※※※(空良視点)
―――8月10日。
「やっと全員集まったわね。それじゃあ、調査報告会と行きましょうか」
花崎先輩の一言で、おれ達は各々調査した結果を報告する事になった。
場所はおれ達の暮らす施設のリビング。母さん先生に事情を説明したら喜んで場所を提供してくれた。
『美鈴さんの邪魔になるものは消してしまいなさい』
と、はっきりと宣言して。はて、母さん先生はこんなに自我が強い人だっただろうか?
「おい、空。何ぼーっとしてるんだ?寝惚けんのは海だけで十分だぞ?」
目の前で手を振られ、おれは我に帰る。
自分をきちんと戒めて、改めてリビングに集まった皆の顔を見た。
「そこっ、また寝てるんじゃないでしょうねっ!」
ポコンッ!
空のペットボトルが海の頭に飛んだ。…良い音だった……。
目を閉じていた海が目をゆっくりと開く。そこには鈍く怒りが含まれていた。多分、ペットボトルをぶつけられた事に怒ってるんではない。
とり先輩の事を思い出していたんだと思う。海は初めてとり先輩を見た時からずっと綺麗な人だと、優しい人だと言い続けてたから。おれもとり先輩を見て直ぐにそれは納得した。聖女に呼ばれ生徒会室で言われた言葉だって何一つ間違っていなかった。誰だって人は自分の周りの人間、身内を守ろうとするけど、生徒会室でとり先輩に言われたセリフは、おれ達がとり先輩にお願いした事と同じ意味の事だったんだと。おれ達は理解した。…まぁ、陸は全く理解してなかったけど。
後に、誰かに何かを言われたのか、それとも陸が泣いてるとり先輩を助けた時なのか解らないけど、陸の中のとり先輩に対する棘棘しさは消えて、更に火事の日を境に陸はとり先輩に全力でアタックをかけている。
そう言えば、海も昨日からこっち、いつもは静かに閉じられている瞳が開かれている事が多くなった。その瞳には以前には見えなかった意志の強さを感じた。実際海は目を閉じている時寝てる訳ではない。自分の考え事に深く潜っているのだ。吃驚する位の集中力で考えている。20%くらいは間違いなく寝てると思うけど。その考える時間が短くなり今はとり先輩の事に全力を注いでいるのだ。
とり先輩に会って二人はいい意味で変わった。
少し、置いて行かれた気分になる…。
「さて、じゃあ、まず夢子と陸実の情報から頂戴」
何時の間に呼び捨てに…?まぁ気にする事じゃないか。
「メールの発信源は、どうやら『吉田哲司』って人らしいよ」
「そうそう。そいつが、とりあえず自分の後輩にメールを一斉送信したのから始まったっぽい。でもなー。不思議なんだけど。美鈴センパイを陥れようとしてる奴なのに、どんな人って尋ねると皆が皆優しい良い人だって言うんだよ。ただ、気が弱いだけだって。あのメールもきっと誰かに脅されてやったんじゃないかってさ」
夢姉の言葉に陸が補足した。それを更に補足したのは海だった。
「脅されてるのは間違いないと思う。昨日透馬兄に聞いたんだ。その人、透馬兄達が学校に通ってた時の後輩で鴇さんの次の生徒会長だったんだって。でも…その人が絶対逆らえない人間ってのがいて、その人が高瀬久治なんだって」
そこで高瀬久治の名前が出てくるとは。となると次に話が繋がるのは…。おれ達の視線は花島先輩と綾小路先輩に集中した。
「高瀬久治は今、綾小路家に身を隠していますわ。昨日、銅本を使い探りをいれさせたので間違いはないと思います」
綾小路先輩の実家にこれ幸いと逃げ込んでるのか…。
「…華菜ちゃん。実はね…」
「優兎くん?」
「美鈴ちゃんが、樹先輩に襲われたんだ」
「はっ!?ちょっと、それどう言う事っ!?」
花崎先輩の反応が一番顕著だったもののおれ達も驚き目を見開く。
「夢子ちゃんからメールを貰った時、僕達は桃ちゃんと樹先輩、そして美鈴ちゃんの四人で『あること』について話し合っていたんだ。メールが届いて急いでこっちに合流しようとしたんだけど、その時美鈴ちゃんの秘書になった真珠さんに後を頼んだんだ。だけど来なかったんだって。それですらおかしいのに、ずっと二人きりだった空間で樹先輩の紅茶に媚薬が盛られてたらしいんだ。その媚薬の成分はどうやら理性を取りはらってしまう類のもので、美鈴ちゃんを好きな樹先輩は…」
「あんの、変態御曹司っ!!よくも私の美鈴ちゃんをっ!!殺すっ!!」
「ぎりぎりの所で異変に気付いた葵兄が駆けつけて、美鈴ちゃんを助けてくれたから良かったけど…。でもね、それも勿論問題だけど、それ以上に問題なのが媚薬の事だよ。その媚薬からは薔薇の香りがしたんだって」
「薔薇の香りがする媚薬。それを聞いて私は直ぐに察しましたわ。私の家で情報収集に長けた人間がいます。あれは何か行動を起こすと薔薇の香りを残します。…間違いなく綾小路の人間が仕組んだ事ですわ」
「そうとも言い切れないわよ」
「どう言う事?華菜ちゃん」
「……綾小路だけでそこまで動けるものかしら?ただでさえ借金にまみれてるのに、迂闊な事をして樹財閥を敵に回す?そんな事する訳ないわ。…綾小路も高瀬も全てを利用してる奴がいるのよ。違う目的を持った誰かが…。その二つを失ったとしても痛くもかゆくもない存在がね」
綾小路も高瀬も全てを利用している奴。
綾小路がしたのは、負債の返済の為に娘を利用した事。そして娘が融資の代わりに嫁に行く筈だったのに逃げ、更に邪魔な白鳥財閥の総帥であるとり先輩を陥れようとした事。この結果は何が生まれる?それは白鳥財閥のスキャンダルだ。
なら高瀬は?
