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ルベウス - 紅玉 -

立派な門を通り抜けしばらくの間馬車を走らせても、皇城の前庭は綺麗に剪定(せんてい)されたコニファーとルドベキアの黄色い花に挟まれた白い石畳の道になかなか終わりが見えない。

初夏の風の中にどこからか茉莉花(ジャスミン)の甘い香りがふわりと運ばれてきて、ルースは長いまつ毛を伏せてその匂いを深く吸った。


夕暮れのオレンジは、最後の一筋の光を残して夜の(とばり)に空を明け渡そうとしている。

前方に見えてきた薄闇の中に浮かび上がる白亜の城は、沢山のアーチ型の窓に明かりが灯されていて、三角の屋根の上には帝国旗がはためいていた。

物珍しそうに馬車の窓から外を見つめるルースに、深い緑に金の飾り刺繍がされた盛装に身を包んだ父様が柔らかな眼差しを向けて微笑する。

やっとたどり着いた皇城は(つる)バラの彫刻がされた柱が並び、高い天井には幾つもの煌びやかなシャンデリアがキラキラと光を弾いて輝く美しい城だった。


鏡のように磨き抜かれた大理石の床にコツリとヒールを下ろして私が感嘆の溜め息を吐くと、父様が左手の肘を差し出してニッコリと笑みを湛えて眉を上げる。


「緊張しているのかい?」


「だって、皇城に入るのなんて初めてだもの…」


差し出された腕にそっと右手を絡ませると、父様は反対の手でポンポンと私の手の甲を叩いた。


「大丈夫だよ。私の娘は誰よりも美しい」


今年で42歳になるベリル侯爵は、年を重ねて更に深みを増した大人の色気を持つ美丈夫で、早くに妻を亡くした独身貴族として今も社交界では引く手数多(あまた)だ。

それでも亡き妻を深く愛している父様は、再婚話などは(かたく)なに断っている。

端正な顔立ちに笑うと目じりに皺が寄る父様の横顔を見上げて、少しだけ緊張を和らげると案内に従って今年デビュタントを迎える娘たちの控えの間に足を進めた。


「それで、アンバーはまだ拗ねているのかな?」


さも「困ったものだ」と言わんばかりに父様は眉尻を下げて見せる。


「私とアンバーで、どちらがルースのエスコートをするか本当にギリギリの攻防だったんだよ」


可笑しそうにクスリと笑みを零して、父様は得意げに胸を張った。


「そしてもちろん、私が勝った」


「それで兄様は拗ねているの?」


「本当に狭量(きょうりょう)な奴だ」


やれやれと肩を竦めて見せながら、父様は優しい眼差しで私を見つめる。


「私も本当ならルースのデビュタントはまだまだ先で良いと思っているんだよ。なんなら一生うちに居て死ぬまで私と一緒に暮らしても良いくらいだ」


そこで大きく息を吐いて、父様は複雑そうに眉を(しか)めた。


「でも、これは王命でね。大人の事情ってやつなんだ。だからささっとお披露目して、ぱぱっと挨拶を済ませたら、すぐに家に帰ろう」


それが良い、と一人頷く父様に私はつい笑ってしまう。

本当にいつまでたっても父様は私に甘い。


「父様、ありがとう」


私の言葉に父様は優しく微笑んで、控えの間の前で立ち止まると満足そうに瞳を細めた。


「ルース。綺麗だよ」


この日のために兄様に連れられて帝都で一番と言われているお店で作ったドレスは、デビュタントに相応しく贅沢に宝石があしらわれた純白のドレスだった。

真っ白な光沢のある生地に繊細なレースを重ね、輝く真珠が散りばめられたドレスには、肩から胸に向かって白い薔薇のモチーフが幾重にも連なり、光の加減で輝く細かな刺繍が施ほどこされている。

