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※※※(樹視点)

ガンガン…。

誰かが頭で鐘を鳴らしてる…訳ないか。

意識がはっきりさえすれば、これが頭痛だって事は理解出来る。

俺はゆっくりと目を開けた。…コンクリートの床が目に映る。それ意外は暗くて良く見えない。じっと一点を見つめていると、目が慣れてやっとここが事務所か何かの跡地のような場所だと分かった。

手も足も縛られてないって…。舐められたもんだ。そもそもここは何処なんだ。さっきからする潮の香りから想像するに海の近く、何だろうが。

窓から月明かりが入っている。もう夜と言う事か。だがその月明かりのおかげで室内を確認する事が出来た。事務机もあるし、書類棚とかもある。…が、どこもかしこも埃だらけだ。これだけ埃を被ってるって事は今は誰も使っていないって事だ。

さて。状況を確認しよう。

立てかかってた折り畳みのパイプ椅子を取りだして座り、目を閉じる。

…まずは何でこんな状況になっているのか、だが…。

今日の午前中、俺は普通に学校に通っていた。


―――大学の教室。

今日のスケジュールが何時もに比べて珍しく空き時間が多かった。だから、葵と棗、それから猪塚で食事をしようという話になっていた。

授業が終わり、教科書を整えて鞄に入れて席を立つ。

「龍也。迎えに来てあげたよ。感謝して」

教室の入り口で声をかけられた。いつもの事と言えど…。

「…葵。お前な…。美鈴がいない時のその態度、どうにかならないのか?」

「どうにかする必要性を感じないんだから仕方ないよ。それより、ご飯食べに行くんでしょう?行ってらっしゃい」

「は?行ってらっしゃいってなんだよ」

「だって、僕と棗には鈴ちゃんの作ったお弁当があるから」

「何だそれ。分けろ」

「冗談じゃない。龍也の分も鈴ちゃんは作ってくれたけど、あげないよ」

「あるんじゃねぇかっ。寄越せよっ」

毎度の如く。迎えに来た葵と舌戦を繰り広げながら教室を出る。不思議な事にこんな風に言い合って歩いていると、女子に呼び止められる事が少なくなる。勿論気にせず話かけてくる猛者もいない事もないがそんな女子達は葵の冷めた視線で一喝で終わる。だが一つ言っておこう。この言い合いはそんな意味があってしてる訳ではなく、ただ単に素直に、

「鈴ちゃんは何だかんだで優しいんだよね…。龍也に怖い目に合わされてるのに、こうやって龍也の分も作ってくれてるんだから」

「やっぱり美鈴は俺の事を気になっているって証拠だな」

「あはは。寝言なら布団で簀巻きになって海に沈んでからいいなよ」

「それじゃあ言えねぇだろ」


美鈴に関する攻防戦。それのみである。


「お前、本当に俺に容赦なさ過ぎるだろ」

「する必要がないし、それに…」

「それに?」

それに何だよ?と続きを聞こうとしたが、少し違うけれどもう一つの聞き慣れた声に遮られた。

「あれ?樹。本当に僕達と一緒にお弁当食べるんだ?」

しかもさっくりと斬ってくる。

「棗の方がよっぽど容赦ないと思うけどね」

「…確かに」

棗の足下で呻いてるのは猪塚か?

カフェのオープンスペースに来た途端目に入った光景がそれって…。

「おい、棗。足下にいるのを解放してやれ」

「うん?どうして?」

「どうしてって。苦しそうだろ」

「え?こんなに幸せそうなのに?」

幸せそうって…。棗に踏まれている猪塚に視線を向けると確かに最高に幸せそうな顔をしていた。背中を踏まれているんだが、そこから避難させるように両手を上にあげていた。両手にはしっかりと猪のマークがついたお弁当袋がある。

「鈴のお弁当を渡したら幸せそうにぶっ倒れたから、仕方なく止めをさしてやろうかと…」

「なんで止め刺すんだよ」

「一思いに」

「思ってるか?それ」

猪塚を救出してやって、それから葵から俺の分の弁当を受け取ってパラソルの下の四人席につく。

…お弁当袋は巾着の形をしており、そこにしっかりと龍のマークがある。結構恥ずかしいよな、これ。幼児みたいで。

俺達にはこのマークがついてるが、葵と棗のには何がついてるんだ?……白鳥だ。袋の色が違うだけで同じマークのようだ。

「お前ら、いつもこの袋使ってるのか?」

「そうだけど?」

「鈴が作った袋だし。可愛いし使い勝手もいいし」

ふわりと嬉しそうに笑う二人に、俺はたった今言おうとした言葉をを飲みこんだ。危ねぇ危ねぇ。ここで一言でも恥ずかしくないか?とか漏らした瞬間に俺の弁当は手元から消えていただろう。取り上げられて堪るか。

ちょっと待てよ?…もしかして、それが目的だったとか言わないよな?俺達から弁当を没収する為に態とこの袋に入れさせた、とか…?こいつらならやりかねないから、何とも言えない。

こいつらマジで二人共良い性格してやがる。本当、何でこの歪んだ所に気付かないんだ、美鈴は…。

弁当の袋を開けると中は、普通の弁当箱が入っており、その中身は料亭の弁当級に美味かった。

「あれ…?何か底に入ってる」

「あ、僕のもだ」

俺と猪塚も自分の袋を確かめるが特に何も入ってない。

双子は底にあったと言う二つ折のメモ用紙を取りだして開くと、それはそれは幸せそうな顔で微笑んだ。

きゃあっ、と女子達がその顔を見て声を上げても仕方ない。それだけ人に見せる事のない笑みだったから。

「…葵は何て書いてた?」

「『葵お兄ちゃん、午後の授業もファイトっ♪』だってさ。棗は?」

「『棗お兄ちゃん、午前の授業、お疲れ様~♪』だって。手書きで可愛い白猫の絵付きだよ」

「可愛いよね、鈴ちゃん」

「うん。可愛過ぎるね」

二人がデレた…。しかも大切そうにその紙を教科書に挟んでいる。下手すると気持ち悪がられるぞ、その行動。…だが、俺も、もしそんな手紙が来たら…とっておくな、確実に。って言うか美鈴。明らかに兄弟だけ依怙贔屓するな。