高瀬不動産がしたのは、自業の拡大。その為に綾小路の娘を嫁に貰って名に箔をつけようとして失敗した上に、馬鹿な息子がその綾小路家の娘を知らずに妊娠させてしまった。そんな不祥事を起こした高瀬不動産が未だに提携している企業はどこだ?
…答えは『樹財閥』だ。
「…………今までの事件、全て、樹財閥が、得をしている?」
「そうよ。そして、綾小路の者を利用して樹先輩を美鈴ちゃんに襲わせたのは、きっと美鈴ちゃんを妊娠させる為。これだって結局は白鳥が樹に吸収されると言う意味で樹は利を得ている」
「…………………最悪」
「全くよっ!!」
思わず口から出たおれの言葉に花崎先輩は力一杯同意した。
「とにかく、美鈴ちゃんを助けなきゃっ!せめて少しでも美鈴ちゃんの不利になる事を減らさないとっ!皆が協力してくれたから塗り潰し用のメールの準備も出来たしっ!メールが届いた人間のリストアップも御陰様で完成したしっ。明日の朝には一斉に配信して全て塗り替えるわっ!!」
「…ならば、華菜様。そのメールと一緒に、こちらも一斉に配信して貰えませんか?」
そっと四つ折りにされた紙を綾小路先輩は花崎先輩に差し出した。
なにこれ?と言いながらもさっさとその紙を開くと、それはそれは黒い笑みを花崎先輩は浮かべた。
「いいの?」
「はい。これには高瀬不動産と綾小路家の内情が網羅されております。銅本に調べさせた全てです。…これで、綾小路家を潰して下さい」
「凄い覚悟ね。…本当にいいの?」
「えぇ、構いません。あんな家は、一度潰されるべきです」
「でも、桃ちゃん。そんな事したら」
「…大丈夫ですわ。優兎様。分家の人間は全員残りますし。私がいれば綾小路家はちゃんと復興できますから」
綺麗な笑みで宣言する。その内容はとてもカッコいい。
「それに…私を怒らせた事、その身を持って味わって欲しいのです」
ニッコリ。
綺麗な笑顔なのになんでだろう。おれの背中にぞわぞわとした何かが過っていく。
「なら、やらせて貰うわね。ふふっ、楽しみだわ」
花崎先輩の目がヤバい。駄目だ。誰か立ち入り禁止札を彼女の周りに作ってくれないかな?
反撃の準備も整い、後は花崎先輩に任せるだけとなった今、花崎先輩は家へと帰り、おれ達は部屋で別の事を話し合っていた。
それは、とり先輩の下へ届くストーカーの手紙の件だった。
そんなのおれと海は知らず、どうやら陸だけが知っていたみたいで。当然の様に問い詰めた。
「知ってたなら言ってよ、陸っ」
「…………天誅」
「い、言うなって言われてたんだよっ!どっから美鈴センパイに洩れるかわかんねーだろぉっ!」
それはそうかもしれない。でも、そんなの関係ない。とりあえず海と二人寄ってたかって陸にプロレス技をかける。
ギブギブと床を叩いているけれど、やっぱり関係ない。技をかける。
「ほら、二人共その辺にして。今大事なのは陸の馬鹿じゃなくて王子だから」
キリッと夢姉が言う。確かにそれもそうだと、花島先輩が封筒の中から紙の束を広げる。
そこには、赤の文字で愛してると綴られている物もあれば、白い液体がこびりついて乾燥したものまで…これは、酷い…。
「家の方には届いてるのか?」
陸が真剣な顔で花島先輩に問いかける。そんな陸を見たのはかなり久しぶりかもしれない。
「ううん。美鈴ちゃんの家は鉄壁な防御が敷かれてるから。それに、もしかしたら美鈴ちゃんの家を知らないのかもしれないし。そもそも何気に美鈴ちゃんの家って僕を含め男が多いから下手に手を出せないのかもしれない」
成程。頷く。
にしても、ストーカー…。とり先輩、男が怖いって言ってた。おれ達だって近づくだけで震えてる。なのに、こんな…。とり先輩の辛さを思うと、何とも言えない感情が心の中をぐるぐると渦巻く。
犯人を捜す為の作戦を皆で練る事にする。これもまたとり先輩にばれないように行う極秘ミッションだ。
あーでもない、こーでもないと言い合っていると、突然おれの携帯がなった。
花崎先輩、かな?
おれの携帯番号を知っていて、この場にいなく、尚且つ用がありそうな人は花崎先輩位だ。
そう思って携帯を開くと、どうやらメールのようだった。
手早く操作して、そのメールを確認すると、とり先輩が陥れられたメールとそっくりそのままのメールがあった。
ただし、一つだけ違う所がある。それは、映っていたのがとり先輩ではなく、黒髪黒目のちょっとキツメの顔した美人の姿だった。OL…かな?学生の感じはしない。
誰だろう、これ?
とり先輩の知り合い?それとも、適当にAVとかから引っ張り出した女優さんで、とり先輩への悪戯メールを利用して作ったとか?
