11.アル対アル②
とりあえず他の部屋を使えると言ったらヒガミさんもその方がいいと言ったので彼女を連れて隣の部屋に案内する。
僕が自分用に使っているのは一階の一番奥――一〇三号室だ。ヒガミさんはその隣の一〇二号室を使ってもらうことにする。
中に入りヒガミさんを案内する。室内には簡単な調度品くらいは揃っているので贅沢を言わなければとりあえず人が住むのには問題ない。
「ふぅ、期待はしていませんでしたがこれはなんとも、貧相ですね」
「贅沢言わないでください」
未来と過去ではやはり価値感に相当のズレがあるのだろうか。年齢は近いのにジェネレーションギャップ。
「そういえばヒガミさんっていくつなんですか?」
「一八ですけど」
「じゃあ僕の一個上ですね」
「そうなんですか? ではあなたは私の奴隷ですね」
「とんだ年功序列だな!」
「何生意気な口きいてるんですか。ちゃんとへりくだりなさい。そして敬いなさい」
「ぐっ!」
そろそろ僕の堪忍袋の緒も弾性力の限界かもしれない。
ていうか過去の人間である僕のほうが年上っちゃ年上なんじゃないか?
世代どころか時代ギャップ。
「冗談です」
冗談嫌いじゃないのかよ。
冗談言うのはいいけど言われるのは腹立つのか。まあそんな性格だというのはそろそろわかってきたけれど。
「じゃあ、とりあえず今日は夜も遅いので続きはまた明日。何かあったら僕の部屋まで来てください」
ヒガミさんに大体の設備説明をしたところで僕は自分の部屋に戻ろうとした。
「本当にいいんですか?」
そこでヒガミさんがなぜかいきなりしおらしくなって訊いてきた。
「別に気にすることありませんよ。家も使われてないと痛みますし、本来の役割が果たせてここも幸せでしょう」
「いえ、そうではなくて……」
なんだろう。さっきは理由があって口ごもってたけど、今の状況はどうにもわからないな? 何が本当にいいのだろうか。
「なんでも言ってくださいよ。お互い非日常者同士、遠慮しないところは遠慮せずにいきましょう」
「はい……」
そう言ってヒガミさんは僕にゆっくりと近づいてくる。
瞳がやけに潤んでいて、やけに扇情的な色香を放っている。
あれ? なんだろうこの状況。
一歩身を引いたところでヒガミさんの手が僕の頬に添えられる。
途端に緊張で体が固まった。
「え、ちょっと……ひ、ヒガミ、さん?」
「あなたも遠慮しないで言っていいんですよ?」
「だ、だから何を?」
「もう……それを私に言わせるんですか?」
わからない。わからない。わからない。脳が回転しない。
「本当に――」
ヒガミさんはそこで十分に間をためて、
「本当に同じ部屋で寝なくていいんですか?」
「――っ!?」
「私はそれでもかまわないんですよ」
落ち着け、これは何かの間違い――そう、僕に都合のいい解釈をしてはならない!
「いや、まあ僕としてはそう言って、もらえるのは非常に光栄、ではありますが、この場合、それはなんとも……」
僕が言葉に窮している間にもヒガミさんはこちらを潤んだ瞳で見つめてくる。
「僕としては、ヒガミさんがよければ、それでもかまわない、んですが……」
「かまわない、けど?」
「……かまわないんですが――」
今度は心臓の弾性力が限界なんじゃないかと思い始めたところでヒガミさんがふっと僕から離れた。
「なーんて、またまた冗談ですよ。何うぬぼれているんですか」
「――――っがぁ!」
本気で怒りそうになった。
とんだ天邪鬼だなこの人――いや、悪魔だ。悪女だ!
僕の純情を弄びやがって!
いたずらっぽく言うならまだ許せるが、冷めた目で言ってくるあたりが特にひどい。
「さあ、私はこの前時代的なお風呂に入りますからさっさと出て行ってください」
「わかりましたよ。どうぞごゆっくり」
「ゆっくりもできなさそうですけどね」
皮肉殺しだな、この人は。どんな神経してるんだ。
僕は本気で怒る気力も失せてしまったので、おとなしく部屋を出ることにした。
ドアをしめて溜め息をつく。
「そりゃ、そんな身持ち軽くないよなぁ」
僕は決して悪くないけれどなんとなく反省会。
……よし、反省会おわり。
もう寝よう、そう思ってそそくさと自室に向かう。今日はいろいろあって疲れた――特に精神的に。今夜はいい夢が見たい。
と思いつつも部屋に入ってから現実に引き戻される。僕の布団は誰のものとも知れない血で染まっていた。
「スプラッターだな」
血がついているのはどうやらカバーだけだが、さすがにこれはクリーニングに出せない。
「まあ明日学校から帰ったら考えよう」
そう結論づけて僕は風呂も入らずそのまま寝ることにした。
電気を消し、目を閉じる。
自然に今日あったことを思い出していた。
古典のノートを借りに藤原の家に行ったら、一緒に勉強と食事をすることになって――ああ、藤原まだ怒ってるかな? 明日なんて言おう。
帰り道――神社でヒガミ・シオギに出会った。
未来から来た彼女。僕を探す予定だった彼女。
未来の世界。人工神〈イヴ〉。謎のテクノロジー「アル」。
彼女の目的。
いろいろあったような気がするけど実はそんなになかったぁ。
いろいろわかったような気がするけど実はそんなにわかってないなぁ。
温故知新――でも未来の世界では過去なんてどうでもいいと言う。
過去の人間である僕にしたって未来の片鱗を知ったところで何もわからない。
明日の朝になって隣の部屋を覗けば誰もいないかもしれない。全ては僕の夢なのかもしれない。
それはそれで安心するような残念のような……。
朝になればわかるか。
瞼がだんだん重くなってきた。
ふと枕元の時計を見る。淡く光る文字盤が現在時刻を指す。
二〇一五年――七月七日――午前一時四十九分。
もう明日ではなく今日、今日ではく昨日か。
今日は七夕。
とんだ織姫様に出会ってしまったものだ。
いや、出会ったのは昨日だから、彼女はただの――
昨日は、確か、ゼロ戦の日。
そうして僕の意識は眠りの底へと落ちていった。