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ハウライト - 菱苦土石 -

「…幽霊?」


こくりと喉を鳴らしてルースが青い顔で(つぶや)く。


「うん。出るんだって、この学園の音楽堂に」


テーブルを挟んだ向かいの席で、赤く艶めく少し癖のある髪をふわふわさせながらアルが小さく(うなず)いた。


「夜、誰も居ない音楽堂のピアノが曲を奏でるんだ。真っ暗な闇の中でひっそりと、片手の無い女の幽霊が曲を弾いている。彼女は待ってるんだって…」


菫青石(アイオライト)のような瞳を見開いて、ルースはもう一度こくりと喉を鳴らす。


「…右手の指だけで、何度も繰り返し曲を弾くんだ。うっかりその曲に誘われてしまった誰かから、失くした左手を奪うために」


ひゅっ…と息を飲んでルースは自分の左手を胸の前でギュッと握りしめ長いまつ毛を(またた)かせた。


「面白そうな話しですね」


ルースの隣にカタリと音をたてて銀のトレイが置かれる。

突然、背後から声をかけられてビクリとルースの細い肩が揺れた。

トレイを待つ黒い手袋に包まれた長い指から肘へと視線を辿り顔を上げると、覗き込むようにルースを見つめる少しタレ目がちな翡翠の瞳と目が合う。


初夏の爽やかな風が吹き抜ける食堂のテラス席には、ランチを楽しむ生徒たちの楽しげな話し声がさざめいていた。

ビュッフェ形式の食堂は専用のシェフが居て、日替わりでメニューを変えながら美味しい食事が提供されている。

テラスには午後の眩い日差しを受けて、リラの木が可愛らしいハート型の葉影を落とし藤紅色の花からは甘い香りが風に乗って運ばれてくる。


藍白の淡い髪色をした前髪をサラリと揺らして、ユークレースは優し気な笑みを浮かべながらルースの隣の席を指さした。


「隣に座っても?」


「はい殿下…、じゃなくて、ユス様」


慌てて言い直すルースにユークレースはクスリと笑った。


「うん。殿下、なんて呼ばれたら寂しいですから。ちゃんとユスと呼ぶよう約束したのを覚えていてくれて嬉しいよ」


ルースは曖昧な微笑みを返して頷いた。

何せ、ユークレースには顔を合わすたびに「ユスと呼んで?」と念を押されるのだ。

間違って「殿下」と呼ぶと返事もしてくれない。

普段は物腰の柔らかな優しいユークレース殿下は、実のところ頑固で意地悪な所があるらしい。

そんなユスの少し後ろには濃い灰銀の髪に琥珀の瞳を待つアンバーが、同じく片手にランチの乗ったトレイを持って立っていた。


「兄様!」


大好きな兄の姿に、ぱっと顔を輝かせるルースを見つめてアンバーは、煮詰めた蜂蜜のような瞳を細め微笑んだ。


「やあ、ルース」


アンバーはユークレースと反対側のルースの隣に腰を下ろした。

どうやら一緒に昼食(ランチ)をとってくれるらしい。

ブラコン気味である事に自覚のあるルースは素直に嬉しく思った。

そこでふと周囲からの刺すような視線を感じて顔を上げる。

ほんのり頬を染めてうっとりと見つめてくる女子生徒たち。

チラチラと意識しながらこちらを伺う者や、立ち止まり釘付けになって振り返る人もいる。


それもそうか、とルースは思う。

まだ学生の身でありながら卒業後は帝国騎士団に入る事が決まっている剣の使い手で、黄金の瞳に燃えるようなルビーの髪を待つ、辺境伯家のアルマンディン

帝国に1人しか居ない癒しの魔力を待ち、翡翠の瞳と夜明けの空を思わせる薄い藍色の髪が美しいジェイド国の王太子ユークレース殿下

そして、帝国で1、2を争うと言われるほどの膨大な魔力と、灰銀の髪に蜂蜜のような琥珀の瞳を待つ人間離れした美貌の侯爵家嫡男であるアンバー

容姿も能力も家柄も最高級の男達が並んで居るのだ。


「それで?」


周囲の事など眼中にもないように、のんびりとした穏やかな声でユークレースが問う。