カチカチとメールを下の方へとスクロールしていく。
え…なにこれ…。最初見た画像はきちんと女性物のスーツを着ている画像だった。でも後半は、無理矢理裸にされてる写真、殴って無理矢理犯している写真、虚ろな瞳の彼女を嬲っている動画まである。
な、なんだよ、これ…。
こういうのが好きな男がいる事は知ってる。知ってるけど、これは…行き過ぎてる。
さーっと血の気が引けていく。
微動だにせず、携帯を開いているのが不思議だったのか、
「空?何見てるの?」
夢姉がおれに近づいてきた。駄目だ、こんなの見せられる訳がないっ。
「来るなっ!」
自分でも驚くほどの声が出た。自分ですら驚いたんだから、そこにいた皆が驚くのも当然だ。
普段殆ど言葉を発しない、ましてやこんなに声を荒げる事のないおれだ。夢姉は目を丸くして驚いている。
「そ、空…?」
「……ごめん。…でも、駄目。…花島先輩、陸、海、ちょっと来て」
おれは立ち上がり、部屋を出る。すると呼ばれた三人は付いて来てくれた。自室へ入り、女性陣が付いて来て無いのを確認して、三人の前にたった今届いたメールを見せた。
「……これは、酷いね」
ぼそりと花島先輩が呟く。それには同意せざるを得ない。
「花島先輩、鈴先輩の知り合いにこんな感じの人いますか?」
海が聞くと、花島先輩は少し考える風にしてから、ゆっくりと首を振った。
「いや…、見た事ないよ」
「なら、もしかしてこれが花崎先輩が言ってた、塗りつぶしメールって奴か?」
陸の言葉に今度は海が首を振る。
「そんな訳ないよ。だって、あのメールは透馬兄の次の世代の生徒会役員に関わる人間にだけ配信されたメールなんだ。どんなシステムを使ってるのかは知らないけど、関係のない人間にはメールが来てないんだよ。拡散も出来ない。その証拠にほら。ボクにはメールが届いている。何故なら、その生徒会の会長である吉村って奴の先輩である透馬兄と知り合いで尚且つボクはそいつと同じ水泳部だ。他にもこのメールが来るとしたら、多分それは吉村が会長をしていた時の生徒会役員が吉村に頼まれて発信した相手だと思う。だから花島先輩にも届いてるんだよ」
海は自信を持ってそう断言した。
だとするなら、この女性は一体誰?
「…合成写真、ではあると思うんだけど」
「なんでそうハッキリ言える訳?」
「ここ、見てみなよ。首の所。ちょっと解り辛いけど、首の肌の色が違うんだ」
肌の色?さっきは全然気付かなかったけど、指摘されて見てみると確かに首の上の方が僅かに色が白い。
「ただの悪戯メールだったら良いんだけど…。空良。これは誰にも見せないでおこう。勿論美鈴ちゃんにも見せないで。こんなの女の子に見せるものじゃない」
「………うん。分かった」
「信用の出来る男の人なら見せてもいい。僕も美鈴ちゃんの兄さん達には教えておくから。もしかしたら知ってるかもしれないけど…」
信用できる人…。なら、奏輔様に見せてみよう。あの人なら何か知ってるかもしれないし、知らなくても何かしら知恵をくれるはず。
「……美鈴ちゃんのストーカーといい、このメールといい…こんなの知ったら美鈴ちゃん以外にも男性恐怖症が増えちゃうよ」
花島先輩の嘆きにおれ達は苦笑するしかなかった。
作戦会議も終わり、その日は解散となった。今日届いたメールは念の為に奏輔様に転送して、その内容を説明してからメールを間違えて消さないように鍵をかけた。勿論転送した時に出来た送信メールは消している。
何はともあれ、悪戯メールもどうにかなったし、このメールに関しては後で奏輔様に聞いてみよう。
そう決めて、今日は寝る事にした。
けれど、翌日になり、奏輔様に聞きに行く所ではなくなった。
―――8月11日。
朝目が覚めて、リビングへ降りるとそこに何時もいるはずの母さん先生の姿がなかったのだ。
買い物だろうか?
でも母さん先生はいつも買い物に行く時間が決まっている。それに、アルバイトへおれ達が行くようになってから買い物に行く回数はぐんと減った。何より…。
おれは時計を見た。
朝の5時半。こんな時間にどこかへ行くなんてあり得ない。だっておれ達より年下の奴らが寂しがるといけないからって必ずこの時間は母さん先生はキッチンかリビングにいる筈なんだ。
方向転換をしてキッチンに入る。けど母さん先生の姿は何処にもない。
ちょっとずつ焦りが生まれる。
母さん先生の部屋は?風呂は?洗面所は?年下の子らの部屋は?庭は?
