四章 幕引
「サラちゃん、起きて!」
わたしは寝ているサラちゃんを揺さぶった。サラちゃんがぼんやりと目を開けて、ふわぁと大きくあくびをする。
「おはよぉ……。」
「おはよう!ほら、作戦始まっちゃうよ!」
サラちゃんはのそのそと身体を起こして、まだ開ききらない目でわたしを見ると、にんまぁりと笑みを浮かべた。
「昨日とは逆だね。」
「へ?」
確かにいわれてみれば、昨日はサラちゃんに起こされて、嫌々起きたような気がする。
「作戦、楽しくなってきちゃった?」
サラちゃんの言葉に、わたしは自分を省みていた。涙たちに脅されて作戦に付き合うことになったあの日は、あんなに落ち込んでいたのに。今では不思議と、みんなと〝夏休みの宿題を盗む〟ために色々なことに取り組むのが、こんなにも楽しみになってしまっている。
「うん、楽しい。」
瞬間、昨日の涙の言葉が、呼応するように心で響いた。
『オレはみんなを楽しませたいんだ。それだけ。』
もしかして、涙の楽しませたいの中には、一緒に作戦をしているわたしたちも入っているのかな。
そうかもしれないし、違うかもしれない。でも、なんだかそんな気がして、わたしの心がぽんぽんと踊った。
月曜日の朝六時、集合場所は、みどり町図書館だった。
サラちゃんと一緒に図書館のあるはずの場所に向かったのだが、図書館にどうしてか辿り着けない。
図書館は駅前のビル街の中にあるはずだった。確かあったと記憶する場所には、ボロアパートのようなものが建っている。右に曲がっても左に曲がっても、上を見ても下を見ても、なかなか見つからない。
「道、迷っちゃったのかな。」
「えーん見つかんないよー。」
サラちゃんと二人で、アパートの周りでわたわたと騒ぐ。
「こら、近所迷惑でしょ。」
振り返ると、悠慈くんが呆れた顔で立っていた。
「あっ、悠慈!ちょうどいいところに。サラたち迷っちゃったの。図書館まで連れてって!」
「飴雪ちゃんはともかく、サラちゃんまで。いまだにこんなものも見抜けないの?」
「えー、なになに。サラちゃんに文句ですか?」
サラちゃんが頬を膨らませてぷんと大袈裟に怒ってみせる。
「僕の担当。〝読書感想文を盗む〟だったんだよね。だから本が借りられないように、図書館を盗んじゃった。」
「ええっ!?」
だから図書館に辿り着けないのか!わたしは驚きつつも、納得していた。しかし、いったいどうやって図書館を盗んだのだろう。
「じゃあ、行こうか。」
そう言って悠慈くんが、アパートの中に入っていく。
「えっ、そこ、人のお家だよ。」
戸惑うわたしを置いて、サラちゃんも「なんだ、そういうことかー。」と言いながら中に入っていく。
訳もわからずついていくと、アパートの中は、なんと。
「えっ、図書館!?」
「そういうこと。」
棚という棚に本がずらりと並び、本棚の合間を縫うように、勉強や読書のためのテーブルやイスが置かれている。貸し出し用のカウンターが、中央には置かれてある。どこをどう見ても、知った図書館の景色がそこに広がっていた。
「どういうこと!?」
起きた事態が飲み込めずに、わたしは何度も目を擦った。しかし、夢が覚めるはずもなく。目の前に広がる光景は、紛れもなく現実だった。
「トリックアートだよ。」
「トリックアート?」
わたしが首を傾げると、悠慈くんは得意げに続けた。
「そう。図書館の外装にアートを施して、全く別の建物に見せかけているんだ。」
「そうそう。悠慈ってば、なんでもできるんだ。すごいだろ。」
涙が得意気に、悠慈くんの肩に手を置く。
「涙!おはよう。」
「おはよう、飴雪。今日は寝不足じゃないみたいだね。」
わたしは思わず目元を隠した。昨日まで脅されたことが怖くて、寝不足だったのが、バレていたのだろうか。
「よし、みんな集まったところだし。今日の簡単な作戦を伝えるよ!」
涙のみんなという言葉に、わたしは辺りを見渡す。あっ、今日はちゃんと、本棚の影にゴローくんもいた。
「今日は図書館のパソコンから、職員室の監視カメラにアクセスして、作戦がうまくいったかどうか確認するよ。以上!」
涙の言葉に、サラちゃんがわぁと拍手をする。
「はい、質問です。」
「なんだね、飴雪くん。」
「どうしてみどりの家のパソコンからアクセスしないんですか?」
わざわざ朝早く図書館に集められたのが不思議だったわたしの質問に、涙は「おっ、いい質問ですねー。」と大袈裟に感心してみせる。
「ネットワークにアクセスしているのがバレると、逆探知をされることがあるんだ。するとハッキングしてる位置がバレるんだけど、図書館だと足がつかないだろ。」
なるほど、わたしは納得した。万が一みどりの家からアクセスしているのがバレると、一気にみんなの正体がバレる危険が高まる。
