第5話「夜の記憶」
◇四月の夜、月はまだ細く、街灯の光が静かに通りを照らしていた。
◇澪は眠れずにベッドの上で身を丸めていた。母の優しい声はまだ耳に残っているが、どこか冷たさも感じる。
◇一方、朔は自室の窓辺で影を眺めながら、血の匂いに敏感に反応していた。眠ることも、人間らしい時間の流れも、彼には遠いものだった。
◇「カナ……今日も元気だった?」
◇母が囁くように言ったのは、双子が生まれて最初の春のこと。澪は人間のように笑い、朔はまだその意味を理解できなかった。
◇幼い頃、澪はよく庭に出て、カナの花を摘んで遊んだ。色とりどりの花びらに手を伸ばし、光に触れるたびに小さな歓声をあげる。
◇朔はその横で、花に近づくことをためらった。匂いの奥に潜む血の記憶が、彼を警戒させるのだ。
◇「澪、そんなに近づいたら危ないよ」
◇朔は声をかけるが、澪は振り返らずに笑った。
◇「だいじょうぶ、朔。怖くないよ」
◇夜が深まるにつれ、二人の違いは明確になっていく。澪は人間らしい夢を見、朔は血と影の夢に囚われる。
◇それでも、幼い二人の間には確かな絆があった。朔が身を引いても、澪は手を伸ばす。
◇その手を触れた瞬間、朔は自分が夜の生き物であることを改めて意識した。
◇「僕は……普通にはなれない」
◇朔は小さな声で独り言をつぶやく。澪はただ静かに、微笑んでいた。
◇翌朝、澪は窓辺に置かれたカナの小さな花を見つけた。
◇「朔……これは?」
◇返事はない。ただ、朝日に揺れる花びらだけが、夜の記憶をそっと抱えていた。




