第二十話 巳華院綺麗
(助けてっ!お母さんっ!お母さぁんっ!!)
闇の中に写し出される『私』の姿。
数多くの男に襲われた『私』の姿。
どれだけ抵抗しても『私』は一度も逃げ出す事が出来ない。
―――「あぁ…幸せだ…。私は貴女を抱いている時だけ幸福感を得る事が出来る」
声が、感触が、息遣いが。
『私』に伝わり、恐怖と拒絶、嫌悪。
様々なおぞましさが私に襲い掛かる。
(いやっ!いやぁっ!!)
いつも『私』の側には誰もいない。
『私』を助けてくれる者は誰もいない。
最後の最後は絶望が『私』の心を覆い尽くす。
その絶望が『私』の頬を濡らす。
それを男達は嬉しそうに舐めとる。
―――「うん?泣いてるの?…綺麗な涙だねぇ。君を形作る全てが美しい…」
もう、嫌…。
感情なんていらない。
こんな辛いだけの、苦しいだけの人生なら。
もう二度と生まれなくていい。
『…美鈴…』
それでも、【今】は初めて幸福だったの。
美鈴は優しい家族と会えて。
美鈴は頼もしい友人達を得て。
美鈴はとてもとても幸福だったのだ。
だから、…生きていたい。死にたくないの。
(助けて助けて助けて…)
闇の中。
映像が浮かんでは消えて浮かんでは消える、…ここで…こんな場所で…。
自分の姿さえ見えやしないこの闇の中で…。泣いた所で頬が濡れたりする訳がない。
助けがくるはずもない。
でも、助けて欲しい。
…心の中で何度も、ただ助けて欲しくて、『助けて』とそれだけを願った。
すると…。
『…美鈴…』
ほわりと柔らかい光に包まれた気がした。
体がある訳でもないのに温かい。
そう…思えた。そして私の名を呼ぶ声がする…。
『美鈴。大丈夫。ほら、手をこちらに伸ばして…』
(え…?)
『思い出さなくていい。まだ、思い出さなくていい。…忘れなさい。忘れてていい。…大丈夫。ほら…おいで』
(助けて、くれるの…?)
『美鈴。…おいで。今度は絶対に幸せにするから…』
誰の声だろう?
でも…凄く安心出来る声。
藁にもすがる思いで私はその光へと手を伸ばす。
その伸ばした手は温かくて力強い力に握り返された。
※※※
ゆっくりと閉じていた目を開くと。
「美鈴っ!!」
「わっ!?」
鼻がぶつかりそうな距離でママのドアップが視界に入って心臓バックバク。
「良かったっ。良かったわっ、無事でっ。美鈴っ!」
「ぐえっ!?」
更にママの全力で抱き着かれて、私もう一度闇に戻りそう。
「佳織。美鈴の中身が出てしまうよ」
「誠パパ…」
「多少中身が出たくらいどうってことないわっ!そんな事より美鈴の無事の方が大事よっ!」
「だから、無事じゃなくなるから佳織母さん、抑えろって」
「鴇お兄ちゃん…」
ママが鴇お兄ちゃんに引き離されて、ようやく私は今の状況を把握する事が出来た。
そっか。
私気を失ったんだ…。
だから私は自分の部屋で寝かされてたのね。
ゆっくりと体を起こして、きょろきょろと周りを見回す。
窓の外が真っ暗。今何時だろう?
「今、夜の11時だ。平気か?美鈴」
そっと鴇お兄ちゃんが私の手を握った。
鴇お兄ちゃんに頷いて肯定を返した後、自分の記憶を巡る。
確か、遊園地で遊んだあと…黒服の男達と『誰か』に襲われて…。
「そうだっ!棗お兄ちゃん、それに皆はっ!?」
「呼んだ?鈴」
ひょいっと部屋のドアから顔を覗かせた棗お兄ちゃんの姿を見て、ホッとする反面。その頬にある傷を見て辛くなる。
鴇お兄ちゃんが私の手を握ってるのはきっとベッドから降ろさせない為。
でも私は棗お兄ちゃんに触れたくて手を伸ばした。
そんな私の行動に気付いた棗お兄ちゃんは鴇お兄ちゃんの隣に来てベッドの横にしゃがんでくれた。
そっと棗お兄ちゃんの傷に触れた。
「……ごめんね?痛い?棗お兄ちゃん…」
「この位どうってことないよ。こんな傷、佳織母さんの鬼特訓に比べたら傷の内にも入らない。…鈴の受けた心の傷に比べたら…。良かった…。鈴がいつもの可愛い顔で、いつもの瞳で僕を見てくれて…」
頭を撫でられる。
「ねぇ、棗お兄ちゃん」
「うん?」
「他の皆は?大地お兄ちゃんとか、ユメ達は…?」
「全員無事だよ。真珠さんと金山さんが駆けつけてくれたから」
「良かった。…良かったぁ」
「大地さんに至っては、アイツと一騎打ちを仕掛けたくらいだし」
「大地は殺しても死なないから安心しろ。何度も透馬と闇討を仕掛けたがいまだにぴんぴんしてるしな」
鴇お兄ちゃん。何で大地お兄ちゃんに闇討ちを…?これは聞かない方がいいのかな?気になるけど。
でも、大地お兄ちゃんと一騎打ち出来た人ってどんな人なんだろう?
「大地お兄ちゃんと一騎打ちした人ってどんな人なの?相当の強さじゃないと大地お兄ちゃんと一騎打ち何て無理だよね?」
私が言うと棗お兄ちゃんが驚き目を丸くした。
え?そこまで驚くようなこと私言った?
「…鈴…。もしかして」
「棗。待て。言うな」
「鴇兄さん…」
「今は、このままの方が良い。そうだろう?佳織母さん」
ママが神妙に頷いている。
えっと…一体何の話だろう?
首を傾げると、鴇お兄ちゃんは気にしなくていいと私の手をぎゅっと握る。
その力強さが今は心に安心感をもたらす。
「今日はもう寝ろ、美鈴。棗は置いて行くから」
「…鴇兄さん。その言い方だとまるで僕が抱き枕みたいなんだけど…」
「あながち間違いじゃないだろ」
「兄さんっ!」
二人のじゃれあい。珍しい…。
目を点にして眺めていると、皆が棗お兄ちゃんと私を置いて部屋を出て行った。
出て行く時、ママが何か言いたげに振り返ったけれど、何も言われなかった。何だろう…?
