て笑っていた蘭丸は、言った。
「仲良しだね」
「んあ? あー、喧嘩するほどなんとやら、か? 煩いだけだけどな」
「酷いなぁ、僕たちが居ないと寂しいくせにぃ」
「あー寂しい寂しい。とっても寂しい」
「棒読みすぎて腹立つ」
「まだ暫く歩くからな。喋り続けて疲れたってのは聞かねぇぞ」
男の言葉に雉が小さく頷いて言った。
「問題ないな」
「お前、犬の頭の上じゃんか!」
それから少し歩いたとき。
倒れた木を跨ごうと、よっこらせと足を上げて下ろそうとしたところで足元で光るものに気がついた。
おや、と思って笑って丁寧に観察してみる。
間違いない。見慣れた仕掛けだった。三年ぶりに見つけたその存在証明は朽ちてはおらずむしろ新しい。
「何? 何かあった?」
「あぁ、あいつの仕掛けだ」
枝と枝の間に引かれた糸を踏むと端に付けられた鈴が鳴る。それで、何かがやってきたことがわかるようになっている仕掛けだ。主に食料となる獣を捕獲するために使っていた。
それを、鬼は思い切り踏んだ。
凛とした音が響く。
遠くで鳥が一斉に飛び立った。がさがさと風もないのに木々が揺れ、何かが近づいてくる。
「何用だ?」
上から聞こえた声に見上げると、ずっと追い求めていた女がいた。
最後に会ったときから随分と髪が伸びている。どうせまた、切るのが面倒で伸びるに任せていたに違いない。
「やっと会えたか。遅くなってすまない、桃太郎」
そう、彼女が桃太郎。桃から生まれ、男子のように強く逞しくなるようにとの願いから男の名前をつけられた女だ。背中に身の丈よりも長い太刀を背負って、木の上から見下ろしている。その視線は冷たい。
「はて、誰だったかな。お前のような阿呆面なぞ、とんと覚えがないわ」
標準的な女の背丈で鬼から見ると小柄だが、態度はでかい。
「じゃあ、嫌でも思い出してもらわんとな」
臨戦状態の彼女に何を言っても意味がないことは、分かっていた。だから、先手必勝とばかりに跳躍して距離を詰めた。が、彼女は人とは思えぬ跳躍力を発揮して当然のように他の枝に飛び移る。更に着地の際に軋んだ枝をばねとして、今度は殴りかかってきた。
それを避けた勢いを使って手刀を繰り出したが、届かない。
「ぅぐっ……」
ついでのように、顔を踏まれて落下する。互いに体勢を整えて向き合った。
「おっまえ、俺の顔が歪んだらどうすんだ」
「どうせ阿呆面。少し曲がっている程度のほうが、良く見えるのではないか?」
「潰す!」
「こちらの台詞だ」
互いに構えてにらみ合う。鬼は桃太郎を見つめたまま、後ろに控えている三匹に声をかけた。
「お前達、援護を頼む!」
「いやぁ、僕たち」
「もうご老体だから」
「ここでゆっくり観戦してるわ」
「お、おまえらぁ……」
緊張感の欠片もない、茶でも啜りそうなほどのんびりとした声が返ってきた。
事実、三匹は危なくない場所まで避難して、呑気にどちらが勝つかで黍団子を賭けていたのだ。傍で一緒に見ている蘭丸が一人おろおろしながら、聞いた。
「ねぇ、これって止めなくていいの?」
「いいのいいの。いつものことだから」
「いつも?」
「見てりゃ分かるって」
蘭丸とご老体たちの声を後ろに聞きながら、男は彼女の動きを注視する。まだ背中の太刀は抜かれていない。ということは、少しは話を聞いてもらえるかも知れない。
自分が悪かったと謝って、それで……。
と、そこで争いの原因を思い出せないことに気がついた。
何故自分たちは喧嘩を始めたのだったか?
