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「贈り物の記録なんて誰にでもできる」と婚約破棄された宮廷贈答記録官ですが、返礼帳が止まったら外交も止まるようですよ

作者: 夢見叶
掲載日:2026/03/16

辺境伯殿。胡桃の焼き菓子。外交会食の茶菓子として配膳記録官より受領、3回連続で残さなかった。

 ——備考:□好み □偶然 □判定不能


          ◇


「贈り物の記録なんて、リストを見れば誰にでもできるだろう」

 エドゥアール子爵嫡男は、宮廷の大広間でそう言った。

 隣には最近親しくなったという男爵令嬢が立っていて、申し訳なさそうな顔をしながらも、しっかり彼の腕を掴んでいた。

「マルグリット。すまないが、婚約は解消させてもらう」

「——承知いたしました」

 私は一礼した。

 前世で百貨店のお歳暮窓口に7年立っていた人間にとって、返品処理は専門分野である。婚約という贈り物の返品手続きも、まあ、手慣れたものだ。

 ……いや、手慣れてはいけないのだが。

「意外だな。泣いたり怒ったりしないのか」

「贈答記録官は、贈り物に対して個人的な感想を述べません」

 私はにっこり笑った。前世の百貨店で鍛えた営業スマイルは、異世界の宮廷でもなかなか役に立つ。

「……不気味だな」

 不気味で結構。返品処理に泣く店員はいない。


          ◇


 翌日。私は贈答記録室に並ぶ帳面を順に確認した。

 宮廷贈答記録官の仕事は、表向きには「贈り物を記録する」だけに見える。

 実際には、それだけではない。

 帳面23巻。宮廷の全貴族——127家。外交先の諸国——14カ国。過去5年分の贈答履歴。

 誰が誰に何を贈り、何を返し、何が禁忌で、何が好物か。

 「フェルデン公爵夫人は林檎の砂糖漬けが好き。ただし3月の命日前後は林檎を見るだけで泣く」——こういう情報は、リストには載っていない。記録官の頭と帳面の備考欄にだけある。

 全巻を事務机に積み、引き継ぎ書類を添えた。

 最後の一冊。私的な備考の多い帳面だけ、手が止まった。

(……持っていっても仕方がない。これは宮廷の帳面だ)

 机の上に置いた。

 誰もいない記録室に一礼して、背を向けた。

 返品処理、完了。


          ◇


「——辺境伯殿。大変なことになっております」

 リュカ・ド・ヴァルモン辺境伯の執務室に、従者のベルナールが駆け込んできたのは、マルグリットが去ってから6日目のことだった。

「何があった」

「レヴェリエ大使への返礼品が、6ヶ月前と全く同じ銀細工の燭台だったそうです。大使は晩餐で一言も発さなかったと」

「記録を確認しなかったのか」

「確認はしたようですが、帳面の読み方が分からなかったと。前任の備考欄に書いてある注意書きの意味を、後任が理解できなかったのです」

「前任——贈答記録官のフォルネか」

「ええ。あの子爵嫡男に婚約破棄された方です」

 リュカは窓の外を見た。何も言わなかった。


 10日後、ベルナールが再び報告に来た。

「今度はサヴォワ侯爵家です。嫡男の婚約祝いに、喪の縁取りなしの祝い布を送ったと。当主が3ヶ月前に亡くなっていたのに」

「備考欄に書いてあったんだろう」

「書いてありました。『当主逝去。3ヶ月間は贈答品に紫を添えること』と。後任は備考欄を読み飛ばしたそうです」

 リュカの眉が動いた。

「贈答帳の備考欄は——読み飛ばすようなものではないはずだ」

「……辺境伯殿は、あの帳面をご覧になったことが?」

「外交会食で、毎回俺の席に胡桃の焼き菓子が出ていた。3回どころじゃない。他の席には出ていない。あれは記録官が手配していた」

「よくお気づきで」

「気づかないわけがない」


 さらに10日後。

 今度は宮廷内部が動いた。王太子妃候補の家々への返礼が3件滞り、婚約交渉が暗礁に乗り上げた。

 エドゥアール子爵嫡男が仲介役を買って出たが——。

「返礼品の価値を盛大に見誤り、相手方を侮辱したそうです」

 ベルナールは淡々と報告した。

「子爵家の評判は壊滅的かと。ざまぁ——いえ、遺憾なことです」

「ベルナール」

「はい」

「あの贈答帳、記録室にまだあるか」

「全巻そのまま残されていると聞いています」

 リュカは椅子から立ち上がった。

「見に行く」


          ◇


 贈答記録室。

 積まれた帳面の中から、リュカは一冊を手に取った。

 几帳面な文字が並ぶ。品目、送り主、送り先、日付、金額、返礼の有無。完璧な記録だ。

 ページを繰る手が止まったのは、備考欄に目が留まった時だった。


 ——辺境伯殿。胡桃の焼き菓子。3回連続で残さなかった。備考:□好み □偶然 □判定不能。


 次のページ。


 ——辺境伯殿。左の袖口に墨の染み。前回の外交会議でもあった。分類:□習慣 □無頓着 □判定不能。(業務上必要な情報ではないが、記録は記録である)


