第38話、とある勇者の記憶
しかし先ほどの波動はなんだったのだろうか?
もしかしたら、俺の封印が弱まって——
駄目だ、これ以上は記憶の詮索になってしまう気がする。
そうだ、俺の意識とは違うところで働いた力だから、もしかしたらヴィクトリアさんがしたのかもしれない。
……怖いから確認はしないけどね。
そこで床に倒れている少女のほうへ視線を向ける。
服とマントで身体が隠れているためここからではよく見えないけど、恐らくあの少女も真琴と同じ状態のはず。
倒れている少女にも回復魔法をかけようと、近づき正面に回り込むと、すでに気がついていたようでその瞳は見開かれていた。
そしてギョロリと睨まれる。
俺は怯まず手を差し出し、起こす手助けをしようとするのだけど——
パチンと乾いた音が鳴り手を弾かれてしまう。
それでもめげずに食い下がる!
「回復魔法を——」
「いらぬお世話よ! 」
そして少女は自力で、なんとかといった形で上体だけを起こした。
「話は聞いていたわ。……てゆうかなんであんたに回復して貰わないといけないわけ? 回復魔法の一つや二つぐらい使えるんだから、ちょっとそこで見てなさいよね! 」
少女が右腕を掲げた!
すると手の平上に、大小様々な魔法陣がタワーバーガーのように縦に幾重にも現れる。
それは重力に引かれるようにして次々と落下してくると、少女を飲み込むようにして広がり足元へと落ちては消えていく。
「あれっ? おかしいわね」
少女は同じような事をもう一度だけすると、舌打ちをして立ち上がる。
「あっ、待って! 」
「私の事はほっといて! 」
少女はそう言い放つと、フラフラとした足取りで壁にもたれ掛かる。そして壁に身体を寄りかかりながら、時間をかけてこの場を後にするのであった。
あの子、あのままで大丈夫なのだろうか?
そこで声がかかる。
「キミの優しさを無下にするだなんて、やっぱりあいつは酷い奴だ! それにキミの命を奪おうとしてたんだから、あんなのはほっとけばいいよ」
目を覚ました真琴が、肩を怒らせて言った。
たしかに自分でなんとかすると言っているのを邪魔するのも良くない気がする。
でもあの弱々しい後ろ姿が、俺の脳裏に焼きついてしまっていたりもする。
そこで真琴がヴィクトリアさんをチラチラ気にしながら口を開く。
「そんなことより、これからどうしようか? 」
そうなんだ、俺たちはダンジョン内に作られた青色に染まる異界にいるわけで、その異界を作っている張本人がすぐ隣にいるわけなんだけど、彼女がどう動くかで俺たちの進む道が大きく変わっていくだろう。
でもやっぱり——
「ルルカたちが心配だね」
もしかしたらまだ戦闘中でピンチになっている可能性だってある。
どう転ぶのかわからないけど、ヴィクトリアさんなら頼べば簡単にここから出してくれるかもしれない。
よし、聞いてみるぞと声を出そうとしていると——
「いい事をお教えしましょうか? 」
ヴィクトリアさんが語りかけてきた。
そして続ける。
「あの方たちは一人も欠ける事なくモンスターたちを倒したようです」
「えっ、そうなんですか」
「はい。そして今は、ダンジョンを脱出するために道を戻られているようです」
「そうなんだ、……よかった」
ガドリューさんたちは熟練の冒険者だ。
そしてあの老紳士を目の当たりにした彼らだからこそ、あの異常な光景に危険を感じて、引っ張ってでもルルカと一緒に脱出してくれているのだろう。
と言うか、ヴィクトリアさんって読心術が使えるのでは?
「そうそうユウト様、このダンジョンの迷宮核に触れて頂けないでしょうか? 」
突然のお願いであった。
「迷宮核に、ですか? 」
「はい」
「その、触れたらどうなるのですか? 」
「色々とあります。ですので詳しい説明は触れられてからにさせて頂こうと思います」
ヴィクトリアさんはすでに俺が触れるものと思っているようだ。
うーん、どうしよう?