ロング丈のオペラグローブは、ドレスと同じ純白の生地で肘から上に向かって細かなレースに切り替わり繻子織(しゅすおり)の美しいリボンで編み上げて可愛らしく結んである。

緩く編み込まれた青銀の髪は(うなじ)の少し上で纏められ、顔周りと首筋に軽く巻いたおくれ毛がふんわりと揺れていた。


「まるで天使のようだ」


父様は私の額に軽く口づけて、優しく抱きしめた後そっと背中を押してくれる。


「さぁ、行っておいで。私とアンバーは広間で待っているよ。あとでまた会おう」


「はい、父様」


笑顔で手を振って控えの間に入る私を見送ってから、父様は広間の方へ引き返して行った。


控えの間には私と同じ年頃の少女たちが、薔薇色に頬を染め緊張を滲ませた様子で思い思いに過ごしている。

飲み物を口にしている子、友人同士で楽し気に会話している子、椅子に座ってキョロキョロと周囲を眺めている子、皆それぞれ真っ白なドレスに身を包んだ今年デビュタントを迎えた令嬢たちだ。


「ねぇ、聞きまして?本日お披露目される第二皇子殿下の事…」


「噂ではとんでもなく醜いお姿をなさっていらっしゃるとか」


「わたくしはご病弱で老人のように痩せ細っておられるとお聞きしましたわ」


「まぁ、どうしましょう。デビュタントの一番最初のダンスは皇子殿下と踊るのが慣例ですのに、わたくし恐ろしくてとても踊れそうにありませんわ」


4人の少女が顔を寄せ合って話す噂話が、私の耳にも届いてくる。

あの子たちは一般科の同級生なのだろう。

友達同士の気安い様子でお喋りに興じているようだ。

騎士科はほとんどが男子しか居ない。ルースの学年では自分だけしか女子は居なくて、兄様と同じ学年に1人、アル様と同じ1つ上の学年には2人ほど女子の学生もいるようだが、今日のデビュタントにその姿は見当たらなかった。

女友達との楽し気な会話を羨ましく思いながら壁際で白葡萄のジュースを飲んでいると、しばらくして案内を務める者から「今からご入場です」と声がかけられる。


落ち着いた臙脂色(えんじいろ)のカーペットの上を歩き、促されるまま大きな両開きの扉を抜けると、そこは御伽話に出てくるような世界が広がっていた。

真っ白な壁とピンクがかった白い大理石の床。入り口でも見た蔓バラが彫刻されたいくつもの柱に、天井に下がる巨大なシャンデリア。床から天井近くまであるアーチ型の窓には繊細なレースがかけられ、その上からクリーム色の重厚なカーテンが優美な波を幾重にも重ねながらかけられている。

贅を凝らした美しい広間に、少女たちから感嘆の声が上がった。

今年デビューする令嬢たちに続いて、伯爵家、侯爵家、公爵家と家格に沿って入場が始まると、高位の貴族らしい華やかな装いに身を包んだ紳士・淑女の登場に少女たちは夢心地な様子でそれを見つめた。