可愛い可愛いと美鈴を褒め称える二人の会話を羨まし気に見つめる猪塚。そんな三人を眺めていると唐突に予期せぬ声が乱入して来た。


「可愛いでしょう?私の華は」


一体誰の声だ?と言うか、この声の高さからいってガキの声だろ。

大した奴じゃない。無視しても良い。そう、判断したい所だが…。

「お前っ…」

普段なら想像出来ない程の怒りが隣から吹き荒れる。棗が本気で怒っているのを見るのはいつ以来だろうか。それこそ、美鈴に無理矢理キスした時だって葵が切れてこそいても、棗は美鈴を守る様にして俺にキレてはいなかった。そう考えたら棗のマジ切れなんて初めてみたことになる。それだけ珍しい現象が今目の前に起きていた。

ガタッと椅子を倒す勢いで立ち上がり、声の主と対峙する。

見た目は女の子風な可愛い系男子だ。小学生くらいの。

「……何しに来た」

「何しにと言われると、貴方達の足止めに、としか言いようはありませんねぇ」

「足止め、って…まさかっ!?」

棗が急ぎ携帯を取りだして電話をかける。

「繋がらないっ!葵っ、樹でも誰でも良いっ!鈴と連絡をとってくれっ!」

尋常じゃないその様子に俺達は頷き直ぐに携帯を取りだして電話をかける。通常時でも俺からの電話に出ない美鈴に直接かけるだけ無駄だ。なら側にいるであろう優兎にかける。だがまるで電波妨害にでもあってるかのように繋がらない。コール音も直ぐに途切れてしまう。

「無駄な事をしますねぇ」

にやりと不気味に笑うそいつに嫌な予感が膨れ上がる。

「棗。こいつがそうなの?」

「あぁ。そうだよ。こいつが鈴を襲った小学生のクソガキだ」

スッと葵の周りの気温が一気に下がる。

今棗が聞き捨てならない事を言っていたな。美鈴を襲った?一体何の話だ?記憶を探って一つ答えに辿り着く。

「棗。こいつが昔お前が言っていた、美鈴を襲撃した変態か?」

「そう」

「成程な」

俺がまだエイトに在学してた頃、棗達が遊園地に遊びに行った時、襲撃にあったと言っていた。黒服の連中が出て来て集団で襲われたがそんな奴らより、そいつらを束ねていた小学生の存在が気持ち悪かったと、そう言っていた。確かに棗のその言葉は的を得ていたのかもしれない。

こいつの笑い方はやけに不気味だ。鳥肌が立つ。

「俺達の足を止めて、美鈴を手に入れようって言う魂胆か?」

「やだなぁ。そうじゃありませんよ。私の愛しい人はもう既に私のものなんです。ですが…貴方が邪魔なんですよねぇ」

「俺が、邪魔?」

「えぇ。これから何をするにしても、きっと貴方の存在がすっごく邪魔になると思うんですよ」

「………どう言う意味だ?」

「あ、説明する気は毛頭ございませんので。素直に死んでください」

言いながらそいつが鞄から取り出したのは…銃っ!?

ガキが持ってるからどうせ玩具だろうと、周りにいる生徒たちは銃の事など気にも止めずに会話を聞きとろうとしてその場を離れたりはしていない。だが、解る。あれは……本物だ。こんな所であんなものを放たれた日には死傷者がどれだけ出ることか。

「猪塚、周りの人間の避難を最優先に」

「了解です」

「葵、棗」

「分かってる」

「任せて」

タイミングを見計らって、奴を抑える。

棗の話によればあの破天荒な力を持つ御三家の丑而摩大地ですら互角で争う相手だ。真っ当に戦ってもヤバいだけ。連携をとっていくしかない。

アイコンタクトをとって。


3…2…1…GOッ!


真っ直ぐそいつに向かって行く俺と左右から仕掛ける双子。

そして後ろに走り猪塚が生徒の避難を誘導する。

まずは銃を撃てないように、美鈴には悪いが弁当箱を投げつけた。飛んできたものを反射的に撃ちつけ、銃声のおかげで一気に生徒たちは散開する。

一気に近づき顔面を殴り飛ばす。間髪おかず葵の蹴りがそいつに決まり、軽い体が宙を飛んだところを掴み、棗の一本背負いが決まる。だが、そいつは直ぐに銃を棗に向けた。

そうだ。痛みを感じないと言っていたなっ!

急ぎ駆け寄り、銃を蹴り飛ばして弾く。

転がった先に女生徒がいる。

「悪いがそれを拾って遠くへ投げつけてくれっ!」

叫ぶと青い顔しながらも頷き、キャッチして遠くへ投げ飛ばしてくれた。

これで一安心かと思いきや、そいつはにやりと笑い、指笛を吹いた。すると、一体何処に隠れていたのか。星ノ茶の制服を着た男達がゾンビのように虚ろな目をして一歩二歩と近寄ってくる。

「貴方は邪魔なんでね。攻略対象の、しかもメインヒーローは愛しい人の心を惑わすので消えて下さい。それでは」

もう一度気色の悪い笑みを浮かべ、

「あぁ、そうそう。忘れ物、ですよっ」

「うぐっ!!」

俺の鳩尾を蹴り飛ばして、そいつは姿を消した。


―――と、ここまではちゃんと覚えてるな。

あの後、星ノ茶の生徒を縛り上げて、棗が大学に説明を、葵が白鳥家の長兄へ連絡、それから猪塚に近江を尾行するように指示を出したんだった。

なんでそこで近江を尾行するように言ったのか。それは銀川の報告内容に理由がある。


『龍也様。金山よりの報告で、どうやら今回の白鳥総帥への襲撃。忍びの者が関わっているようです。先程の小学生。あれも忍びの術で幻惑を見せていた模様。しかも、あれは…私の息子が術を使って成り変わっていた可能性が高い。…ですが…息子の意識を一切感じられなかった…。何か、他にも訳がありそうです』


