7.未明の未来②
いざ侵入を開始しようとした私とヤタガミさんだったが、はたしてどこから侵入すればよいのか皆目見当がつかなかった。
建物には入り口というものがあるが目の前の<イヴ>にはそれらしきものが見当たらない。地面に接している両足はただの足でありドアがついている様子はなかった。というかついていたらついていたで不思議である。
「ヤタガミさん。侵入についてはあなたに一任していましたが一体どうやって中に入るんですか?」
特に迷った様子もなく<イヴ>へと突き進む彼女の後を歩きながら尋ねてみた。
「心配しないで着いてきなさい」
自信ありげに言う彼女の言葉は何の根拠もなかったが、とりあえず着いていくしかなかったので黙って着いていくことにした。
しかし、こう周りを見てみると、
「誰もいませんね。というか何もありませんね」
<イヴ>の周囲は閑散としており人の姿はもちろん他の建造物すらもない。あたり一面は綺麗に整備された床があるだけだ。下を見ると無表情にこちらを見返す自分の顔が映っていた。
「そうね。大体<イヴ>は首都のキョウトにあるってことになってるけど、その街から三十kmも離れてりゃもう別の地域よね」
「ここに来るのにも何のゲートもなかったし、少し拍子抜けです」
「人間なんかに頼らなくても自分の身は自分で守れるってことじゃない? ま、その方が楽でいいけどね」
確かに楽でいい。正確に言うと関係ない人間を相手にしなくていいということがまだ気楽、である。
「ところであんた、なんで私たちと組む気になったの? 味方っていうほどの戦力になるわけでもないのにさ」
「それを今聞きますか」
そんなこと最初に聞くものではないだろうか。まあ私も訊かれなかったから言わなかったけど。でもいざこうして聞かれると、
「そうですね。いざという時の囮役にでもなるんじゃないかと思ったので」
「最悪ね、あんた」
「ヤタガミさんこそなんで私と組んでくれる気になったんですか?」
「それはあんたが戦力になると思ったからよ。私たちにはない力を持ってるあんたならね」びっとスサノオを指差し、「だからいざという時はあんたが戦いなさいよ」
無論、その必要があればそうするつもりだ。しかし、私は守るためにここに来たわけではない。私には私の目的だあってここに来ている。私は真実を知りに来た――場合によっては破壊するために。だから戦うつもりはあってもそれはヤタガミさんのためではない。もちろん口にはしなかったけど。
「それでもですよ。私だってアル保持者……私が憎くないんですか? 事実イザナギのメンバーからは歓迎されませんでしたし」
「確かにね。私たちは今の世界を憎んでる。でもそれってアルを持つ人間が憎いのか、<イヴ>が憎いのか、それともはずれ者として生まれた運命が憎いのかよくわからないんだ。メンバーの中にはそれが混同しちゃってる奴らが多いからね。あんたが歓迎されなかったのもしょうがないって感じなのかな」
しょうがない……か。それは最早お互い理解することを放棄した考え。
「じゃあヤタガミさんも本当は私のこと憎いんですか?」
そこで彼女はばっと後ろを振り向き、まっすぐ私を見つめてきた。
「あんたが前にどんな人間だったかは聞かない。興味もない。必要なのは今のあんたと私との利害が一致しているということだけ。憎いとか憎くないとかそんな感情で動くほど今の私には余裕がないの」
そんなことを毅然として言い放つ彼女は私とは違った。
私と違って割り切っている。
私はあやふやだ。彼女たちの選択肢にすがったに過ぎない。
「まあ悪あがきですよね……」
そうこうしているうちに<イヴ>の左足の前までたどり着いた。
こうして下から見上げるとその巨大さに改めて気づく。最早近すぎて全体を把握できない。
「ここからでは頭が見えませんね。主に胸のせいで」
「まったく、この形にした意味あるのかしらね」
「あまり僻んではいけませんよヤタガミさん。胸の大きさなんて人それぞれです」
私がヤタガミさんの慎ましい胸を見て言うと彼女が恨めしい目で私の胸を見返してきた。
「何それ? 自慢してんの? 自慢したいの!? そうなのね!!」
「どうでもいいですから早く侵入しましょう」
ヤタガミさんは何か弁明したそうな目をするに留まらず「私だって」とぶつぶつ言いながら<イヴ>の親指の前に立った。
親指だけでも私と同じくらいの高さがあるので、それはもう壁のようにしか見ない。
「私に続いて」
ヤタガミさんは親指に触れるとそのままぐっと力を入れた。すると、彼女の手がずぶずぶと親指に埋もれていく。その光景は吸収されているようにも見えて、ここで初めて<イヴ>に生命のような気配を感じた。しかし、それは暖かくもなければ冷たくもない、生きているようで生気がない。そんな雰囲気だった。
「気持ち悪い……」
「我慢して。ほら早く」
そう言う間にヤタガミさんはどんどん親指の中に埋もれていってしまう。私は唾を飲み込むと親指に触れてみた。
親指はやはり温度というものがなく、ただ肌に張り付いてくる感触があるだけだった。少し力を入れると簡単に奥へと入り込んでいく。まるで喰われているような感覚に思わず体に悪寒が走った。
この気持ち悪さは一秒だって我慢できない。
私は目を閉じ息を止めて一気に親指を突き抜けようとした。全身をぬめりとして、もっちりしていて、それでいて濡れているようで濡れていないようなものが包み込む。
「――――――――――……!!」
早く早く早く早く早く!
