※※※(鴇視点)
透馬が美鈴を連れて山を下って来た。
戻って来た事にほっとしたのも束の間。美鈴のその姿に俺達は息を呑んだ。
頬を張られたのか、真っ赤に腫らして、その瞳からは止まることなく涙が溢れ続けている。
慌てて、透馬から美鈴を受け取り、更に驚く事になった。
包まれていた透馬の服の下から見える美鈴の服がボロボロに破けている。その隙間から見える肌には赤い痕が付いており、何が起きたのか一目瞭然だった。
「美鈴…美鈴…。怖かったわね。大丈夫。もう、安心していいからね。直ぐにお家に帰りましょう」
佳織母さんが辛そうに悔しそうに目の前で震える金の髪を撫でた。
俺達は急ぎ足で家へと帰った。
家へ着くと、棗が両腕を広げて待っていて、その腕に美鈴を預けると、タオルと着替えを持って部屋から飛び出してきた葵と二人風呂場へと駆け出していった。
その姿を見送って、俺達は居間へ行く。そこには既に親父と祖母ちゃん、祖父さんが揃っていた。
「……さて。詳しく話して頂戴。知っている事、包み隠さず、全てっ」
バンッ。
テーブルが盛大に叩かれる。
「般若こえぇ」と隣から呟きが聞こえてきたが、うっかりそれに同意すると、それこそ鬼般若になっている佳織母さんが更に進化してしまう。
「話すなら、俺が一番最初やな。きっと」
そう言って奏輔が口を開いた。内容は美鈴と二人っきりで図書館へ行った時の事のようだ。
二人っきりで出かけた事については後でじっくりと聞きだすとして、その内容は美鈴の実の父親と佳織さんの事だった。
「お姫さんは、お袋さんに伝えとく言ーてたけど、やっぱり伝えてへんかったんやね。…言える訳ない、か」
「そうね。あの子の性格上言って来る訳ないわね。にしても、やっぱりあの二人か…。いい加減しつこいわね」
親指の爪を噛む佳織母さんに、今度は大地が手を上げた。
「次はオレかなー?」
大地の話していた内容は、川遊びでのことだった。
美鈴が二人のガキに突き落とされた事。そしてそのガキは美鈴に因縁つけてきたと奏輔が言った二人の子供だと言う事だ。
そして、最後に透馬の話だ。
今日の出来事。美鈴を狙った連中がババア二人の客だった。
全てが一つに繋がった。だから、透馬は美鈴が危ないと気付いたのだと言う。
「…成程。分かったわ。…ありがとう。透馬君。大地君、奏輔君も」
穏やかに微笑んだのは一瞬。お礼を言った時だけ。
次の瞬間には、今見たのは幻だったんじゃと自分の目を疑いたくなる、鬼般若改の微笑みを浮かべた佳織母さんがそこにいた。背中には仁王像を背負ってるかもしれない。
「鴇、付いてらっしゃい。あの女達を殴りに行くわ」
逆らう?いや、無理だろ。
俺は素直に頷き、歩き出した佳織母さんの後ろを付いて行った。
目的の家は案外近所にあったらしく、そんなに歩くことなく到着した。
宴会は既に終わっており各々家で休んでる時間。下手すると寝ているだろう時間なのに、佳織母さんはそれを気にも留めず、ドアを開けて土足で家に上がり、話し声の聞こえる居間のドアを勢いよく開けた。
「―――っ!?」
驚き振り返った人物は二人。躊躇なく二人の側にいき、一人の胸倉を掴むと佳織母さんの渾身の一撃がそのババアの顔面に叩きつけられた。
宣言通り、きっちりとグーパンで。殴られ茫然としているそのババアから手を離し、逃げようとしているもう一人のババアを捕まえて、そいつの顔面にも佳織母さんの拳が炸裂した。
「私に手を出す分には何をしても放置してあげたけどね。……私の命より大事な娘に手を出したのよ。その命を持って償いなさいよ」
「ひぃっ!!」
もう一発、更にもう一発。佳織母さんの拳がそいつらの顔を変形させていく。
「ひぐっ、…がふっ…、も、もうっ、ゆるしてっ」
「あ、あやまるっ、うぐっ、あやまるからぁっ」
「謝罪?そんなものいらないわよ。私はその命を持って償えって言ってるのよ。聞こえなかったのかしら?」