それを聞いて俺は直ぐに猪塚に近江を見張る様に指示を出した。この決断は間違ってないだろう。ついでに言っておくが態と行かせた訳ではない。美鈴に近寄らせないようにした訳じゃない。決して。

銀川の報告を聞いてから葵の報告を聞いた。その内容は美鈴が恐怖のあまり気を失って意識を取り戻さないと。…確かにただでさえ男を怖がっている美鈴が集団の男に襲われたらそれは恐怖でしかないだろう。

双子が美鈴の下へ向かうと聞いて、一人になった俺は情報を収集する事にしたのだが、その時に突然黒服の男連中が現れた。

きっとこれも奴らの仕業だと分かっていた。だが敵を知り己を知らなければ勝つ事もままならない。

ならば、敵の内側に行くしかないだろう。

と判断して、敵の罠に乗っかって、薬を嗅がされて意識を失って、どっかに連れ込まれた。現状がこの状態、と。

(……まさか、倉庫に捨てられて放置されるとは、流石に予想外だ…)

しかも手足を拘束されてもいない。

(馬鹿にされたもんだな…。逃げられないとでも思ってるのか?)

それとも逃げる訳がないとでも思ってるとか?

そう言えば携帯はどうなってる?

ポケットから取り出して、確認の為に起動すると。

「………はっ。ちゃちな事をしてくれる」

画面が切り替わり真っ黒になる。そしてその画面一杯に赤文字で『死ね』と延々と書き連ねられている。それはスクロールしてもずっと変わらず。むしろ勝手にスクロールされていく。

「くだらん。この程度で怯むような奴だとでも?」

電源を切ろうとしたが、反応なしなようだからそのままポケットに戻す。もしウィルス系だとしても、銀川が問題なく対処するだろう。まぁ、やった人間がもしあの小学生含む連中だとしたら、俺個人を狙ってるだろうからただの嫌がらせだと考えた方が良いな。

さて。そろそろ行動を起こすか。

ゆったりと立ち上がり、ドアに近寄りノブに手をかける。…ん?このドア…細くて分かり辛いが窓がある?珍しいな。……外の様子を探るには丁度いいか。

そっとその窓から内側を覗き込むと、


「―――うわっ!?」


目が合った。

向うからもこちらを覗いていたらしく、突如暗闇から現れた目に驚き一気にドアから距離を取る。

気持ち悪ぃわっ!

何で男と視線合わせなきゃならないんだっ!

いや、それ以前に、なんでこっちを覗き込んでたんだっ!

叫びたい事は多々あれど、ぐっと飲みこんで相手の出方を窺う。

「………反応、なし、か」

「は?」

呟く声と同時にドアが開く。そこには現星ノ茶の生徒会長が立っていた。…そう言えば襲って来た連中は星ノ茶の生徒だったな。と言う事はこいつが黒幕って事か?

「……記憶が戻る気配もない。…ちっ。まだ【私】は【樹龍也に転生していない】って事ですか。一体何をやっているのやら」

べらべらと何か言っているが言葉の意味が全く理解出来ない。

「せめて、華が好きなキャラに生まれ変わってあげようと思ってたんですがねぇ」

「何を意味の解らない事をべらべらと」

「意味?それは貴方が理解する必要はありませんよ。さて、どうしましょうか。ここで私が死んでもいいのですが、それだと…」

また何かぶつぶつと呟き始める。本当に気持ち悪いなこいつ。いっそ無視して脱出してしまおうか。けどそれじゃあ捕まった意味がないな。

「……とりあえず、私の愛しい人がここに来てから考えましょうか」

「ちょっと待て。それはどう言う意味だ」

聞き捨てならない。こいつにとっての愛しい人。それは美鈴の事に相違ない。何故美鈴がここに来る?もしかして、それは…。

「?、どう言うも何も、貴方を人質にここに来るように言ったんですよ」

俺を人質に?美鈴の事だから罠だと気付いて来るとしても何かしらの対策をしてくるだろう。それに男が苦手なあいつがそう簡単に動くとも思えないし、何より…。

「俺を嫌ってる美鈴が、俺を人質にして本当に来ると思ってるのか?」

自分で言っておきながら、現実にぐさぐさと心を刺される。こんな切ない事あるだろうか。いや、ない。…泣きたい。

「来ますよ。確実に。私の愛しい人は優しいですから」

……それは、確かに。あいつは優しい。自分ではそう見せていなくても、嫌っていようとも自分の苦手な男であろうとも、見捨てる事が出来ない優しい奴だ。

「あぁ…ほら。来ましたよ。華の気配が近づいてきた。…おや?余計な虫が二つ程ついているようですね。排除してしまいましょう」

そう言い残して、そいつはあっさりと姿を消してしまった。闇に紛れる様に。

…それよりもだ。あいつは何て言っていた?

余計な虫が二つ程って言ってたな?…余計な虫ってのが美鈴の護衛を請け負った奴だとしたら…ヤバいな。

ドアを開けて、事務所から外に出る。

ここはどうやら二階だったようだ。階段を降りて行くと、何もないだだっ広い空間に出る。成程。荷物がないから解らなかったが、どうやらここは港の空き倉庫らしい。

「どこへ行くんです?」

背後から声がして、急ぎ振り向くとそこには美鈴を抱きかかえている生徒会長の姿があった。

「貴方には、私に生まれ変わって貰い、愛しい人を抱くと言う重要な役割があるんです。今帰られては困るんですよ」

「意味が分からない。そんな事より美鈴を離せ」

「良いですよ。その代わり、ここから逃げ出さないで下さいね。でないと、私は【貴方】も【愛しい人】も殺さなくてはいけなくなりますから」

そう言って、そいつは俺に美鈴を渡してきた。…くそっ。意味が分からないっ。

一体どう言うつもりでこんな事をするんだっ…?

