第34話、不気味な老紳士
真琴は魂の旋律者から一時も目を離さない。
そんな真琴を、ハインツェさんが怪訝そうな表情を浮かべながら見つめている。そして敵のただ中にいるからであろう、ハインツェさんは早口で捲し立てるように話しかける。
「任せて大丈夫なんですか? 」
「真琴さんは凄いのです! 魔力を飛ばすんですよ! 」
真琴の代わりにルルカが説明してくれた。
「魔力を飛ばす? 」
そこでハインツェさんがもろに訝しげな顔になった。
なんかハインツェさんは魔法を使ってそうだから、この言い訳がこの世界の常識の範疇に入っていないのなら、納得してくれないかもしれない。
目線を上げると、ゴブリンたちが俺たちを取り囲むために客席の最前列を通りながらこちらへ移動して来ているし、ハイゴブリンたちは闘技場に下りて等間隔に広がるとこちらとの距離を少しづつ確実に狭めて来ている。
どう考えても説明している暇なんてないんだけど、どうしよう?
そこで意外なところから援護が入る。
「バカ野郎、こんな時に説明なんて求めるから頭のネジがぶっ飛んでるって言われんだよ! 」
ガドリューさんだ。彼は弦を引いた状態にしたクロスボウに矢をセットし、大剣を背中から取り外しながらに言った。
「たしかにそうなんですが——」
「それにな、俺が前に見た魂の旋律者はあんなにボロボロじゃなかった。現に奴はそこのマコトの動きをジッと観察してやがるし、マコトが隙を見せずに奴の動向を窺ってるから、奴は下手に動けないでもいやがる」
そうだったんだ。
それで奴はずっと前傾姿勢で苛立ったような感じで闘技場のど真ん中に立っているんだ。
「なんでかまでは知らねぇーが、あいつはマコトに任せていい気がする。俺たちはボスをやるぞ! 」
「ガドの直感は頼りになりますからね。わかりました。……ではいきますよ」
ハインツェさんは薄っすらと瞳を開け虚ろな表情になると、呪文の詠唱に入った。
するとその手に持つ杖の先から、刺々しいエネルギーを感じさせる青白い光が集まり始める。
ガドリューさんは大剣を盾のようにして前面に構えると、一人で恐れることなくあの数のハイゴブリンたちとの間合いを詰めだした。
自信があるんだ、あれだけのハイゴブリンを相手にして戦える自信が。
真琴に視線を移すと、なぜかはわからないけど、真琴の肉体が悲鳴をあげているような気がした。
そうだ、俺も出来る事をやらないと!
複数の白濁球を作り上げるとそれを一つに纏める。そしてその特大の白濁球を、真琴の少し上へ狙いを定め飛ばす。
回復の塊は例のようにすぐに形を崩してしまったが、それは想定済み。
そして狙い通り、真琴の頭上に白濁の雨を降らす事が出来た。
とその時、魂の旋律者が真琴との距離を取るためにバックステップをした。
しかし真琴は追おうとはしない。
逆に、両手を広げ悠々と、白濁の雨を祝福するかのようにしてその身に受けていく。
ぼたぼたと液が滴り落ちる中、真琴がこちらに振り向き、口の端についていた白濁の滴を、舌先でぬぐうように動かすと口を開く。
「キミが生成したものは、一滴でも無駄にはしたくないからね」
そしてその身を濡らす回復の雨が止むと、真琴がその場で構えをとる。そして真琴の視線の先にいる奴へと視線を向けると——
っ、なんだあれは!?
魂の旋律者は一体のハイゴブリンの背後上方にへばりついていた。
二人羽織のようにして取り付く奴は、暴れるハイゴブリンの身体にその長細い腕を何本も背後から差し込んでいっており、泡を吹いていたハイゴブリンの目が大きく見開き真っ赤に染まると、その身体が隆起した筋肉で膨れ上がり一回り大きくなる。
そして動く!
はっ、早い!
足を強化している真琴と同等の移動スピード?
真琴との距離が一瞬で縮まる!
しまった、接近を許してしまった!
そしてあまりのスピードで影としか見えない魂の旋律者と真琴が衝突!