冷徹な声。人を殴りつけているのに、息一つ乱さない。
このままじゃ、本当に人を殺しかねない。目の前の血みどろで転がる二人を殺しかねなかった。
「佳織母さんっ、もういいっ、もうそのくらいで止めとけっ」
背後から羽交い絞めにして、佳織母さんの動きを止める。佳織母さんは意外にも抵抗をしなかった。静かに俺にされるがままにされている。
「…鴇。…はぁ。…うん。ありがとう…。止めてくれて。私一人だと、確実に殺していたわ。…また、あの子に寂しくて辛い思いをさせる所だった…」
「佳織母さん…」
俺にくれる言葉とは裏腹に、俺達の足下で呻き声を上げて、倒れている二人を佳織母さんはその冷めた目で見降ろした。
「あの子に、言ったそうね。嶺一が不幸だって。私達親子の所為で嶺一は死んだって。ねぇ…私が知らないとでも思ったの…?―――貴女達二人が車に細工して嶺一を殺したって知らないとでも思ったのっ!?」
ビクッと二人が体を跳ねさせ、驚きに目を見開いた。
「嶺一が言ったのよっ!!私に人を恨んで欲しくないってっ!!だから、私はあの人の遺言通り貴女達を見逃したのっ!!あの人の遺言じゃなかったら貴女達を殺して私も死んでいたわよっ!!」
「……な、ぜ…?」
「何が何故よっ!!嶺一を馬鹿にするのもいい加減にしてっ!!貴女達があの日事故に見せかけて私を殺そうと私の車に仕掛けをしていたのも、私に数多くの嫌がらせをしていたのもあの人は全て、全て知っていたわっ!!あの人は私と貴女達の為にあの車に乗ったのよっ!!これ以上私達の仲が悪化しないようにってっ!!全てを覚悟の上でっ!!なのに、なのに貴女達はっ!!」
佳織母さんの体が震えている。怒りで震えてるのか?…いや、違う。何度か見た事があった慈愛の涙でなく、怒りの涙を流して泣いていた。それほどまでの怒りだった。でも、これは当然の感情だ。最愛の人を殺されたのだから。
「あの人を殺したのは貴女達よっ!!返してよっ!!私の大切な幼馴染をっ!!大切な恋人をっ!!大切な夫をっ!!返してっ!!」
胸を締め付けられるような悲痛な叫びが静寂に響き渡る。どうしたら、佳織母さんを慰める事が出来るだろう。どうしたら…。
佳織母さんの荒い息と二人のすすり泣く声だけが室内を支配して。俺はただただ困惑する。そんな俺の側に誰かが近寄る気配がした。
「……佳織。もう、気はすんだかい…?」
背後から穏やかな声が届く。その声にほっとして、俺は佳織母さんを羽交い絞めした手を緩め、そっと横に退けた。
その横から手が伸びて、佳織母さんをきつくきつく抱きしめる。
「誠、さ、んっ…。私は、わた、しは…っ、ふっ…くっ」
「うん。分かってるよ。良く耐えたね。良く頑張った…」
「誠さんっ、…誠さんっ、…っ、私、後悔してるのっ、あの時っ、嶺一が車に乗るのを止めていればっ!あの時っ、この馬鹿二人を潰しておけばっ!あの人はあんな死に方をしなくても良かったかもしれないっ!もしかしたら、生きていられたかもしれないっ!そうしたら『娘を助ける事が出来たかもしれない』ってっ!!」
「…うん」
「どうして…、どうして私はいつもこうなのっ!?私はただ皆で幸せになりたかっただけなのにっ!!」
「そうだね。…そうして幸せになろうと佳織が頑張ったから。だから、君の最愛の夫は君の事が好きだったんだよ。君を愛したんだ。君を守り抜こうと思ったんだ」
「…誠さ、ん…」
「ありのままの君を愛してくれていたんだ。きっと後悔するって、自分が事故に遭ったら後悔するだろうって思って、嶺一は君に遺言を残したんだよ。『佳織に人を恨んで欲しくない』と。『村を離れて暮らしてくれ』と。…佳織、君はさっき言っていたね。佳織と彼女達の為に嶺一はそう言ったんだって。でもね、…それは違うよ」
「……え…」
「どうして、自分の最愛の人を害する人間を思って遺言を残す必要がある?」
「それは…優しい人だったから…」
