序章 キャラメル
パパとママが、死んだ。
そんなことを聞かされたって、信じられるわけがなかった。
「誕生日プレゼントを取りにいってくる」って、「どんなプレゼントかはサプライズだからあなたは待っていてね」って、楽しそうに出ていくふたりの背中を見送ったばかりなんだから。
だけど、知らない人たちに連れられて、変わり果てたパパとママの姿を見て……。がつん。大きな大きな、黒くて重たい隕石が頭に降ってきた。ぐわん。余韻で脳みそが揺れている。
それからは記憶がずっと曖昧だ。パパとママの写真の前で、黒い服を着たたくさんの人が、泣いていた。身寄りのなかったわたしは、パパとママとの思い出がたくさん詰まった家を離れるほかなかった。新しい家は、わたしのように家族をなくした子どもたちが、暮らすところらしい。わたしはたくさんの子どもたちの前で挨拶をした。そんな出来事を、ぜんぶ他人事みたいに遠く感じていた。外国語の映画を見ているみたいに、遠く遠くに感じていた。
その後は部屋のすみっこで、ずっとうずくまっていた。動く気にも、話す気にも、息をする気にもなれずに、ずっとずっとうずくまっていた。瞳から熱いものがぽろぽろと落ちては、地面に染みを作っていた。
誰かがごはんを持ってきてくれたこともあった。食べたくなくて、手をつけなかった。ママの作った、ごはんが食べたかった。「そろそろなにか食べないと死んじゃうよ」と言われた。別にいい、という言葉は声にならず、消えた。
そんな風にして、何日が経ったろう。
「ねえ。」
また、誰かの声がした。
「ねえ、聞こえる?」
答える気力もなかった。
「答える気力もないんでしょ。」
はっとした。心を読まれたから。
「いまから大事な話をするから、頑張って、よぉーく聞くんだ。」
その声は優しく優しく、語りかけてくる。
「これ。」
そう言って声の主は、わたしの目線の先に何かを差し出した。じわじわと、焦点があっていく。小さく四角い……キャラメル?
「預かったんだ。事故の時、キミのママの持ちものは全部ぐしゃぐしゃになったけど、これだけは無事だったんだって。キミへの贈り物だったんじゃないかな。」
わたしは考えるより先に、そのキャラメルに手を伸ばしていた。甘くて、甘くて、甘い。わたしの大好きな甘いキャラメル。夢中になって包みを開けて、口にいれた。瞬間。
「かっっっっっっっらい!!!」
それを、口から吐き出した。
「えっ、なにこれ、かっ、からい。」
「大丈夫?水、飲む??」
「あ、ありがとう。」
わたしは差し出されたペットボトルの水を、ごくごくと一気に飲みほした。それでもまだ、口が痛みでヒリヒリする。なにこれ、なにこれ。これはきっと、キャラメルじゃない。
「ははっ、辛かっただろー。」
わたしはそこでやっと、なぜか楽しそうに笑っている、目の前の男の子を見た。悪戯に跳ねた髪、白い肌。線が細く華奢なのに、それを感じさせない不思議な存在感がそこにはあった。
「辛いよ!これ、なに??」
「ん?なにって、カレーキューブ。」
「カレーキューブ!?」
わたしは絶句した。
「キャラメルって言ったのに!」
「だって、嘘だもん。」
「嘘!?」
「そう。キャラメルだってことも、キミのママが事故のとき持ってたってことも、キミへのプレゼントかもしれないってことも、ぜーんぶ、嘘。」
開いた口のふさがらないわたしに、彼はにこっと笑っていった。
「でもほら、ここに来てからはじめて涙が止まった。それからオレと、目が合った。」
彼は嘘をついたことを、まったく悪びれていないようだ。ただ、その嘘でわたしの涙は確かに、止まっていた。
「オレ、涙って大っ嫌いなんだ。
だって泣いてばかりじゃ、視界が霞んでなにも見えないだろ。面白いことや楽しいことも、見逃しちゃうよ。」
彼はそう言って、そっとわたしの頭に手を伸ばした。
「泣いてても笑ってても同じ一日なら、笑ってた方が得だと思わない?いつかキミがおばあちゃんになって、天国へ行って、キミのママとパパに会った時、たくさん楽しいお土産話ができるようにさ。」
優しく優しく、頭をなでてくれるその手に、瞳がまた、じんわりと熱くなっていく。視界がぼやけていくのを、彼がくれた言葉をぎゅっと噛み締めて耐える。もう一度まぶたを開いた時、視界にはくっきりと、彼の笑顔が映った。
彼は真っ白い歯をみせて、悪戯っこく笑っていた。
「オレ、ルイ。改めて今日からよろしく、飴雪!」
それが後のわたしの人生を大きく変えることになる、ルイとの出会いだった。