「ほら。鈴。もう寝ようか」
「う、うん…」
ママの様子が気になったものの棗お兄ちゃんに抱きしめられて。
精神的な疲れと棗お兄ちゃんの安心感も相まって抗いがたい深い眠りへ誘われてしまった。
翌日。登校して教室へ入ると真っ先に華菜ちゃんにとっ捕まった。
「美鈴ちゃんっ、大丈夫なのっ!?どこも怪我してないっ!?」
「うん。大丈夫だよ~。皆が守ってくれたし」
「本当にっ!?」
「本当に本当」
「…そう。それならいいけど…美鈴ちゃんを泣かせた奴は万死に値する…」
「か、華菜ちゃん、どうどう…」
私が宥めると同時に教室に鴇お兄ちゃんが入って来たから各自席へと戻る。
にしても、心配かけちゃったなぁ…。
桃達も登校前に連絡くれたし。
でも正直私にしてみたらそこまで大げさにする話でも…うん?
あ、あれ…?
昨日は遊園地に行って。
思いっきり遊んで。
それでもって、途中で変な女の人に絡まれて。大地お兄ちゃんに撃退して貰って。
その後また遊んで。
遊園地出たら黒服の連中に襲われた…んだよね?
…どうして?
昨日の事なのにハッキリと思い出せない…。
何か、こう…靄がかかってるみたいな…。なんかこの状態既視感がある…。
何に似てるんだろう…?
自分の脳内で検索をかけてみると、一つ思い当たる節があった。
…この靄がかってる感じ。乙女ゲームの内容を思い出そうとしてる時のあのフィルターがかかる感覚に似てるんだ。
って事は、昨日の事は私にとって思い出さなくても良い内容って事なのかな?それとも乙女ゲームに関わる事だから思い出して欲しくないのに、何らかの手違いが起きて思い出してしまったから慌ててフィルターかけた、みたいな?
でもこんな風に靄が晴れて行く事はあっても、逆に靄がかかるって事は今までなかったのに。記憶が鮮明になる事はあっても、記憶に蓋をされるような事はなかったんだよね。
どうしてだろ…?、……正直さっぱり分からない。
んー……でも、いっか。ママも何も言わなかったしね。きっと今考える事じゃないんだと思う。取りあえず、今は無事に学校を卒業する事だけを考えないと、だしね。
「…美鈴っ」
「ふみっ!?」
唐突に鴇お兄ちゃんの声で現実に戻された私は思わず椅子に座りながらも跳ね上がる。
「人の話を全く聞いてなかったな?」
「そ、そんな事ないよー」
「ほう?なら俺が今言ってた事を言ってみろ」
「え、えーっと、体育祭実行委員を決めるって話?」
「違う。体育祭実行委員をお前に決めたって言ったんだ」
「えーっ!?嘘っ!?」
「勿論、嘘だ。これで人の話を聞いてなかったって事が実証されたなぁ?美鈴?」
「う…ごめんなさい…」
やられた…。うぅ…鴇お兄ちゃん、ずるい…。
でもこれ以上話を聞かないと鴇お兄ちゃんにまた怒られそうなので、鴇お兄ちゃんの言葉に意識を集中する。
今日一日の流れと諸注意を聞いてHRは終了した。
さて、と。Sクラスに移動しようかな。
必要な教材をGクラス生徒専用のクリアバッグに詰めて立ち上がる。
「王子っ。途中まで一緒に行こうよ」
「円?うん。行こう行こう」
断るなんてあり得ない。友達と移動教室。楽しい学校生活に必要不可欠なもの。
「王子。私もご一緒しても宜しいですか?」
「勿論っ」
私達は三人揃って教室を出た。因みに華菜ちゃんや愛奈、ユメは移動先の教室が遠かったり、今は休憩を取ったりと別行動だ。
他愛もない会話をしながら私達は廊下を歩く。基本的に華菜ちゃんや四聖の皆は私の両サイドを歩いてくれる。男が近寄らないようにって気を使ってくれているんだ。優しい…。
廊下で別れて私はSクラスの教室へ入ると、そこには既に優兎くんがいた。
手を振って優兎くんの隣の席に座る。私が席に座ったと同時に逢坂くんが来たから優兎くんは彼と話しだした。
じっと優兎くんの姿を見る。普通に男子の制服姿。ゲームではこの時既に女子の制服を着てたのに。
…ゲームと言えば。
昨日、遊園地で起きたイベント。
あれって、ユメと風間くんの友好度が一定値以上で起きるデートイベントだったよね?
5月に発生するイベントで。ユメの次に友好度が高いライバルキャラクターと、風間くんと仲の良いキャラクター、陸実くんと棗お兄ちゃんの二人呼ばれてトリプルデートをする。そのデートの最中に柄の悪いナンパ連中に絡まれて。
で、その時に男の子達が女の子を守るんだよね。そしてそのイベントにはイベントスチルがある。主人公視点の絵だから主人公は映ってないんだけど。…でもねぇ。不思議な事が一つあるんだよね。
ユメと円の位置が逆だった気がするんだ。……なんで?
これも誤差なのかな?あのイベントの帰りに違うヤバい連中に襲われるなんて特殊イベントなかったはずだから、やっぱり誤差なのかもしれない。
実際、色んな所で誤差は出てるし、あり得ない話ではないんだけどね。…むむ?