最後の方になってやっと姿を見せた父様と兄様を見つけて、ルースが微笑みを浮かべると父様と兄様も視線で優しく頷いてくれる。

兄様の細身の黒いウェイストコートにはシークインの刺繍が施され、膝丈のシルバーのコートは袖口と、襟からフロントにかけて銀糸で細かな模様が縫い込まれている。

白いクラヴァットはアメジストのピンで留めてあり、兄様の美貌をさらに引き立てていた。


「なんてお美しい方なのかしら」


「フリント国、ベリル侯爵家のアンバー様よ」


「確かまだ婚約者などは居なかったですわよね?」


「わたくしをダンスにお誘い下さらないかしら」


周囲から聞こえる自分の兄様への称賛にルースは誇らしい気持ちになる。

「私の兄様なのよ!」と自慢したくなる気持ちを飲み込んですました顔を取り繕った。

先触れで陛下の入場の声があげられると、ゆったりとした曲を奏でていた演奏が止まり、広間にいる全ての者が頭を下げて礼をとる。

ルースを含めたデビュタントの少女たちも愛らしい仕草でドレスの裾を持ち上げて頭を下げた。


「オブシディアン帝国、オニキス・セイロン・オブシディアン皇帝陛下、並びにクンツァイト皇后陛下ご入場!」


広間の奥にある大きな階段の重厚な扉が開かれ、銀髪に黒い眸の皇帝陛下とストロベリーブロンドに水色の瞳を持った皇后陛下が並んで入場する。


「ルベウス・セレディバイト・オブシディアン皇子殿下ご入場!」


その瞬間、空気がビリリと震えた気がした。


(おもて)を上げよ」


皇帝陛下の低くよく通る声が告げると、貴族たちが一斉に顔を上げる。

そしてルースの位置からはよく見えないが、陛下の隣に並んで立つ長身の皇子殿下に皆、視線を釘付けにしているようだった。


大柄な皇帝陛下よりさらに頭一つ分は高い身長と、細身でありながらしなやかな筋肉のついた身体。

細い顎のラインと、高い鼻梁に薄い唇。

短く切られた漆黒の髪は夜空の闇よりも深い黒で、切れ長の双眸は血の色よりも濃い(あか)だった。

金の刺繍がほどこされた真っ黒な軍服と肩から長く垂れたマントも黒一色で、冷えたナイフのように鋭い空気を纏う姿は恐ろしいほどに美しく、誰もが息をするのも忘れるほどその姿に魅入られている。

まるで時が止まったかのように静まり返る広間に、陛下が凜とした声をあげた。


「私の息子を紹介しよう。この帝国で皇家の血を引く正当な世継ぎはこのルベウスただ一人。長く病に伏せておったが、この通り今は健康を取り戻しすっかり克服して戻って参った。皆、私に誓う忠誠をルベウスにも等しく注ぎこれからもこの帝国の安寧のために尽くして欲しい」


陛下の言葉に広間にいる全ての者が深く頭を下げてそれに従う意を示した。

それをしばし眺めてから、皇帝陛下は満足したように頷いて片手を上げて合図を送る。

陛下の意図を組むように、広間にゆったりとした曲が流れ始めた。


第二皇子殿下が何の感情も映さない真紅の瞳を冷たく細めて、皇帝陛下の隣の席に着席すると、そこに今年デビュタントを迎えた令嬢たちが順番にご挨拶に向かった。

まずは家格の高い公爵家の令嬢が、皇帝陛下と皇后陛下にご挨拶を述べ祝いの言葉を頂くと、次にほんのりと頬を染めながら皇子殿下に見事なカーテシーで礼をする。


「わたくしはオブシディアン帝国の大公、インペリアル公爵家のコーラルと申します。わたしくの曾祖母が皇室から降嫁しておりますので、殿下とは多少とは言え同じ血を持つ者でございます」


