「贈り物の記録なんて誰にでもできる」と婚約破棄された宮廷贈答記録官ですが、返礼帳が止まったら外交も止まるようですよ
辺境伯殿。胡桃の焼き菓子。外交会食の茶菓子として配膳記録官より受領、3回連続で残さなかった。
——備考:□好み □偶然 □判定不能
◇
「贈り物の記録なんて、リストを見れば誰にでもできるだろう」
エドゥアール子爵嫡男は、宮廷の大広間でそう言った。
隣には最近親しくなったという男爵令嬢が立っていて、申し訳なさそうな顔をしながらも、しっかり彼の腕を掴んでいた。
「マルグリット。すまないが、婚約は解消させてもらう」
「——承知いたしました」
私は一礼した。
前世で百貨店のお歳暮窓口に7年立っていた人間にとって、返品処理は専門分野である。婚約という贈り物の返品手続きも、まあ、手慣れたものだ。
……いや、手慣れてはいけないのだが。
「意外だな。泣いたり怒ったりしないのか」
「贈答記録官は、贈り物に対して個人的な感想を述べません」
私はにっこり笑った。前世の百貨店で鍛えた営業スマイルは、異世界の宮廷でもなかなか役に立つ。
「……不気味だな」
不気味で結構。返品処理に泣く店員はいない。
◇
翌日。私は贈答記録室に並ぶ帳面を順に確認した。
宮廷贈答記録官の仕事は、表向きには「贈り物を記録する」だけに見える。
実際には、それだけではない。
帳面23巻。宮廷の全貴族——127家。外交先の諸国——14カ国。過去5年分の贈答履歴。
誰が誰に何を贈り、何を返し、何が禁忌で、何が好物か。
「フェルデン公爵夫人は林檎の砂糖漬けが好き。ただし3月の命日前後は林檎を見るだけで泣く」——こういう情報は、リストには載っていない。記録官の頭と帳面の備考欄にだけある。
全巻を事務机に積み、引き継ぎ書類を添えた。
最後の一冊。私的な備考の多い帳面だけ、手が止まった。
(……持っていっても仕方がない。これは宮廷の帳面だ)
机の上に置いた。
誰もいない記録室に一礼して、背を向けた。
返品処理、完了。
◇
「——辺境伯殿。大変なことになっております」
リュカ・ド・ヴァルモン辺境伯の執務室に、従者のベルナールが駆け込んできたのは、マルグリットが去ってから6日目のことだった。
「何があった」
「レヴェリエ大使への返礼品が、6ヶ月前と全く同じ銀細工の燭台だったそうです。大使は晩餐で一言も発さなかったと」
「記録を確認しなかったのか」
「確認はしたようですが、帳面の読み方が分からなかったと。前任の備考欄に書いてある注意書きの意味を、後任が理解できなかったのです」
「前任——贈答記録官のフォルネか」
「ええ。あの子爵嫡男に婚約破棄された方です」
リュカは窓の外を見た。何も言わなかった。
10日後、ベルナールが再び報告に来た。
「今度はサヴォワ侯爵家です。嫡男の婚約祝いに、喪の縁取りなしの祝い布を送ったと。当主が3ヶ月前に亡くなっていたのに」
「備考欄に書いてあったんだろう」
「書いてありました。『当主逝去。3ヶ月間は贈答品に紫を添えること』と。後任は備考欄を読み飛ばしたそうです」
リュカの眉が動いた。
「贈答帳の備考欄は——読み飛ばすようなものではないはずだ」
「……辺境伯殿は、あの帳面をご覧になったことが?」
「外交会食で、毎回俺の席に胡桃の焼き菓子が出ていた。3回どころじゃない。他の席には出ていない。あれは記録官が手配していた」
「よくお気づきで」
「気づかないわけがない」
さらに10日後。
今度は宮廷内部が動いた。王太子妃候補の家々への返礼が3件滞り、婚約交渉が暗礁に乗り上げた。
エドゥアール子爵嫡男が仲介役を買って出たが——。
「返礼品の価値を盛大に見誤り、相手方を侮辱したそうです」
ベルナールは淡々と報告した。
「子爵家の評判は壊滅的かと。ざまぁ——いえ、遺憾なことです」
「ベルナール」
「はい」
「あの贈答帳、記録室にまだあるか」
「全巻そのまま残されていると聞いています」
リュカは椅子から立ち上がった。
「見に行く」
◇
贈答記録室。
積まれた帳面の中から、リュカは一冊を手に取った。
几帳面な文字が並ぶ。品目、送り主、送り先、日付、金額、返礼の有無。完璧な記録だ。
ページを繰る手が止まったのは、備考欄に目が留まった時だった。
——辺境伯殿。胡桃の焼き菓子。3回連続で残さなかった。備考:□好み □偶然 □判定不能。
次のページ。
——辺境伯殿。左の袖口に墨の染み。前回の外交会議でもあった。分類:□習慣 □無頓着 □判定不能。(業務上必要な情報ではないが、記録は記録である)
次のページ。
——辺境伯殿。隣席の令嬢に薔薇の花を贈られる。返礼不要の挨拶花。分類:□社交辞令 □好意 □判定不能。(判定不能が続く場合の統計的処理方法を検討すべきだが、そもそもなぜ私が検討しているのかが判定不能)