ヴィクトリアさんがさっきの戦いを止めてくれなかったら、真琴が死んでいたかもしれない。
恩がある人の頼みなわけだけど、だからと言ってなんでも言う事を聞くのは不用心すぎると思うし。
真琴に視線を向ける。
「どうしようか? 」
「ちょっと興味をそそられるかも」
真琴が異世界探索モードに入っていた。
うーん、真琴は切り替えてリラックスしているようだし、なるようになるでもいいのかな?
「ヴィクトリアさん、わかりました。……迷宮核に触れてみます」
「では今から案内をしますので、ついてきて下さい」
そうして俺たちはヴィクトリアさんの案内の元、青色に染まる闘技場内を進み地獄の黒い狼が出てきた半円状の入り口へと入る。
そして小脇にあった石段を上ると、二階観客席へと出てきた。
そこからゴブリンの王が座っていた椅子付近までいくと、観客席の一カ所に明らかに異質な下りの階段を見つける。
「この階段の先がコアルームになります」
そして五階建てビルくらいの高低差がある長い長い階段を、ヴィクトリアさんの背中を見ながら延々と下っていく。
「ヴィクトリアさん、ちょっといいですか? 」
「なんでしょう? 」
ヴィクトリアさんは前を向いたまま返事をした。
「どうして俺に、色々と教えてくれるのですか? 」
すると背中越しに微笑んだ、ような気がした。
「私は間接的ではありますが、そこの真琴さんと同じように貴方様に救われた者なのです。ですから手助けをするのは、感謝の気持ちが少しだけ入っています」
「そうなんですね。と言うか、少しの感謝以外の大多数を占める理由が超気になるんですけど」
前を見ながらひたすら階段を下りていくヴィクトリアさんが眼鏡を正す。
「それはですね、遅かれ早かれユウト様はこの世界の仕組みを知り、そしてある目的のためにきっと行動されるようになると思われましたので、回り道をしないように案内をする事になりまして」
「という事は、ヴィクトリアさんとは迷宮核を触れるまでしか一緒にいられないという事なんですか? 」
「……そうなります」
「そうですか。……ちょっと早いかもですけど、本当に色々とありがとうございました」
階段が終わると、通路の先は真っ白な濃い霧に包まれていた。
ヴィクトリアさんに続きその霧の通路へ入る。
そしてしばらく進むと霧が晴れてきて、いつの間にか小部屋に入っている事に気がついた。
この小部屋は、エジプトのピラミッドに使われている石ぐらいの大きさの、黒色で無機質な何で出来ているのかわからない素材の石で壁が形成されており、中央の台座の上には大きなクリスタルが浮かんでいた。
また床から天井、そして四方の壁に至るまで、その全てが緑色に発光しており幻想的な印象を与えてくれる。
真琴がキョロキョロと部屋を見回し、壁に触ったり床を踏み鳴らしたりしている。
そして迷宮核のところまで行くと、下から覗き込むようにしてクリスタルの上の空間を見つめ始めた。
「へぇー、クリスタルの上は天井がめちゃくちゃ高くなってるよ」
ほんとだ、クリスタルの上だけ天井が高くなっていて、目算で直径2メートル幅の穴が上に向かって50メートルくらい真っすぐに伸びているように見える。
しかもその穴の内部は緑色の発光に濃淡があり、それがゆっくりと渦巻いているため、まるで万華鏡を見ているようでずっと見ていても飽きない光景である。
「そのクリスタルが迷宮核になります。さあ、触れられて下さい」
ヴィクトリアさんに促され、恐る恐る手を伸ばしていく。
これって、触れた瞬間、石が転がってきたり、目をつぶっていないと出てきた亡霊に殺されるとかのトラップじゃないですよね?
そして真琴とヴィクトリアさんが見守る中、迷宮核にそっと手を触れてみた。
瞬間、手を触れたところで放電するかのようなバチィッという音が鳴り、視界が光に包まれ真っ白になる!
えっ?
なになに?
真っ白でなにも見えない!
とその時、遠い先に小さな黒点が生まれた。
それは物凄いスピードでこちらに迫る事によりどんどんと大きくなってくる。
また黒い点は近づいてくるにつれて、なにかの景色だという事がわかってきた。
あれは密林?
