父と愛人とクリームシチュー
短編に初挑戦してみました。宜しければ、読んでみて下さい。
「ただいまぁ」
「ただいまじゃないでしょ、お邪魔しますでしょ」
「あ、そうだったね。ごめんごめん。……うーん、今日もご機嫌斜めなの? 学校は行った?」
「行ったに決まってんじゃん! いちいちうるさい」
学校へ行ったは行った。保健室でだらだらしてただけだけど……というのは黙っておく。
「ごめんごめん。ご飯は?」
「カップラーメン、食べた」
「またそんな食事して。今からでも作るから、食べなよ」
「いらない。八時過ぎてから食べたら太るじゃん」
わたしは束の間の同居人に向かって、ぶっきらぼうに言葉を投げつける。
人かせっかくテレビ見て寛いでたのに、何でこんなに早く帰ってくるかな。ちょっとは気を遣ってよね、金曜の夜くらいお酒でも飲んで、朝まで遊んでから帰ってくりゃいいのに。
わたしは永原那由、高一。
この男は春木桜大、三十二歳。
元・父の愛人の、サラリーマン。
そう、愛人。
……いや、おかしいよね。
何で普通に結婚して子どもまで作っておいて、どうして男と恋愛してんのかな?
そりゃ、お母さんはわたしを産んだ時に死んだから、誰と恋愛しようがお父さんの勝手だけど。
でも男はないでしょ。桜大の存在を知った時、正直わたしはドン引きした。
てか、この人も。わざわざわたしに父との関係や自分の性癖をカミングアウトする必要があったのかな?
……とも思ったけど、まぁ、そんな理由でもなきゃ、身寄りのない女子高生引き取ろうなんて若い男の所になんて、わたしだって行かなかったけど。
――僕はゲイだから。君に手を出すことはないから大丈夫だよ。君のお父さんには色々と世話になって、何かあった時はよろしくねって、頼まれてたんだ。
そんなことを言ってきた、この男のところになんか。
❀
お父さん、享年四十三歳。
車に轢かれそうになった三歳児を助けて、かわりに轢かれて死んじゃった。
父の行動を立派な行いだと言う人はたくさんいた。けど、わたしは、見ず知らずの三歳児より我が娘のことを考えて欲しかった。
危ない!! って、咄嗟に子どもを庇ったらしい。そこはすごく、お父さんらしい行動だと思う。その行いは素晴らしく正しいし、誇らしさを感じないでもない。
でも、この世に一人取り残されたわたしはどうなるの? わたしはまだ高校一年生なんですけど。ずっと父一人子一人で仲良くやってきて、この先もずっとそういう時間が続くんだと思ってた。
もしわたしが結婚したら、旦那や子どもっていう新しい家族ができたかもしれない。そしてお父さんは『じぃじ』なんて呼ばれて、デレデレしたかもしれない。
そうして少しずつ少しずつ、家族が増えていったかもしれないのに……何で、わたしを置いてったの?
会社の人が仕切ってくれたお葬式の席で、わたしはひたすらにお父さんを恨みながら遺影を見上げていた。にこやかで、人好きのする優しい顔。別にかっこよかったわけじゃないけど、背が高くて頼もしくて、優しくて、大好きだったお父さん。
そんなお父さんが、ずっとわたしを裏切っていたなんて知らなかった。
知りたくなかった。色んな意味で。
葬式の日、目を真っ赤にしながら、儚げな微笑みを浮かべて、わたしの前に正座したのがこの男だった。
そんなに背は高くないけど、黒い細身のスーツと糊のきいた白いシャツには清潔感があった。
きちんと整えてある短い黒髪が、色白の細面によく似合って、涼やかな二重瞼の目元には泣きぼくろがあって、それが妙に色っぽい……そんなイケメン。
部下の人? 朝からお辞儀をしすぎてそろそろ疲れた。というか、こんな派手な葬式なんてして欲しくなかったのに。
わたし一人でも、お父さんを見送れたのに。
形だけのお悔やみなんかいらない。さっさと帰って。わたしたちを二人にしてよ——……
わたしは苛々しながら、そのイケメンを睨んでいた。でもこいつは、女子高生の生意気な態度に気を悪くするでもなく、礼儀正しくお辞儀して、こんなことを言ってきた。
身寄りがないって聞いてます。
よかったら僕と一緒に、暮らしませんか? って。
❀
一緒に暮らしませんか? って、あなたがうちに転がり込んで来ただけだよね。
わたしとお父さんの家は、3LDKの分譲マンション。お父さんが死んだから、団信とかいう保険のお陰でローンはチャラ。ここはわたしの家になった。
――女子高生の一人暮らしなんて、不用心過ぎるからね。
っておっしゃいますけど、三十路の男と一つ屋根の下にいる方が不用心では。
――僕はゲイだから大丈夫だよ?