 次のページ。


 ——辺境伯殿。隣席の令嬢に薔薇の花を贈られる。返礼不要の挨拶花。分類:□社交辞令 □好意 □判定不能。(判定不能が続く場合の統計的処理方法を検討すべきだが、そもそもなぜ私が検討しているのかが判定不能)


 次のページ。


 ——辺境伯殿。会議の終了後、贈答記録室の前を通過される。本日で7回目。分類:□近道 □用事 □判定不能。(7回はさすがに偶然ではないと思うが、この帳面は贈答帳であって通行記録帳ではない。記録している時点で、私の判定能力に問題がある可能性を備考として追記する)


 次のページ。


 ——辺境伯殿。帳面を受け取る際、指が触れた。分類:□偶然 □——。(この欄は消す。消す。消した。消せなかった)


 リュカは帳面を閉じた。

 閉じてから、もう一度開いた。


「ベルナール」

「はい」

「この記録官は今どこにいる」

「フォルネ伯爵領の実家です」

「——行く」

「……即断ですな。備考欄のおかげですか」

「うるさい。馬を用意しろ」

「胡桃の焼き菓子も持参されますか」

「黙れ」

 ベルナールは笑いを噛み殺しながら、馬の手配に走った。


          ◇


 フォルネ伯爵領の小さな屋敷で、私は庭の花を眺めていた。

 帳面はもうない。記録するものもない。

 それでも癖は抜けない。白い百合を見れば「見舞い花としては上品だが、喪花としても使われるので贈答には注意」と分類してしまうし、赤い薔薇を見れば「外交贈答には不適。恋愛の意味が強すぎる」と考えてしまう。

(前世の百貨店では、退職してからもスーパーの贈答コーナーでラッピングの雑さが気になって仕方がなかった。2度目の人生でも結局同じだ)

 記録官を辞めてから、気づいたことがある。

 あの備考欄に書いていたのは、贈答の記録ではなかった。

 胡桃の焼き菓子。袖口の墨。7回の通過。指が触れた瞬間。

 ——消したはずの一行が、消せなかった。それが全部だった。

 けれど、もう帳面は手元にない。


 門の前に馬が止まる音がした。

 顔を上げると、長身の男が立っていた。


「——辺境伯、殿」

「贈り物を持ってきた」

 リュカは白い花束を差し出した。

 反射的に、頭の中で記録が始まる。

 ——送り主:リュカ・ド・ヴァルモン辺境伯。品目:白い花束。白百合6本、カスミソウ。送り先——

「記録は後でいい」

「……つい」

「知ってる。職業病だろう」

 リュカはポケットから一冊の帳面を取り出した。

 見覚えのある表紙に、心臓が止まりかけた。

「——あの帳面」

「読んだ」

「全部、ですか」

「全部」

「……備考欄も」

「備考欄を、全部」

 世界が終わった。


「胡桃の焼き菓子が好みかどうか」

 リュカは帳面を開いて、備考欄を指で示した。

「好みだ。毎回残さなかった。あんたが手配した菓子だと知っていたから」

「……」

「袖口の墨は、書き物をしている途中で会議に呼ばれるからだ。気にしてなかった。気にしてくれていたのか」

「記録官として——」

「記録室の前を通ったのは7回じゃない。数えてない日も入れたら、もっとだ」

「……」

「それから」

 リュカの声が、少しだけ低くなった。

「帳面を受け取る際に、指が触れた」

 ——あの一行。

「消したんだろう。消せなかったんだろう」

「……はい」

 涙が落ちた。

「俺も同じだ」

 リュカは帳面を差し出した。

「判定を出してくれ。全部の答えを渡したから」

「——贈答記録官は、贈り物に対して個人的な感想を述べません」

「なら備考欄に書け」

「……備考欄に書いていいんですか」

「俺の贈り物を一生記録してくれ。備考欄は好きに使え」

「それは——」

「辺境伯領に贈答記録室を作る。あんたの帳面が必要だ」

 リュカはまっすぐに、私を見た。

「俺のそばで、記録を続けてくれ」


 ——記録いたします。

 品目:求婚。

 分類:□公式 ☑私的。

 備考:返品不可。


「……お受けいたします」

 声が震えた。営業スマイルではない顔が、どんな顔か分からない。

 でも、たぶん——帳面には書けない顔をしていた。


          ◇


 翌年の春。辺境伯領の贈答記録室で、私は新しい帳面を開いた。

 仕事は変わらない。辺境伯領の外交贈答を管理し、返礼を手配し、禁忌品を避ける。

 けれど、帳面の最後のページにだけ、少し違う記録がある。


 ——リュカ殿。毎朝、白い花を1輪。品目:庭の花。金額:算定不能。

 ——備考:分類は、もうしない。


 エドゥアール子爵嫡男は、外交贈答の仲介失敗が重なり、社交界から姿を消したと聞いた。あの男爵令嬢とも、贈り物の趣味が合わなかったらしい。

 記録はしない。私の帳面に載せる価値がない。


「今日の備考欄は?」

 リュカが記録室の扉から顔を出す。

 毎日聞いてくる。

「秘密です」

「備考欄は好きに使えと言ったのは俺だぞ」

「ええ。ですから好きに使っています」

 帳面を胸に抱えて、笑った。

 今度は営業スマイルではなく——たぶん、生まれて初めて贈り物をもらった子供のような顔だった。


 ——備考:この記録は消さない。

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