ゆめ
夢
突然、夢を見た。
何のわけもなく、
前触れもなく、
ただただ唐突で、
夢を見てしまった。
それは、姉さんが自殺した夢。
****
1:58 AM
……時刻は深夜二時。
こんな真夜中で、俺は悪い夢を見てしまった。
“はは……何言ってんだよ……俺らは別にそんなに仲が良いわけではないだろう?”
この話がきっかけで、夢の中に俺の目の前の景色が一転した。
散乱した髪がボサボサで、目の下にちょっぴりクマができて、憔悴しきった女性の顔。
この女性は、俺の姉さん。
その顔に悲しい目つきが、手に持った受話器から俺の“……俺らは別にそんなに仲が良いわけではないだろう?”という言葉が出た途端、全て虚ろになった。
“……うん。そうだね。”と、彼女がそう言った。
そして、あの受話器から、まだ何もわからない声が出てきた。
“全くもう……深夜二時だから、寝かせてよな。”
この話を聞いて、どんな顔色になったのかわからない。
ただ、彼女この後の声色は、とっても無力で……唇は何が言いたくても、言えそうにない震えていた。
“……ごめんね。”出たのは……たったこの一言。
プツン。
電話が無情に切られた。
そして、どれくらい経ったのかわからない。
突然、彼女はゆっくりと立ち上がった。
どこから取り出した縄を結び、椅子に立った――
ああ――
見たくない景色。
****
1:59 AM
40
……思い出すだけで、嫌になる。
“夢は覚めた後すぐ忘れる”と、よくこんな話が聞こえるけど、全然そんなことじゃない。
50
……思い出せる人は全然思い出せる。
特に、悪夢は。
55
もうそんなことを考えないようにしよう。
58
もう一度――
59
寝ようか――
00
ドドデンドドンデンドンドンド♪
と、俺がもう一度寝ようとそう思った瞬間、スマホから電話かけられたチャイムの音が鳴った。
2:00 AM
時刻は……深夜二時。
ドドデンドドンデンドンドンド♪
ZONYのデフォルトのチャイム。
ほとんどの連絡人がかけてくれた時、俺はどんな人がかけてくれたのか識別できるように、音楽を設定したが……俺は唯一設定してないのは、家族だけ。
ドドデンドドンデンドンドンド♪
最初は、“いや、きっと父さんや母さんだろう”と、ずっと無意識に嫌な予感拭えるように強く考えてた。
ドドデンドドンデンドンドンド♪
しかし、スマホのモニターから出た連絡人の名前を見て、やはり嫌な予感が的中した。
“姉さん”
ドドデンドドンデンドンドンド♪
俺は恐る恐る、スマホを手に取り、わずかに迷っている。
……電話に出ていいのかな?
……もし、夢みたいに――俺は自分の失言に姉さんが自殺した景色が脳内に蘇る。
一瞬、電話を切ろうとも思った。だって、失言しないようにするのは、何も話さないのが一番適切だと思う。
だけど、直接電話を切ることは、それはそれで……まずいと感じていた。
ドドデンドドンデンドンドンド♪
電話がまだ鳴っている。
……俺は、指で緑色アイコンのところに横スライドし、電話を出た。
「……もしもし?」俺は細く、細く声をかけた。
『あ!やっと電話を出た!』受話器から聞こえたのは、姉さんの明るい声色。
……?