無意識に首を傾げていた、そんな私の額に何かが触れた。冷たくて思わずひゃっと跳ねてしまう。
「…美鈴。大丈夫か?」
「え?」
考え事に集中していたから、目の前に鴇お兄ちゃんがいる事に気づかなかった。
しかも鴇お兄ちゃんの手は私の額にあてられている。冷たいのって鴇お兄ちゃんの手だったんだ。
私を覗き込んでる心配そうな瞳。
「昨日気を失うくらい精神を疲弊させてるんだ。あんまり無理はするなよ」
「うん。ありがとう、鴇お兄ちゃん」
「美鈴ちゃん。今は僕達しかいないんだし、少し休んだら?授業って言っても美鈴ちゃんはもう分かる内容でしょう?」
「そうそう。何なら華菜呼び出して保健室に付き添って貰うか?」
優兎くんと逢坂くんにまで気を使わせちゃった。ただちょっと考え事してただけなんだけどな。
申し訳なさと心配してくれた嬉しさが混ざってちょっと複雑。
「ありがとう、優兎くん、逢坂くん。でも大丈夫だよっ。さ、授業して、鴇お兄ちゃん。間違えてる所はちゃんと突っ込み入れるからっ」
少し冗談めいて言うと、意図を汲んでくれた鴇お兄ちゃんが私の頭をポンポンと叩いて教壇へと戻った。
これ以上考え事していると皆に余計な心配をかけてしまう。
今は授業に集中しようと決めた。
午前の授業が終わり、今日の午後に私は授業を入れていないから部室で過ごす事にした。
えへへ。鴇お兄ちゃんが自由にして良いって言ってくれたから、家庭科部の部室は実に私好みの部屋になっていた。
畳みって良いよねー…クッション置いて寝転がってー。愛奈が置いて行った小説を読む。天国だ。
あれ?この小説って転生物なんだね。
……こう考えると、どうして私の中の乙女ゲームの記憶って全部一気に戻ってこないんだろう?
基本的に転生したって理解する瞬間は記憶が混乱するとしても、それは混乱であって記憶はあるものじゃない?なくても部分的に覚えてる、とかさ。記憶の増減ってないものじゃない?
なんで私は一部分的にしか思い出すとか消えちゃうとかしてるんだろう?
記憶力驚くほど良いって訳じゃないけど、そんなに悪いって事もないと思ってたんだけどな。
あぁ、でもゲームの流れはこの間の夢で全部思い出したっけ。
次のイベントは体育祭、だよね。
うんうん。この体育祭は例に違わずミニゲームがあるのよね。一年生の時からミニゲームでトップ成績を取らねば!って無駄に運動パラメータを上げた記憶がある。
期間が短い上に七月に期末テストがあるから正直、体育祭の成績をとるかテストの成績をとるかで迷ってもいた。
二周目プレイからはクリアボーナスが入るから少しはやりやすくなるんだけど…。
にゃーにゃーにゃー♪
突然携帯の着信音が鳴って跳ね上がる。
誰からだろ?
寝転がったまま携帯に手を伸ばしてスワイプすると円からだった。
『匿ってくれっ!』
一言だけ。そしてその後、盛大な足音が聞こえてきた。
私は急いで立ち上がり、足音が部室のドアの前に来る瞬間にドアを開けた。
円が転がりこんできたのを確認して直ぐにドアを閉め鍵をかける。
「まどか様~っ!?どこへ行ったの~っ!?」
「あっちかしらっ!?」
「家庭科部の部室に逃げ込まれたらアウトよーっ!」
声がドアの外を駆け抜けて行った。…ドップラー効果…?
「……はぁっ、…はぁっ…、助かっ、た、よ、王子…」
「どういたしまして。…大丈夫?」
「あー…しんどー…。悪いんだけど、水、貰ってもいいかい?」
「水なんて言わずに、好きな飲み物飲んでってよ」
と言いつつも私は冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ぐったりと燃え尽きてる円へ手渡した。
念の為に蓋を開けてから渡すと、円は一気に飲み干す。
「うあー。生き返ったっ」
「それは良かった。それで?誰に追いかけられてたの?」
「あー…それは、そのー……」
もごもごと言い淀む。
なーんて聞かなくても大体わかるけどね。
「円は女の子に大人気だねぇ~」
「男女問わず大人気の王子に言われたくないねぇ~」
私と円は向き合ってクスクスと笑い合った。
「でももう女子校でもないのに追いかけ回されるって不思議だね」
「それは、確かに?」
二人で首を傾げ合って、でも答えは出ないようだから気にしない事にした。
円は今日の午後の授業を受けるのは諦めたらしく、私と暫く一緒に過ごしていた。
そして帰りのHRに出る為にクラスに戻ったその後。
華菜ちゃんに言われて生徒会室に皆で向かう。
一体何だろう?
樹先輩の後任に、とか言う話だったら全力で逃げ帰ろう。そうしよう。うん。
ぐっと無駄に決意を固めて、ドアを開けると。
パンパンッ!
「ふみっ!?」
突然のクラッカー音と、
「誕生日おめでとうっ!!」
一斉に祝福の言葉を浴びて、思わず目を見開いてしまった。
えっと…思考が追い付かない。
生徒会室の中央には大きなケーキが置いてあって。
そこにはバースデーキャンドルが刺さってて。
そのテーブルを囲む様に双子のお兄ちゃん達と先輩達が立ってて。右側に優兎くんと陸実くん達が、左側には鴇お兄ちゃん達が立っている。
今、誕生日おめでとうって言った?
誰の…?もしかして、私の…?
だ、だって、ゲーム内の誕生日イベントって確か、好感度が上がったら学校の帰りに声をかけられてプレゼントを渡されるって流れだった筈で。しかもそれは一対一のイベントだったはずで。
ゲームの中じゃなかったとしても、毎年自分でケーキを作って、家族で祝うのが普通で。…え?
私が未だに戸惑っていると、鴇お兄ちゃんがゆっくり私の方へと歩いてきて、頭の上にポンッと手を置くとちょっと荒めに撫でられた。
「美鈴。どうした?お前の誕生日だって皆が準備したんだぞ?嬉しくないのか?」
「私の、ため…?」
「そうだ。お前の為だ。お前はいつも俺達を祝う癖に自分の誕生日を簡潔に終わらせようとするからな。今年は樹の発案で皆で祝う事にしたんだよ」
「樹、先輩の…?」
樹先輩を見ると勝ち誇ったような顔で笑みを浮かべ頷いている。何か、悔しい。
…悔しいけど、どうしよう…嬉しい。
視界が歪んできた。前世で私は自分の誕生日と言えば、お母さんが生きてた時はお母さんと二人、お母さんがいなくなってからはずっと一人で。だから、転生した今は家族が一緒にいて誕生日を祝える事が嬉しくて…それだけで充分幸せでっ。
「美鈴?」
「…み、んな、がいて…。おめでとうって、言ってくれるだけで、充分だと、思ってたのに…」
こんな風に祝って貰えるなんて思わなくて。嬉しくて。とってもとっても嬉しくて。でも涙が流れそうになるのをぐっと堪える。おめでとうと言ってくれてるのに泣くのは違うから。
けど、鴇お兄ちゃんはそんな私を見て苦笑すると、私を抱き寄せた。
「…そうじゃないだろ、美鈴」
「鴇、お兄ちゃん…?」
「嬉しいんだろう?だったらお前が言うべき言葉は?表すべき表情は?」
そうだ。私こんなにして貰ったのに何も言ってない。
私は鴇お兄ちゃんから体を離して、皆の姿を確かめる様に視線を巡らせて、精一杯の笑顔を浮かべた。
「ありがとう、皆。すっごくすっごく嬉しいっ!」
そして、主催してくれた樹先輩の側へ移動して視線を合わせて微笑む。
「ありがとう、樹先輩」
「いや。お前が喜んでくれるならそれでいい」
そう言いながら微笑む樹先輩がゲームの樹先輩の照れ顔そのもので一瞬ハッとする。
…どうしてこう私は油断しちゃうのかな?