思わしき場所に突撃するも、何処を見てもその姿は見つからない。焦りは増していく。
これは一人で探すよりも…。おれはおれ達の部屋へと戻った。
「陸っ!!」
「うおっ!?な、なんだっ!?」
ガバリと布団から跳ね起きる陸へ駆け寄る。
「母さん先生がいないっ!!」
「は?買い物とかじゃ…、5時半か。ありえねぇな」
陸が時計を見て顔を険しくした。それにおれも頷く。
「ちょっとー…五月蠅いよー、陸、空…」
眠い目を擦って海が起き上がる。
「それ所じゃないっ、母さん先生がいないっ」
早く探しに行きたい一心でおれが海に告げると、パチリと目を開いた海が陸の枕元にある時計で時間を確認して眉間に皺を寄せた。
「家の中と庭は?」
「トイレまで全部確認した。いないっ」
「ボクも探すっ。着替えてくるから先行ってってっ」
「オレも行くっ。まだ早いけどガキ共起こしておく。帰って来た時の為に」
互いにやることを確認して頷き合い、おれは走りだした。
まずは家の周囲。隣家。足を延ばして商店街。更には学校、川の付近、公園。行けそうな所は全て探した。
でも何処にもいない。
商店街に戻り、その中央に立っている柱時計を確認する。
駆けずり回っている間にもう一時間経っていた。
これは、一旦帰ってみるか。行けるべき所は確認したし。
ここまでいないのなら、戻っている可能性だってある。再び足を動かして施設へと帰ると、そこには息を切らしながら話している陸と海がいた。
二人はおれの存在に直ぐに気付き、いたかと声をかけてきた。そう聞いてくると言う事は帰ってきていないのだ。しかも、おれも見つけていない。
「念の為に夢姉の所にも行ってきたんだけど、来てねーってっ」
「直ぐにこっちに来てくれるって言ってた」
「……そう」
一体…どこへ言ったんだろう。
今まで母さん先生が黙ってどこかへ行くなんて事一度もなかった。こんな事一度もなかったんだ。必ずおれにだけは教えてくれた。なのに…。
「あと、探してないのは何処だ?」
「公園も探したし、商店街も行った。多分、行ける場所は全部行ったし、ボク達バラバラに探してたから、同じ場所を最低三回は確認している訳で。見落としだって早々ないはずだよ」
「なら、一度何処行ったか、確認し合おうぜっ、なっ、空っ」
母さん先生がいない…。その事実がこんなに怖いなんて…夢にも思わなかった。
早く探さなきゃ、と。
『おれだけは皆と違うんだから』と。
脳内のどこかでその言葉がふっと湧き、じわじわと浸食を始める。
駄目だ。こんなこと思ってたら駄目だ。そう自分を戒めても、それよりも母さん先生がいなくなる恐怖が心を占めていく。
陸と海は親友だ。兄弟だ。おれはこの関係を壊したくない。こんな自分のちっぽけな優越感で壊したくないんだよ。
その為には母さん先生がいなきゃダメなんだ。おれの心はまだその優越感を消す事は出来ていないんだ。
「空?おい、空?」
陸が顔を覗き込んでくる。その顔はとても心配そうで。おれの事を心配してくれているんだと思うと、罪悪感が生まれぎゅっと心臓が握られたみたいに呼吸が苦しくなる。
「……もう一度、探してくる…」
このままじゃ駄目だ。早く、早く母さん先生を探さなきゃっ!!
二人が驚いた顔をして、引きとめようとする。それを振り切る様に方向転換すると、そちらの方向から誰かが二人走ってくる。それも凄い勢いで。
誰かを探すようにして。
思わず足を止めてしまった。すると、陸と海もそれに気付いておれの両サイドに立った。そして、こちらへ向かってきた二人がおれ達の前で足を止めた。
キラキラしている金色の髪を汗で濡らしながら、息も整わない状態でそっくりな二人はこちらを見降ろした。片方は眼鏡をしていて、片方は髪が少し長い。そして、おれ達も身長は高い方なのに、それよりも頭一個分大きい。
「ちょっと、聞きたいんだけど、ここに美鈴、来てないっ?」
「鈴先輩?い、いえ、来ていませんが」
「ここにもいないのかっ、くそっ、葵っ、やっぱり樹だろっ。どう考えてもあいつ以外あり得ないっ」
前髪を掻き上げて、目が緑色の男が悔し気にいう。
「けど、どうやってっ!?鈴ちゃん一昨日は確かに部屋で寝ただろっ!!何かあったら金山さんが気付くはずだっ!!」
「その金山さんを全然見てないだろっ!!それに樹には前科があるっ!!」
「そうは言うけど、あれだって媚薬を使われたんだっ!!あいつの所為だけとは言い切れないっ!!」
目の前で喧嘩が始まった。もしかして、二人はとり先輩の兄なんだろうか?
「ちょ、ちょっとあんたら。人ん家の前で喧嘩しないでくれよ」
陸がストッパー代わりに間に入ると、ぐっと二人は喧嘩を止めた。
……もしかして、とり先輩も行方不明なんだろうか?二人の会話と焦り方を見ると間違いなさそうだ。
もしそうだとしたら心配だ。
けど…―――おれにはとり先輩以上に母さん先生の事が心配だった。
「…探しに行く。母さん先生を」
おれは目の前にいる二人を避けて走りだそうと足を向けた。けど、がっしと海に腕を掴まれて拒まれる。
「空、何処行くの?鈴先輩も行方不明なんだよ?ちゃんと情報聞いて動かないと駄目だよ」
いつもの優しい声ではなく険を含む口調で言われた。情報を聞いて動かないと、なんて、そんなの解ってる。でも、そんな事してる間に母さん先生に何かあったらどうする?もしそれでおれが『皆と同じ』になったらどう責任とってくれるんだ?
焦りからイライラが募る。
おれはその手を払い退けた。
「空ッ!?」
驚きに目を見開く海におれの口元は知らずに笑みを浮かべていた。
「おれはお前達とは違う。とり先輩には感謝してる。でも、それだけだ。おれにとって母さん先生より大事なものはないんだ」
「…空良。それは、どういう意味?」
海の目が吊り上がる。海がおれを空ではなく空良と呼ぶ時は本当に怒ってる時だ。
分かってる。分かってるんだけど、おれの中にある焦りが苛立ちへと変化していく。
「おれはお前らとは違う。『母さん』が誰よりも、何よりも大事なんだ」
「おい、空良。どういう意味だ?」
陸の周囲に渦巻く空気も変わる。
「簡単な話だ。おれは母さん先生と唯一血の繋がった人間。申護持明子はおれの本当の母さんなんだよっ」
抑えなければ…。こんな事言うつもりなかったのに。
二人が…親友が傷ついた顔をしている。これを言ったら二人が苦しむって分かっているのに、口は止まらない。
「おまえらとは違うっ!おれはとり先輩なんかより自分の母親の方が大事なんだっ!母さんがいなくなったらおれは独りだっ!そんなの嫌だっ!嫌なんだよっ!」
「空…おまえ…」
「ボク達だって母さん先生が心配だよ。でも」
そんなの分かってるよ。陸は優しいからどちらも心配だって事、海が母さんを本当の母親のように大事にしている事も。ずっと一緒だったんだ。そんなの分かってる。わかってるけど…止まらない。止められない。
「心配っ!?たった今、とり先輩の話が出たらさっさとそっちに切り替えたじゃないかっ!!所詮おまえらにとって母さんより惚れた女の方が大事なんだろっ!!」
「んな事言ってねぇだろっ!」
「空良っ!言って良い事と悪い事があるよっ!」
「五月蠅いっ!!おまえら今まで散々おれの母さんに甘えておいて、いざとなったら見捨てるのかよっ!!最低だっ!!」
違う、違う違う違うっ!!こんな事思ってないっ!!