「ここでは体が冷えますよ。事務所の方がまだ温かい。どうぞそちらへ戻って下さい」

……今は逃げる時ではなさそうだ。

この状況で動いたらきっとこいつの言葉通りに殺されるだろう。なら今は体力の温存も考えて、事務所へと戻るべきだ。階段を登り、今来た道を戻る。事務所へと入り、美鈴を抱きかかえたまま椅子に座る。

「何か食べるものでも持ってきますね。決してここを出ないように」

そう言いながら部屋を出て行く生徒会長を確認してから、俺は小さく息を吐いた。

あの生徒会長の持つ気配や空気は異様だ。一切油断が出来ず、緊張感を強いられる。

…美鈴は、大丈夫なのか?

そっと、顔にかかった髪を寄せてやると、急に美鈴が動きガシッと手首を掴まれた。

そして手の平に何やら文字を書かれる。

『樹先輩のドジッ』

……いきなりの罵倒に、若干イラッとする。

『何で捕まったのっ!』

更に手に文字を書かれる。

……と言うか何で手文字?

「美鈴?」

小声だが名を呼ぶが反応がない。じっと美鈴を観察すると、視点も合わない事が分かった。美鈴、お前もしかして、視覚と聴覚を失ってるのか?聴覚を失うと人は自分の声を確認出来なくなるから声が出せなくなると言う。だから手文字なのか?

美鈴の手を取り、そこへ文字を書く。

『俺は態と捕まったんだ。こんなの罠だと直ぐに気付くだろう。何のこのこ相手の罠に乗ってるんだ』

『こんな危険な奴相手に態と捕まるとか、馬鹿なのっ?樹先輩のばーかばーかっ』

ぐっ…。言ってくれるじゃねぇか…。

『お前こそっ、何時も俺の事嫌いだって言ってるだろっ。嫌いな奴を人質にされても助けに来るとか、何処までお人よしだ、馬鹿っ』

『馬鹿って何よっ!先輩の為なんて一言も言ってないじゃないっ。自分の為に決まってるじゃんっ。樹先輩はついでだもんっ』

手文字だと言うのにいつも通りの言い争い。何だこれ。

暫く言い合いを続けて、これは不毛な争いだと互いに気付き、一時休戦する。

『それで?罠だと気付いて来たんだから、何かしら作戦を練って来たんだろうな?』

『勿論。でも、まずは脱出しよう』

『とは言っても、逃げれるのか?』

この状況で?

正直俺が一人で逃げるより、視覚と聴覚を失った美鈴と一緒に逃げる方がハードルが高いぞ?

『負けっ放しは、嫌っ!』

美鈴が力強く書いて、ぐっと胸を張った。本当なら光を失った瞳。なのに、美鈴の瞳は強い意志を秘めていた。流石と言うか、何と言うか…。つられて笑みを浮かべてしまう位に、俺は美鈴の強さに心底惚れてるらしい。

『分かった。…行くか。逃走経路はどうする?』

『真正面から行く』

『マジかよ。自ら見つかりに行くのか?』

『どこにいても見られてるなら、堂々と出て行く。それだけ』

…何でこういうとこ無駄に潔いんだ、お前は…。まぁ、きっと考えあっての事だろう。なら付き合う以外ないな。

俺は美鈴を抱いたまま立ち上がり、事務所を出た。

ゆっくりと階段を降りて、だだっ広い空間を外へ向かって歩く。

「…いけない人達ですねぇ。逃げるなと言ったのに」

「まだ、逃げてないだろ。建物の中にいる訳だしな」

「それはまー、そうですけど」

美鈴に奴が出たと知らせる為に、ぎゅっと自分の方へと抱き寄せる。すると、美鈴は俺の胸をぽんっと叩いてきた。

「…もう、いっその事この姿のまま抱いてしまおうか。ちゃんと気持ち良くさせてあげれるのだから、見た目にこだわる必要はないですし」

美鈴。お前、とんでもないのにストーカーされてたんだな。

これは確かに、こそこそと隠れて逃げても同じだった。今はこいつの言葉を聞くより逃げた方がいい。走りだし、真っ直ぐ倉庫の脇にあるドアへと向かう。そのドアはあっさりと開いた。

だが…。

「お帰りなさい」

ドアを開いた先は、事務所だった。…一体どう言う事だ?

俺は確かに階段を降りて、外へ出るドアを開けたはずだ。なのに何故、事務所のドアを開けた事になっている?

振り返るとそこには生徒会長の姿がある。しかし、前方には事務所がある。嘘だろう?

事務所の中へと入り、ドアをもう一度開く。するとそこには事務所前にあった小さな廊下と階段がある。階段を降りていくと空き倉庫のだだっ広い空間があって、その空間の中央でこちらを見て不気味に笑う生徒会長の姿。

一体何なんだ、このホラーな展開は…。

「どうしたんですか?外に行くのではなかったのですか?」

…いけしゃあしゃあと…。こいつが余裕綽々だったのは、出られない事を知っていたからか。手の平で転がされまくってると考えると腹が立つ。

「お前は本当に人間か?」

「おや。失礼なことを仰いますねぇ。何処からどうみても人の形をしていると思いますが。それとも貴方の目には人の形に写っていませんか?」

「……くそムカつく野郎だな」

「御曹司の坊ちゃまとは思えない口調でございますねぇ」

一々癪に障る。

「そろそろお遊びは終わりにしましょうか」

「うんうん。終わりにしようよ。樹先輩」

「……は?」

腕の中にいたはずの美鈴がにっこりと微笑んだ。ちょっと待て。こいつは今視覚と聴覚をやられてたんじゃなかったのか?何で普通に話している?声が出てるんだ?

「やっぱり私は樹先輩が一番嫌いなんだよね」

「そうなんですか?華」

「うん。だから殺しちゃおうよ」

待て。何を言っている?

「先輩。気付いてます?さっきから先輩の体、動いてないの」

トンッ。

美鈴が腕から降りた音がする。

「あーあ。残念だなぁ。樹先輩の顔ってすっごく好みなのにー」

ひやりと冷たい美鈴の手が頬に触れた。それでも全く動かす事の出来ない体に背中に冷汗が流れる。

何だ?どうしてこうなった?

美鈴は何故、あの男の側に行く?どうして、外に出る事が出来ない?