樹先輩の手が私の肩に触れようとした…けれど。
「鈴。こっちにおいでー」
「龍也。鈴ちゃんに軽々しく触れないでくれる?」
触れられそうになった所を、棗お兄ちゃんが素早く私の体を抱き寄せ、葵お兄ちゃんが間に入ってくれた。
「……さっ。折角キャンドルあるんだし、火つけて姫に消して貰おうぜ」
「だねー。誰かライター持ってるー?」
「誰に聞いてるん。ガキ共が持ってたら即没収や。俺が持って来とる」
奏輔お兄ちゃんがポケットからライターを取り出して、キャンドルに火を灯す。
「誰か電気消して」
「オレ達はまだ場所が分かんねぇよ」
「うん。ボク達は動かないで、取り皿やコップを配る時に手伝おう」
「………………賛成………」
動きをピッタリ止める陸実くん達と反対に。
「円、電気のスイッチそこにあるでしょ?」
「うん?あぁ、ホントだ。って言っても全部消していいのか?」
「良いと思う。あ、でも急に暗くなっても困るかな。じゃあ、携帯出して明かりにしよ」
「華菜さん。カメラの準備は出来ていますか?」
「オッケーだよっ」
「オッケーでございますっ!」
……あれ?真珠さん、いつの間に?華菜ちゃんと並んでカメラを構えている?
電気が消されて、カーテンも閉められて。室内はキャンドルの灯りのみになった。
私は棗お兄ちゃんにポンッと背中を押され、その手に促されるようにしてケーキの前に立つ。
「それじゃ、改めて。美鈴ちゃん、誕生日おめでとうっ!」
『おめでとうっ!』
華菜ちゃんの言葉の後に皆がおめでとうって言ってくれて。胸がいっぱいになる。
私は涙が零れそうになるのを堪えて、息を吸って、ふーっと力一杯キャンドルの火を吹き消した。
わーっと拍手があって。同時に電気がつく。
「じゃあ、早速皆で騒ごうよっ。美鈴ちゃん、このケーキ、円と優兎くんの合作なんだよっ」
「えぇっ!?すっごいっ!!」
「美鈴ちゃん程、上手じゃないけどね」
「そんな事ないよっ!すっごく美味しそうっ!」
フルーツがふんだんに盛り付けられた直径30cmの生クリームケーキっ。
円らしく、生クリームもリボンの様に飾られて凄く可愛かった。
「他にも肉とか肉とか肉とかあるよー」
「何で八百屋のお前が肉を強調してんだよ」
「ドリンクもちゃんと用意しとるで」
しまわれていた料理も次々とテーブルに並べられていく。私は棗お兄ちゃんに取り皿を渡されて、優兎くんが切り分けてくれたケーキを受け取る。
「ほら、美鈴センパイ。最初はやっぱセンパイだろ。食べろよ」
「え?あ、うんっ」
フォークで一口分切り分けてっと、頂きます。
「おいしーいっ」
素直に喜びを口にすると、優兎くん達がホッとした顔をした。
そこからはもう、飲めや食えや騒げやの宴会状態になった。
会話を楽しみながら美味しい料理に舌鼓をうっていると、陸実くん達が近寄ってきた。
「美鈴センパイっ」
「陸実くん。なぁに?」
「これ、誕生日のプレゼントっ」
「えっ!?」
こんなに立派な誕生日会開いてくれただけじゃなくて、プレゼントまで…。
「い、いいの…?私、この会だけで、皆で祝ってくれるだけで本当に充分なんだよ?」
「何言ってんだよっ。それはそれっ。これはこれだろっ」
手の上に小さな小箱が置かれる。
「あ、ありがとう…。開けても、いい?」
「勿論っ」
大きく頷いてくれたので、私はリボンを解き箱の蓋をあける。するとそこには…。
「ブローチ…。ふふっ。可愛いお猿さんのブローチだね」
「子供っぽいって分かってたんだけど。何か可愛くてさ」
「うん。本当に可愛い。ありがとう、陸実くん」
「陸っ!また抜け駆けっ!鈴先輩っ!これ、ボクからっ」
「え?海里くん?」
海里くんから小さな紙袋を渡されて。
「………これ…」
「空良くんまでっ」
空良くんからはちょっと大きめの箱を渡される。
「だけじゃないよ、美鈴ちゃん。はい、これは僕から」
「優兎くん…」
「それとこれは、学校にいる美鈴ちゃんのファン連中から」
ごそっと大きな紙袋と花束を渡された。
「美鈴ちゃん、大変だね~。でもまだまだ行くよ~。これは私達から」
「どうしようか迷ったんだけど。華菜ちゃんの発案で皆で一緒に買おうって事になったんだよ」
「何がいいか選んだのがイチ。それを探したのがアタシで。値段交渉したのが華菜で。それだけでプレゼントは寂しいからってそのプレゼントに加工を加えたのが愛奈で。ラッピングをしたのが桃」
「ふふふ…。加工楽しかったよ」
「私もラッピングをどんなふうにするか選ぶのが本当に楽しかったですわ」
「皆…」
受け取ったのは本当におっきな箱だった。それこそおっきなリボンで結ばれている。
私は渡された順番に開けて行く。
海里くんのはお猿さんの形をした銀のイヤリング。空良くんのはお猿さんのワンポイントの入ったキャップだった。三人共モチーフは一緒のデフォルメされたお猿さんだった。
そして華菜ちゃん達からはおっきなテディベア。加工したって言ってたのは多分テディベアの首に飾られたリボンかな?そこにMISUZUって刺繍が入ってるから。
「可愛いっ!皆、ありがとうっ」
ぎゅーっとテディベアを抱きしめる。
一杯のプレゼントに歓喜していると、こつんと頭を拳で突かれた。
「こらこら。まだ終わりじゃないぞ、姫」
「え?透馬お兄ちゃん?」
「これは俺から」
「こっちはオレねー」
「俺んはこれや」
お兄ちゃん達が私の手に小さな袋を三つ置いた。
テディベアを抱っこしたままだと開けられないから、一旦箱にしまって。
大きい箱だからそこに今まで貰った物も一旦入れて。
手の平にある袋を開けた。
透馬お兄ちゃんがくれたのは、銀細工のブレスレット。透馬お兄ちゃんの手作りだ、きっと。
大地お兄ちゃんがくれたのは、チョーカーだ。真ん中にハートの石が入ってる。
奏輔お兄ちゃんのは…コサージュ、だね。青いバラのコサージュ。
「お兄ちゃん達…。ありがとう…」
仕事で忙しいのに、合間を縫って準備してくれたんだと思うと…泣きそうになる。
「相変わらず、白鳥さんは話すだけでも順番待ちだね」
「…猪塚先輩?」
「はい。これは僕から」
「え…?」
「こっちは俺からだ。ありがたく貰っとけよ、美鈴」
「樹先輩…」
左手に猪塚先輩の、右手に樹先輩のプレゼントが置かれる。
これでどうやって開けたらいいの?