次のページ。
——辺境伯殿。会議の終了後、贈答記録室の前を通過される。本日で7回目。分類:□近道 □用事 □判定不能。(7回はさすがに偶然ではないと思うが、この帳面は贈答帳であって通行記録帳ではない。記録している時点で、私の判定能力に問題がある可能性を備考として追記する)
次のページ。
——辺境伯殿。帳面を受け取る際、指が触れた。分類:□偶然 □——。(この欄は消す。消す。消した。消せなかった)
リュカは帳面を閉じた。
閉じてから、もう一度開いた。
「ベルナール」
「はい」
「この記録官は今どこにいる」
「フォルネ伯爵領の実家です」
「——行く」
「……即断ですな。備考欄のおかげですか」
「うるさい。馬を用意しろ」
「胡桃の焼き菓子も持参されますか」
「黙れ」
ベルナールは笑いを噛み殺しながら、馬の手配に走った。
◇
フォルネ伯爵領の小さな屋敷で、私は庭の花を眺めていた。
帳面はもうない。記録するものもない。
それでも癖は抜けない。白い百合を見れば「見舞い花としては上品だが、喪花としても使われるので贈答には注意」と分類してしまうし、赤い薔薇を見れば「外交贈答には不適。恋愛の意味が強すぎる」と考えてしまう。
(前世の百貨店では、退職してからもスーパーの贈答コーナーでラッピングの雑さが気になって仕方がなかった。2度目の人生でも結局同じだ)
記録官を辞めてから、気づいたことがある。
あの備考欄に書いていたのは、贈答の記録ではなかった。
胡桃の焼き菓子。袖口の墨。7回の通過。指が触れた瞬間。
——消したはずの一行が、消せなかった。それが全部だった。
けれど、もう帳面は手元にない。
門の前に馬が止まる音がした。
顔を上げると、長身の男が立っていた。
「——辺境伯、殿」
「贈り物を持ってきた」
リュカは白い花束を差し出した。
反射的に、頭の中で記録が始まる。
——送り主:リュカ・ド・ヴァルモン辺境伯。品目:白い花束。白百合6本、カスミソウ。送り先——
「記録は後でいい」
「……つい」
「知ってる。職業病だろう」
リュカはポケットから一冊の帳面を取り出した。
見覚えのある表紙に、心臓が止まりかけた。
「——あの帳面」
「読んだ」
「全部、ですか」
「全部」
「……備考欄も」
「備考欄を、全部」
世界が終わった。
「胡桃の焼き菓子が好みかどうか」
リュカは帳面を開いて、備考欄を指で示した。
「好みだ。毎回残さなかった。あんたが手配した菓子だと知っていたから」
「……」
「袖口の墨は、書き物をしている途中で会議に呼ばれるからだ。気にしてなかった。気にしてくれていたのか」
「記録官として——」
「記録室の前を通ったのは7回じゃない。数えてない日も入れたら、もっとだ」
「……」
「それから」
リュカの声が、少しだけ低くなった。
「帳面を受け取る際に、指が触れた」
——あの一行。
「消したんだろう。消せなかったんだろう」
「……はい」
涙が落ちた。
「俺も同じだ」
リュカは帳面を差し出した。
「判定を出してくれ。全部の答えを渡したから」
「——贈答記録官は、贈り物に対して個人的な感想を述べません」
「なら備考欄に書け」
「……備考欄に書いていいんですか」
「俺の贈り物を一生記録してくれ。備考欄は好きに使え」
「それは——」
「辺境伯領に贈答記録室を作る。あんたの帳面が必要だ」
リュカはまっすぐに、私を見た。
「俺のそばで、記録を続けてくれ」
——記録いたします。
品目:求婚。
分類:□公式 ☑私的。
備考:返品不可。
「……お受けいたします」
声が震えた。営業スマイルではない顔が、どんな顔か分からない。
でも、たぶん——帳面には書けない顔をしていた。
◇
翌年の春。辺境伯領の贈答記録室で、私は新しい帳面を開いた。
仕事は変わらない。辺境伯領の外交贈答を管理し、返礼を手配し、禁忌品を避ける。
けれど、帳面の最後のページにだけ、少し違う記録がある。
——リュカ殿。毎朝、白い花を1輪。品目:庭の花。金額:算定不能。
——備考:分類は、もうしない。
エドゥアール子爵嫡男は、外交贈答の仲介失敗が重なり、社交界から姿を消したと聞いた。あの男爵令嬢とも、贈り物の趣味が合わなかったらしい。
記録はしない。私の帳面に載せる価値がない。
「今日の備考欄は?」
リュカが記録室の扉から顔を出す。
毎日聞いてくる。
「秘密です」
「備考欄は好きに使えと言ったのは俺だぞ」
「ええ。ですから好きに使っています」
帳面を胸に抱えて、笑った。
今度は営業スマイルではなく——たぶん、生まれて初めて贈り物をもらった子供のような顔だった。
——備考:この記録は消さない。
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