誰か―――…誰か止めてくれっ!!
失いたくないっ!おれは母さんも、親友も、弟や妹達も誰も失いたくないんだよっ!
誰か…誰か…頼むよ…。
「おれは、―――お前らと同じになんかっ」
止めてくれっ!!
涙が頬を流れる。
言いたくない、言いたくないっ!!
嫌だ。嫌だよっ!この先を口にしたらおれは、もう…っ!!
―――バキッ!!
頬に衝撃が走る。
鈍い痛み。
体が宙に浮き、衝撃と共に顔が地面に擦られる。
一瞬の間。
何が起きたか理解が追い付かず、瞬きを繰り返し、やっと自分が殴られたんだと気付いた。
「……目が覚めたか?」
一歩二歩とおれに近づき、冷めた目で見下ろす。
「何で鈴ちゃんがこんな馬鹿を助けようと思ったんだか分からないな」
もう一人が更におれを見下ろしてきた。
殴って来たのは長髪の方、か。ふともう一人の方に視線を向けるとその瞳は冷え切り、けれどその奥に怒気が滲む。背筋がぞわりと恐怖に舐めあげられた。
「葵。落ち着け」
長髪の男が葵と呼ばれた男の視線を遮る様に前に立った。
「…どうやら落ち着いたようだな」
手を差し伸べられた。
どうしていいか分からずつい躊躇ってしまう。だが、目の前の男はそれをまるで理解していると言うかのように頷きその手をもう一度差し伸べて来た。
静かにその手をとり立ち上がる。
何で…?
おれの顔はきっと理解出来ないと顰められているだろう。それにおれに手を差し伸べたそいつは笑みを浮かべてはいるものの、その瞳の奥はもう一方の奴と同じように全く笑っていない。
「正直君達の兄弟喧嘩には欠片も興味がないんだけどね。もし君達が仲違いしてこの施設がバラバラになったら鈴が悲しむし、何より君達の母親が悲しむだろう?」
母さんが、悲しむ…?
「理解出来ないって顔だね。空良、だったかな。君ね、家族の血の繋がりってそんなに大事かい?」
「大事だよ、大事に、決まってる…」
「そうか。なら、君は母親と血が繋がってなかったら、母親を母親とは思わないんだね」
「え…?」
血が繋がってなかったら…?
そんな訳ない。だって、昔こっそりと母さんの部屋に入った時、書類を見たんだ。それにはおれと母さんの血の繋がりがしっかり書かれてた。母子手帳。そこに挟まれてた写真は間違いなくおれだった。
「おれは、間違いなく、母さんの子だ。なんなら血を調べてもいい。血が繋がってないなんてあり得ない」
呆れたような視線が向けられ、馬鹿にしたようなため息がつかれた。腹が立って睨み付けるとそれ以上に鋭い視線の刃がおれを捕らえた。
「…僕はそんな事を言ったんじゃない。僕が言いたいのは君が君の母親と『血が繋がってなければ母親とは思わず』、『他人』だと判断して見捨てるんだなって言ってるんだ」
「そ、れは…」
「何か間違っているか?君がさっき彼らに言った言葉はそう言う事だろ。血が繋がってるってだけで、一緒に育った兄弟を切り捨て母親をとる。血が繋がらないってだけで、自分達の住処を兄弟を一緒に暮らしていける様にしてくれた恩人を切り捨てる。君にとっては『血』だけが大事なんだろ?」
「そんな事っ」
「ないと、言い切れるか?たった今、見捨てようとしていたじゃないか」
ぐっと息を飲み、反撃しようにも言うべき言葉を失ってしまった。
「君達、どれだけその母親に甘やかされて育ったんだろうね。感情だけが先走って全て口に出してしまい、しかもそれを自分では止められなくて、見捨てようとしていた恩人の兄に殴られてようやく止まるなんて。馬鹿なのかな?」
「……葵。鈴がいたら確実に怯えられるその眼は止めろ。眼鏡の意味が全くない」
「棗こそ。鈴ちゃんがいたら普段の癒しはどこにあるのっ!?って言われて逃げられると思うけど?」
「…はぁ。仕方ないだろ。こいつらがあまりに馬鹿過ぎるから」
「あぁ、うん。それは否定しないけど。今の世の中血の繋がらない家族だって、血が繋がっていても殺し合う家族だっているってのに。そこまで『血』に固執する理由がさっぱり分からない」
ぎりっと奥歯が擦れた。こいつらにおれの気持ちが分かる訳がないっ。
金を持ってて、優しい両親が揃っていて、あんなに可愛い妹がいて、幸せな奴らにおれの気持ちなんてっ!
