第7話「小さな違い」
澪と朔が生まれてから、季節は二度巡った。
山のふもとの小さな家に、子どもらしい笑い声と泣き声が混じるようになり、母の暮らしは慌ただしく、それでいて温かいものに変わっていった。
澪はよく笑った。少し転んでも泣きべそをかいたあとには、すぐに立ち上がって、また駆け出す。好奇心のままに庭の草を摘んでは「おかあさん、みて!」と両手を広げる。
その姿は、誰がどう見ても「人間の子」だった。
一方で朔は違った。泣き声は低く短く、何かをねだるように母の胸元へと伸ばした手は、乳ではなく血の温もりを求めているように思えた。
生まれて間もないころからそうだった。澪が母乳を満足そうに飲む横で、朔は長く口をつけようとせず、かわりに母の手首や首筋に小さな口を寄せた。
まだ幼すぎて、牙などは生えそろっていない。それでも、肌に触れるたび母は思わず身を強張らせる。
その赤い瞳が、夜の明かりを反射するとき――自分が産んだのは、まぎれもなく人間と吸血鬼の境目にある子なのだと、改めて突きつけられるのだった。
◇
双子が二歳になった頃。
澪はすでに片言を話せるようになり、言葉を覚えることが楽しくて仕方ない様子だった。
「おかあ、あれ、きれい」
「そうね。桜の花びらよ」
「さくら……」
庭を舞う薄桃色の花を指さす澪に、母は笑って応えた。
その横で、朔はじっと空を見上げていた。
桜の色にも、風の心地よさにも反応を示さず、どこか遠くを見透かすように目を細める。
視線の先にあるのは、山の影が長く伸びていく夕暮れ。日が落ちる気配に、かすかに鼻をひくつかせる。
その仕草は獣じみていた。母は声をかける。
「朔、花を見てごらん。きれいでしょう?」
「……」
応えはなかった。ただ、赤い瞳が桜ではなく、母の首筋にちらりと向く。
澪はまだ知らない。けれど母は悟っていた。
この子はきっと、人の食べるものだけでは満たされない。
◇
ある晩のこと。
風が強く、家の戸を叩く音に澪は怯えて泣き出した。母はそっと抱きしめ、子守唄を口ずさむ。
そのとき、朔が立ち上がった。
夜の闇に誘われるように、ふらふらと窓辺へ歩いていく。
まだ小さな足取りなのに、不思議な確かさがあった。
「朔!」
母が呼ぶと、振り返った幼子の瞳は、月明かりを映して赤く輝いていた。
その表情は、同じ年の子どもとは思えぬほど冷ややかで、どこか「夜の住人」としての自覚を宿していた。
抱き上げると、朔は小さな牙で母の肩口を噛もうとする。もちろんまだ浅い乳歯で、傷など残らない。それでも、肌に食い込むその感触に、母は背筋を震わせた。
――ああ、この子は、血を求めてしまう。
いずれ、否応なく。
◇
翌日。
澪は近所の子どもたちと混じって遊んでいた。
転んだ子を助け起こし、笑い合い、また駆け出していく。
その中に溶け込む澪の姿は、どこからどう見ても人間そのもの。
一方で朔は、輪に入ろうとしなかった。母の影に隠れるように立ち、子どもたちの声を遠巻きに聞くだけ。
ときおり鼻をひくつかせては、誰かの擦りむいた膝から滲む血に、無意識の視線を送っていた。
母は息をのむ。澪がその血を「痛そう」と眉をひそめたのとは、まるで違う反応だったからだ。
◇
夜、二人を寝かしつけたあと。
母は薄暗い部屋で一人、灯りを見つめていた。
澪と朔。二人は同じ日に生まれた、愛しい子どもたち。けれど、その生き方は、これから先きっと分かれていく。
「……それでも、私の子」
誰に言うでもなく、声に出した。
澪も朔も、抱きしめられる権利がある。愛されるべき存在だ。
ただ――母は知っている。
「普通の幸せ」という言葉は、澪の方にだけ開かれているのかもしれないことを。
朔に待つのは夜の道であり、孤独であり、血の宿命。
灯りが揺れた。
窓の外には新月。闇が濃く降りる夜だった。
母は目を閉じ、心に刻む。
たとえ世界が二人を拒もうとも、自分だけは決して拒まない。