愛らしい微笑みを浮かべたインペリアル令嬢に、ルベウスは冷たい眼差しのまま微かに頷いて見せた。

少しの間そのまま殿下からの言葉を待つが、ルベウスは何の反応も示さない。

通常であればお世辞や祝いの言葉の一つや二つ殿下から賜るのだが、ルベウスにその気はさらさらないようで、その視線すら向けてくれる様子はなかった。

コーラルは戸惑うようにもう一度カーテシーしてそっと御前から離れる。

次に挨拶に向かったジェイド国の公爵令嬢にも同じ反応だった。


少し離れた場所でルースは、初めての皇城、初めての舞踏会。そして初めてお目にかかる皇帝陛下に緊張していた。

陛下への挨拶の口上を頭の中で繰り返し、いつもより少し高めのヒールで転ばないように動線を確認していると、ついに自分の順番がやってくる。


大きく一つ深呼吸して、出来るだけ優雅に見えるようにゆっくりと歩くと、猛特訓したカーテシーの成果を両陛下に披露する。


「帝国の尊き太陽、皇帝陛下、皇后陛下にご挨拶申し上げます。フリント国のベリル侯爵家、ルース・ベリルでございます」


「まぁ、何て可愛らしい人かしら」


皇后陛下がおっとりとした声で言うと、皇帝陛下もそれに頷いて黒い瞳でルースを見つめた。


「ベリル家と言えば昔、皇家から降嫁した者が居たかな?」


「はい、もう200年も前になりますが」


「なるほど、それで其方(そなた)の髪色が私とよく似ているのだな」


髪の色と同じ銀色の顎髭を撫でて陛下は親しみを込めた声で祝いの言葉を述べる。


「其方のこれからの人生が晴れやかなものである事を祈る」


「ありがとう存じます」


ルースは深く頭を下げて挨拶すると、次に皇子殿下の方へと視線を移す。

ルベウスの前にはジェイド国の公爵家令嬢が、一言でも殿下のお言葉を賜ろうと頑張っていた。

確か、現皇后陛下の生家がジェイドの公爵家だったとルースは記憶している。

と、言う事はあのご令嬢は皇后様のご身内なのかもしれない。

懸命に何か話しかけているようだが、皇子殿下は長い足を組み肘掛けに置いた左手に頬杖して傲岸不遜(ごうがんふそん)にも見える様子で冷たい眼差しを向けている。


ルースは皇帝陛下へのご挨拶の順番を待つ次の令嬢のためにも早くこの場所を明け渡したいのだが、皇子殿下に挨拶せずに立ち去る事も出来ず、どうしたものかと戸惑っていた。

すると、その気配を感じたのかそれまで一切の感情を見せず仮面のような無表情で目の前の令嬢を見ていたルベウスの紅い眸がふいにルースに向けられた。


互いの視線が絡まった瞬間、その端正な美貌に初めて驚愕の表情を浮かべたルベウスに、ルースはドクリと大きく心臓が鳴るのを感じた。

大きく見開かれた紅い双眸と、何か言葉を発しようとして止まったまま薄く開いた唇。

瞬きも忘れて止まったルベウスの姿に、ルースもまた時が止まったかのように固まって動けなかった。


どのくらい見つめあっていたのか。