ガンガンと頭を何かで殴られるような痛みが走りだす。

落ち着け、俺。今、一体どうしてこうなったか良く考えろ。

美鈴があいつの側に行く訳がないんだ。そうだ。そもそも、男を怖がる美鈴が、あの男性恐怖症の美鈴が気を失ってると言えど、自分をストーカーしている男の腕の中で震えずに寝ている筈がないんだ。

脱出路にしてもそうだ。現実的じゃない。そんな空間を捻じ曲げるような事、それこそ忍びにだって出来る事じゃない。

なら、俺はどこかで相手に幻を見る様に仕掛けられていると考えるのが妥当だ。

どこだ?どこで俺は術をかけられた?忍びが関わっているんだ。必ず何かしらの幻惑系の術をかけられている筈だ。どこだ?どこでかけられた?俺はどこから幻を見ている?考えろ…考えるんだ…。

美鈴が俺を殺そうと動いている今は確実に幻惑の中だ。ならば、その少し前。筆談の所はどうだ?急いで脳内に残る美鈴の記憶を思い出す。違和感はないか?必ずある筈。本当の美鈴ならどう言う言葉を返す?


―――馬鹿って何よっ!先輩の為なんて一言も言ってないじゃないっ。自分の為に決まってるじゃんっ。樹先輩はついでだもんっ。


…ここだ。本物の美鈴ならこうは言わない。例え怒っていたとしても、あいつはきっとこう言う。


―――仕方ないでしょっ。私の所為で捕まった人を見捨てられる訳ないじゃないっ。例えそれが樹先輩だったとしてもっ。


と。…あいつは自分の懐に入れた人間だけを助ける奴だ。自分が認めた人間だけを守るとそう腹を決めている。そんな美鈴が自分の為なんて断言する訳がないんだ。

ここじゃない。あの時点で俺はもう奴の幻惑の中だ。

幻惑を受けた時との境目はどこだ?俺が幻惑を受けた瞬間は何処だ?


『……奴が…にかけた、……は、……瞳、だ…ッ』


―――ッ!?

突然脳内に声が響く。

誰の声なのか。聞いたこともない声だった。でも…途切れながらも何かを必死に訴えている。

一体何を告げようとしているのか。

聞こえたのは『奴が』『にかけた』『瞳』の三つ。安直につなげたら言葉の意味が分からなくなる。間に何が入る?…違うな。それ以前に強調して言っていたのは『瞳』の部分だった。

瞳…?

一瞬脳内に何かが過る。

…そう言う事か。目かっ。

捕らえられた事務所のドアの窓越しにアイツと目が合った。あの時に幻惑の術をかけられていたと、そう言う事かっ。

理解した瞬間、パァンッと俺の視界に映っていた美鈴や生徒会長が崩れ落ちて砂の様にさらさらと消え、そして空き倉庫の光景が一瞬にして闇へと変化した。

いざ、こうして暗闇に戻ってみると、自分が幻を魅せられていたのだとまざまざと理解させられる。

はぁと一息ついた瞬間、バチィンッと頬に衝撃が走った。

「痛ぇっ!!」

やっと幻惑から逃れられたかと思ったら、いきなり何だっ!?

目を開けて、痛みの理由はなんだと理解する前に、ゴンッと頭に何かが当たった。

「……うぐぐ…」

痛みにぶつけた額を抑えると、バシバシと隣で同じく痛みを訴えて床に手を叩きつけている美鈴の姿があった。

「……美鈴?」

本物なのか。だとしたらどうしてここにいるのか。色々な意味を込めて名前を呼ぶが、反応がない。

トントンと肩を叩くと、ようやく痛みを受け流したのかこちらを向いた。

……おい。なんで黒の眼帯をしてるんだ?まさか、この美鈴も偽物じゃないだろうな?

もしもの時の為に確認する必要がある。

ぐいっと手を引っ張り、その手に『本物か?』と確認の意味を込めて書いてみた。どんな反応が返って来ても今度は見極めて見せる。

だが、帰ってきた答えは。

『巻き込んで、ごめんね。樹先輩』

手の平に書かれる謝罪と、震える体だった。…俺に対してなくなったはずの震えが戻っている。…襲われた所為で男性恐怖症が悪化したと考えるのが妥当か。

…本物だな。こんな風に素直に謝るのは美鈴の美点であり、親しい人間にしかこいつは頭を下げたりはしない事からも本物だと納得出来る。

『どうやってここまで来た?』

『窓から侵入した』

どやぁっ。

……そこ威張る所じゃないだろう。

そもそも、ここ二階だろ。どうやって登ったんだ。

『壁登るの大変だったー』

何やり切った顔してやがる。あぁ、これは本当、間違いなく美鈴だ。

『何で眼帯してるんだ?』

『…ちょっと、対策でね。それより先輩。こっから逃げよう?』

『どうやって?』

まさか、正面突破とか言わないよな?

『勿論。窓から壁つたって』

それはそれでどうなんだ。…ん?そもそも眼帯してるが、美鈴は今見えてるのか?

『目は、見えてるのか?』

俺が問いかけると、美鈴は一瞬驚いて、それでもふんわりと微笑んだ。そして、ぐっと親指を立てて、

『片目は見えてないっ!』

「威張る事かっ!」

あまりの良い笑顔で言うからつい突っ込みを入れてしまった。

……落ち着け、俺。今はそんな事を言ってる場合じゃない。

『大丈夫?先輩』

大丈夫かと聞かれたら大丈夫だが…。色々突っ込みたい所が多過ぎて…。

『この部屋に来たらいきなり先輩が倒れててびっくりしたよ』

『…倒れて?あぁ、そうだ。美鈴』

今は情報を共有しておいた方が良いだろう。

さっきの幻惑の事を含め説明すると、美鈴の瞳がスッと細められた。

『幻術…。奏輔お兄ちゃんの推測当たりまくりで凄い』

『は?』

『でも今は脱出。行こう。樹先輩。あそこの窓のから出よう』

美鈴が書き終えて指さしたのは、俺が覗いた小窓。

待て待て待て。あの大きさ、美鈴なら出れるかもしれないが俺はギリギリだぞ。

どうやら美鈴も俺の体を見て、同じ答えに辿り着いたらしい。ポシポシッと俺の肩を叩いて、むーっと眉を寄せた。

『肩、とる?』

『とらない』

『肩、外す?』

『外さない』

『樹先輩、我儘』

『どっちがだっ』

まるで漫才のようなやりとりと思われるが、本人達は真剣かつ切実である。

『しょうがない。…逃げれる道、探そう』

『…それしかないな』

立ち上がり、美鈴はキョロキョロと辺りを見渡す。そして、望んでたものが見つかったのか、嬉しそうに…長箒を手に取った。邪魔なのか箒の本体とも言えるべき房の所を折ってしまうと、その棒をくるくると回して、うんと頷いた。武器が欲しかったのか。