てか本当に、お父さんと……? 疑う私に、桜大はスマートフォンに記録された写真を見せてきた。
穏やかに微笑むお父さんが、そこにいた。
わたしに見せていた笑顔と同じくらいと感じたけど……少し違う。
何というか、父親の顔をしていない。ただの、"永原公彦"の顔をしている……っていう、そんな印象を受けた。
こんなにも愛おしげな表情を向けられていたのが、この男。春木桜大。春めいためでたい名前だと、わたしは頭の中で小さく悪態をついた。
名前と同じく、桜大はなかなかに春めいた性格をしてる。多分冗談でお父さんが口にした、"何かあったらよろしくね"を本気にして、わたしを引き取ろうとしてるとこも、たいへんたいへんおめでたい。
まぁ確かにいきなり一人ぼっちになってたら……さすがのわたしも、心を病んだかもしれないけど。
色々と信じられなくて、整理がつかなくて、もやもやしっぱなしだったけど、誰か他の人間が同じ空間にいて、同じように悲しみを共有しているっていうことは、なんとなくわたしの心をしっかりとさせていた。
きっぱり断われなかったのは、天涯孤独になるのが怖かったからなのか。
それともこいつの目の中に、わたしと同じくらい寂しさや辛さや、理不尽な現実を嘆くような色があったからなのか。
気付けばわたしは、桜大と一緒に暮らし始めていた。
「……いい匂い」
ふんわりと香ってくるのは、少し甘くてとろりとした優しい匂い。野菜や鶏肉から美味しいとこだけ溶け出したような、まろやかなあの味が舌の上に蘇る。
お父さんの大好物、クリームシチュー。
固形のルーを使うんじゃなくて、具をコンソメスープでコトコト煮て、牛乳に小麦粉を溶かしたものを、ゆっくりゆっくり流し入れて、とろみがつくまでじっくり煮込む。そんなクリームシチュー。
それはお母さんの得意料理だったらしくて、お父さんは懐かしそうにレシピを口ずさみながら、よく作ってくれた。
——……お腹空いた。
その匂いを嗅いでしまえば、忘れていた空腹が蘇る。育ち盛りのわたしには、カロリーオフのカップラーメンなんて、おやつにしかならないのだ。
「食べる?」
にこやかに、キッチンのカウンターから白い深皿を差し出す桜大。わたしは誘惑に負けて、ダイニングテーブルに着席した。
「美味しい?」
「……うん」
「良かった。一回だけ、作ってもらったことがあってさ。後ろから作るの見てただけだから、見様見真似だけど」
「お父さんが、あんたのために?」
「うん。……気を悪くした?」
「べつに」
そのシチューがあまりに美味しくて、懐かしくて、そんなことはどうでよもくなってた。
ちょっとだけ、味は違う。それは当たり前だ。
でも桜大が、お父さんが料理してる所をしっかりと見ていたんだろうなぁというとこは、よく分かる。
だって、この野菜の切り方。わたしが食べやすいように、ふーふーしたらすぐに食べやすい温度になるように、小ぶりに切られた野菜やお肉。
わたしの好きな人参が少し多めなところ。そこはお父さんのシチューと、同じ。
「ねぇ、お父さんのどこに惚れたわけ?」
「えっ? 何急に」
「黙って食べてても、つまんないし。たまにはあんたの話も聞いてあげる」
「あれ、ゲイの恋愛なんて気持ち悪いんじゃなかったの?」
「気持ち悪いっていうか……あの時は、びっくりしただけ」
最初はわたしももっともっと情緒不安定な状態だったから、突然現れた父の愛人を前に、相当きついことをこいつに言ってしまった。
世界中のゲイの人たちが聞いたら、涙に暮れるか激怒しちゃうようなことばかり……。
でも、そんなあたしの罵詈雑言を、桜大は神妙な顔で全て受け止めた。
たまに涙ぐみながら、うん、そうだよね、分かってる……なんて頷きながら。
そのおかげかもしれない。
置いて行かれてしまった悲しみや、わたしだけが孤独になるっていう理不尽への苛立ちも、こいつを怒鳴り散らしている間に一緒くたに消えていた。