「仕方、ないだろ。オレ達は、親なんてものを知らないんだ。知らずに育ったんだ。空良だってそうだ。血を分けた人間がいるって分かったら嬉しくて仕方ないんだよ」
「…うん。ボクだって、もし母さん先生が母親だったら、血の繋がった親だったら空良と同じになったよ。自分のものだって、誰をおいても助けたくなるよ。貴方達には分からないだろうけど。血は、ボク達にとって唯一の繋がりなんだ」
陸実、海里…。
まさか、あそこまで暴言を吐いたおれに味方するとは思ってなかった。
信じられない。
視線がゆっくりと二人に向く。二人はおれを見て苦笑した。
罪悪感にズキッと胸が痛む。
「あんた達には絶対分からない。施設にいれられた悲しみが。親にいなくなられたり、親に捨てられた子の苦しみ何てわかるはずない」
陸実がおれの前に立ち、二人と面と向かって立つ。
すると、そいつらは益々呆れたと言いたげにこっちを睨み付けた。
「確かに親に捨てられた子の苦しみはわからないな。けど、親にいなくなられた気持ちなら痛いほど理解出来る」
「知らないようだから教えてあげようか?僕達は幼い時、早くに母親を亡くしていてね。…僕達と美鈴は血が繋がっていない。美鈴はね。僕達の父親の後妻の子だよ」
「―――ッ!?!?」
血が繋がってない…?
驚きで目を見開く。
「鈴はね。僕達の両親が再婚してからずっと僕達を家族として受け入れてくれていた。勿論僕達もだ。血なんて関係ない。僕達は血が繋がろうが繋がるまいが家族なんだ。それはこれまでもこれからもずっと変わらない」
「でも、君達は違うんだろ?『血』が大事で、それまで過ごしてきた思い出も何もかも無かった事にするんだ。血は繋がり、か。馬鹿じゃないの?血が繋がりなんかじゃない。繋がりって言うのは築き上げて来た絆の事だ。相手を想う心が繋がりなんだよ」
胸を叩きつけられた気がした。
繋がりは絆。絆は心。心が繋がり…。
なら…おれが今口にした言葉は…。おれの小さな優越感はおれが何より大事にしていた繋がりを傷つけた…?
おれは自らその繋がりを断ち切った…?
視界が揺らぐ。
頬を滴が伝う。
「…お、れは…」
小さく発する声に気付いた陸が振り返りおれの顔を見て驚き、動きを止めた。
「空…」
海里が静かにおれの名前を呼ぶ。
耐えられなかった。
今は二人の視線が何よりも辛かった。
だから、―――逃げ出した。
全力で。
脇目も振らず。
ただただ走った。
何処に行けばいいのか分からない。
でもなんでだろう。
無性に、とり先輩に会いたくなった。
不思議だった。こういう時に会いたくなるのは母さんだったはず。なのに、母さんじゃなくて今おれはとり先輩に会いたくて。彼女の顔を見たくて仕方なかった。あの凛とした美しい姿を…。
あの二人がとり先輩の兄だと言うのなら、とり先輩も恐らく行方不明になっている。
だったらこうしてただ走ってても意味がない。それは解ってるけど、どうしても足を止める事が出来なかった。
走って、走って、走りまくって。
おれは気付けば、住宅街から離れたドデカい屋敷の前に立っていた。
走り回った所為か涙は乾き、代わりに額から汗が流れ落ちる。
ここ…どこだろ…?
吐き気がするだけ走った所為で荒くなった呼吸を整える為にも足を止め辺りを見回す。
場所を確認したくても、目立つ建物は目の前のこの屋敷しかない。
少し古いタイプの西洋の館、みたいな感じ。入口も鉄格子タイプの門でその脇には高い石塀がある。
いつまでも玄関前にいたら失礼だ。
足を動かして、その館の側面へ回って、何気なくもう一度館を見上げて、その窓を見ておれは足を止めた。
(とり、先輩っ!?)
誰かと何か言い合いしている。
それが誰かは解らない。けど、そこにとり先輩はいるのだ。
周りを見る。見張りらしき人間はいない。
館の方に監視カメラ、…もないようだ。なら、センサーは?…センサーらしき物も見当たらない。
聖女に侵入する際身に着いた能力がまさかここで活かされるとは。
石塀を登り、内側へと潜入する。
とり先輩の姿を視認出来たのは二階の窓だ。
あの窓に登るには…壁をつたって、でもいいけど、ちょっと危険だ。
ふと視線に大きな木が目に入る。枝は丁度良く窓へと伸びている。あそこならっ!
木を難なく登り、窓の近くまで行く。
中は先輩一人きりだ。タイミングが良い。
コンコンと窓を叩くと、音に気付いたとり先輩が驚きながらも駆け寄り、窓を開けてくれた。
「空良くんっ、どうしてここにっ!?」
「(しー、とり先輩、しーっ)」
口に人差し指を当てて、声を出さないように告げると慌ててとり先輩は口を抑えてコクコクと頷いた。
窓から部屋へと入って、中の様子を探る。
「今、一人ですか?」
「うん。大丈夫。鍵はかかってるけど人払いはされてるの。樹先輩が手を打ってくれて…」
「いつき先輩…?さっき言い合ってた、人?」
「うん。そう」
だったら少し話をしても平気だろうか?
それとも連れ出してしまった方が…?
次の行動を考えていると、とり先輩の方から頭を振っておれが何か話す前にそれを否定した。
「ごめんね、空良くん。今、私は外に出る訳にはいかないの」
「……なんで?」
「明子さんがいるから」
きっぱりと言い切るとり先輩の目は怒りに揺れていた。
「……私はね、空良くん。凄くすごーく怒ってるの」
それは見たら分かる。
とり先輩から感じる怒気で肌がピリピリするから。
「ほんっと不甲斐無いわ。…空良くんには謝るしか出来ないもの。ごめんね。お母さんを守れなくて。私がもう少し早く気付いていれば、『思い出していれば』明子さんだけでも守れたかもしれないのに…。本当にごめん」
思い出す?それは一体…?
