12.アル対アル③
夢の中での僕は僕ではない。もちろん僕であることもできるが、せっかくの夢なのだから僕は僕以外になることを選んでいる。
この場合の僕以外というのは人間以外というわけではない。もちろんそれも可だが。この場合は僕以上の僕という意味だ。
夢というものは人それぞれの観方をすると言うけれど、僕の夢は人のそれよりとても鮮明で緻密で広大なものだと自負している。
僕は夢が夢であると自覚していて、夢の中では基本的にやりたい放題できる。
こういったことは明晰夢とか呼ばれるらしいが、僕ほど夢とリンクできている人間はいないのではないかと思っている。
夢は夢、現実は現実。そういう境目が明確にわかるというのは時折空しさを感じるが、僕は夢が好きだ。だから夢は大体毎日見る。これはもう意識的にみていると言ってもいいだろう。
そして、もちろん今晩も夢を見ていた。
今日の夢は未来から来たとても謙虚な美少女が僕のことを探しているという夢にした。
場所は夜の神社。月光が僕と美少女の二人をロマンチックに照らし出す。
夢の中で彼女は僕にこう言ってきた。
「ああ、あなたが過去の偉人であらせられるワノアカシ様なのですね。お目に掛かれて光栄です」
こんないたいいけな美少女を僕が無下にするわけもないので僕は優しく応える。
「いかにも僕が和乃明石です。そういう美しいあなたは?」
黒髪の美少女は慌てた様子で頬を赤らめる。
「こ、これは失礼しました。私の名は――」
そこで彼女は僕の手を握ってくる。
「私の名は――」
と、そこで僕は第三者の声を聞いた。
「――――――――」
その声は何かを囁いている。聞き覚えのあるフレーズだ。僕にとって馴染み深い何か。
この声が発する言葉は――そうだ。
「ワノアカシ」
僕の名前だ。
僕は夢の中から一瞬にして覚醒した。
何度か瞬きしてみる。部屋の中はまだ暗く眠ってからあまり時間は経っていないようだった。
名前を呼ばれたような気がする。もしかしたらヒガミさんが用があって来たのかもしれない。そういえばチャイムの使い方を教えていなかったことを思い出す。
玄関を確認しに行こうと体を起こす――ことができなかった。
腹部に何かのしかかっている重圧を感じる。この重さは人間? 推測するにざっと五十kgといったところだ。
「やっと起きたか。ワノアカシ」
僕は一瞬ヒガミさんが鍵をこじ開けて不法侵入してきたかと思ったが違った。
暗くて顔は見えないが、これはヒガミさんではない。
口調が違うし、うっすらと闇に浮かび上がるシルエットも彼女とは異なる――声からして女性だがヒガミさんより背は高そうだし、なんと胸も彼女より大きいようだ。
謎の闖入者により僕が大声をあげようかと思ったが、それをするより先にその人物が手で口を塞いできた。
「安心しろ。今はお前に危害を加えるつもりはない」
なんだこいつは?
わざわざ僕を起こして、僕の名前を知っていて、巨乳で、危害を加えるつもりはない――今は。
強盗や殺人鬼ではない。
だとすればあと一つ思い当たるのは――ヒガミさんと同じ、未来人。
「いくつか質問がある。イエスなら首を縦にノーなら横に振れ。それ以外はするな」
謎の未来人はそう言って、首筋にひやりとしたものを当ててきた。感じた温度こそ違うが神社でのあの感覚と同じだ。しかし、そんなぴたりと当てられたらおちおち首も振れないぞ。
「まず一つ目、お前はワノアカシで間違いないな」
嘘をつけるような局面ではないので正直に答える。
肯定。
「では二つ目。お前は何者だ。お前の存在が〈イヴ〉にとってどういう意味を持つ?」
沈黙。
「……わからない、ということか」
肯定。
「〈イヴ〉の話は聞いたか?」
肯定。
「三つ目。彼女――ヒガミ・シオギの目的を聞いたか?」
否定。
「ふうん……」
こいつの目的は何だろう? 物騒な接触レベルではヒガミさんより性質が悪い。
しかし、僕と彼女が出会ったのは単なる偶然だ。彼女が僕を警戒するのは当然だった。
だが、それに比べて目の前のこいつは僕をワノアカシと知って、ついでに家まで突き止めて来やがった。
こいつも僕に用があるのか?
だとしたら脅迫されている現状からして、僕はあまり友好的な感情を抱けない。
こいつはヒガミさんの敵か? わからないな。
というか敵とか味方とかそんなものがある――そんな話なのか?
仮にもしヒガミさんの敵だとしても、僕にとって敵であるとは……。
「最後にもう一つ。ワノアカシ、お前はヒガミ・シオギの味方か?」
「………………」
まさに今僕が考えていたことを訊いてきた。
わからない――というかそんなことは考えてもみなかった。ヒガミさんが僕に用があるならそれを手伝うにやぶさかではなかったけれど、それが誰のためになるかなんて考えなかった。考えられなかった。
僕は彼女の目的を知らない。
知らないで、手伝おうとしていた。
よもやこんな事態になるとは思わなくて、この先聞けるだろうと高をくくっていた。
ヒガミさんの敵か味方か――わからない。
沈黙。
「彼女に協力する気はあるか?」
「…………」
正直に答えるべきか?