手を前に突き出し、スピードを上げることもできないままのろのろ進んでいるとやがて掌が空をつかんだ。続いて顔が外――いや中に出る。
「っぷはぁ……!」
ようやく息を吸い込むことができた。
つづいて体全体を引っ張り出そうと試みる。体にまとわりつく謎の素材は最後の最後まで体にへばりついてきた。力を入れて前に倒れこむようにしていると、背中にくっついた最後のべたべたが一気にはがれる。
私はそのまま前につんのめってしまい、何かにぶつかった。思わずそれに抱きついてしまう。
「んあっ! ン、ん……」
抱きついた何かが奇妙な声をあげた。
なかなか抱き心地は悪くない。少なくとも<イヴ>の不気味な素材よりは一億倍マシだ。何か良い匂いもするし。
私が心地良さのあまりその何かに手を這わせていると思い切り突き飛ばされた。
「いたっ!」
突き飛ばされた勢いでそのまま尻餅をついてしまう。そこで初めて目を開けるとヤタガミさんが頬を赤らめて息を荒げながらこっちを睨んでいた。
「あら、あなただったんですか。これは失礼しました」
「あ、あんた……わざとじゃないでしょうね!」
「そんな誤解です。これは不幸な事故です……いえそれほど不幸では、むしろラッキー?」
「え、あんた、もしかして男には興味ない人?」
私から一歩距離をとるヤタガミさん。
「いいえ。いたって一般的な嗜好の持ち主ですけど」
「なら誤解を生む発言はやめてよね」
「すみません。事実は正確に言わないといけないですね」
「わかればよろしい」
ヤタガミさんが手を差し出してきてくれたのでありがたくその手をとる。
「触り心地としては、見た目どおり薄いむ――」
「あんたの悪意は正確だなっ!」
手を振り払われた。
仕方ないので自分で立ち上がり、そして周囲を見渡した。
「……」
少し薄暗いがものが見えないほどではなかった。
ぱっと見ただけでは全てを把握しきれない。それほどまでに密集した光景だった。
管という管の無数の絡まりあい。
赤く光る塊の群れ。
透明な幾何学形の物質。
毒々しい緑色のガス。
脈打つ楕円形の物体。
――エトセトラ、エトセトラ……。
それらがさらに集まって合わさって寄り添って形成されていた。見るに耐えないグロテスクさではあったが、雑然とした印象ではなく最低限にして最高活用されているような感じだ。これらが一体何なのかわからないだけなのかもしれないが、そこに<イヴ>という未知の存在の中に入ったのだという実感を感じた。
私とヤタガミさんが立っているのは、かろうじてあるそれらの隙間でずいぶんと狭い。
「それで次はどうするんですか? というかどこへ向かえばいいんですか?」
ヤタガミさんに問うてみると彼女は顎に手をあててうーむ、と唸っていた。
「わからない」
「は……?」
今なんて言ったこの女? 心配しないで着いてきなさいと言っておきながら今さらわからないとは何事か。この場でぶった斬ってやろうか。
「待って、待って、待ってって!」
スサノオを構える私を必死に手で制するヤタガミさん。
「まさかここまでわけわからないとは思ってもみなかった――って、ウソウソ!」
スサノオを振りかぶる私から必死に逃げるヤタガミさん。
「おほんっ、実は前にも侵入したことがあってね。その時はさっさと退散したんだけど」
「それはまた無茶なことをしましたね。で? その時と何か違うんですか?」
「うん、その時はこんなにいろんなものはなかった」
「それは……」
それはどういうことだろうか。その時と今までの間に何があったのだろうか。
「以前侵入したのはいつですか?」
「うーん、二年くらい前かな。その時はもっとすかすかで、これだったら管とかつたって上に登れそうとか思ったんだけど」
管とかつたうつもりだったのか……。あまりの適当さにあきれる。まあツールを使えばできないこともないだろうけど。
それにしても二年間で<イヴ>の――体内とでもいうのか、に変化があったのはなぜだろう。絶対にして無二の存在として君臨していたこの女神は今もなお変容を続けているのか。つまり、それは……進化しているということ。
「それじゃあ、これからどうしますか?」
「どうしよっか?」
首を傾げてはにかむヤタガミさん。可愛い。でも駄目。
「とりあえずその辺斬りつけてみますか」
「ちょ、ちょっとちょっとそんなことして大丈夫なの!?」
「さあ? わかりません」
首を傾げて笑う私。
「いやいやいや、ぜっんぜん可愛くないから! むしろその冷笑は怖い!」
「ひどい言い様ですね。じゃあ、どうするんです。また引き返しますか?」
ヤタガミさんはまたもやうーーむ、と唸って考え始めた。
そうしてしばらく黙考した後に。
「……しょうがない。間抜けな話だけど一旦引き返して作戦を練り直しましょう」
「一人で行くと言っておいて、それは本当に恥ずかしい話ですね」
そう、ヤタガミさんはここに来るとき「仲間を危険な目には遭わせられない」とかなんとか言って格好良く一人できたのです。
「うるさいわね。言ったでしょ、感情で動くほど私には余裕がないのよ」
そういう台詞は頬を染めないで言ってもらいたいものだが。
「じゃあ一旦出ましょう。本当に情けないですが」
私は嘆息しながら今来た道、というか親指に戻ろうと白い謎のぶにゅぶにゅに触れたのだが……。
「どうしたの? 早く出ましょう」
ヤタガミさんの言うことには情けないながらも賛成したいところだが、私はそれができなかった。
「ちょっと、何?」
私は恐らく引きつっているであろう顔をゆっくりとヤタガミさんに向けこう言った。
「硬い」
白の親指は今やぶにゅぶにゅではなく、なぜかカチカチに固まってしまっていた。