「でも、安心して?貴方のお母さんは何があっても私が助けるから。…例え樹財閥を潰してでも助けるからね」
とり先輩の瞳が、綺麗な水色の瞳が、スッと冷えた色へと変わった。肌がピリピリする所の話じゃない。全身の毛という毛が逆立った。
「とり、先輩…」
「なぁに?」
怒ったとり先輩を見ていたくなくて、おれはつい先輩に呼びかけていた。すると、先輩から怒気はさっと消え失せて、優しく微笑んでくれた。
その柔らかさに、何でか分からないけれど安堵して。止まったと思っていたはずの涙がまた頬を伝った。
「えっ?あ、空良くん?どうしたの?」
そっとその細い指がおれの頬を擦った。零れた涙を拭ってくれる優しさに更に涙が溢れる。男性恐怖症のとり先輩はおれに触れる事が出来ないはずなのに…。いや。実際怖いんだ。とり先輩の手は震えてる。なのに、涙を拭って何があったのか知ろうとしてくれる。先輩の優しさが胸に沁みる。
「先輩…とり、先輩…。どうしよう…おれ、おれ…やっちゃった…くっ…。ほんとは、ほんとは、わかってたのに…。言っちゃ、いけない、って、わかってたのに…」
「空良くん…。うん。…それで?」
「陸と、海に、酷い事、言っちゃった…どう、しよっ…どうしたら、いい…?」
「二人に酷い事言っちゃったの?それで、空良くんは後悔してるの?」
頷く。ただただ頷く。
「そっか。なら、大丈夫だよ。後悔してるなら何が悪いか分かってるって事でしょう?それを謝ればいい」
「無理、だよ、だって、だって…」
「空良くん」
少し低い位置にあるとり先輩の瞳がおれの目を見つめ、両頬をその細くて白い手で包むと微かな力でおれを引き寄せて額と額を触れさせた。
「…大丈夫。大丈夫だよ。落ち着いて。…ゆっくり考えよう?焦らなくていい。気持ちを落ち着けて…」
「せんぱい…」
「私に答えなくてもいいの。空良くんの中で整理が出来たらそれでいいの…」
おれの中で整理が出来たら、それで、いい?
「ねぇ、空良くん。空良くんが二人に言ってしまった事ってのは何?」
(母さんはおれの母親で、二人の親じゃないって独占欲を出してしまった事。二人は所詮捨てられっ子で自分はそれとは違うって言ってしまった事。おれだけは施設の人間とは違うって優越感を持っていた事)
「それは、空良くんの本心?」
(本心だ。ずっと心の中にあった二人との、施設の皆との一線。これのお陰でおれは今までおれを保っていられた。皆の優位に立てた。だって皆両親がいない中おれだけはずっと母親と一緒にいたんだ。優越感に浸っていたかったんだ)
「じゃあ、空良くん。貴方の中にあるもう一つの本心は?」
「…え?」
「もう一つ、あるよね?それがあるから貴方は後悔している」
「もう一つ…」
「言っちゃいけなかった事、分かってたんでしょう?それを言いたくなかった理由は何?」
(言いたくなかった理由は…陸と海と三人でいるのが幸せだったから。二人が好きだから。だから言いたくなかった)
「それが貴方のもう一つの本心。そして、どちらも貴方には大事な答え」
(どちらも大事な答え…)
「そのどちらも空良くんを構成する大事な一部なの。ちゃんとその事実を受け入れて。どちらも貴方には必要な答えなの。だから目を逸らしては駄目」
おれの、一部…。そうだ。優越感を持ったおれも、二人を失いたくないおれも、全部おれだ。
小さく「うん」と呟く。
「空良くんは陸実くんの事は好き?」
「……好き」
「何処が好き?」
「……優しい。強い。真っ直ぐ」
「うん。そうだね。陸実くんは優しいね。心が強いし、常に前を向いてるね。そんな陸実くんが嫌いな事って何?」
陸実が嫌いな事?それは…。
「……隠し事をする事」
「なら、陸実くんに空良くんが謝る事は何かな?」
(母さんが、本当の母親だって知ってた事を教えなかった事)
「じゃあ次ね。海里くんの何処が好き?」
「……冷静な所。いつも周りを見て最適な答え、くれる。悩んでるの、すぐに気付いて、手を差し伸べて、くれる」
「うん。そうだね。海里くん、空良くんが何を言いたいかいつも先読んでくれてたね。空良くんの事ちゃんと見ててくれてたね。そんな海里くんが嫌いな事は?」
「……大事なものをないがしろにする事」
「そうなんだね。じゃあ、そんな海里くんに空良くんが謝る事はなぁに?」
(とり先輩と母さん、どちらか一方を取ろうとした事)
「…どう?何を謝ればいいか、少しは整理できた?」
「う、ん…。でも、許して、くれなかったら…」
「それは大丈夫。許してくれるよ。だって、家族でしょう?」
家族…。おれ達は、おれは本当に皆の家族として、いてもいいのかな?
「…家族に、なれるかな?」
呟くと、とり先輩から力強く「大丈夫」と返って来た。なんで、そんな言い切れるんだろう…?