なんだ……全然明るいじゃん。
一瞬ホッとした俺だったが、違和感を感じてる。でも、何の違和感なのか、うまく説明できない。
「……なに、どうしたの?」
「いや、なんか突然、弟君の声が聞きたくて……」ヘラヘラみたいな感じに言っているけど、何となく感じてる。
“何それ。俺らは姉弟だろう。別に(恋人みたいに)仲が良いわけではないだろう”というツッコミが脳内によぎっていたが、姉さんはきっと……ツッコミなんか求めてない。
そもそも、姉さんはあまり冗談を言うタイプの人じゃない。
姉さんはふざけようとした時、大体何かを隠しているのだ。
そして、俺はさっきの違和感が何なのか気付いた。
姉さんはこんな深夜に明るい人ではない。深夜テンションという状況は、姉さんの身に発生しない。彼女は夜更かししようとしても、必ず途中で眠ってしまうから。
彼女が本当に眠れない時は……心に何かが引っかかっている時だけ。
『ごめん……』俺がずっと返事してなかったからだろう、姉さんいきなり謝った。
『……迷惑だった?』声色が、何となく消沈している感じがした。
俺の脳内に、再び夢の中の景色が蘇った。
向こうが見えないとしても、俺は首を横に振った。
「……ううん。全然。」
俺の言葉にびっくりしたのか、それともどう言えばいいかわからないのか、数秒間、俺たちは何も喋っていなかった。
「……いつでもかけていいよ。俺の声が聞きたいなら。」
『……ふふ。何それ。姉さんに言う言葉じゃないだろう。』
「別にいいだろう……それに今、家族デートというものがあるらしいよ。」
『……本当?』
「嘘です。」
『……この野郎!』
「へへ。」
……よかった。まだお茶目の部分がある。この一瞬だけ、俺は向こうがちょっと緩い雰囲気を感じた。
『……でも、本当にいいの?』
「家族デートのこと?」
『違う!電話のこと!』
「電話?」俺は知らんぶりをする。
『……いつでもかけていいって。』
1秒。
「うん。いい。」
『……』向こうはまだ何が言いたそうとしているが、俺は先に話を遮った。
「俺も……時々姉さんの声が聞きたいから。」
1
2
3
4……そんなに長くない沈黙だったが、長く感じる静寂。
『……そう。』
「うん。」
また数秒間が経って。
『……ありがとう。』
「うん。」
『本当……ありがとう。』
「……うん。」
『それじゃ、また。』
「うん。またかけて。」
プツン。
俺は時間を一瞥して、スマホのモニターに見つめる。
2:10 AM
……これで、いいんだろうか?
わからない。
俺は不安を抱えたまま、ベッドに寝付く。
でも、色んな思い込みと、無茶苦茶な思考のせいで、四時まで俺はずっと眠れなかった。
****
翌日
1:25 PM
「はぁあー」俺はあくびをして、ビッと、ギイィウゥン……タイムカードが機械の中に吸い込まれて、機械はコピー機みたいな音を出している。
ドゥンク、ビー、ドゥンク、ビィー……ギイィウゥン
再びタイムカードが出てくると、退の部分に、13:25の数字が刷り込まれていた。
「今日はやたらと眠いねー田中くん。」肩が誰かさんに掴んで、身体が密着な状態になった。
この人は同じ会社の高橋さん。同僚という言葉を使わないのは、俺たちが同じ会社にいるだけ。業務が全く関わっていない。
「……まあな。昨日の夜ちょっと電話があってね。」
「いたずら電話?それとも彼女?」彼は小指を立てている。
「違う。」
「じゃあ何?」
「君と関係ないだろう。」
「こっちが心配して言っているのに。」スッ
……やっと手を離してくれた。
「それはどーも。」俺は言いながら、自分のカバンをまとめて、次に彼に言った。
「とにかく、俺は今日早退するんで。」
俺は歩き出そうとする瞬間、高橋さんが返事する。
「あぁーあ!羨ましいな~真面目な人は早退しても文句言われないし……」
「お前も真面目に仕事をやればいいんじゃない?そうすると休みを取る時、なんでって深く追及されないはず。」
「そうか……考えとくわ。」
“高橋~!”と、室内の奥に怒鳴っている声が伝わってくる。
「うわっ、やべっ。俺なんかやっちゃったのか……」
「しっっかり怒られてこい。それじゃ。」
「……じゃあな!夜はしっかり眠っとけよ!」
俺は振りかえずに、適当に手を振った。
****
2:30 PM
明日は平日。だが、すでに休みの許可を取っておいた。そしてその後は週末。
だから大丈夫。
今はしっかり眠ってもいい。
****
夢はいつも唐突で、現れる。
今回、また夢を見た。
また……姉さんが自殺した夢。
――ああ。
やだ……
見たくない。
見たくない!