ほんの一瞬のようでもあり、永遠のように長くも感じる。

切れ長の紅い瞳が揺れて、くしゃりと歪んだ瞬間ルースは無意識に呟きを零していた。


「…リン?」


その名前を呼び終わる前に、ルースはルベウスの腕の中にきつく抱きしめられていた。



               ☆   ☆   ☆



ルベウスが生まれた日は大地が割れんばかりの酷い嵐だった。

三日三晩、苦しみぬいて皇后がやっとの思いで産み落とした男児は夜空よりも昏い漆黒の髪と、魔物と同じ血のように紅い瞳をしていた。

帝国神話にあるように、かつての魔王が黒い髪をしていた事で、ただでさえ黒髪は忌避される。

さらに魔物と同じ紅い瞳を持ったルベウスを見て皇后はショックのあまり気を失ってしまった。


月の光のような白銀の美しい髪が皇族の血筋に現れる色だと言うのに、ルベウスはそれとはかけ離れた色を持って生まれてきた。

最初は皇后の不貞も疑われたが、皇族だけが持つ特徴である星形のアザが父皇帝とまったく同じ耳の後ろにあることでその疑いは晴れた。

それでも、不吉な色を持つルベウスは正当な皇家の血筋でありながらその存在を隠される事になった。

皇城の敷地の片隅にある塔に幽閉され、そこで世話係のセレスタイトと共に17年もの間外の世界を見る事なく育てられたのだ。


ルベウスは小さな赤ん坊の頃から、喜怒哀楽をあまり出さない子どもだった。

父や母を恋しがって泣くことも、夜の暗闇を怖がる事も、遊びに夢中になって笑う事もなく、幼いながらもどこか大人びた目をしていた。


そんなルベウスを生まれた時から世話してくれたのがたった1人の侍従であるセレスタイトで、身の回りの世話はもちろん剣術や勉学についても彼が教えてくれた。

読み書きから始まり、数学や天文学。地理や歴史、マナーにダンスまで全てセレスタイトから習った。

ルベウスが3歳になると、それらの授業と合わせて帝王学と身体に耐性を付ける為に少量の毒を飲まされるようになる。

どれだけ熱を出しても、どれだけ吐き戻して苦しんでも、ルベウスは決して泣く事も弱音を吐く事もなかった。

どうして自分だけがこんな目にあっているのか

なぜ、父も母も会いに来てはくれないのか

そんな疑問すら口にする事はなく、ただ与えられた役目をこなすように淡々と日々を過ごした。


深い闇色の髪は艶やかで、紅玉(ルビー)に似た紅い瞳は極上のワインよりも深い色を帯びている。

幼い頃から飛び抜けて美しい容姿の皇子は、その忌まわしい色を持って生まれた事すら凌駕するほどの美貌のまま、逞しい青年へと成長していった。


しかし、どれほどその姿が美しくとも、どれほどその頭脳が明晰でも、塔から出る事を許されずこの場所で朽ちてゆくのであれば意味はない。

セレスタイトはルベウスに献身的に仕えてくれていたが、何の力も持たない自分の側に居るより兄である第一皇子の元で優秀なその力を発揮した方が良いと小さな皇子は何度も言った。