「……いいや。違うよ。嶺一という人間は、そんな優しい人間じゃない。…だから、あの遺言は最愛の人である君にだけあてた言葉だよ。人を恨んで彼女達と同じ位置に立たないでくれ、村を離れて安全に暮らしてくれ、と。美鈴と幸せに暮らして欲しい、二度と彼女達と関わる事のない様に、そう言いたかったんだよ」
「嶺一も、誠さんも、どうして、そんなに、私に優しいの…。私は…」
「優しいのは君だ。君の優しさに、嶺一も私も救われてるんだよ」
佳織母さんを優しく宥める親父に俺は心底ほっとした。
あんな状態の佳織母さんを宥める事は俺には到底出来ないだろうから。
でも、俺は気付いていた。…親父が実は腹の底から怒っている事を。
「…さて。そこの二人」
声が底辺を漂っている。親父のこんな声。久しぶりに聞いた。
「様々な埃が叩けば出てきそうですね。あぁ、失礼。私はこう見えてSPでしてね。それなりの繋がりがあるんですよ。私の娘を変な輩に強姦させようとしたり、身重の妻の精神をこんなにも傷つけたり、それ以外にも息子やその友達にも手を出そうとしたそうですね」
「ぅ…ぁ…」
「本当なら私直々に手を下したい所ですが、貴女方は既に佳織から制裁を受けていますしね。ならば、他の方法を取ろうと思うのですよ」
あぁ、本当に怒ってやがる。……もしかして、佳織母さんの前の夫である嶺一って人に嫉妬してる?
って事は八つ当たりも入ってるな。そう言えば、さっきの宥め方、美鈴に棗が話す時にそっくりだったし、この怒り方は葵そっくりで、八つ当たりも込みで怒る所は俺そっくりだ。…遺伝って怖いな。
「そうですよね。お義父さん?」
「……うむ」
祖父さんいつの間に…。祖父さんの目が据わっている。当り前か。血の繋がった息子を殺されていたとしれば、誰だってそうなる。
「外で育った人間には絶対に洩らす事ない秘密がこの村には一つあってな」
秘密?
「のう、鴇。この村には警察がいない。何故か、分かるか?」
田舎だからじゃね?
と危うく出掛けた言葉を飲みこみ首を傾げる事で祖父さんの言葉の先を促す。
「それはな。この村には悪事を働いた人間が投獄される牢獄があるんじゃよ。…此度は例外じゃ。そなたらは外の人間だから警察ですまそうと思ったんじゃがな。儂の息子を殺し、娘を傷つけたとあっては到底許されんっ」
祖父さんはパチンと指を鳴らすと、二階から二人の男が降りてきた。
「せめてもの情けじゃ。自分の旦那に連行されるんじゃな」
「ひっ!いや、いやああああああっ!!」
「ゆるして、ごめんなさいごめんなさい、いやあああああっ!!」
男達が叫ぶ妻の口をタオルを猿轡がわりに縛ると肩に担ぎあげ、佳織母さんの前で深く深く礼をしてそのまま外へと出て行った。
家主が誰もいなくなった他人の家にいる必要など欠片もなく、俺達は家へと帰り、疲れ切ったその体を風呂に入る事なくそのまま布団にダイブして布団に癒して貰う事にした。
翌朝、人質代わりに捕まえていた悪ガキ二人を、その父親である二人が迎えに来て連れ帰るのを見送り、俺達はようやく一連の事件が解決したんだとほっと息を吐いた。因みに美鈴を襲うように指示され透馬にボコられた奴らは金山さんにより村外の警察へ連れていかれたそうだ。
その後、直ぐに風呂に入って体を清めたと言うのに、俺達は後始末に駆り出される事になった。
佳織母さんは、精神的に疲れてしまった所為か、急に腹痛を訴え急遽医者に行くことになり、それに親父が付き添っている。
美鈴は昨日のショックから抜け出せないのか、棗と葵が付きっきりで看病しており、祖母ちゃんも息子が事故死ではなく、殺されたと知って倒れてしまい、大地と奏輔が交代で面倒を看ていた。
残った俺と源祖父さん、そして透馬の三人で後片付け。奔走にもなるだろう。
しかもこんな事があったって言うのに、今日の祭りは行うのだそうだ。
なんでもどんな事件があっても祭りを行わない方が、更に悪い事が起きると過去に事例があったらしい。