緊張の糸が張り詰めた空気の中、僕が答えに迷っていると、
コンコン、とドアをノックする音が部屋に響いた。
「ちっ!」
謎の未来人が顔を寄せてきた。
判別しづらかったが眼鏡のようなものをかけている。
「いいか。お前の行動は終始一貫――徹頭徹尾、わたしに筒抜けだ。お前がこちらの不利になるような行動をするならばこちらとて容赦はできないぞ。それをよく覚えておけ」
そう言い残すと僕の上から飛び降り、窓から飛び出していった。
どうやら窓から侵入してきたらしい。
僕は気持ちを落ち着かせるために二、三度深呼吸をする。それから窓際まで行って外を確かめる。近所の家々は明かりを消し静かに眠っている。空には雲が流れていて月は隠れているようだ。見渡す限りでは謎の未来人の姿はもう消えており消息不明。
窓から首を引っ込めて鍵を閉めようとしてあることに気づく。鍵付近の窓ガラスが綺麗な円形に切り取られていた。
なんていうか、姑息だし未来的でもない侵入の仕方だった。まあ気づかなかったわけだけど。
そこで再びノックの音が響く。先ほどより強めに連続で叩いている。
ノックというより打撃だ。
千本ノック。
「今開けます」
ドアの向こうにそう呼びかけて玄関に向かう。
案の定というか当たり前というかドアの向こうにはヒガミさんが立っていた。蛍光灯に照らされたその顔は随分と不機嫌そうで目を細くしている。寝起きが悪いタイプの人なのかもしれない。
彼女は僕が貸したシャツとジャージを着ている。
「どうかしましたか?」
僕はいかにもといった風を装う。
「どうかしましたか?――はこちらの台詞です。どうもしないのにわざわざ来たりしません」
目をこすりながら毒を吐く。
眠たそうで服装も変わった彼女はさっきとは違う味わいがある。うん。
ていうか鋭いなこの人。謎の未来人の気配を察知して来たのだろうか。
「またくだらない顔ですね」
「いや、くだらないこと考えてる顔でしょ」
「どっちでも同じことです」
「同じ!? 僕の顔はくだらないんですか!」
「ついでに失礼」
それでじゃ僕はおちおち街も歩けないな。
「で?」
と、ヒガミさんはその眠そうな三白眼で僕の目をじっと見てきた。
「なにかあったんですか?」
「……」
うやむやにはできなかったか。
ここでヒガミさんに本当のことを言うか迷った。何か実害が――あったけれども、下手に真実を言ったらヒガミさんにも僕にももっとひどい被害が及ぶ可能性がある。
『いいか。お前の行動は終始一貫――徹頭徹尾、私に筒抜けだ。お前がこちらの不利になるような行動をするならばこちらとて容赦はできないぞ。それをよく覚えておけ』
謎の未来人の言葉を信じるなら今このときもどこからか視られているかもしれない。
そんなこと普通なら信じられないが、あいつが未来人なら持っているかもしれない――アルを。
だとしたら今あったことを言うのはやはり憚られる。
でも、ここでヒガミさんに隠した場合もそれはそれで彼女にとっては不利な状況になるのかもしれない。
明言こそしなかったものの、察するにあいつはヒガミさんに姿を――存在を知られることをきらった。だとすればあいつは彼女の敵ということになるのだろうか。
「何黙ってるんですか?」
言いよどむ僕を訝しがってかヒガミさんが疑わしそうな視線を投げかけてくる。
そうだ、言うか言わないか――今問われている選択に必要な材料はただひとつ。
僕がヒガミさんのことを信用するかどうか、だ。
彼女を信用するなら包み隠さず話すべきだ。
――だが、そうしたら謎の未来人が報復に来るかもしれない。
彼女が敵――というのには抵抗があるが、信用に足らない人物だと判断するならこのまま白を切る。
――だが、そうしたら彼女が危険な目に遭うかもしれない。
ヒガミさんと謎の未来人。どちらもさっき会ったばかりで同じ未来人。
僕はどっちを信用するべきなんだ?
どっちつかずと言えばどっちつかずだが、この場合――この状況はフェアじゃない。判断材料が少なすぎる。
くそっ!
どうすればいいかわからない。
「…………」
「…………」
沈黙もそろそろ限界になってきた。
僕は――僕は迷ったまま答えを口にする。
「別に何もありませんでしたよ」
別に彼女を信用していないわけじゃない。だけど信用もしていない。どっちにしろ、していない。
僕は何もしてない。何もできない。
そんな簡単に割り切れない。そんな単純に選べない。
二者択一なんてのは酷だ。
「……」
僕が内心――いや、実際に冷や汗をかいているのをヒガミさんは相変わらず眠そうな目で見てくる。
僕は今、後ろめたい。自分に腹が立つ。自己嫌悪。
でも――でも、しょうがないじゃないか。
「そうですか」
「えっ?」
ヒガミさんはあっさりとそう言った。
「まったく迷惑な人ですね。これからは息をしないで寝て下さい」
そう言い捨てて隣の一〇二号室に早々と引っ込んでしまった。
残された僕はただそこに立ちすくむことしかできず、しばらく経った後に「それはただの無呼吸症候群です……」と、虚しい――本当に虚しい突っ込みを空にこぼすことしかできなかった。
信用しろと言っておいて結局信用できていなかったのは僕だ。
いや、別にヒガミさんが僕のことを信用してくれているわけじゃない。本当にうぬぼれるな、だ。
一体何様だと思っていたんだ僕は。夢の中と同じく彼女の救世主にでもなっていたつもりか。
あいつは危害を加えないと言っていたが、ヒガミさんが来てくれて助かったのは事実だ。彼女が心配して来てくれたのかはわかわない――訊いても無駄だとは思うけど、
「くそっ!」
今度は小さく声に出して毒づき、頭をドアに打ち付けた。
隣の部屋からは何の反応も返ってこなかった。