…とりあえず、片手で二つとも持って。お兄ちゃん達のプレゼントをやっぱりテディベアの入っている箱に一旦入れて。
まずは猪塚先輩のプレゼント開ける。あ、サングラス…可愛い。樹先輩のは…あ、天使の羽のついたネックレス。
「可愛い…。ありがとうございます。先輩達」
「それじゃ、後は僕達だね」
「はい。鈴。これは僕から」
「僕はこっちね」
二人がくれたもの。それはご当地直送グルメの商品券だった。葵お兄ちゃんが東北の。棗お兄ちゃんが九州の。
「~~~~~ッ!!」
あまりの嬉しさに飛び跳ねてしまう。
だってこれさえあればネットで数量限定要予約ご当地グルメを買う事が出来るんだよっ!?
諦めてたご当地グルメとか、予約し損ねて食べ逃したグルメとかが買えるんだよっ!?
「うぅっ!!お兄ちゃん達大好きっ!!ありがとうっ!!」
ぴょんこぴょんこっ!!
興奮し過ぎて無駄に跳ねてしまう。
「すげぇ。流石兄さん達だな」
「うん。鈴先輩の喜びようが半端ない」
「………………負けた…………」
「兄達に敵おうって方が無理なんだよ」
「あいつらは美鈴を知り尽くしてるからな」
「…白鳥さん、可愛いっ」
何か先輩達と優兎くん、陸実くん達が話してるけど気にしないっ。
「それじゃあ、最後はオレからだな」
「鴇お兄ちゃん?」
「ほら、美鈴。誕生日おめでとう」
商品券を…テディベアの箱に一旦入れて…もうだいぶ満杯になってる。
とりあえず鴇お兄ちゃんが私に向かって差し出しているA4の封筒を受け取った。
一体何が入ってるんだろう…?
袋を開けて中から紙を取り出して、その内容を読んで、ピシッと全身停止した。
「……鴇お兄ちゃん、これ、なに…?」
嘘だよね?嘘って言って欲しい…。
「俺が覚えた言語をそこに書き連ねてみた」
「ふみーっ!!ず、ずるいーっ!!鴇お兄ちゃんっ!!私の知らない間に私の覚えてない言語二つも覚えてるーっ!?」
紙をぺいっと放り投げて、鴇お兄ちゃんの胸倉をつかんでガシガシ揺する。
鴇お兄ちゃんが全然動かないから私が滅茶苦茶揺れてるように見えるけどそんなの今はどうでも良しっ!
そんな事よりずるいよーっ!!
「この前問題集没収したばかりなのにーっ!!ずるいずるいーっ!!」
齧ってやるっ!絶対齧ってやるっ!!がるるるる…。
「はいはい。って訳で、俺からのプレゼントはこれだ」
胸倉を掴んでいた手を外されて、その私の手の上に問題集が6冊積まれた。それは私の覚えていない言語の二つで。
「これで全部?鴇お兄ちゃん、もう隠してる事ない?」
「あぁ。俺はないぞ」
んっ。じゃあ、私は明日からこの二つも勉強しよう。
「俺はないさ。…そのかわり美鈴?お前はあるよな?」
ギクッ!?
「なーに、この問題集はお前へのプレゼントだ。だから問題集を買えとは言わないさ。お前が勉強している言語を教えてくれたらそれでいい。なぁ、美鈴?」
「え、えー?何の事ー?私は鴇お兄ちゃんと全部一緒だよー?」
「…美鈴?お前はさっき『私の知らない間に、私の覚えてない言語二つも覚えてる』って俺に言ったよな?全部一緒なのであれば、『私よりも二つ多く覚えてる』と言う筈だよな?」
ギクギクッ!