本当に色々と規格外の村だ。
なんだかんだで走り回り、夜になると夜店が神社の周りに立ち始めた。
こうなるとちゃんとしたお祭りだなと感心する。
なんとか持ち直した佳織母さん、美鈴、祖母ちゃんも三人揃って祭りに向かうようだ。
仲良く三人お揃いの浴衣を着ている。祖母ちゃん手製らしい。そしてしっかりと俺達の分も作ってくれたようで、結局皆浴衣姿。
どうせだからと皆一緒に神社に行こうとした所を、奏輔が呼び止めた。
「鴇、行く前にちょお相談あんねんけど」
「?、構わんが、珍しいな。奏輔がそんな事言うなんて」
「安心しろ。俺らも行くから雨は降らねぇよ」
「そーそー。ってな訳で、オレ達後で合流するんでー。先行ってて貰えますかー?」
そう言いながら、まるで逃げる事を許さないと言わんばりに両サイドから腕を固定されて、俺は何故か連行された。
あっちは親父と祖父さんと葵に棗がいるから心配はないと思うが。
しかし、こいつら急になんなんだ。
問答無用で連れ込まれたのは、どうやら図書館らしかった。
中に入り、エントランスのような広間を通り過ぎ、奏輔が持って来た鍵を使って奥の一部屋を開け、全員が入った事を確認すると、何故か奏輔が内側から鍵をかけた。
「おい?」
なんだ?この神妙な雰囲気は?
言外に含むと、三人はテーブルを囲む様にしてこっちに手招きする。
仕方なくテーブルの一辺に立つと、奏輔が口を開いた。
「早速やけど、鴇。お姫さんの事で話がある」
「美鈴の?」
「そうや。白鳥家の面々には悪いと思ってる。せやけど、鴇。お前は知っといた方がいいんちゃうかと思ってな」
「どう言う事だ?」
「お姫さんの身の安全のためや」
「姫ちゃんの誘拐のされ易さは異常だよ。勿論姫ちゃん自身にも身を護る術は教えておいた方がいいと思うよー?でもねー、やっぱり男性恐怖症の理由を知っておいた方がいいと思うんだー」
「それが真実かどうかは解らねーけど。それでも、判断材料は多い方がいいだろ。佳織さんは姫に直接聞くなとは言っていたけど調べるなとは言ってないしな」
「…成程。それで今日のこの時を選んだ訳か」
確かに今日なら、皆こんな図書館には寄り付かないだろうし、美鈴の身の安全も保障されている。何より佳織母さんの耳にも届かないだろう。
「なぁ、鴇。お前は前世って信じるか?」
「は?」
突然突拍子もない事を振られ思わず気の抜けた返事を返してしまう。
「このセリフな。俺もお姫さんに同じ事を言われたんや」
「前世を信じるかって?」
「そや。そのセリフ言われてから考えてみたんよ。お姫さんの言動と照らし合わせてな。そしたら何や。色々辻褄があってくるんや」
もし、美鈴に前世の記憶があるとしたら。
確かに、男性を怖がる理由になるし、料理や勉強もあそこまで出来るのにも納得がいく。たまに大人びた表情を見せるのも。
「あくまで、これは予想に過ぎないけどなー。でも、ちょっとこれ見てよー」
そう言って大地が四つ折りにした紙をポケットから取り出し開いた。
何だ、この文字。
見た事もない文字だ。
「見た事も聞いた事も無い文字だけど、これねー。姫ちゃんが書いたものなんだー。バレると厄介だからコピーだけど」
「あぁ、それで文字が少し薄くなってるんだな。しかし…これは」
「多分姫ちゃんが他の誰にも読まれたくなくて、作った言語じゃないかなー。ここの図書館で色々言語を見てみたけどそれらしき言語はなかったからー」
「作った言語?だとしたら何か法則性があるって事か?」
「うん。…ここに書いてあるのは姫ちゃんの見た悪夢なんだ。オレが文字に起こして今日の祭りの火にくべる様に勧めた。だから間違いないはず。そして、この内容はもしかしたら」
「美鈴が前世で体験した内容かも知れないって事か」
大地が頷く。なら、早速この言語を読み解いてみよう。