くるっと振り返って俺の方を見て頷く。それに俺も頷き返して、そっと部屋を出た。やはり鍵はかかっていない。

幻惑の中と同じ。事務所を出たらすぐに短い廊下があり階段を下って、下に降りる。空き倉庫の広い空間に出て、辺りを確認する。今日何度この動きをしただろうか。

「…おやおや。起きてしまいましたか。出来れば起きないで欲しかったんですがねぇ」

倉庫の中央に、幻惑を見ていた時と同じようにそいつは立っていた。咄嗟に美鈴を背に庇う。

「本当。どうして貴方にだけは生まれ変われないのでしょう?不思議ですねぇ…」

「お前の言っている事はさっぱり意味が分からないんだが?」

「分かる必要もありませんよ」

にやりと笑った瞬間。そいつは一気に間合いを詰めてきて、俺が反応をする隙を与えずにそいつの裏拳が顔面にぶち当たった。

体が吹っ飛び、倉庫の壁へと叩きつけられる。

顔に当たった衝撃と、背中を叩きつけられた衝撃を同時に喰らい、ひゅっと喉が鳴った。上手く呼吸が出来ず、咳き込んでやっと呼吸が出来る様になる。

「さぁ、華。私と一緒に行きましょう。貴女を抱かなくては…」

ストーカー野郎の手が美鈴の頬に触れて、顎を持ちあげられ、視線が絡み合う。ダメだっ!そいつの瞳を見たら駄目だっ!

そう、叫びたいのに、衝撃から立ち直れていない俺は声が出ない。

「華…」

「……気安く触らないでっ」

パンッ!

小気味良い音でストーカーの手を払い退けた。男を怖がっている美鈴が?しかも声も出てる。何故…?

まさかの行動にストーカーの目が丸くなる。俺だって驚きを隠せない。

「な、ぜ…?私の、術が効かない、と…?」

「残念だったわね。いつもいつもやられっ放しなんて思わないでっ」

ドンッ!

美鈴が力の限りストーカーを突き飛ばし、顔を箒の柄で思い切り殴った。

いまだ、驚きから戻れないストーカーは殴られ尻餅をついた状態でただ美鈴を見上げていた。

「私を操れると思った?眼帯の上からなら目を合わせても通じると?それとも声?声でも操れるはずなのに、って?お生憎様っ。何処かの誰かの所為で私は耳も目も薬を使って漸く半分動くようになったのよっ!」

「はん、ぶん…?」

「薬を使って回復しているのだから、実際は動いていないと同じ。そんな私に通常の術をかけて効く訳ないでしょうっ!」

「ば、かな…」

「今度こそ…今度こそっ、私は私のトラウマを断ち切るっ!絶対に、絶対に負けないっ!!」

美鈴の怒りと決意の強さが緊迫した空気と共に辺りを圧した。

「…うそだ…。私の華が、こんな風に、私に歯向かう訳がない…」

「私は華じゃないっ。今の私は美鈴だからっ」

「こんな…」

ゆらりとそいつは立ち上がり、一歩、二歩と後退する。

「こんなこんなこんなこんなこんなっ、あり得ないあり得ないあり得ない…」

気持ち悪っ。ぶつぶつと何か俯き気味で呟いている。

嫌な予感がして、このままここで見守るだけとか駄目だろうとふらつく体を叱咤して立ち上がった。

確かポケットにいざって時の為に持っておけと銀川に渡された薬があったな。錠剤のそれを飲みこんでじっと体の痛みが消えるのを待つ。すると本当に痛みも、なんなら小さな傷程度は治っているんだから恐ろしい。

「華じゃない?いや、あれは華だ。だって華が言ったんだよ。私の事は華って呼んでって。前の名前は呼ばないでって。おかしいな。『美鈴』がそう言ったから態々私は『華』と呼ぶようにしたのに。あぁ、そうか。そうなんだね。やっぱり『美鈴』って呼んで欲しいんだね。我儘だなぁ、君は。君が記憶を取り戻した事って何回かあるけどその度にこう言う風に反抗するんだから。全くいけない子だ」

一体何なんだ?このストーカーは一体何を言っている?

動くようになった体を動かして、美鈴の側に駆け寄る。美鈴は何となくだがその独り言を理解しているらしい。眉を寄せて、不快感をあらわにしていた。

「もう一度、君にはお説教が必要だね…。私がどれだけ君にとって大事か、何度も何度もその体に刻み込んで、最終的には君は私を独り占めしたくて『死』を求める癖に」

ざわりと全身の毛が逆立った。

こいつ、ヤバいだろっ!