「ちゃんと家族だよ。なれるなれないじゃなくて、空良くん達はもうちゃんと家族になってるよ。その証拠に今だってちゃんと【兄弟喧嘩】してるじゃない」
「兄弟、喧嘩…?」
「うん。家の三つ子の弟達とそっくり。立派な兄弟喧嘩」
ストンっと心の中を占めていたイライラ感が落とされた気がした。
ふふっと微笑みながら、とり先輩の手が離れていく。
行かないで。
側にいて。
今まで触れていた温もりが消えかけて、咄嗟にその手を掴んでいた。
ビクッと大きく体を震わせて、けれど、その恐怖すら押し込み、なぁに?と首を傾げる。
おれは、この温かくて優しい存在を見捨てる所だったのか…。
ぐっとその手を引きよせ、先輩の手を両手で包んでそこへ額を押し付けた。懺悔をするように。
「ごめん……。先輩。ごめん…」
「空良くん?何を、謝ってるの?」
少し慌てておれに問いかけてくる。
何も知らない先輩に。おれは罪悪感で押しつぶされそうになった。
「………もしかして、私より明子さんを優先しようとした事に謝ってるの?」
「―――ッ!?」
何で分かるんだろう?何も言ってないのに。どうして、この人は何でも知ってるんだろう…。
「もし、そうなのだとしたら。気にしなくていいの。空良くんにとって唯一の血の繋がったお母さんでしょう?当然だよ」
な、なんで知ってるっ!?
おれと母さんの血が繋がってる事実はおれだって母さんから直に聞いたわけじゃないのにっ。
驚きのあまり顔を上げて目の前の先輩を見ると、先輩は苦笑していた。
「ごめんね。何で知ってるかは、言えないの。でもね。これだけは言えるよ?自分の母親を心配じゃない人なんていないよ。私はあくまでも他人。空良くんが明子さんを心配して当然なの。そこに罪悪感を感じる必要はないよ」
「………でも…。でも、先輩の兄さん達は、怒ってた…。血の繋がりなんて関係ないって」
「お兄ちゃん?え?お兄ちゃん達に会ったの?」
頷く。すると、先輩は少し悲しそうな顔をした。ほんの一瞬だったけど。
「そっか。鴇お兄ちゃんが申護持の施設に探しに行く訳ないから、葵お兄ちゃんと棗お兄ちゃんか。また、迷惑かけちゃったな…」
え?迷惑?どういう意味だろう?
「双子のお兄ちゃん達に会ったんでしょう?何て言われたの?」
話を逸らされた…。最後の迷惑って言葉が気になる。それを呟いた時のあの悲し気に瞼を伏せた一瞬が気になる。でも、先輩はそれ以上の追及をおれに許してはくれなかった。
おれは素直に二人に言われた言葉を告げた。
「絆、か。もう、お兄ちゃん達は…。混乱してる子にそんな事言っても増々混乱するだけでしょうに。しかも回りくどい」
「…先輩?」
「お兄ちゃん達が言いたかったのはね、空良くん。簡単に言えば、血なんて関係ない、皆家族でいいじゃん、って事だよ」
皆家族…。とり先輩の言葉が胸に沁み込みじんわりと温かく広がっていく。
うん。それでいい。それがいい。
「ごめんね。お兄ちゃん達も空良くんと一緒だったんだよ」
「…一緒?」
「そう。家族である私が心配だったの」
そっか。それはそうだ。おれだって母さんが心配だったんだ。当然、先輩の兄さんだって心配に決まってるんだ。
そんな二人の前であんな事言ったら、腹が立って当然だ。おれだって同じ事されたら腹が立つに決まってる。
今心の中が全て一本の筋で通された。
やっと周りに目を向けられた気がした。
目の前の先輩を見ると、まるで女神のように優しく、包みこむような微笑みを向けてくれている。
ドクンッ。
心臓が跳ねた。
なんて…綺麗な人なんだろう…。
清らかで、美し過ぎて、本当ならおれが触れる事なんて叶わない人だ。
でも、だからこそ―――愛おしい。
そっと握っていた手を離した。
少し距離を取ろうとした先輩の手をもう一度掴んで、目の前で片膝をついた。
「え?ちょっと、空良くん?」
戸惑う先輩の目をじっと見詰める。
おれは、貴女が好きだ。
とり先輩。貴女を愛してる。
でも、おれのこの想いは、清らかな貴女に相応しくないから。
この想いは告げない。
「空良くん…?」
報われなくてもいい。
ただ…ただ、せめて、せめて側に…。
その指先へ、そっと唇を寄せた。
貴女が好きだ…。
この想いを全て込めて…。
瞳を閉じて、もう一度、指先へキスを落とす。
先輩の息を飲む音だけが聞こえ、おれは先輩の手を解放する。
顔を上げて先輩の顔を見ると、火が出そうな程真っ赤に染まっていた。
「……ふふっ、とり先輩、その顔…」
「わ、笑わないでよっ。あ、空良くんが急に、こ、こんな事、するからっ」
狼狽える先輩が、凄く可愛い。
さっきまでの姿がまるで嘘みたいだ。
おれは立ち上がり、もう一度先輩を見る。
「……とり先輩。おれ、行く。今度は先輩の兄さんと、陸と海、皆で正面から助けに来る。…待ってて」
先輩はきっと、無理をするなって言うだろう。
だけど、そんな事無理だ。
だって、先輩は『おれ達兄弟』の想い人、だから。
無理をしてでも三人で助けに来る。三人で母さんと惚れた女を助けるんだ。
だから、おれは先輩に宣言して直ぐに背を向けると、窓から飛び出した。
木へと乗り移り、塀の外へと出て、走った。
陸と海に謝って、三人で助けに来るんだと決意して…。
申護持の三人だって同級生と比べれば多分精神的には強い方だと思います(*´ω`)