「そういうわけで、早速、今朝のみどり町小学校、職員室の様子を見てみましょう!」
えいっ、という掛け声とともに、涙がパソコンのスイッチを勢いよく押した。準備していたのか、すでに監視カメラと繋がっているようで、荒い画質で職員室の様子が映し出された。
「先生たち、もういる。」
現在、朝の六時。しかし、もう先生たちはちらほらとデスクにいるようだ。
「先生たちの朝は早いんですよ。」
涙が言った。その時。
『大変だ!』
静かだった監視カメラの中が、ざわめき始めた。
『金庫が壊されてる!!』
『夏休みの宿題が、全部、ない。』
どうやら、ゴローくんが盗んだ夏休みの宿題に、先生たちが気がついたようだった。
『金庫にはKIDSからの手紙が…。』
『とにかく、警察に連絡だ。』
『誰だ、金庫に入れとけば大丈夫って言ったの。』
『しっ、校長先生だよ。』
先生たちが騒ぎを聞きつけたのか、画面の中に集まってくる。やがて、慌てて出勤してきた様子の先生達もあわせて、職員会議が始まった。
『どうします?』
『仕方ない、今から用意しなおそう。』
『今からって、一週間しかないですよ。』
『とりあえず、ドリルは再発注をかけて…』
『大変だ!印刷工場から、一週間休業の連絡が来てる。どうやらこれもKIDSの仕業らしい。』
わたしと涙はその言葉に、ハイタッチをした。工場もばっちり、止まっているみたいだ。
『ドリルはともかく、家庭科の宿題や読書感想文は出せるでしょう。』
『それが……、家庭科の先生はいまバカンスでハワイにいるそうです。』
『はあ!?』
『一ヶ月帰ってこないと言っていました。』
サラちゃんがその言葉に、両手でピースサインを作った。
「校長先生に変装して、家庭科の先生にハワイ行きのチケットあげたの!」
「すごい、大成功だね!」
「へへー。まあ、サラにかかればね!朝ごはんより簡単ですよ。」
「朝飯前ってこと?」
「多分それ!」
悠慈くんのツッコミにも動じず、サラちゃんは得意そうに胸を逸らした。
『さらに、町中の図書館と本屋が消えたという連絡がきています。』
『消えた!?読書感想文の本はどうするんだ!』
これはきっと、悠慈くんの仕業だろう。悠慈くんもわたしの目線に気がつくと、得意げに笑ってみせた。
『それなら、自由研究や絵日記は!?』
『それが、町中からポスターやノートが盗まれたようなんです。』
『それじゃ、提出させられないじゃないか!』
これはゴローね、と涙が補足した。当のゴローくんはモニターも見ずに、涼しい顔をして離れたところに立っている。
『くそっ、どういうことだ。』
『夏休みの宿題はこれじゃ出せないな。』
『いや、宿題は大切だ。』
『勉強は生徒達の将来のために、しっかりとさせないと。』
先生たちはあれやこれやと案を出しては、あれもだめこれもだめと言い争っている。
「ははっ、いい調子いい調子。これはオレたちの完全勝利かな。」
涙はそう言って余裕そうに、頭の後ろで手を組んで伸びをする。
『いや、まだ手があります。』
突然、ずっと黙っていた校長先生が立ち上がった。先生たちの視線が自然と、校長先生に集まる。
『タブレットを使いましょう。』
『タブレット?』
『今から問題を全てデータで作り直しましょう。そして、生徒達がタブレットで問題を解いて、全て提出できるようにしましょう。読書感想文や家庭科の宿題などはこの際、しょうがないです。しかし主要教科のプリントや、自由研究くらいなら、この方法でできるでしょう。』
「は!?まじ!?」
涙が大声をあげる。
「どうするの、涙。策はあるんだよね。」
「いやぁ。」涙はそう言って困ったように笑う。「見落としてたなぁ。」
「ええー!?」
涙の口からそんな言葉が出るのが意外で、わたしは驚いた。なんとなく、涙はどんな状況でも色々な策を用意していて、助けてくれると思ってしまっていた。
「いや、見落としてたっていうのは嘘だけど、うちの先生たちIT弱いし、まさかその案が出てくるとは思わなくてさ。」
「追い詰められた鼠は猫をも咬むんだよ。」
「そういうことだー。くそー。」
悠慈くんの言葉に、涙が頭を抱えた。
「えーん、ルイ、どうしよー。」
「ルイ、どうすんだよ。」
「そう言われてもさあ。」
サラちゃんもゴローくんも、涙に泣きついている。
どうしよう、せっかくみんなでここまで、頑張ってきたのに。後悔はあと。今は考えなければ。
「そうだ!」
わたしは閃いた。
「生徒たちのタブレットを、こう、使えなくしたりって、悠慈くんできたりしない?」
「使えなくする?」
悠慈くんが、んー、と考え込む。
「ロックかけるってこと?出来なくはないけど。」
「それだ!」
涙がぽん、と手を叩く。
「でかした飴雪、それでいこう!