****
2:58 PM
……時刻は午後3時。
生活リズムを調整するために、今少し寝ようと思ったんだが……
俺はまた……悪い夢を見てしまった。
“いや姉さん。こちらは今、出勤している最中なんだよ……言いたいことがあるなら、帰ったら聞くから。”
今回の夢は、俺が会社にいて、ちょうど忙しい時に返事できない業務の最中だった話。上司がいて、あんまり電話ができない状態。セリフも情景も、会社のそのまんま。
額から汗が掻く。
昨日のこともあって、嫌な予感がした。
俺は時計を一瞥して、時間を確認する。
2:59 PM
40
いや……まさかな……
50
そんな偶然――
55
ありえないだろう。
俺は自分のスマホを見つめて、時間が経つのを待っている。
57
58
59
……
3:00 PM
一瞬の静寂。
なんの音も出さないスマホを見て、俺ははっと鼻で笑った。
ほらな、そんな偶然――
ドドデンドドンデンドンドンド♪
3:01 PM
俺は思わず息を呑んだ。
予感が的中した。
ドドデンドドンデンドンドンド♪
“姉さん”
ドドデンドドンデンドンドンド♪
一瞬ためらったけど、俺はすぐ電話を出た。
「……もしもし?」
『お!早いね。』姉さんの声。深夜と同じく、明るい声色。
でも、今ならわかる。彼女は無理やり明るく振る舞っている。
「……そりゃあ、今は昼だから。」
『おお。それもそうか……って、あれ?じゃあ、会社は?君の会社はたしか――』俺は彼女が言う前に、話を遮った。
「早退した。」
『え?!なんで?!もしかして私が昨日――』「なんか会社に嫌な雰囲気があったから、早退した。」
『……そう。』
……沈黙。
『いじめられてない?』
「ない……あったとしても、仕返しする。」
『……すごいね。君は。』
「そう?」
『うん。君はすごい。』
これは、本当に俺に向かって言いたいことなんだろうか……もしかして、彼女は実は自分に言い聞かせたいんじゃないのかな。
正直、こちらが少し踏み出していいのか全然わからないけど。
でも……
「……それで?」
『うん?それでって、どういう?』
「姉さんの会社は?」
『……いい感じだよ。うん。いい感じ……』
「……本当?」
『……うん。』
声色が……消沈していく。
本当は、もう少し言いたかったんだろう。“大丈夫だよ”とか、“もう大人なんだから”とか、無理やり明るく振る舞うなら、そういう感じの明るさを出すつもりかもしれない。
沈黙が続く間、いつの間にか……電話が切れた。
****
それから、この後何日も同じ状況が続いていた。
俺が夢を見て、その次の瞬間に電話が来る。
4:15 PM
6:40 PM
続いて、続いて――
00:30 AM
4:30 AM
続いて、続いて……
9:10 AM
3:50 PM
終わりの目途がつかないくらいに続いて、通話していた。
そして、ふと、俺は気付いたんだ。
もし夢は夢であれば、
俺にとっての現実は、なんの現実なんだろうか。
夢はいつも唐突で、目の前に現れる。
俺の目の前にあるのは……
現実なんだろうか?
****
「姉さん。」
『……どうしたの?』
「君は本当に……俺の姉さんなのか?」
『……』
沈黙。
長い長ーい、沈黙。
『……気付いたんだね。』
「この間、ずっと電話だけしていたから、流石に気付くよ……」
俺は、ずっと姉さんに会っていない。たとえ会いたいと言っても、はぐらかされる。
俺は……電話されている日以来、姉さんに会ったことがなかった。
『……後悔している?』
「ああ。するよ……そりゃあ。ずっと後悔している。」
『じゃあ、現実を見る勇気は?』
「ない。ないからこうなっている。」
俺は、姉さんの死から逃れるために、夢を見続けている。
自分が作った夢に。
『もしかして、まだチャンスがあるかもしれないよ?』
「もうないんだよ!チャンスなんて……」
『いいえ、まだあるよ。』
「……何言ってんだよ。もうそういうチャンスがないから、俺は――」
『これは、まだ夢の範疇だから。』
固まる。
全てが固まる。
世の中の全部、その全てがぐにゃりと歪んで、固まる。
『もう一度、チャンスをあげる。』
“今度は何をすべきか、もう見失うなよ!”
****
夢
突然、夢を見た。
何のわけもなく、
前触れもなく、
ただただ唐突で、
夢を見てしまった。
それは、姉さんが自殺した夢。
まるで人生のように、とても長い長ーい悪い夢。
本当、嫌な感じだった。
けれど、夢はすぐ忘れる。
なぜなら、俺はやるべきことがわかっている。
1:58 AM
時刻は深夜二時。
俺は、電話が鳴る前に、先に向こうの番号に繋がる。
「もしもし?姉さん……ううん。ただ姉さんの声が聞きたくて。」
いったい……どこから夢なのか、現実なんだろうか……
夢は唐突で現れることがあれば……
突然、終わることもある。
プツン。
完