「その幽霊にはどうして左手がないのですか?」


アルマンディンはテーブルの向こうから身を乗り出すように答えた。


「切り落とされたんだって」


「誰に?」


上品な所作でローストされた鴨肉を切り分けながら、ユークレースは首を傾げる。


「恋人に。彼の大切な物を盗んだらしくて、その罰として恋人に切り落とされたんだってさ」


「他人の物を盗むのはダメですね」


もっともな感想を述べてユークレースは一口大に切り分けた鴨肉を優雅な仕草で口へ運ぶ。


「何も手を切り落としたりしなくても…」


ルースが自分の左腕を右手でさすりながら言う。


「どうせ奪い取るのなら、うっかり引き寄せられた罪のない哀れな他人より、自分の腕を切り落とした元恋人から取れば良いのに。バカなのかな?その子」


アンバーは綺麗な顔をしてその内面はなかなか辛辣(しんらつ)だ。


「だけど、恋人の腕を切り落とすって余程の事なのではないでしょうか?いったい彼女は彼から何を盗んだのでしょうね」


ユークレースは考えるように呟いて、いまだに自分の左手を握りしめたままのルースに気づくとキラキラした王子様の笑顔を見せた。


「あぁ、そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ。ルースの事は私が守ります」


「は?…ルースはオレが守るからお前は引っ込んでろよ」


「不敬ですよ。牢屋にぶち込んで差し上げましょうか」


「卑怯だぞ!身分と権力になんか、絶対(くっ)しねぇ!」


バチバチと睨み合うユークレースとアルマンディンの2人を、呆れた様子で眺めながらアンバーは自分の皿に乗せられたイチゴにフォークを刺して、それをルースに向けて差し出す。


「ルースには僕が居るんだから、2人ともお呼びじゃないのにね?」


ルースが差し出されたイチゴを無意識に口に含んだ瞬間、周囲の視線が刺さるようなものに変わる。

兄妹であっても嫉妬の対象になるのかと、ルースは痛いほどの視線の中で居心地悪く身を縮めた。


「ところで」


アンバーはテーブルに片肘をつき手のひらに顎を乗せたままルースを覗き込んだ。


「そろそろドレスを作りに行かないといけないんだけど、次の休日は明けておいてね?」


「ドレス?」


きょとんとした顔のルースに、アルが横から声を上げる。


「もうすぐ第二皇子のお披露目があるだろ」


「あぁ、そう言えば帝国の第二王子が立太子されるのでしたね。確か、17のお誕生日のお祝いに合わせてお披露目されるとか」


ユークレースの言葉にアルも頷いてルースに言い聞かせるように言う。


「舞踏会だからドレスで参加しなきゃならないんだよ。それが再来月行われる予定だから、急いで準備しないとね」


ルースは少し困ったように眉尻を下げるとアンバーに


「どうしても私も出なきゃダメ?」


と上目遣いに聞く。


「僕だって行きたくないし、行かせたくないよ?でも、これは父上からも厳命を受けているからね」


アンバーは切れ長の瞳を不機嫌そうに眇める

来月には父上もこの舞踏会に出席するために帝都に来る予定だ。


「これがルースのデビュタントだろ?」


アルが身を乗り出してルースに問う。

帝国では早い者は15歳から遅くても18歳くらいまでにデビュタントを行う。


「僕は早すぎると思うんだけどね」


妹を溺愛するアンバーの言葉にユークレースは苦笑いする。


「第二皇子お披露目の皇家主催の舞踏会でデビューするなら、侯爵家としても申し分ないのでは?」


アンバーはさらに不機嫌に眉を(ひそ)めて頷いた。


「そうなんだけどね。父上はルースのデビュタントに見合う格式でお披露目できるこの機会に、さっさと済ませてしまおうと考えているようだけど、僕はそんなに急がなくても良いと思う」