日記方式に書かれているな。日付は数字だから問題ない。書き始めの日付の文章を一文字一文字考えてみる。
ファンタジー系のゲームとかに使われてそうな文字だな。それに、同じ文字が何回も使われている所もあるが、ざっと見る限り26個の文字から成り立っている。
「…となると、この文字は『かな』ではなく『アルファベット』だな。で、このハートに中心点が入ってるこのマークが『A』と仮定すると…」
「いや、鴇。多分それは『A』やなく『T』や」
「なんで…ああ、そうか。なら、ここはToday's nightmare…『今日の悪夢』って事になるな」
「待て待て。鴇、奏輔。お前らの頭の中で完結すんな。間違ってても突っ込み入れられなくなるだろ。紙とペン持って来てるから、これに書きだして行こうぜ」
手早く透馬がアルファベットと対応する文字を下に当てはめて行く。全て埋めると、今度は文章を読み取っていく。
「えーっと、なになに…I had a dream I was pushed down by force.…『無理矢理押し倒された夢を見た』…」
透馬が読み取るのを躊躇う。
けど、ここまで来て途中で止めたらかえって気になる。俺は透馬から紙を受け取り、改めて声に出した。
『八月○日。今日の悪夢。無理矢理押し倒された夢を見た。確かあいつは小学生の時の誘拐犯だったかな。体中舐めたり、裸の写真を撮ろうとしたり、気持ち悪かった記憶しかない。
八月●日。今日の悪夢。死ぬ前の夢を見た。滅多刺しにされて殺された痛みとか、目の前で私の血を舐める姿とか思い出すと吐き気がする。
八月×日。今日の悪夢。ファーストキスの夢を見た。変なオッサンに舐め回された。確かあれも小学生の頃だったっけ?あんまり覚えてないし、キスなんて無理矢理されるものってイメージしかない。
八月△日。今日の悪夢。犯された夢を見た。高校の時痴漢にトイレに連れ込まれたんだよね。やたらリアルな夢だった。そう言えば愛のあるセックスなんてしたことない。
八月▲日。今日の悪夢。また死ぬ前の夢を見た。刺される瞬間のあの男の顔がまざまざと思いだされる。もう勘弁して欲しい。どうせ私が死んだあとその死体を好き勝手にしたんでしょ。もう…嫌。気持ち悪い。
八月□日。今日の悪夢。初体験の夢を見た。そう言えば初めて男に犯されたのって、小6の時だったな。死ぬほど痛くて辛かった記憶がある。そこから夢が切り替わって、集団で犯された大学の時に飛んだ。男は卑怯だ。女の方が力がないって知ってるのに集団でくるんだから』
そんな内容の事が紙一枚に小さな文字で一杯に埋め尽くされている。
まだ半分以上残っていたけれど、流石にこれ以上読む気にはなれなかった。
「……これは、怖がるな」
「うん…」
「これに書いてある事がもしホンマにお姫さんの前世なんやとしたら、お姫さんは前世でもよっぽどの美人やってんねんな」
確かに、そうでないとこんなに襲われる事はないだろう。
「しかも、男に刺されて死んだんだろ?まさに止めだな。これで男が好きだったら逆に精神疑ってしまう」
「でも、こんだけ強姦にあったり痴漢にあったりしてるのに、良く自殺しなかったよねー?」
「自殺って…。けど、まぁ確かに。…もしかして、出来ない理由があったんじゃないか?」
「出来ない理由ー?例えばー?」
逃げたくても逃げられなかった理由。自分だけ死に逃げる訳には行かない理由。例えば…。
「…妊娠してた、とか…」
ぼそりと自分で呟いておきながら血の気が引いた。
男に狙われて、その狙ってくる好いてもいない嫌悪しかない男の子を孕んで。でも子供に罪はない。道連れには出来ない。…逃げるに逃げられない。…生きなきゃいけない。それは―――永遠に続く地獄の苦しみだ。美鈴はどれだけの苦しみを抱えて生きたのだろう…。
「…佳織母さんの言う通りだ。もし、これが本当なら、美鈴が自分で言いだして来なきゃ俺達は不用意に突くべきじゃない」
