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1 約束

僕たちが初めて会ったのは、まだ寒さが冬の名残を残していた季節だった。

風は冷たかったけれど、空気は澄んでいて、街は妙に静かだった。

その日は特別な何かが起きる気がしていたわけでもなく、ただ、大学の集まりに顔を出しただけだった。


彼女はその場にいた。

彼女がそこにいること自体は、何も特別ではなかった。

彼女は目立つわけでもなく、ただそこにいて、コーヒーを飲んでいた。それだけだ。


だけど、僕は目が離せなかった

彼女の手がカップに触れるその仕草。

髪を耳にかけるその動き。

どれもが僕の意識を引き寄せた。

理由は分からない。

それでも、彼女が特別に思えたのは間違いない。


彼女はとても普通だった。

普通に話して、普通に笑って、普通に過ごしているように見えた。

けれど、彼女と話すと、彼女の中にある何かが僕を揺さぶった。

「なんでサークルに入ろうと思ったの?」

僕がそう聞くと、彼女は軽く肩をすくめた

「暇だったからかな。何かに所属してる方が安心するじゃん。」

それは、まるで自分の感情を分析するような口ぶりだった。


その日から、僕たちは頻繁に会うようになった。


大学の帰り道、一緒に歩くようになった。

二人で過ごす時間は、それほど特別なものではなかったはずだ。

でも、それが僕にとって重要なことだと感じるのに、時間はかからなかった。


「30歳になったら結婚しよう。」

付き合い始めて半年くらい経った頃、彼女が言った言葉だ。

その時の彼女は、コーヒーを飲みながら、まるで何でもない話をするような口調だった。


「30歳か。随分具体的だな。」

「具体的な方がいいでしょ。ぼんやりした未来の話なんて意味ないから。」

彼女の言葉は冷静で、どこか現実的だった。

けれど、その目は少しだけ揺れているように見えた。


その揺れを感じた瞬間、僕はその話が彼女にとって特別なものだと気づいた。

だから、僕は頷いた。

「分かった。30歳になったら結婚しよう。」



その約束は

僕たちにとって

未来への希望だった

けれど

彼女は30歳を迎えることなく

この世を去った



僕は駅前の広場で立ち止まる。

そこは、いつも僕たちが待ち合わせをしていた場所だった。

ベンチが二つ並んでいて、向こうには小さな噴水がある。

その噴水の音は、今でも彼女の声を思い出させる。


彼女はもう居ない。それは事実だ。

でも、その事実を受け入れるのは、僕にとってあまりにも難しいことだった。


僕はポケットに手を突っ込み、彼女のスマホに触れる。

その冷たい感触が、現実を突きつけるようで僕は手を引っ込めた。


歩き出す。行き先なんて決まっていない。

ただ彼女のいない世界を歩くことしかできない。

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