17.一日目 シオギ
ヒガミ・シオギはビルとビルの間の細い路地に座り込んでいた。太陽の光が燦燦と降り注ぐ表通りと、じめじめして辛気臭いそこはまるで対照的だったが、自分はここがお似合いだと言わんばかりに彼女は哂う。
彼女が和乃明石のアパートを抜け出してきたのはまだ夜が明けないころで、それから今までずっと歩き通しである。目的はもちろんテッカ・トウシンを探すためだったが――探せども探せども彼を見つけることはできなかった。シオギを追ってきた以上は彼女の周辺から離れるというのは考えられなかったがテッカの側にはマキナがいる。
シオギとマキナは互いに顔見知りで、シオギは彼女のアルがどういうものか知っていた。だからこの追跡劇も本当は無謀だということもわかっている。相手を見つけよとしているのはシオギだったが、動向は全て向こうに筒抜けだ。
じっとしていてもいずれ向こうから接触してくるだろうが、彼女は黙ってその時を待つことなどできなかった。
テッカ・トウシン――あの男が自分の目の前に現れた以上、彼女は燃え上がる憎悪を抑えることができなくなってしまった。その衝動は自分自身も驚いたくらいで、神社での一件は我ながら無茶な真似をしたと後々になって思う。
それでも彼女は後悔はしていない。テッカを見つけ出し、そして決着をつけるまでは止まらないと考えていた。そのことは彼女の目的ではなかったが、動機の一端ではあった。
「あいつが……私の――」
シオギは膝を抱えるとそこに顔をうずめた。
決して癒えてはいなかったが、シオギはその傷を受け入れることができていたと思っていた。だが実際には我を忘れてしまうほどにコントロールが効かない怨恨と化していた。彼女が抱える傷は彼女が思っている以上に心に深く根付き、今こうして復讐の芽を出している。一旦芽吹いてしまったそれはテッカを殺さない限りどんどん成長していくだろう。けれどそれは事が達成できても決して何かを実らせることはない。最後にはただ虚しく枯れていくだけの存在だ。
それでも孤独な彼女にとってそれは糧だった。先が見えない過去という暗闇の中で掴んだ自分がしたいこと。それがテッカへの復讐だ。テッカは憎い――だが、彼女はテッカに会えたこと自体は嬉々として喜んだ。
仇が獲れる――そう思った。
最終的な目的ではないにしろ彼女にとって今回の邂逅はまたとないチャンスだ。それを思うと彼女の血液はふつふつと煮えたぎり黒い煙をあげるのだった。
ふとシオギは明石のことを思った。
彼には結局肝心要の話をしないで出てきてしまった。なぜ自分がテッカに対し剣を振るったのかもわかってないだろう。しかし、それはないだろうと思い直す。気を失った後なぜ無事にアパートに戻ってこれていたのか彼女は把握していない。それでもあらかたの事情は彼も聞かされたはずだ。
その時になるまで待つと言ってくれた彼には悪いことをしたと少しばつが悪いと思った。今ごろ彼は何をしているのだろうか。怒っているだろうか? それともあきれているか――もしくは。
「ありえない」
そこまで考えてシオギは邪念を振り払うように頭を振った。自分勝手に出てきたのは事実だが、この復讐に彼を関わらせるつもりもなかった。あくまでこれは目的外の私怨。
そう自分に言い聞かせて腰を上げる。
テッカへの復讐を果たした後自分は彼の元へ戻る資格はあるのだろうかと思う。目的達成のためには彼を探せ――奴はそう言った。彼がなんと言おうと私には彼が必要だと自分に言い聞かせる。だが、そうすることで彼女の心は言い知れぬ罪悪感で満たされるのであった。そしてそんな気持ちになる資格は自分にはないと自制心で押さえつける。
シオギはまた路地を歩き出す。血を隠すためにも着ているコートはこの夏目前の季節では人々の目を引くのだ。彼女は猫もいないまったくの無人である道を進む。しだいに彼女の姿は太陽の光が差し込まない陰の中へ吸い込まれていき見えなくなった。