悠慈、オレがサポートするから、学校ネットワークへのアクセス頼む。」
「了解。」
そういうなり、悠慈くんは隣のパソコンを開いて、何やらカタカタとすごい速度でキーボードを叩き始めた。
「そうなると、逆探知される危険が高まるから、サラとゴローと、それから飴雪も、ここを離れてて。」
「「「ええっ」」」
サラちゃんとゴローくんと、それからわたしが、一斉に抗議の声を上げた。
「最悪の事態を考えると見つかるなら少人数がいい。」
「最悪の事態って?」
わたしが思わず聞き返すと、涙が急に黙ってしまった。サラちゃんがぼそりとつぶやく。
「見つかって、ケーサツに捕まるってこと。」
「えっ。」
「だってサラたち、悪いことしてるからね。」
警察、という言葉を聞いて、急に今までしてきたことが、自分の身にのしかかってくるような重さを感じた。地面がぐらぐらと、不確かなものになっていく。
「飴雪。」
涙がわたしの背中にそっと手を置いた。そのぬくもりが、現実に引き戻してくれる。
「飴雪は、オレたちに脅されてやってるんだから、大丈夫。そうでしょ?」
涙がにこっと笑って、わたしの背中を押した。
「ほら、サラたちは行った行った。あとはオレと悠慈に任せて。」
「うん、待ってるからね。ルイ。悠慈。」
サラちゃんは「行こ、飴ちゃん。」と言ってわたしの手を引いた。ゴローくんもクソ、と呟くと、大股で外へと出ていく。
図書館を出る直前、振り返って涙と悠慈くんの後ろ姿を見た。二人はパソコンに真剣に向き合って、何かを話し合っていた。
どうして、みんなそんなに頑張れるんだろう。警察に捕まるかもしれないくらい、悪いことなのに。
『オレはみんなを楽しませたいんだ。それだけ。』
ルイの言葉が、わたしの疑問に答えるように、心に呼応する。
夏休みのない宿題って、どんなだろう。夏休みの宿題のために、大事な一日が潰れることもない。夏休み最後の日に仲良しの友達の宿題が終わってなくて、遊べないこともない。宿題に取り組むはずの時間を、全部全部、みんなと楽しめるんだ。みんな…、そう。羽優ちゃんに。サラちゃん。ちょっと怖いけどゴローくんと。悠慈くんに。それから、涙も。
「涙!」わたしはサラちゃんの静止も聞かず、駆け戻っていた。「わたしはKIDSの作戦を見ちゃったから、涙に見張られてるんでしょ。」
涙がぽかんと間抜けな表情で、わたしを見た。
「じゃあ、最後まで側で見張ってて。」
わたしだって、みんなを楽しませたい。ただ、それだけなんだ。
涙は目を細めると、仕方ないなぁと笑って迎え入れてくれた。
『ビーッビーッ。』
職員室のパソコンから、けたたましい音が鳴る。
『なんだなんだ?』
監視カメラの映像で、先生たちがパソコンに集まっていくのが見える。きっとそこでは、真っ赤な画面が光っているはずだ。
そして画面に、文字が流れてくる。
〝五分後に生徒のタブレットを全てロックします KIDS〟
『えっ。』
『この会話、聞かれてるってこと?』
先生たちが声を上げる。
タイマーが起動して、五分のカウントダウンが始まる。先生たちがまた、どうしようと狼狽し始める。
『通信が来てる。逆探知が出来るかもしれない。』
通報を受けてやってきた警察の若い男の人が、何やら機材を取り出して繋げはじめた。
『では、防御はわたしが。』
情報の板宿先生…涙の担任でもある通称イタちゃんが、パソコンの前に座って、キーボードを叩き始める。
「きたね。」
悠慈くんがパソコンに向かって言った。
「ね、どうしてわざわざバレるように警告を出すの?」
わたしが尋ねると、涙はさも当然のように答えた。
「だって、その方が先生たちも楽しいだろ。」
わたしはすっかり、感心してしまった。どうやら涙の楽しませたい、のなかには、敵対している先生たちも含まれているらしい。
「ね、飴雪。」涙が言った。「悠慈が頑張っている間、オレたちがするのは邪魔をすることだ。」
「邪魔?」