「ほら、さっさと白状しろよ、美鈴」
「やーっ!!鴇お兄ちゃんとの差はつけておくんだもんっ!!」
「それこそズルいだろ、美鈴」
「やーっ!!」
私は問題集を胸に抱えたまま、棗お兄ちゃんの後ろに隠れる。
「何か、王子の一番上のお兄さんに全て持ってかれた気がするね」
「仕方ないんじゃない?鴇さんくらいだもん。美鈴ちゃんと対等に渡り合えるの」
「それはまぁ確かにそうかもね」
「いいではありませんか。王子が幸せそうなのですから」
「私も桃ちゃんにさんせーっ!王子が幸せならそれでいいよっ!」
何やら皆に微笑ましそうに見られてる気がする。
でも私は鴇お兄ちゃんの魔の手から逃れるのに必死で、その視線に気付いたのはかなり後の事だった。
そんな楽しい誕生日会を終えて、帰宅すると家でも誕生日会を開いてくれた。
もうね。無理。完全に涙腺は崩壊した。
学校では何とか保てたけど、家に帰っては無理だった。ママに抱き着いて号泣しちゃった。
その日に限っては一杯ご飯を食べれて。ケーキも二回目だったけど美味しく頂いた。
あとお兄ちゃん達は、家族として別にプレゼントを用意してくれていた。
部屋に戻って開けたら、中身は。優兎くんが真っ赤なリボン。葵お兄ちゃんがストール、棗お兄ちゃんが猫の模様入りのお財布、そして鴇お兄ちゃんがパール付きのアンクレットをくれた。
色々驚く事があったけど、でも一番驚いたのは、皆が一斉にくれたこと。
このプレゼント達。貰える中身を実は知っていた。ゲーム本編でくれるプレゼントときっと同じだろうと思ってたから。でもね?
ゲームだと好感度一位から三位の人までがくれる設定になっていたから。こんなに一度に貰えるとは思っても見なかったし。それに好感度友好度が共に高いとデートに付けて行けるプレゼントを貰う事が出来るんだけど、一律で皆それなんだもん。因みに身につけれるプレゼントを貰った場合、そのプレゼントを身に付けてデートへ行くと、くれた相手とのデートの場合は好感度があがり、くれた相手と違うデートの場合は好感度が下がる。
ゲーム内だと貰えるかどうかで現在の好感度が解るし、好感度調整が楽になると言う結構重要なアイテムでイベントだったりもする。
あー、でも、そもそもゲームだとしたら、こんなに早い誕生日でしかもプレイして一年目で貰うなんてまず無理だよね。私だって頑張って二年目の誕生日で全力で好感度上げてた相手からどうにかプレゼントを貰えたくらいだし。
けど…ゲーム云々抜きにして、誕生会は心の底から嬉しかったから。プレゼントもとても嬉しかったから。
部屋のクローゼットにラッピングしてくれた袋やリボン達と一緒に丁寧にしまった。いつでもつけられるように。えへへ。
因みにテディベアはベッドの上に鎮座しておられます。
あ、そう言えば。優兎くんが学校にいるファンがどうのってくれた紙袋もあったっけ?
部屋の隅に置いてあった紙袋を覗くと箱やら袋やらリボンで飾られたプレゼントが沢山入っている。しかもちゃんと付箋で送り主の名前も書いてくれている。優兎くん、相変わらずきちっとしてるね…。
えっと…。これがGクラスの皆からでー…こっちは…A組の孔雀、くん?誰?えっと、それから…あ、これ風間くんからだ。ロリポップキャンディー。え?何で?…まぁ後で食べよう。それから…あれ?付箋がついてないのがある。誰からの?中身は何?
「…………プロテイン……?」
飲めと?
えーっと……これ、どうしよう?あ、手紙が入ってる。名前書いてるかな?
開けて、中を見る。
『筋肉美』
意味わからんわっ!!
どうしたらいいのよ、これーっ!!
しかも無駄にローマ字の筆記体でこれまた美しく書かれてるのが腹が立つっ!!
ペイッとその手紙を投げつけてしまう。
…いやでも実際これどうしたらいいの?
そもそもこれ誰からなの?
…付箋がないって事は優兎くんが知らない間に入れられたって事だよね?
それはそれでどうなの?危なくない?でも、プロテイン…危険物ではない、よね?何か混入説ある?あるかな?
………うん。明日にでも皆に相談しよう。そうしよう。
それ以外のお返しはどうしようかな?
Gクラスの皆へは、鴇お兄ちゃんに誕生日教えて貰ってそのつど返すとして。他のクラスの人へはクッキーでも作って優兎くん経由で渡して貰おう。
クッキー生地は冷凍庫にあるし。明日の朝焼けばいいし。
……しかし、このプロテインどうしたら…。
素直にプロテインのやり場に悩み夜は更けた…。
翌日。家族の皆に聞いたら、返って来た言葉は一様に「無視しろ」だったので無視する事にしたんだけど。
その日から何故か毎日プロテインが配達されるようになった。
それが3週間経過した今でもなお、どこからともなく、プロテインが現れる。
移動授業が終わって教室へ戻ってきたら、教室の机の上に。
昼食を華菜ちゃんと食べようと思ってカフェテリアに向かったら、いつも座る席にそっとプロテインが…。
「いや、普通に怖いよっ!」
私は生徒会室で棗お兄ちゃんに抱き着きながら叫んだ。
だってだってっ!部室の前にまであったんだよっ!?
「…そもそも何だってプロテインなんだ」
樹先輩のげんなりした声に私も心底同意。
なんで樹先輩もぐったりしているのか。それはどうやら樹先輩にも私と同じくプロテインが毎日配達されてるらしいからである。
「樹が誰に狙われてようと僕としてはどうでもいいけど。でも、鈴が怖い目にあってるのは許せないね」
「うんうん。龍也はどうでもいいけど、鈴ちゃんが怯えてるのはいただけないね」
「美鈴ちゃんは心当たりないの?」
優兎くんに問われても、正直全くない。
目的も何なのかも分からないし。
「…いや、目的は解るよね。必ずプロテインに筋肉美って書かれてるから、私と樹先輩に筋肉をつけたいってのはわかる」
「あまり解りたくないが、まぁそうなんだろうな」
「……ねぇ、お兄ちゃん」
「なに?鈴」
「私のお腹が六つに割れてるってどう?」
………。
沈黙。
だよねぇ。乙女ゲームのヒロインがお腹が六つに割れてるのって嫌だよねぇ。
「…僕はどんな鈴でも好きだけど。けどね、鈴」
「?」
「ここは家じゃないし、余計な男がいる前でお腹の事とか話しちゃダメだよ?」
「えっ!?棗兄、突っ込むのそっちっ!?」
優兎くん、最近突っ込みにキレが出て来たね。女子校にいた所為なのかな?だったらごめん。
―――カタン。
生徒会室のドアの向こうで音がした。
ビクリと体を震わせると、棗お兄ちゃんが大丈夫と言いながら背中を撫でてくれる。優しい。
葵お兄ちゃんが代表でドアを開けるとそこにはプロテインが。
「どんだけよっ!?」
思わず叫びたくもなるよねっ!?
