二者択一
ダシが染み込んだ柔らかい野菜。ホロホロの鶏肉。柔らかくなりながらも、しっかりと歯応えがあるキノコ。鍋は野菜嫌いが野菜を食べられる唯一の料理だと思う。
「今日は木村さんと出掛けたんですって? 短い期間で、ずいぶんと仲良くなったね」
「こりゃ彼女が出来るのも時間の問題―――って言いたいところなんだが」
「問題が?」
「俺にバスケットボールをぶつけてきた男がいたろ? そいつ実は木村さんの幼馴染でさ。昨日ちょっとしたイタズラを仕掛けられたんだ」
「ちょっと、ね」
「もうイタズラさせないようにするって木村さんは言ってくれたけど、多分聞く耳を持たないだろう。仲が良好ならまだしも、絶縁に近い状態らしい」
「金田信一」
鍋のおかわりをよそってくれた椀を俺に手渡しながら、水樹は金田信一の名を呟いた。
「知ってたのか?」
「調べたのよ。いつもみたいにね」
「……ヤバいのか」
「金田信一が、というよりも、その傍にいる連中がね。彼が金で雇ったゴロツキの中に、面倒な組織に属している奴がいるのよ。アンタが公園で逃がした男よ」
「ビビッて逃げた奴か? なら別にヤバくないだろ」
「危険なのは個人ではなく、その個人が属している組織。枝分かれされた小さな組織だけれど、その根本には、あの女……黒咲雅がいる」
「えぇ……」
黒咲雅。俺にとって忘れられない女だ。妖しく、危険で、俺が一番夢中になった最高最悪の女。蜘蛛と蛇から産まれてきたかと思えるほどに、人を篭絡させるのを得意とする。俺もあの女の美貌と甘い言葉に騙され、危うく体をバラ売りされかけた。
「俺、また狙われるの……?」
「あら、本望でしょ?」
「そりゃ何も知らなかった時はな。今じゃ会いたくない人間ランキングの殿堂入りだよ……」
「燃える千奇城で見たあの女の眼。凄く、怖かった……私の背で意識を失ってたアンタは知らないと思うけど」
「……その節は、大変お世話になりました」
「とにかく。これ以上アンタが生きてると勘付かれたくない。普通に生きてる分には勘付かれないから。今後はトラブルを起こさないで。あの女の目と耳がそこら中にあると意識して」
「要は、暴れるなって事だろ。安心してくれ。俺も馬鹿じゃない」
その時、携帯に一件のメールが届いた。確認すると、木村さんからのメールだった。
【助けて】
たった一言。そのたった一言を目にした瞬間、俺の体は動いていた。玄関で急いで靴を履き、外に飛び出そうとした矢先、俺は床に倒された。
「私が安心出来る訳ないでしょ。だってアンタ、底無しの馬鹿じゃない」
俺の背に乗っている水樹が、酷く冷たい声色で言った。強引に立ち上がろうとすれば、肩の関節を外されて腕が使い物にならなくなる。昔から変わらず水樹は強いな。
「同じ手に引っかかるつもり? 前も木村さんからのメールで罠に嵌められたでしょ」
「昔から助けを求められたら、衝動的に体が動くんだよ」
「知ってる。とりあえず木村さんに通話を掛けるから。本当かどうか確認しなさい」
「おぉ。頭良いな」
「アンタは頭が悪いわね」
関節技を掛けられて動けない俺の代わりに、水樹が木村さんに通話を掛けてくれた。直接耳に当てず、スピーカーで通話出来る時代で助かった。
しかし、どれだけ待っても木村さんが通話に出る気配が無かった。繰り返されるコール音に、俺も水樹も不審に思い始めてきた。
「……出ないな」
「出ないね」
向こうから通話が切られた瞬間、拘束が解かれ、俺達は外に飛び出した。水樹は自分の部屋に戻り、俺は外をひたすら走った。走っていると、すぐに水樹から通話が掛かってきた。
「トラブルは避けろって話じゃ?」
『人命が掛かっているなら別。通話を切られたって事は、まだ電話を持っているという事』
「つまり!」
『特定した。走って三十分の位置。アンタなら半分で行ける』
「その更に半分で着く!」
通話を切った後に送られてきたマップを参考にしながら、俺は走った。
目的地に辿り着くと、そこは一般的な一軒家だった。家の前には二台の車が停められていて、玄関の扉が開いたまま。車のサイズ的に、家の中にいるのは十人以上。
家の中に入ると、一階のリビングで物を漁っているマスクを被った集団がいた。一人が俺の存在に気付いたが、俺の方が早い。取り出そうとしていたナイフをそのままソイツの腹部に刺し、テーブルを上手く利用して、残る連中を一人ずつ相手していく。
一階にいる集団を全滅させた頃、二階から大きな物音が聴こえてきた。急いで二階に上がり、人の気配がする部屋に押し入ると、二人組になって木村さんを隅に追いやっていた。木村さんから二人を引き離し、振り回してくるナイフをいなしながら、まとめて蹴り倒した。
振り返って木村さんの安否を確認しようとした矢先、俺の体は硬直した。部屋の隅で鼻血を垂れ流すソイツは、金田信一だった。
「木村さんじゃない……隣か!」
この家にいた数は六、七人程度。残りの連中は隣にいると考えていい。
「車のエンジン音? まさか!?」
窓から家の前を見ると、停まっていた二台の内、一台が発進しようとしていた。窓から飛び降り、車が発進するよりも前に乗り込もうとしたが、既に遅かった。
走っても、走っても、距離が縮まらない。直進する車のスピードは更に加速し、距離を離していく。車の後ろ側の窓から俺に助けを求めている木村さんが見えなくなっていく。
俺は二択を外した。助けるべき人間を助けられなかった。
「……いや、まだだ!」
来た道を引き返し、金田信一のもとに戻った。呑気に鼻血をティッシュで拭いている金田信一の顔面を蹴飛ばし、首を鷲掴みにした。
「ここで起きた事を全部話せ……!」