「だな。けど、これで今日の姫のセリフに納得がいった」
「どういう意味だ、透馬」
「昨日、俺が姫とロープウェイを下ってた時、姫は俺に言ったんだ。初めて会った時『初対面の男の人』だったから悲鳴を上げたってな。それから、助けに行った時、姫は俺を怖がることなく『目の前の男』を怖がった。本当に男性恐怖症なら、俺があそこで助けに行った時点で俺すらも怖がるはずだ。だが、姫は俺に助けを求めたんだ。それが意味する所は」
「美鈴が怖がるのは『己に欲を向ける男』だと?」
「そうだ。しかも、それは無意識だ。多分姫本人は男全てを苦手だと思ってる。俺達は…そうだな。家族の分類に入ってるんだろう」
「初対面の男を怖がる理由は、姫ちゃんが可愛いから皆、そう言う意味で見ちゃうからだろうねー」
言葉を失う。まさか美鈴の男性恐怖症の中身がこんなに重い物だとは思ってもみなかった。
「…鴇。こりゃ思ったより根が深そうやで」
「あぁ。流石に、ここまでとは思わなかった」
「でも、少しでも理解出来れば守りやすくなるよー。オレ達も協力するしー」
「そう言う事だ。俺も姫を気に入ってるしな。是非、あの可愛さを七海に伝授して欲しい」
透馬が茶化したように言った事で場の空気が一気に和む。
話す事を話した俺達はしっかりと持って来たものを仕舞い込み、鍵を開けて図書館を出た。
「所で真面目な話」
真面目な話?
三人で透馬の言葉に耳を澄ます。今まで話していた内容が内容だから尚更全員集中していた。
「どうしたら七海は姫みたいになると思う?」
……。
おい。真面目に聞こうとした俺達の集中力を今すぐ返せ。
「どう転んでも無理ー」
大地。お前色んな意味でチャレンジャーだな。
「それ言うたら、俺も知りたいわ。お姉達をお姫さん化させるにはどないしたらいい?」
「絶対無理ー」
うん、無理だろうな。奏輔の姉さん達は佳織母さんとまではいかなくとも最強だからな。この奏輔をパシらせるんだから。
「無理無理言うなよっ!七海ならまだ間に合うかもしれないだろっ!!」
「無ー理ー。家の兄貴達を姫ちゃん化させるくらい無ー理ー」
「そんなにかっ!?」
透馬の魂の叫びに俺達は腹を抱えて笑う。
「ま、頑張れ。透馬」
「おまっ、鴇っ。他人事だと思ってっ」
「いや、だって他人事だし。俺にはお前達が切望してやまない可愛い妹がいるからな」
ふんっと鼻で笑ってやると、三人の目がキランと怪しく光った。
「こうなったら、やっぱり姫を嫁に貰うしかないなっ」
「うんっ。打倒白鳥家でー」
「…作戦立てなあかんね…」
やべっ。火にガソリンぶっかけちまったか?…鎮火させないと。
「嫁、ねぇ。どうでもいいが、俺達と戦う前に、自分達の家族と戦わなきゃいけないって事忘れんなよ」
「へ?」
「どう言う事ー?」
「お前らんとこの両親、美鈴が大のお気に入りでな。碌でもない奴の嫁にはやらないって連合を組んでるらしいぞ?こっそりとお前らの事を聞いてみたら、自分の息子が一番信用出来ねぇってさ」
全員が全員、そう断言していたから面白い。余程気に入ってるんだなと苦笑した記憶が思い出される。
自分の親なら言いかねないと三人が頭を抱えた。
三人の姿を笑いながら、思う。こいつらはきっと俺の為にこうやって明るい話をしてくれているんだろう、と。
ふざけて笑い合いながら、気付けば祭りの会場に辿り着いていた。鳥居をくぐろうと足を踏み出す。すると、すっと隣に大地が立ち、
「あの紙はオレが上手い事処分しとくから」
そう言って、肩を叩いて先に行ってしまう。それを茫然と見送ると、逆の肩を叩かれ、
「鴇のお姫さんは俺らも全力で守ってやる。安心し」
真っ直ぐ前を見据えて奏輔が大地の後を追い、
「ほら、行こうぜ。あいつらに良いトコ取られちまうし?」
透馬が背中を盛大に叩いてくれやがった。
「ったく。お前らは…。ホント、カッコいい奴らだ。腹が立つくらいな」
俺は一歩前へ踏み出した。




