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【短編】現代ドラマ短編シリーズ

一万円で別れた男

作者: 烏川 ハル
掲載日:2026/03/31

   

「おい、どうした? 手から血が出てるぞ」

 友人の松本が、びっくりしたような声を出す。

 ふと見れば、確かに俺の右手からは、赤い血が一筋(ひとすじ)流れ落ちていた。


 いつものように、学食でランチを食べようとしていた時の出来事だ。

 午前の講義が終わった(あと)、いったん俺は大学の構内から出て、近くの銀行へ。ATMでお金をおろして、戻ってきたところだった。

「ああ、これか。これなら……」

 ATMから引き出した、数枚の一万円札。そのうち一枚が、おそらくは新札で、しかもピンとし過ぎていたのだろう。

 その紙幣を手にした途端、小さな痛みが走った。手を切ってしまったらしい。

 まあ(うっす)らと血が(にじ)む程度だったので、あまり気にすることもなく、そのまま放置していたのだが……。

 どうやら思ったより深く切っていたようだ。


「それは災難だったな。『手の切れるよう新札』って言葉もあるけど、まさか例え話じゃなく、ほんとに手が切れるとは……」

「ああ、どうも最近、俺はツイてないみたいだ」

 と返したのは、俺が不運な出来事と認識していることが、(ほか)にもあったからだ。

 そのニュアンスは松本にも伝わったらしく、彼は苦笑いする。

「……若菜(わかな)ちゃんのことか? あんまり気にするなよ」


 若菜(わかな)ちゃんは、同じサークルの女の子。可愛らしい彼女に憧れる男も多かったのだが、そんな若菜(わかな)ちゃんと付き合い始めたのが、この俺だった。

 しかし俺たちの交際は、わずか4ヶ月で破局を迎える。いざ付き合ってみると、彼女は驚くほど我儘な性格をしていたからだ。

「友達じゃなく、恋人なんだからさ。自分をさらけ出すのも、相手に甘えるのも当然でしょう?」

 という彼女の主張も理解は出来るが、何事にも限度はある。彼女のそれは、俺の許容範囲を超えていた。

 だから俺の方から別れを切り出して、俺たちの交際は終了。俺にしてみれば、付き合う前に彼女の本性を見抜けなかったのは、災難とか不運とかの(たぐ)いに思えるほどだった。


「ああ、それほど気にはしてないさ。そういえば……」

 松本の言葉に、一応の相槌を打つ。

 サークルの友人たちの中には、まだ俺と若菜(わかな)ちゃんが別れたのを知らない者も多いくらいだが、松本はいわば俺の親友。ある程度の経緯も把握しているし、彼が相手ならば愚痴を吐いても大丈夫だろうが、今はそんな気分ではなかった。

「……『山あり谷あり』って(ことわざ)もあるが、俺の場合は交互じゃないみたいだ。良いことにしろ悪いことにしろ、立て続けにやってくる。きっと今は、悪い方のターンなんだろうぜ」

「『二度あることは三度ある』みたいな感じか? だったら気をつけろよ」

 俺の強がりに対して、心配そうな口ぶりで返す松本。

 その場はそれで終わったが……。


 三つ目の災難は、思いもよらぬ形で現れた。

 俺に関しての悪い噂が周りで流れ始めて、友人たちの中に、俺から離れていく者が出始めたのだ。

 若菜(わかな)ちゃんとは別れた件と、一万円で手を切った件。その二つが噂として伝わるうちに、どうやら混ざってしまったらしい。

 その結果できあがったのは、俺が一万円の手切金で若菜(わかな)ちゃんと別れたという話。そして「わざわざ手切金を渡すような別れ方も酷いし、手切金にしては一万円は少な過ぎる」みたいな悪評が広まっていた。

 一万円の手切金なんて、もちろん事実無根の話だが……。

 この誤解、きちんと解けるのだろうか?




(「一万円で別れた男」完)

   

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