吐き出すもの全部吐き出して、わたしは少しずつ、この現実を受け止めるようになってきたんだ。
「大学生の頃、バイトしてたカフェで知り合ったんだけどね」
「え? そんな長い付き合いなの?」
「いや、知り合ったのが学生の頃ね。……バイトしてた頃は、何だか陰があって素敵な人だな、くらいに思ってたんだ。たまに挨拶出来たり、今日は暑いですねーなんて喋れるだけで、その日一日幸せな気分になれたりして」
「ふーん」
「社会人になって、三年目かな。久々にその店に行ったんだ。そしたら公彦さんが、文庫本読みながらひとりでコーヒー飲んでた」
桜大は、クリームシチューを愛でるようにスプーンで掬いながら、微笑む。
「公彦さんも僕に気づいてね、久しぶりだね。そうか、もう働いてるの、なんて声かけてくれて。そこから、何となくたまに会うようになったんだ」
「少女マンガみたい」
「だよね。楽しかったよ、ほんと。お互いの仕事の苦労話とか、趣味の話とか、色んなことを喋った」
「趣味? 苦労? そんなの、わたし知らない」
「まぁ、苦労話なんて子どもに出来るもんでもないからね」
「何それ! だって、お父さんは……」
お父さんはいつもにこにこして、優しくて、休みの日はわたしとたくさん遊んでくれたし、お前のためと思えばいくら忙しくてもつらくないよ、なんて言ってたけど……。
「わたし、お父さんのことなんにも知らないんだな……」
「ひとり娘なんだから、それでいいんじゃないかな。子どもの仕事は甘えることだよ」
「でも、家族なのに……。なにも気付けなかったなんて」
「甘えてくれる可愛い娘だって、公彦さんは幸せそうに惚気けてた。それが少し、僕は悔しかったんだけどね」
「え……」
「僕は、あの人と家族にはなれない。本物の家族とは縁を切られて、僕はずっと孤独だった。そんな僕と、あの人は時間の許す限り一緒にいてくれたんだよ」
「孤独……」
「そう。でも、一人になって見えてくるものもあるよ」
桜大はまた、あの日のように儚げに微笑む。
「僕は、僕。どこの家の息子だとか、誰の息子かとか、そんなのは関係なく、僕という僕。一人の、人間としての僕」
「……一人の人間?」
「公彦さんもきっと、父親や、上司として振る舞う自分じゃなく、一人の男に戻って一息つきたい時もあったんだと思うよ。それがたまたま、僕のそばだっただけで」
桜大はあたしのグラスにミネラルウォーターを注ぎながら、また微笑む。爽やかな、春風のような笑顔。
「僕と君の関係は"何"でもないけど……。僕はせめて君が自立するまでは、あの人の代わりに守っていきたいと思ってる。君は、大好きなあの人の、忘れ形見だから」
桜大はきっぱりとそう言って、まっすぐにわたしを見つめてくる。
その眼差しに、嘘偽りなんか感じられなかった。この人はわたしを一人ぼっちにはしない。何でかな、それが分かる。……女の勘?
そしてわたしと同じくらい、お父さんのことを今も大切に想ってるってことも、なぜだか分かる。
わたしはつんとする鼻の奥の痛みを誤魔化すように、グラスの水を一気飲みした。
そして、きちんと桜大に向かい合う。
「もっと聞かせて、一人の男だった時のお父さんのこと」
「いいよ。趣味とか、学生時代の思い出とか、あ、お母さんとの馴れ初めなんかも知ってるけど」
「え、そんなの知らない、ずるい!! 愛人のくせに生意気!!」
「いやだなー、愛人はやめてって言ってるのに」
「いいから、早く教えて」
「あはは、分かったよ。じゃあ、今夜はゆっくり話をしよう。明日は土曜日だ、夜更かしをしてもお父さんは怒らないよね?」
いたずらっぽく、桜大はお父さんの写真を見やった。
わたしたちは語り合う。
わたしの、お父さん。
桜大の、恋人。
カウンターの上に飾られたお父さんの笑顔の写真は、どこかいつもより、照れ臭そうに見えた。