それでもセレスタイトは頑としてそれを受け入れる事はなく、ずっとルベウスに寄り添い続けてくれた。


しかしそれが、セレスタイトの罪滅ぼしである事をルベウスは知っていた。


「俺は罪の子だ」


ルベウスは冷たい声で言う。


「俺は世界を憎んでいる。運命など引き裂いてやると、自分の魂に誓った」


ルベウスには前世の記憶があった。

自分にとって唯一無二の、かけがえのない魂の半身を奪われた絶望を、英雄と讃えられながら何も守る事が出来なかった己れの無力感を鮮明に覚えている。


「俺はいつか世界を滅ぼすだろう。そして、その時俺はこの手でお前の事も殺すだろう」


さらりと揺れる黒髪の下で、二つの紅い眸がセレスタイトを映して昏く細められる。


「俺はそのために生まれてきたのだから」


セレスタイトはその視線を受け止めながらルベウスの足元に跪いた。


「…殿下のお心のままに」


その言葉にルベウスは感情のない紅い眸をついと逸らして高い塔の窓から眼下を見下ろした。


「セレスタイト…。いや、シトリンと呼んだ方がいいか。一つお前に聞きたい」


跪いて頭を下げたままのセレスタイトに冷たい声で問いかける。


「なぜ、ルースだったんだ?」


その問いに何も答えず黙ったままのセレスタイトにルベウスは重ねて問うた。


「どうしてルースを選んだ?」


瞬きすら忘れたように遠くを見つめたまま、ルベウスの紅い眸が微かに揺れる。


「…私が選んだのではありません。世界がそれを望んだのです」


セレスタイトの言葉にルベウスはそっと瞼を閉じた。


「俺は世界を許さない」


次にまつ毛を持ち上げて覗いた紅玉の(ひとみ)は、凍てつくような冷たさを湛え感情を失ったそれだった。


「私は貴方の意思を見届けるのみです」


セレスタイトはもう一度深く頭を下げる。


「俺がお前を殺すのを楽しみにしていろ」


無表情のままそう言い置いてルベウスは長いマントを翻し跪いたままのセレスタイトに背を向けた。




               ☆   ☆   ☆



転機が訪れたのはルベウスが14の誕生日を迎えて数ヶ月ほどたった頃だった。

兄である皇太子が落馬の事故で亡くなったのだ。

それまで存在自体が無い者として扱われていた自分がそれをきっかけに、表舞台に引きずり出される事になった。


セレスタイトによって皇子としての教育は充分に受けていた事もあり、亡き兄に代わって自分が次期皇帝となるよう立太子する事になった。

そこで初めて自分の父と母だという二人と面会する事が出来たのだが、ルベウスには何の感情も浮かばなかった。

皇帝夫妻と、ごく一部の元老院の者にしか知られて居なかった第二皇子は、その存在を公にされ17歳でお披露目される事が決まった。


ルベウスは憂鬱で仕方がなかった。

相変わらず至宝の玉のごとく美しい紅い眸には、一欠片(ひとかけら)の感情も映す事はなかったが、内心ではめんどくさい事になったと舌打ちする。

世界を壊すために生きている俺が、その世界の皇帝になるなど片腹痛い。

それでも嫌だと駄々を捏ねた所でどうしようもない事は分かっていたので、黙って従っていた。


当初は呪われた皇子だと元老院の貴族たちからは反対の声もあったようだが、ルベウスの息を飲むような美貌と、それに比例する膨大な魔力によってその声も消えていった。

もっとも、その有り余る魔力はルベウスにとっては厄介なものでもあったのだが。


溢れ出る魔力は時にルベウスの身体を内側から焼き尽くそうとするかのように、激しく渦巻き暴れていた。

気が狂うほどの痛みに耐え、それを何とか捻じ伏せて来たもののいつ暴走してもおかしくない。

だが、それすらも本望かもしれないとルベウスは思った。

溜まりに溜まった魔力を一気に暴発させれば、この世界をどこまで壊す事が出来るだろうか。

そんな仄暗い望みを胸の内に秘めたまま、ついに第二皇子のお披露目がされる日がやってきた。


漆黒の髪と紅い双眸を和らげるために、柔らかな色の衣装で盛装するよう進言されたがルベウスはそれを断って敢えて全身真っ黒な衣装に身を包んだ。

華やいだ祝いの席とて、ルベウスにとっては退屈でくだらない余興でしかない。

舞踏会の開かれる大広間に足を踏み入れた時、微かにピリリとした違和感を感じたがそれも一瞬の事ですぐに霧散してしまい、少しだけ気になりながらもおとなしく父皇帝の隣に腰を下ろす。