「なぁ、俺たちの喧嘩の原因って、覚えてるか?」
始めから穏やかとは言えなかった彼女の表情が一気に険しくなり、言葉の代わりに拳が返ってくる。普通の女の小さなは拳とは訳が違う。単身鬼退治に向かってしまえるほどの速さと威力を備えた拳だ。
当たったらこの姿では鬼と言えどもただではすまない。
顔面めがけてやってきたそれをしゃがんで回避、左の拳を鳩尾に向けて繰り出した。吹き飛んだ桃太郎を追いかけて右の回し蹴りを出したが、防がれる。
「容赦の、欠片もないな」
「顔を踏まれたお返し……っ!」
きらりと光った鋭い眼光に危険を感じて本能的に、後退。それを追って背中の太刀を抜いて切りかかってきたが、左上からの刃を左手で弾いた。
「鬼の手か、久しぶりに見るな」
「俺自身、久々だ」
いつもは人の姿でいるために妖力を最小限に抑えているが、そんな手加減した状態では自分がやられてしまう。だから、その一部を解放して手と腕を本来の姿に戻した。爪は鋭く、指は長く、皮膚全体が硬くなり薄く甲殻ができたような手だ。
「俺、あんまりこの姿好きじゃないんだがなぁ」
ごつごつしてるし力加減が分からなくなるし、と独り言をわざとゆっくり呟いてから、動いた。
「っ!」
一気に間合いを詰めて、左手で太刀を弾き内臓を抉り出すつもりで右鉤突きを繰り出す。右足を引いて半身で交わされ、そのままやってきた太刀での突き。体制を戻す余裕はない。
跳躍。
後退して着地と同時に地面を蹴り再び間合いを詰める。右上から振り下ろした爪を太刀で受け止めた桃太郎だったが、力比べで段々と土にのめり込んでいく。
その太刀を鬼は両手で掴むと桃太郎から取り上げてしまった。
「なっ!」
それを後ろに放り投げると、すかさず逃げようとした桃太郎の腕を掴み抱き寄せた。一瞬のうちに鬼の手は普通の人の手に戻っている。
「桃太郎捕縛作戦、成功なり!」
「……なんだ、それは」
「やられるかと思って冷や冷やしたぜ」
「よく言う。手加減していたくせに」
面白くなさそうに言う桃太郎に当たり前だろうと笑って言った。
「……で、俺の名前は?」
「……桃祢」
「漸く思い出したか」
忘れているなんて思ってはいなかった。本当に忘れていたら、この場で絶縁だ。
大嫌いな名前だった『刀祢』という名前。何故刀などという人を殺める道具が入っているのか、気に入らなかった。
「そうか? 刀、格好いいではないか。確かに人を殺めるかも知れないが、同時に誰かを守ることも出来る」
「嫌なものは嫌なんだ」
自分自身が人を殺める存在であるから、余計に思っていた。
それを聞いた桃太郎はそうか、と少し考えたあといったのだ。
「それなら、改名すればいい」
「は?」
「私の桃という字を使えば、桃祢だ」
どうだ? と笑う顔が眩しくて、思わず視線を逸らして「悪くない」と返したのだ。
「ったく、もう会えないかと思ったぜ。もう少し自分の痕跡やら残してくれ」
「お前が悪い!」
「なにぃ?」
「私を三年も放っておいて今更探しに来るとは、一体どういうことだ!」
「一体どういうことって言いてぇのはこっちの方だ。俺がどんだけお前のこと探したと思ってんだ」
京の方へ向かったと聞いたときには、すぐに見つかるだろうと思っていた。
それなのに、いざ京へ着いてみるとそんな女の話は知らないという。それならばと来た道を少し戻って違う山を越えて北へ向かったが、どこにも居ない。
仕方なくしらみつぶしに探すしかなかった。田畑を荒らす害獣の討伐を請け負ったりして銭を稼ぎながらだったため、中々先へも進めずどんどん日が経ってしまったのだ。
まさか、姿を消した場所から人が夜通し歩けば着くような山に隠れているとは思わなかった。
「もしも万が一命を落としていたらと、不安だった」
「っ……悪かった」
腰を抱く鬼の腕に、力がこもった。存在を確かめるかのようなそれに、素直に謝った桃太郎だった。
この山に隠れ始めて一月ほどで喧嘩の内容など綺麗に忘れてしまい、気ままに桃祢がやってくるのを待っていた。それなのに、それから幾日待ってもやってこない。段々とそのことに苛立ってきて、終いには意地でも出てやるものかと思い始めていつの間にか季節が三度巡っていた。
それでもいつも思っていた。
今日こそは見つけにくるのではないか、と。
期待しては落胆し、もう忘れられてしまったのではないかと不安になり、帰ることも出来なかった。
「まぁ、お前を相手にしようとする男なんて、そうそういないとも思ってたけどなっ!」
「……お前、それはどういう意味だ?」
「いや、だから背中に太刀を背負った女に戦いを挑むような男……」
「どうせ私は戦闘相手としか見られないような女だよ」
「お前、どうしてそうなる……」
再び怒りの沸点が上昇した桃太郎を、宥めようとする鬼。
それを眺めているご老体は、やれやれとため息をついた。
「あー、また始まったよ」
「久しぶりだってのに会って喧嘩、また喧嘩」
「こりゃ、家帰る前にまた桃太郎がどっか行っちゃうね」
「ねぇ、あの二人って……」
一人状況が掴めない蘭丸が、三匹に声をかける。
「あー、なんというか……夫婦?」
「え……」
あんなに本気で戦っていた二人が……夫婦?