何か予感がして、咄嗟に美鈴を自分の腕の中に引きよせた。

すると、美鈴が今の今まで立っていた場所に、バシャリと液体が落ちて、焼ける様な音を発して地面が溶けた…。

「酸っ!?」

「美鈴、かかってないかっ!?」

「だ、大丈夫っ。ありがとう、樹先輩っ」

冗談じゃない。あんなのかかったら下手すると命にかかわるっ。

「あれ?駄目だろう?お仕置きちゃんと受けなきゃ…。大丈夫だよ。君の姿がどんなになろうとも私は愛してあげるよ。今回の君は本当にどこもかしこも美しいから、私としては惜しいけどね。やはり美鈴の姿が一番美しいよ」

「貴方、言ってる事が無茶苦茶だわっ。今回の私は美しいと言ってる癖に、私の姿が一番美しいなんてっ」

「事実だよ。君は美鈴に何度も生まれ変わっている。けれど、今回の君が一番美しい。何故だろう?何が違うのか私には解らないけれどね」

「何かが、違う…?」

おいおい。敵の話に耳を傾けてどうすんだっ。

「美鈴。話すなっ。こいつと話しても惑わされて隙が生まれるだけだっ」

「………やはり、君の所為かな。どんな時も君の側にはこいつがいる。まぁ、最終的にはいつも見捨てるんだけどね。知ってる?どんな時も助けてやるって言ってる人間ほど、いざ来てほしい時に来てくれないんだよ。こいつに美鈴はいつも助けを求めていたのにコイツは絶対現れた事はない」

「……お前が一体何を見てそう言ってるのか知らないが。美鈴が助けを求めなければならない状況を作り上げている原因に言われたくねぇな」

「…樹、先輩…」

「美鈴。耳を貸すな。コイツの言っている事がどう言う意味か俺には解らない。けどな、美鈴。お前はお前の意志を持って、ここにトラウマを絶ちに来たんだ。それを忘れるな」

「…………ありがとう。樹先輩。本当、その通りだね」

腕の中でしっかりと頷く美鈴の姿を見て、俺も頷く。

「あぁ、やっぱり邪魔だ。じゃまじゃまじゃまじゃま…邪魔だよっ、きみぃぃぃっ!!」

ダンッ!!

ストーカー野郎が発狂しながら足を強く鳴らした。

瞬間、どこから現れたのか、老若男女、国籍問わない人間達がぞろぞろと俺達を取り囲み始めた。

「……もう、私の意識は殆どない。いわば夢遊病のような状態の私の転生者。使い所がないと思っていたけれど、こんな風に使う事になるとはね。さぁ、沢山の『私』っ!!美鈴を捕らえ、樹龍也を殺しなさいっ!!」

「とうとう、手段を択ばなくなったってかっ!?」

「樹先輩っ」

「大丈夫だ。そう簡単に負けはしない」

美鈴を背後に回して、俺は一番厄介そうな星ノ茶の生徒会長と対峙する。すると、トンッと背中に美鈴の背中が触れた。

「……私の背中、任せましたよ、先輩」

「あぁ。任せろ」

周囲を囲まれた。けれど、今はやるしかないっ。

一斉に飛び掛かってきた連中を殴り、蹴り飛ばし、投げ飛ばす。

殴られて、殴り返して、掴まれた腕を利用して投げて、美鈴を掴もうとしていた奴に投げつける。背後から襲い掛かってくる奴を美鈴が棒で叩き気を失わせる。

半数は昏倒させられただろうか。

だが、奴が呼び寄せる人間は次から次へと湧き出てくる。俺達の体力だって無尽蔵にある訳じゃない。

体力が消費され殴られる回数が増えて、体が吹き飛ばされる事が多くなる。

自分ですら守れないのに、互いを助ける余裕なんてある訳がなく。

「きゃあっ!!」

「美鈴っ!!」

美鈴の腕が捕まれ、拘束される。美鈴を捕らえるには女では駄目だと判断した奴らは男だけを集中的に向かわせるようになっていた。

それを避ける為に男の相手をしていたが、それでもこの大人数に俺一人だとどうしようもない。


―――ダダンッ!


「うぐっ!?」

隙を突かれ背中を突き飛ばされて、地面に叩き付けられて、顔面に痛みより先に衝撃が走る。

それを払い退けるが、腹に蹴りを喰らってうずくまる。

痛い。痛いが今はそんな事より。

美鈴の側に行かなければ。

だが、背中を抑え付けられて思うように動けない。

「いやっ!!離してっ!!」

「美鈴っ!!」

「手間をかけさせないでください。…さぁ、行きましょう。美鈴」

その間にも生徒会長が美鈴の側へ歩み寄る。


「くそっ!ど、けぇっ!!」


腕を振り回して抵抗すれど、俺を拘束する手は増えて行く。

とうとう生徒会長が美鈴の側に辿り着いた。生徒会長が拘束された美鈴の頬を幸せそうに撫でて、そして嬉しそうに舐める。

指が服にかかって…。


「いやああああっ!!」

「美鈴ーーーっ!!」


美鈴の悲痛な叫びと俺の叫びが重なった。もう、無理なのかっ!?

地面に押さえつけられてる俺にはどうする事も出来ない。暴れるだけしか出来ないのかっ!!こんなの、星ノ茶生徒会長が言ってた通りじゃないかっ!!結局俺は助ける事が出来ないってっ!!

唯一動かせる顔。けれどそんなの何の意味もない。悔しさにただただ歯を食いしばる。

美鈴の服が破かれそうになった、瞬間―――。


―――ガンッ。


突然でかい音が鳴り響く。一体なんだ?この期に及んで更に増援が来るのか?

そう思ったけれど、倉庫の中にいた人間達は何が起こったのか理解出来ておらず、これが予想外の事だと分かる。


―――ガンガンガンッ。


その音の頻度はどんどん早くなる。まるで倉庫全体を壊す勢いで音が響き渡った。そして…。


―――ズガァァンッ!!