真っ白なドレスを着た愛らしい令嬢が目の前に挨拶に来たが、まるで興味が湧かなかった。

言葉をかける事すら面倒くさい。

視線だけで頷いて下がるよう合図する。

最初の令嬢は戸惑うような仕草を見せたが、ルベウスの冷たい表情に顔を青くさせたまま下がっていった。

次の令嬢は少々気位が高いようで、何の反応も示さない俺に何度か言葉をかけてくる。

従順に見せかけた所で、その可愛らしい頭の中では突然現れた唯一の皇子がどれだけ自分達にとって有用であるか値踏みしている事だろう。

わざと無礼に見えるように不遜な態度をとり、うんざりしながら黙って見つめているとふいに、ふわりと胸を締め付ける香りがした。

ぴくりと眉を寄せその匂いに釣られるように視線を向けると、そこに夢にまでみたその人が紫の瞳を見開いて立っていた。


あまりにも渇望していたその姿は、もしかすると俺の心が生み出した幻かもしれない。

(まばた)きすれば消えてしまいそうで、息をするのも忘れてそのアメジストの瞳を見つめた。

何か声をかけようと口を開くが、喉の奥で掠れた空気が絡まって出てこない。

激しく高鳴る心臓の音だけが耳の奥で鳴り響き、呼吸すら止めていた事に気づいた時その人がひどく懐かしい声で小さく「…リン?」と呟いた。


もう何も考える事が出来なかった。

無我夢中で抱きしめて自分の腕の中に閉じ込める。


「ルース…会いたかった」


腕の中に確かな体温を感じて、自分の作り出した幻ではないことに心から安堵する。

ゆるやかに巻かれた一筋の青銀のおくれ毛が頬をくすぐって、昔と変わらない花の蜜のような甘い香りに泣きたくなった。

もう決して離さない。

二度と俺からルースを奪う事など許さない。

華奢な背中を抱く腕に力を込めると、ルースは少し苦しそうに身じろぎした。

慌てて抱きしめる力を緩めると、ルースは俺の瞳を見上げて紫の瞳を細めながらそっと白い指を伸ばし、俺の頬に触れる。


「…ルース」


少し震える声で名前を呼ぶと、ルースはふわりと微笑んで


「リン」


と俺を呼ぶ。

くしゃりと紅い眸を歪めて、俺はもう一度ルースを強く抱きしめた。



               ☆   ☆   ☆



舞踏会場は水を打ったような静けさに包まれていた。

初めてお披露目された恐ろしいほどの美貌を持つ皇子殿下に、大勢の貴族達の前で抱きすくめられたルースを見て、父上はポカンとしたように口を開いたまま固まっている。


「リンってば、こんな所に居たんだ」


ふいに聞き慣れた声がして振り返ると、白い騎士服を着たアルマンディンが胸の前で腕を組んで立っていた。


「どーすんの?アンバー」


ゆっくりと僕に近づきながらアルが小さく首を傾げると、ふわふわした赤い髪の毛の下でキラリと片耳のピアスが光る。


「まぁ、遅かれ早かれリンは必ず現れると思ってたよ。だって、ルースがここに居るんだもん」


金色の瞳を細めて抱き合う2人を見つめたまま、アルは唇の端を持ち上げるように笑った。


そう、いつかはこんな日が来ると分かっていた。

それでも出来るだけ長く傍に居たかった。

震える指先を隠すようにギュッと手のひらを握りしめて、僕は小さく息を吐く。


「…アルが言いたい事は分かってる。僕はあいつにこの場所を返さなくちゃいけない」


僕の言葉にアルは「ふ〜ん」と間延びした声を出してその顔から笑みを消した。


「本当に返せんの?お前のルースへの執着も相当なもんだろ」


リンの執着はその比じゃねーくらい凄まじいけどな、とアルが小さく呟く。


「僕はあいつに借りがある」


「それは、お前がオレ達からルースを奪った事について?」


黙って唇を噛み締める僕の肩に腕を置いて、アルは耳元に唇を寄せた。


「お前がオレ達に対して借りがあるって言うなら、オレ達もお前に借りがあんだよ」


僕の顔を覗き込む金の瞳から逃げるように僕はまつ毛を伏せる。


「まぁ、オレとしてはお前が敵前逃亡してこの試合から降りるっつーならそれでも良いよ。でも、本当にそれで良いの?」


アルの金色の瞳が猫のように瞳孔を狭める。


「オレはあの時ルースに誓ったんだ。もう決して同じ事は繰り返さないと。もう誰も失ったりしないと。いいか、よく聞け。お前もルースもリンも、それぞれお互いを失ったかもしんねーけどな、オレはお前ら全てを失ったんだぞ!」


はっとして視線を上げると、アルは今にも泣き出しそうに苦しげな顔をしていた。


「勇者が、英雄が、世界の犠牲になったと言うのなら、お前だってそうだろ?リンは確かにこの世界を憎んでいる。神さえも呪ってた。だけど、お前の事を恨んでは居なかった。リンは知ってるんだよ。お前もオレ達と同じだって。お前も選ばれただけだ。このクソみたいな世界に。

ただ、オレ達は勇者と英雄に選ばれて…」


僕の肩から腕を外し、アルはポンと背中を叩いた。


「お前は魔王に選ばれたってだけの話しだろ?」


囁くような声でそう言って、もう一度僕の背中を軽く叩くとアルは静かにその場から離れて行った。



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