しかもワイングラスが二つプロテインのボトルにテープで張りつけられており、ボトルにはマジックでデカデカと『プロテインで乾杯』と…。
「……馬鹿なのか?」
「樹先輩。その言葉は愚問だと思うの」
はぁ…。溜息しか出ない。
「ただいま戻りました。…そこで巳華院くんとすれ違ったんですが、何かあったんですか?…って、白鳥さんっ!?白鳥さーんっ!!」
あぁ、書類がっ!?
猪塚先輩の手から放り投げられて、私に向かって両手を広げて全力で駆けて来る。
棗お兄ちゃん、私を抱きしめたまま華麗に回避。机に突っ込んで行く猪塚先輩。
コマ割りの様に見えたのは、ちょっと面白かった。
机ごと倒れた猪塚先輩の背中の上に優兎くんがそっと正座をして座りこんだ。何故。猪塚先輩呻いてるよっ。でもって皆何でそんな良い笑顔で眺めてるのっ?
「にしても、巳華院か…。あいつがそんな事するタイプには見えないんだが。と言うより一致しないな。見た目とこの行動とのイメージが」
「確かに…」
巳華院…?それってもしかして…。
「巳華院綺麗?」
「そう。あの有名な旧家の巳華院家の一人息子」
あのキャラって旧家の一人息子だったんだ。知らなかったよ。
巳華院綺麗 主人公の同級生。このゲームの中でトップを誇る程の綺麗な顔をしている。主人公達と同じく金色の髪をしているが光り輝き具合が主人公の比ではない。瞳まで金色でどこもかしこも光り輝いている。折角神が作りたもうた美しさを自分では認めておらず謙虚な所が…?運動のパラメータが20以上になると出会う事が出来る。好感度を一定値以上上げるとライバルキャラ向井円が邪魔をしてくる。エンディングを見るには運動パラメータが100以上必要。
円がライバルになる攻略対象キャラクターだ。
……うん。それはいいんだけど。
「…巳華院くんとプロテインが一切結びつかないんだけど」
「俺もだ」
皆が一様に頷く。だよねぇ…。
あぁ、そっか。円に聞いてみたらいいんだ。円が一番知ってる訳だし。
そうと決まったら即行動。
「お兄ちゃん。ちょっと円に会いに行ってくる」
「円ちゃんに?」
「うん。ちょっと聞きたい事があって。巳華院くんについて」
「……一人で行ける?一緒に行こうか?」
「ホントっ!?あ、でも…」
生徒会の仕事中だよね…。今でもだいぶ邪魔してるし、これ以上邪魔するのも…。
「葵兄、棗兄。僕が美鈴ちゃんと一緒に行くよ。相手は円ちゃんだし。僕が一番適任だよ」
ニコニコと猪塚先輩の上で正座しながら、優兎くんが立候補してくれた。
優兎くんなら家族だし、強いし安心出来る。
お兄ちゃん達もそれに納得してくれて。
私と優兎くんは生徒会室を出て剣道部の部室へと向かった。
今日は女子の練習日だったから、円は部活に出てるはずだ。
ひょいっと道場を覗き込むと円はタイミング良く小休憩中。
「円っ」
私が円の名を呼ぶと直ぐに気付き、こっちに来てくれた。
「どうしたんだい?剣道場に来るなんて珍しいね」
「うん。実は円に聞きたい事があって」
「聞きたい事?」
「うん。そう。ねぇ、円。この文字に見覚えあったりしない?」
取り出したのはさっき配達されたプロテインのボトル。
そしてそのボトルの文字を見て円の頬が引きつった。
「……この無駄に綺麗な文字に筆記体…。まさかとは思うけど…巳華院?」
はい、確定っ。
「って事は、何?巳華院がずっと王子にこのプロテインを配達してたってこと?」
コクリと私と優兎くんが頷く。
「…………はあああぁ~……」
これまた大きなため息ですね、円さん。
「昔から自分の顔を好き過ぎるきらいはあるなと、思ってはいたけど…」
………あ。そっか。
円に言われて、フィルターが剥がれた。
そうだそうだ。巳華院綺麗の変態な所ってそこだ。ナルシストなんだよね。自分の顔が大好きすぎるの。その理由は確か巳華院って重度のマザコンで母親の顔にそっくりな自分の顔に母親の顔を重ねてしまって必要以上に愛でる様になった、って設定だったと思う。
「………円。どうして」
「王子。それを言わないでくれるかい?アタシの黒歴史なんだ」
「あ、うん。ごめん」
沈黙。今日は沈黙が多い日だね。天使が大名行列でもしてるのかな?ほら、良く言うじゃない?沈黙が落ちた時は天使が通ってるって。うふふ…。うん…駄目だ。思考がおかしい。
「とにかく、巳華院を捕まえようか。それで王子にこんな事してる理由を聞かなきゃ」
「円、部活は?」
「大丈夫。今日の分のトレーニングはほぼほぼ終了してるから」
「分かった。じゃ、行こう」
今度は円も加わって校舎内を歩く。
円曰く。巳華院くんがいそうな場所は大体見当がつくそうだ。
先導する円についていくと、とある部室の前で足を止めた。
美術室…?巳華院くんと縁遠そうなんだけど…。本当にいるの?
「巳華院っ、いるんだろうっ、入るよっ」
ガラッとドアを開けると、そこには全方位に姿見を置いて、上半身裸でポーズを決めている……巳華院くんがいた。
……うん。どうしてこうなった?