倉庫のシャッターが揺れたかと思うと凄まじい勢いでシャッターが倒壊した。

シャッター前に待機していた奴らを一気に巻き込んで潰してしまう。

一体何が来るんだっ。思わず身構えた俺達に届いた声は、


「…美鈴。良く、耐えたな。助けに来たぞ」

「鈴ちゃん。今、助けるから」

「鈴。今行くから少しだけ、待っててね」


葵、棗…それに白鳥家長兄か。

まさか、ドアではなくシャッターをぶち壊して登場するとは思わなかった。

しかも、白鳥家の兄弟の強さは圧倒的だった。

特に長兄の強さは半端ない。

真っ直ぐ美鈴の下へ向かって、敵を吹き飛ばしていく。痛みを感じてないんじゃないかと思う位全く倒れない連中を一撃で伸していく。

「嘘、だろ…」

「何がだい?」

足が見えたと同時に俺の上にかかってた圧力が全て消えた。

「葵…」

「何が『嘘だろ』なの?」

「……お前らのあり得ない強さに、だよ」

「佳織母さんに鈴を守れるようにって毎日鍛えられてきたからね」

手を差し伸べられて、その手に捕まって何とか立ち上がる。棗は俺に肩を貸し、葵は防衛するように一撃で相手の意識を失わせていく。

バキッ。

殴り飛ばす音がして、

「鴇お兄ちゃぁんっ!!」

美鈴が長兄の腕の中へと転がりこんだ。

「頑張ったな、美鈴」

「うわあああんっ!!」

堰を切ったように泣き叫び、長兄にしっかりと抱き付く。それを長兄はしっかりと受け止めながら片腕で抱き上げて、一方で敵を殴り飛ばしていた。…なんだ、あの強さ。

俺も、美鈴も普通の人間よりは強いと思ってる。けれどそんな俺達ですら歯が立たなかった相手を数分で片づけてしまうなんて。

葵も戦い続け、残るは星ノ茶の生徒会長のみとなった。

「さて。残るは、お前だけな訳だが…?」

「また、またっ、お前かっ」

あいつの態度が豹変した。怒りに顔を赤くして地団駄を踏む。俺の時と違いやたらと焦っているようだ。これは絶体絶命な状態だからか?それとも、長兄と何らかのわだかまりがあるからなのか?

だが、そんな事は一切無視して、長兄は生徒会長に向かって問いかけた。

「一つ聞いておこう。星ノ茶の生徒会長。お前が『初代』か?」

「そんな事言うと思ってるのかっ!?」

「思わないが…『あれ』も材料の都合上無駄遣い出来ないんでな。なら聞き方を変えてやろう。あの小学生のクソガキはお前より『前』か?」

「そ、そんな事お前に言う必要はないっ!」

「…いいから、答えろ」

ぞわりと鳥肌が立つ。明らかに怒気を含んだ威圧的な声に思わず怯んでしまう。

長兄のそんな威圧に押されたのか、答えるつもりがなかった癖に口を割ってしまっていた。

「あ、あいつは『後』だよっ!だから、美鈴に対する愛はないっ!執着しかっ」

「あぁ、いい。それだけ聞けたら十分だ」

美鈴を抱き上げたままそいつに背を向けて、葵と棗に何か合図を出す。

「外に行くよ、龍也」

「僕は君を担ぎたくないから、ちゃんと歩いてね、樹」

容赦ねぇな。

頷いてふらつきながらも何とか歩く。しかし、ふらふらしている俺に面倒になったのか、棗は俺を肩に担ぎあげた。…殴られた腹に肩が食い込んで地味に痛いんだが…。

「何のつもりだっ!何故、私だけ見逃すっ!?何を企んでいるっ!?」

外に出ていた俺達へ星ノ茶の生徒会長が狂ったように叫ぶ。だが、俺達の後に出た白鳥の長兄はゆっくりと振り向き、

「誰が、見逃すと言った?」

再び鳥肌の立つような地を這う声で長兄は言う。

「は?」

意味が分からずそう零す星ノ茶の生徒会長に、

「見逃す訳がないだろう。……お前はここで消えるんだよ。記憶ごと、消え失せるんだな」

どちらが悪人か解らないような笑みを向けて、長兄はパチンと指を鳴らした。

同時に、黒スーツの女性…あれは、真珠か?何かを手に持っているが、アレは一体…?

真珠は手に持っている何かを全力で生徒会長へと投げつけた。

持っていたのはどうやら液体の入った小瓶だったようだ。小瓶の蓋は開けてあったのだろう。力の限り投げつけられたそれは生徒会長の顔へ直撃した。

「こんなもの、一体なんのっ!……な、んの……ま、さか…こ、れ、は…」

余裕癪癪だった表情が、徐々に徐々に険しくなっていく。

「貴様にお嬢様の記憶は勿体ない。全て消されてしまえ」

手につけていた手袋を真珠が投げ捨てる。そして踵を返した。

しかし、星ノ茶の生徒会長はそれどころではなかった。頭を掻きむしり、狂ったように『嫌だ』と呟き続け、


「い、……や、………だ………―――いやだああああああっ!!」


最後に断末魔の叫びを上げて、地面へと崩れ落ちた…。

「…これで、あっちも片付いている筈だ」

一体何がどうなったのか、理解出来ない。

だが、白鳥家の長兄は美鈴を優しく撫でて、

「帰るぞ、美鈴」

と微笑んだ。それに美鈴は眼帯を外し、涙を拭いて、

「うん…うんっ、鴇お兄ちゃんっ」

大きく頷き抱き着いた。

美鈴とあのストーカーについて解らない事だらけで、正直不完全燃焼だが。

それは美鈴が落ち着いた時に聞く事にして、今は、美鈴が無事だったことを素直に喜ぼう。あれだけの人数で美鈴が無傷でいられた事の方が奇跡だ。

「…ごめんね、樹先輩。一杯怪我させて…」

美鈴が長兄の肩越しに俺に謝罪する。

「気にしなくていい。…あ、やっぱり気にしろ。責任とって嫁に来い」

冗談でそう言ったのだが、

「…棗。それどっかに捨ててこよう」

「粗大ごみでいいかな?」

「まどろっこしい。そこの海にでも捨てて来い。俺が証拠隠滅しといてやる」

言ってはいけなかったようだ。

棗に本気で捨てられそうになって慌てて謝罪する。ちょっとした冗談だろうが…。

こいつらはあれだけの人数と殴り合ってもケロッとしてやがる。比べれば比べるほど自分が情けない。

今回俺には力がなさ過ぎると思い知った。あのストーカーに言われたセリフを覆す為にも、俺はもっともっと力をつけなければならない。

美鈴に背を任せられたのに、守り切る事が出来なかったのだから…。

あんなに悔しいとは思わなかった…。こんなにも自分の無力さを思い知らされるとは思わなかった…。

「美鈴…。次は絶対に守って見せるから…」

誰にも聞こえないように呟いたが、悔しさで溢れる涙と一緒に俺を担いでいる棗にだけはばれていたかも知れない…。



樹だって後悔しますよ。人生ですもの。

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