「信じらんないよな」
「鬼と人だし」
「しょっちゅう喧嘩してるしねぇ」
「桃太郎ってば、怒ると当たり散らして行方不明になるし」
「でも絶対桃祢は桃太郎を追いかけるんだよ」
「桃太郎もなんだかんだ待ってるしな」
微笑ましい想いで二人を眺める三匹。
その隣で蘭丸が納得いかない顔をしているが、それに気がついているのか、いないのか、三匹は続ける。
「さっきも桃祢が言ってたけどさ。二人とも喧嘩の理由とか綺麗さっぱり忘れてるんだよ」
「今回って結局何が原因だったっけ?」
「確か、桃太郎が桃祢の服を洗濯中に破いちゃって、さすが怪力とか言ったら、どうせ私は家事も出来ない役たたずだよって怒って、喧嘩から殴りあいに発展、終いには村を破壊して出て行った」
「女心が分かってないんだよね」
「だよなぁ」
「桃太郎って結構、家事できないの気にしてるしね」
「洗濯すれば服を破く、包丁持てばまな板を割る、掃除すれば物を壊す」
「家事が出来ないから、鬼退治で稼いで少しでも爺さんと婆さんに楽させてやろうとしたんだよな」
「結局失敗したけどね」
「でもほら、鬼だしさぁ。女心に疎いのは仕方ないんじゃない?」
「何が仕方ないって?」
いつの間にか喧嘩は収束していたらしい。桃祢と桃太郎がこちらを見ている。
「蘭丸、ちょっとこっち来い」
「え……」
手招きされ、蘭丸は素直に駆け寄った。
「お前に用があるんだとよ」
「私に?」
桃祢は彼女にそう言うと、「だろ?」と蘭丸に声をかけた。
きっと、腕に巻いている布を見たときに桃祢の探し人と自分の待ち人が同一人物だということに気づいたに違いない。だから、一緒に来るかと聞いて肩車までして連れてきてくれたのだ。
気のいい鬼の言葉に頷きはしたものの、いざ本人を目の前にすると緊張してしまう。
言いたかった言葉すらも出てこない。
記憶に残っているその人よりも、少し小柄なのは自分が成長したからだろうか。
随分前に、飼っていた犬を夢中で追いかけていてこの山に迷い込んだ。そのときは、帰り道も分からなくなった挙句に自分が怪我をしてしまって動けなくなったのだ。
暗くなりつつある山の中で不安と戦いながら犬を抱きかかえてじっとしていたところ、この桃太郎に助けられた。傷の手当てをして、一晩安全なところで休ませてくれた。翌朝起きるとその人は既に居なくて、自分は山の入り口に寝かせられていたのだ。
それから、ずっと探していた。
きっと山に住んでいるのだろうと思っていたから、それならば毎日通えば会えるはずだと待っていた。それが、恐らく一年前くらい。
諦めかけていたときに通りかかったのが、この鬼の一行。始めは鬼を桃太郎だと思っていたから、あの女の人が実は鬼で、ひょっとしたら退治されてしまうかも知れないとまで思った。何が出来るかはわからなかったが、じっとしていられなかったのだ。
それなのに、桃太郎だと思っていた男は鬼で、助けてくれた女の人が桃太郎だった。
この人に助けてもらったんだ。
大きく深呼吸をして、顔を上げ、力強くて優しい目を見つめる。
「あ、あの時は……ありがとうございました!」
一瞬目を見張った桃太郎は、すぐに思い至ったらしく、あの時の犬と一緒に居た子供か? と返した。
覚えてもらえていたことに嬉しくなって、何度も首を縦に振る。
「犬はまだ元気か?」
「はい!」
「そうか、良かった」
