6.未明の未来
人工神<イヴ>が世界を席巻するまでにかかった時間は驚くほど短かったと言います。
それまでの世界がどのような文明を築いていたのか、そんなことはどうでもよくなってしまうほどに人工神<イヴ>の出現は世界にとって革命的なことでした。
だから、私の生まれた時代がこの2015年より何年後ということはわかりません。人工神<イヴ>出現前の過去は今となっては――いえ、未来になったらまったくの無用な存在でしかなくなってしまうのです。
そこまでの存在である<イブ>がもたらした技術は数え切れないほどありますが、その中で一つだけ群を抜いたテクノロジーがあります。
そのテクノロジー名称は「アル」。これについても一言で解説できるものではありませんが、それでも一言で表すのならそれは「人間拡張技術」と呼ばれています。と言ってもこの呼称すらも<イヴ>によるものですが。
世界は<イヴ>によって統治され管理され廻っているのです。
そういうわけで詳しいことをお話することはできません。私がわかることは私が見て知っているものだけです。
ですからわからないことも多々あるでしょうが、そこは我慢してください。
私だってわからないのです。
そう前置きして彼女――ヒガミ・シオギは静かに語り始めた。
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辺りはすっかり暗くなっていて月出てない。
目の前にそびえたつ巨大な建造物。それだけがライトに照らされ闇の中で異常な存在感を放っている。
はたしてこれを建造物と呼べるのかはわからない。この建造物――正式名称<イヴ>、つまりは人工神。その形状は胸の前で手を組んだ人間の女性を模している。ただし人間のようだと認識できるのは形状だけだ。全身白で覆われた<イヴ>は周囲のライトに照らされて無機質に輝いている。
けれども、これ全てが<イヴ>というわけではない。本体はこの中にあると言われている。今目の前にあるこれはいわばそれを保護する外壁――要塞のような役割があるのだろう。
「これほど間近に来たのは初めてです。なんと言うか壮観……いえ、壮絶な光景ですね」
私が思わず本音を漏らすと、隣の髪を二つに分けて結んだ少女――ヤタガミ・アマネさんがふんと鼻を鳴らした。
「あんた、怖気づいたんじゃないでしょうね」
私より十センチばかり背の低いヤタガミさんは、私を見上げながらその瞳を爛々と輝かせていた。その中にあるのは希望や好奇心ではなく決意と憎悪だった。
「別に……と言いたいところですが、さすがに不安はあります」
「まあ、そうよね。なんたって世界を総べる女神様の体内に忍び込もうってんだから」
ヤタガミさんはそんなことどこ吹く風と言った様相でからからと笑っている。
「ヤタガミさんは怖くないんですか?」
自分より年下の彼女が自分より堂々とかまえているのが少し癪だったので、若干ムキになって訊いてみた。
「怖いよ。でも私はそんなこと言ってらんない。今私は『イザナギ』の代表としてここにいるんだから」
その言葉には死をも恐れぬ年不相応の決意がこもっていた。
イザナギ――アルを与えられなかった者たちの一部、主に十代の少年少女が結集した組織。そのリーダーが彼女、ヤタガミ・アマネである。
アルを与えられなかった者たち。それはこの世界での弱者だ。
<イヴ>はなぜか人間全員にアルの技術をもたらさなかった。アルを享受できる人間は<イヴ>の側で割り振られ、尚且つそれがどんなタイプのアルなのかも<イヴ>によって決められる。人々は割り振られたアルを己が力として象徴し、それが無いものたちは陰で暮らさざるをえなかった。
アルを与えられなかった者の数は与えられた者たちよりずっと少なく若者が中心だった。そのため反乱を起こそうにもその数の違いとアルという絶対的な力の前にただひれ伏すしかなかった。
世界はそうした少数側の問題を無視し、表面上は何不自由ない平和を保っている。
だからこそ彼女たちは憎むのだろう。アルを使う人間たちを、自分たちをとりこぼした<イヴ>を。
イザナギは組織と呼ぶにはあまりにも脆弱すぎる。実際のところ私はそう思っていた。メンバーの数はざっと百人程度、人生経験も知識もまだまだ浅い彼女たちが銃火器を手にしたところで何も変えられはしない。ましてや<イヴ>内部に潜入してアルについての情報を盗みだすなど自殺しに行くのと同義だ。
だけど私はそんな彼女と一緒にいる。一緒に<イヴ>内部へと侵入しようとしている。
<イヴ>の力は強大だ。この先の未来世界はずっと<イヴ>の元で成立していくことになるだろう。そしてそれを一番理解しているのがアルを与えられず虐げられている者たちだ。自分たちはこれからもずっと弱者として扱われ死んでいく。そう思う達が多い中でイザナギは行動を起こした。
どうせこのままなら花々しく散ってやろう。
やはりそれも馬鹿馬鹿しいと私は思う。花々しく散れるはずがない。ばれて見つかってあっという間に殺されるのが目に見えている。相手が<イヴ>かそれともアルを持つ人間かはわからないが、ここまで強固に造られてしまった世界は簡単には揺るがないし、その原因の一つとしても徹底的な危険因子の排除が社会情勢の念頭にあるからだ。
しかし、それでも私は今回彼女と行動を共にした。所詮私も同じだ。何もできないならせめて何かしてやろうと。できなくてもする。そんな行動には当然結果はないし、過程に意味なんてない。けれどやらないわけにはいかない。光がない中でやっとつかんだ選択肢だ。ならやるだけである。
「無事に帰れる保証なんて微塵もないけどさ、それでも帰ってこよう」
ヤタガミさんはそう言って手を差し伸べてきた。
「ええ。精々お互いの武運を祈りましょう」
そう言って私はヤタガミさんの手を強く握り返した。
目的は違えど今は<イヴ>に反旗を翻す仲間。そういう結託の確認として。
「それじゃ、いっちょ一泡噴かせてやりますか」
「人工ましてや神に泡を噴く口があるかはほとほと謎ですが、傷の一つでもこの剣でつけたいものです」
私は腰に携えた赤銅色をした剣<スサノオ>を握り締めた。緊張で手の平が冷たい。その反面、心は決意の炎で燃えていた。
この一歩が私の人生を私自身が選んだ道になるように。そう想いながら私とヤタガミさんは<イヴ>への侵入を開始した。