その真四角に切り取られた映像のような景色は、あっという間にここへ到達。
そして俺はその映像の中に引き込まれるようにして木々に包まれてしまった。
◆
暖かな陽光が森を照らす。
緑色の手が、細長い棒を握ってなにやらちょこちょこと動いている。
これは編み物をしているようだ。
そうして出来上がった巾着袋が、隣にいる小さな緑色の生物、ゴブリンの子供に手渡された。
はしゃいで喜びを表現するゴブリンの子供。
子供は首から下げた巾着袋を肌身離さず持ち歩き、その中にどんぐりなどの木の実を入れて大切に扱った。
場面が変わる。
薄暗い森の中に冷たい風が吹き抜ける。
首から下がる古くなった巾着袋の中には、狼の牙が一本入っている。
それをお守りのように扱い握りしめる手が、大きく長い大人のものに変わっていた。
風景が流れ出す。
手には剣と盾を持ち、鬱蒼と生い茂る木々の間を疾走している。
そして開けた場所に出ると、焚き火を囲んでいる人間たちがいた。
そのすぐ近くのテントの横には、檻に入れられた子供のゴブリンたちの姿も。
なんの迷いもない。
地を蹴る!
檻の近くを歩いていた、木のジョッキを手にしている人間の横を駆け抜ける際、首を掻き切る。
そして檻にかけられた錠前を壊しかんぬきを外すと、急かすようにして子供たちを逃していく。
それを見て怒り狂う人間たちの一人が斬りかかってきた。
それを盾で防ぐと押し戻そうとするが、力比べになり互いの身体の位置が変わってしまう。
そして力負けして、明後日の方向へ移動させられてしまった。
その先には焚き火が——
このまま行けば突っ込んでしまう!
しかし蹴り飛ばした!
火傷を気にせず思いっきり焚き火を。
暗闇に火の粉を舞い散らせて。
いや、もしかしてわざとこっちに押し出されたのでは?
場の明かりが一気に弱まったため、人間たちは目がこの暗さに慣れておらずに動きが鈍くなっている。
これを狙って!
しかし力比べをしていた人間だけは暗闇を臆せずに突っ込んできた。
ガツガツと武器と盾が当たる音がする中、人間の手首を斬りつける事に成功したが、逆に腹部を剣で刺されてしまっていた。
人間はそれで冷静さを取り戻したのか、後ずさりをする。
しかしゴブリンは引かない。
他の人間が短弓を引き絞る中、逃げることなく武器を構え戦う姿勢を崩さない。
このゴブリン、時間稼ぎをしているんだ。
子供たちが少しでも遠くに逃げられるように。
後退した人間が回復魔法を受ける中、太ももに矢を受ける。
そして三人の人間が囲むようにして間合いをどんどんと詰めてきた。
もう少しで剣の間合いだ。
そこでゴブリンが雄叫びを上げた。
森を揺るがすほどのその雄叫びからは、人間たちへの憎しみと、逃げた子供たちへの無事を祈る気持ちが伝わってくる。
風切り音。
肩に矢が刺さると、それを合図に人間たちが斬りかかってきた。
至る所を斬られ剣を持つ右腕を失ったが、それでも雄叫びを上げる。
しかし喉元に矢を受けると、糸が切れた人形のように背中から倒れこんでしまう。
しかし最後の力を振り絞り手を動かす。
そしてなんとか巾着袋を握りしめた。
眼前には完治したのか、手首を斬りつけていた人間がこちらまで来ており上から見下ろしている。
ゆっくりと上げられる足。
そして巾着袋を握る拳ごと、胸を踏みつけられてそのゴブリンは動かなくなった。
人間は巾着袋を引きちぎり中身を確認すると、そのまま近くの岩盤に丸ごと叩き捨てた。
そこで場面が変わる。
近くに倒れていたゴブリンはその殆どが土に還っており、森は暖かな光を浴び野鳥の声が遠くから聞こえている。
そのまま時が過ぎるかと思っていると、突然一筋の強烈な光が巾着袋を照らし始める。
その強烈な光は、その光自体が呪文の詠唱のようであり、並べられた文字のようでもある。
そして巾着袋は光に包まれると、その体積を増大させていくのであった。