そう言って、桃太郎は蘭丸の頭を撫でた。
「お前に礼を言うためにずっと待ってたんだとよ」
「それは……悪いことをした。全てこの阿呆のせいだから」
「どうしてそうなる!」
「お前がもっと早く見つけにくれば良かったという話だろう!」
「無茶いうな!」
再び言い争いを始める二人。頭上で行われる言い合いに何となく疎外感を感じて、同時に悔しくなった。
「と、桃祢さん!」
「んぁ?」
「おいら、負けないから!」
そういうと、一人で来た道を戻りだした。男らしいなぁと口々に囃し立てながら、三匹がそれに続く。
言われた桃祢は、頭に疑問符を浮かべた。
「ん? なんだ?」
「私もまだまだ女としてやっていけるということかな」
「ただの怪力女なのにな!」
「こっんの!」
桃太郎は不意の拳を一発桃祢の顔面に食らわせると、先を行く蘭丸と共に歩き出した。
それを見なくても光景が分かる三匹は、口々に呟く。
「あーあ」
「ほんっと」
「分かってない」
二人と三匹が無事に揃って家までたどり着けるかどうかは……誰にも分からない。
☆
お前は鬼か、と問われた鬼は頷き、今度は侵入者に問いました。
お前は女か、と。
その言葉で僅かに悔しそうな顔をしたことから肯定と受け取った鬼は、更に続けます。
美しいな、お前のような娘に会うことができたなら、この果てしなく続く虚しい生に意味も出るというものだろう。
鬼は、侵入者の目的も、この島に来るに至った経緯も知りません。ただ思ったままを述べたのでした。
立ちすくみ、動くことができなくなった女を見かねて、まぁ茶でもどうだと言いました。
これが、二人の始まり。
見えない絆で結ばれた、二人の――。
あとがき……というか、言い訳。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
桃太郎の二次創作! 創造小説第三回目の投稿作品です。いやぁ、楽しかった!
始めに桃太郎伝説に関してチョロっと調べた時に、香川県(?)に桃太郎が女の子として伝わってるっていうのを知りまして……。よし、これで行こう! と。決して女体化して都合よく恋愛モノに収めた訳では……ゴニョゴニョ。
前回が良く分からない友情モノになってしまったので、今回はちゃんとした悲恋で! と思っていたらこんなわけの分からない夫婦喧嘩モノになりました。。。これ、始めの段階では鬼と化した桃太郎が鬼に殺されるって内容だったんですよ! 超シリアス!
間違っても生死を争う夫婦喧嘩になる予定ではなかったんです。
いやぁ、吃驚ですね。
そうそう、タイトルでも悩みまして。
桃鬼伝、桃太郎捕縛作戦と今のタイトルで、かなり迷いました。
結局、ギャグみたいなお話だよぉ!ということが伝わりそうで伝わらない「三匹のご老体」に。
兎に角、間に合って良かった。
これが、終わって後書きを書いている今の感想です。
小さな誤字脱字から、大きなご意見、感想まで、コメントいただけましたら飛んで喜びます。
そして「第三回創造小説」で検索をかけると、他のメンバーさんの素敵小説にたどりつきます! 素敵な作品たちに出会えるはずです。
同じテーマにしても作者によって内容が全く違うのが面白いところですよね! 私もお邪魔しにいきます!
ではでは、またお会いできることを祈って。
ありがとうございました。