わたしの言葉に、涙は頷いた。
「うん。オレたちが出す質問に正解するまで、相手の作業全てにロックがかかる仕様にしてある。だから、どんどん質問していこう。その僅かな時間が悠慈にとっては、大助かりの時間稼ぎになる。」
そう言いながらも、涙はどんどん質問を打ち込んでいく。〝みどり町小学校の創立記念日は?〟〝校長先生の誕生日は?〟〝伊川谷先生の奥さんの名前は?〟
先生たちも大騒ぎをしながら、わいわいと質問に答えていく。それをイタちゃんが、打ち込んでいく。わたしと涙も負けじと、質問をしていく。
そうして、残り二分を切った。
「まずいかも。このままだと押し切られる。」
悠慈くんがぼそりと呟いた。わたしと涙は顔を見合わせた。このまま簡単な質問を繰り返していても、押し切られてしまうかもしれない。
「涙、わたしにやらせて!」
わたしは涙を押し退けて、パソコンの前に座った。質問の文字を打ち込んでいく。
〝生徒たちにとって、一番大切なものは?〟
『勉強』と一人の先生が即座に答えた。警官が入力するが、その答えは弾かれる。次に『将来』と他の先生が答えた。その答えも弾かれる。先生たちは誰が答えるか、顔を見合わせていた。
わたしは、質問を変えてみる。
〝では、あなたたちにとって一番大切なものは?〟
先生たちが、口を閉ざした。息をのむような静けさが、画面越しにも伝わってくる。
誰もが考え込むなか、校長先生が『家族』と呟いた。それに呼応するように、伊川谷先生は『友達』と答える。『恋人』という言葉も。
〝家族〟〝友達〟〝恋人〟と警官が打ち込むと、ようやく次の質問へと進める。
残り一分を切った。
「よっしゃ飴雪!いい質問!」
涙がガッツポーズをする。
「あと一息、耐えれば勝てるよ!……飴雪?」
わたしは。口々に『勉強は大事』『将来のために』という先生たちが、いつも不思議だった。だって本当に大切なものは、他にもたくさん、あるはずなのに。
〝当たり前に隣にいるように思う大切な人たちは、本当はいついなくなってしまうか分からない。〟
もはや質問でも何でもない。ただ自分の想いを、先生たちに向けて打ち込んでいた。
わたしだって、家族が大切だった。でもある日突然、目の前からいなくなってしまった。
隣にいて当たり前だと思っていた。明日も一緒に過ごすのが、当然だと思っていた。そんな毎日が、ずっと続くと思っていた。でも本当は、共にいられる明日が来るなんて補償は、どこにもなかった。
それはきっと、わたしがいま大切に思っている、みんなとの時間もそう。だから。
〝私たちは全力で、目の前の大切な人たちとの時間を、守りたい。大切な人たちと、楽しい時間を過ごしたい。ただ、それだけ。〟
夏休みの宿題に使ってる時間なんて、ない。
勉強なんかより、将来なんかより、大切なことがここにある。
届け。届け。届け。
わたしが、KIDSの一員として、ここにいる理由。
残り十五秒。
わたしが質問をしなかったせいで、もうロックがかかっていない。それなのに、相手の勢いが、凪いだ。先生たちが警官の手を、止めたのだ。イタちゃんも抵抗をやめ、悠慈くんが一気にセキュリティを突破する。
「よっしゃー!!!!」
残り〇秒。五分のアラームちょうどで、悠慈くんの歓声があがった。
「ロックできた、できた!」
わたしと涙と悠慈くんは、手を取り合って大喜びした。これで、夏休みのない宿題が、現実になったんだ!これまでKIDSのみんなと頑張ってきたことが、報われたんだ!
『しょうがないですね。』
監視カメラから、校長先生の声が聞こえてきた。
『私達は、老いすぎてしまったようです。本当に大切なことは何か、それは生徒たち自身が決めることかもしれませんね。』
そう言って、校長先生は先生たちに向かって言った。
『今年の夏休みの宿題は、自主学習にしましょうか。みなさん、異議はないですね。』
こうして、わたしたちの作戦は、大成功をおさめたのだった。