顔が綺麗な分だけ、ボディービルダー級の筋肉が気持ち悪いよぅ…しくしくしく。
ガラスの様な白い肌が気持ち悪さを倍にしてるよぅ…しくしくしくしく。
「ちょっと羨ましい気もする。あの筋肉…」
「やめてぇ。お願いだから優兎くんはそのままでいてぇ…うぅ」
「あ、うん。ごめん」
優兎くんが変な道に行かないように、しっかりと袖を掴んで離さずにいるとして。
…所で、巳華院くん。こっちに全然気付いてないんだけど…。
なんなら。
「…美しい…。こっちの角度だとどうだろう?…美しい。ならば、この角度だとっ…ッ!!なんてことだっ!美し過ぎるっ!!」
ポーズを決めては自分の美しさを讃え、を延々と繰り返している。
「円…。やっぱり言っていいかな?本当にあれで良かったの?あれの為に苦労したの?」
「……アタシも今猛烈に後悔してる。何が良かったんだかさっぱり分からない。昔はここまでじゃなかったと思うんだけどね」
………。
もしかして、ゲーム本編だと中学時代に円は学校を脱け出して彼に会ってたのかな?それで少しずつ更生してた、とか?確証はないけど、一つだけ言える。…やっぱり円って苦労性だよね…。
はあぁぁ~…とこれまたふっかい溜息をついて、円はずかずかと遠慮なく中へ踏み込み、姿見の一つを蹴り寄せた。
タイヤがついてる鏡だから倒れる事なくガラガラガラと音を立てて横にずれていく。何かその音が私の巳華院くんのイメージの崩壊音にも聞こえ…ごほごほっ、な、なんでもない。
「なんとっ!?移動する鏡に写る私すら美しいっ!」
「こぉらっ!!いい加減こっちに気付けっ!!このナルシストっ!!」
どうしようっ!?円が酷い事を言ってるのは解るけど、激しく同意したいっ!!
「誰だい?この私にナルシストなどという賛美をくれるのは…。おや?君は円君ではないか」
「やっとこっちに気付いたね。巳華院」
「何か用かな?」
「用がなきゃこっちから話かけに来る訳ないだろ。アンタ、王子に毎日毎日嫌がらせしてるらしいじゃないか」
「王子?嫌がらせ?一体何の話だい?」
あれ?思い当たる節がないのかな?じゃあ、もしかして私達の勘違い?だとしたら一人で楽しんでいる所邪魔しちゃったかな?
「私がしているのは、筋肉の素晴らしさを樹総帥と白鳥総帥に理解して頂く為の崇高な」
「やっぱりアンタが犯人じゃないかっ!」
うん。間違いない。犯人は巳華院くん。これはもう揺るがない。って言うか証拠が巳華院くんの足下にある彼の鞄の中に一杯あるんだよね。…プロテイン…。
「どんな理由があるかは知らないけれど、王子に…白鳥に迷惑をかけるのは止めてくれるっ!?」
「何を言う、円君。僕は白鳥君に迷惑をかけた覚えはないよ。彼女だって僕の筋肉に対する愛情と素晴らしさを伝えさえすれば筋肉を受け入れてくれるはず」
何言ってるかさっぱり分からないけど、私筋肉そんなにいらない。って言うかつかないんだよね、今の体。
前世で華だった時の体は割と筋肉のつき易い体だったんだけど、今はこう…隠れてると言うか何というか…。表面上は常にほっそりしてる。そして胸にだけその栄養がいく。ヒロインの体恐るべし。
「…僕、美鈴ちゃんがああなったら嫌だなぁ」
「大丈夫だよ。優兎くん。あぁはならない。なりたくないから」
私と優兎くんが生暖かい目で二人を眺めていたら、巳華院くんがこっちに気付き、それはそれは爽やかな笑みを浮かべた。首から上はか弱そうな美青年だからこのギャップ、ほんと頂けない。
よし。隠れよう。優兎くんの後ろへ移動。
「白鳥総帥。来ていらっしゃったのですか。言ってくれたらいつでもプロテインをお渡ししたのに」
―――ムキッ。
「いらないので大丈夫です。これからも必要ないので。そして出来れば今までくれたプロテインをお返ししたいのですが」
「……珍しい。美鈴ちゃんが棒読みだ…」
棒読みにもなるよ。ほんと全力で出来るなら避けて通りたい。
「それは困るっ。貴女と樹総帥には是が非でも筋肉をもりっとつけて頂きたいっ」
―――ムキッ。
「もりっとって。それは私も困るっ」
「僕も困るっ」
あれ?何で優兎くんまで困るんだろう?…味方は多い方がいいから気にしないっ。
「何でそんなに二人に筋肉をつけさせたいんだい?自分の筋肉で満足出来るだろ、アンタなら」
「私はそれで納得出来ても納得してくれない人がいるんだ。どれだけこの美しい筋肉を魅せても納得してくれない人がいる」
―――ムキッ。
……さっきから気になってたんだけど。何で話す度にボディービルダーのように筋肉を盛り上げて話すの?そして徐々に近寄ってくるの?圧なの?筋肉が齎す圧なの?なんにしても怖いんだけどっ!
「本当は円君。君に頼もうと思っていたんだよ」
「アタシに?何を?」
「私の婚約者を」
「…………は?」
…………は?
心の中で同じく私も零す。
ちょっと待って。巳華院くん、昔円を振ったんだよね?本人に自覚がなくても振った事は間違いないよね?もし自覚があったとしたら尚更最低だよね?一度振った相手に婚約者を頼むなんて。そもそも婚約者って人に頼む物?違うよね?
円の目も私の目も、そして優兎くんの目も据わる。
「だが、君には今も昔も僕と並ぶ程の権威がない。そして筋肉も無い……。そうだ、今どれくらいになったか私に見せてくれ」
「は?ちょっ―――」
―――ガバリッ。
円の両肩に手が置かれたかと同時に、左右に胴着が引っ張られ剥き身の肌が現れる。円の癖で熱いの嫌だからって胴着の下にインナーをつけないのが仇となった。
強制的にさらけ出された上半身。ブラ一枚の姿に円が顔を赤らめて震えて行く。
「ふむ。やはり腹に全然筋肉がついていない。腕だって細いままで」
「き…」
「もっとつけようと思えば付けれた筈なのに」
「きゃああああああっ!!」
私は走りだしていた。
優兎くんを後ろ向かせ、寄せられた鏡を巳華院くんに向けて蹴りつけて、円を抱き寄せて急いで距離をとる。
「最低っ!最低最低最低っ!!二度と私と円の側に来ないでっ!!変態っ!!犯罪者っ!!」
言いたい事を全部ぶつけて、私は円を小脇に抱えて全力で家庭科部室へと走った。
途中樹先輩とぶつかった。丁度良い。樹先輩の上着を剥ぎ取って円に着せて。何か言ってた気もするけどガン無視して家庭科部室へと飛び込んで即鍵を閉めた。
この話の中で一番のド変態です(笑)
綺麗と書いて筋肉と読むっ!(笑)