奴は真琴の直接の掌底打ちを取り憑いたゴブリンが手にしていた盾で防ぎ、反対の手で握る剣を振り下ろそう、とした。
しかし真琴のゼロ距離掌底打ちの破壊力は計り知れなかった。
奴の敗因はその威力を知らなかった事だろう。
ハイゴブリンの盾を持つ手は盾ごと吹き飛ばされ、その後ろにいる奴もその威力で仰け反る。
そしてハイゴブリンに差し込まれていた腕もその威力でことごとくが途中で千切れ、奴の身体も陶器にひびが入ったかのような大きな亀裂がビシッと入った。
そこで手前のハイゴブリンが霧散し、魂の旋律者が曝け出される形に。
そこにトドメとなる真琴の短い掌底打ちが唸りを上げる!
『ボバッ』
奴の胸部が吹き飛び、大きな穴が一つ出来上がった。
そしてワンテンポ遅れてそこから四方八方全身に亀裂が走ると、その亀裂から光が零れだしそのまま奴が眩い光に包まれる。
その光はいっときの間輝き続けていたのだが、突然弱まってきたかと思ったら次の瞬間には魂の旋律者の姿はそこには無かった。
「やりますね」
ハインツェさんの呟き。
そう、やった、ついにあいつを倒したぞ!
そこで真琴が脱力する。
両膝をつき四つん這いになると、荒い息をあげ始める。
「真琴! 」
「ここは任せて行きなさい」
ハインツェさんが魔法で生み出した槍で、観客席で弓を構えていたゴブリン二体を串刺しにする。
「はい! 」
そうして真琴に向け駆けだした俺は、同時に白濁球の生成も行う。
「すぐに治すから待ってて! 」
その言葉を受け真琴は、疲れた表情の中に笑みを浮かべる。
「少しムキになって、疲れたかも」
そして真琴の元に駆け寄った俺は彼女の上体を起こし座らせると、腕と脚を中心に白濁液を塗り込んでいく。
すると予想通り、液が蒸発するかのようにして一瞬にして吸収されていった。
チラリとガドリューさんたちのほうを見ると、あのハイゴブリン相手に一人でバッタバッタと斬り倒していき、ハインツェさんは魔法の槍でガドリューさんの援護と観客席のゴブリンの相手をしていた。
その時、戦場となっている場所から少しはずれた観客席から、ひょこっとゴブリンが頭を出したのが目に入った。そいつは隠れるようにして見下ろすと、弓に矢をかける。
そして狙う先は……ルルカ!?
ハインツェさんはルルカの少し前に陣取り呪文を唱えている。
二人共気づいてない!
「ルルカ! 」
そして矢が放たれた。
こちらを不思議そうに見るルルカに、その矢は刻々と距離を縮めていく——
そして矢は、ルルカの背中へ吸い込まれるようにして進み、直前で軌道を逸らした。
え、あれは!?
「ユウト君、心配かけさせてしまったようだね。すまない」
矢を射ったゴブリンを魔法の槍で貫いたハインツェさんが、片手を上げて謝ってくる。
もしかしたら矢の軌道を曲げたのも、ハインツェさんの魔法なのか?
とっ、とにかく良かった。
早く真琴の治療を終わらせて、俺も戦いに参加しなければ。
そんな事を考えていると、空中に人が浮かんでいるのが見えた気がした。
二度見する。
目を擦る。
やっぱり、浮かんでいる!
しかも明らかに場違いな格好の男が。
闘技場の宙に浮かぶのは背筋をピンと張った白髪に口ひげを蓄えた初老の男で、顔にある深いシワを笑みの形に曲げている。
この浮かぶ男、ボタンやポケットの位置が絶妙なバランスで、光沢のある上質な黒生地のスーツと切れ長のカッターシャツに袖を通し、さらにステッキなんて洒落たものまで携帯しているため、初老の男と言うより老紳士と呼んだほうがしっくりくる恰好をしている。
あっ、どこに持っていたのか、取り出した黒のシルクハットを胸の前でクルクル回転させてそのまま頭に乗せた。
「ふむふむ、私のコレクションを倒す者が現れたのでコッソリ見に来たのですが、あなた、どうやら普通の人間ではなさそうですね」
その老紳士は、真琴を興味津々といった感じで見下ろしながらにそう言った。