なんなら一生デビューしなくても良いくらいだ、とアンバーは内心で毒づく。

ルース一人くらい死ぬまで僕が養ってやるのに。


「まぁ、気持ちはわかるよ。デビューするって事は婚活市場に身を置くって事だからな。確かにルースにはまだ早い」


うんうん、と頷くアルをユークレースは横目に見ながら


「そうですか?私は待ち遠しいですけどね」


と、うっすら微笑んだ。


「は?」


アルが金色の瞳をパチパチと瞬くと、ユークレースは頬にかかる髪を長い指で耳にかけながら形の良い唇に弧を描く。


「取られる前に取りに行く。デビューすれば正々堂々と求婚できるんですから」


「はぁ~?お前、まさかルースに求婚するつもりか?ふざけんな!」


「私はジェイドの王太子ですからね。家格も釣り合うし、年齢も釣り合う。まさに運命じゃないかな?」


「オレだってカーネリアンの辺境伯の息子だぞ!」


「でも、次男ですし家督を継ぐわけじゃないですよね?」


「オレは卒業後に帝国の騎士団に入るのが決まってるの!」


「なるほどなるほど。残念ながら私は騎士になるのは無理ですね。何せ次代の王位を継ぐ王太子なので」


まさに花がほころぶような笑顔で、まったく残念そうな様子を見せる事なくユークレースが言うと、アルが怒気を纏わせながらガタリと椅子を倒して立ち上がった。


「国ごとまとめて潰すっ!」


「…落ち着け」


アンバーはうんざりしたように火花を散らす二人を制止すると、その場に居る誰よりも低い声で貼り付けた笑みを浮かべる。


「安心しろ。ルースはどっちにもやらん」


睨みあう3人の間で、ルースは自分のトレイに乗ったグリンピースをフォークで(つつ)きながら溜息を零した。


私が目指すのは騎士だ。結婚なんてしてしまっては騎士になる夢は叶えられない。

夫となる人に私の人生を(ゆだ)ねて、与えられる物だけに満足して生きるなんて絶対に嫌だ。

どうせ結婚するつもりなどないのだから、デビュタントもしなくて良いのではないだろうか。

侯爵家の娘として果たさなければならない義務があるのはわかっている。

だけど、どうしても騎士になる夢を諦めることができなかった。


どうしてそんなに騎士になりたいのか、父様にも聞かれた事がある。

「私には魔力がないから、せめて剣が使えるようになりたい」幼いルースはそう答えた。

それは本心ではあったものの、それだけが理由ではない。

自分の心の中を明確な言葉にできるほど、ルース自身にもハッキリ分かっているわけではなかった。

だけどルースは物心つくよりも前から剣に対して、ひとかたならぬ強い想いがある。

「なぜ」「どうして」なんて疑問を抱く余地すらないくらい、ただ惹かれるのだ。


それは例えるなら、まるで魂が求めているようだった。

何ものも恐れない不屈の精神を、空を切って煌めく銀の剣筋を、ずしりと重い剣身を軽々と片手で制すしなやかな筋肉を…


ふと、脳裏に朧げな記憶が浮かぶ。


光を映して色を変える黒い瞳が、射竦(いすく)めるように見つめる視線。

きつく抱きしめられた腕の強さ。

お互いの鼓動だけを聞きながら繋いだ指の温もり。

点滅する光のようにそれらの記憶が浮かんでは消えてゆく。

あれは誰だろう?

私は誰を思い描いているのだろう。


ズキリとこめかみに痛みが走った。

何かを思い出しそうなのに、後少しで届かない。

確かにそこにあるのに、触れる事が出来ないもどかしさにギュッと眉を寄せる。


「ルース?」


アンバーがルースの様子に気づいてそっと背中を支えるように肩を抱いた。


「どうしたの?大丈夫?」


ルースは青ざめた顔のまま小さく頷いてアンバーの顔を見上げた。

どこか懐かしさを覚える綺麗な顔が、心配そうに自分を見つめている。

毎日目にしている見慣れた兄様の顔が懐かしいと感じる自分に困惑する。

それに、うっすらと浮かぶ記憶にある瞳は兄様とは違う闇のように黒いオニキスに似た黒なのに。


「ルース?」


アンバーの声にルースはふるりと小さく頭を振って、よく分からない感覚を振り払う。


「兄様がこのグリーンピースを食べてくれたら大丈夫になると思う」


アンバーはきょとんと瞳を瞬かせると、さっきからルースがフォークで(つつ)いて皿の上で転がしている緑の豆に目をやり口角をゆるく上げて笑った。


「好き嫌いはダメだよ」


優しく諭すアンバーとは対照的にアルは頬を緩めて呟く。


「グリンピース食べられないルース可愛い」


「私が代わりに食べてさしあげます」


あーん、と口を開けて「食べさせて」とアピールするユスに冷たい視線を向けてアンバーはルースを守るように自分の方に引き寄せた。


「ここは危険だ。食べ終わったら早く出よう」


「あ、私は図書室に行かなくちゃ!」


慌てて立ち上がるルースにアンバーも釣られたように席を立つ。


「一緒に行こうか?」


「借りてた本を返すだけだから大丈夫!」


自分のトレイを持ってアルとユスに「失礼します」と断りを入れると、ルースは大急ぎで返却期限が今日までの本を取りに教室に向かった。



               ☆   ☆   ☆



窓を激しく打ち付ける雨音と、隙間風が吹き抜ける時に上げる悲鳴のような音が交じり合い、ルースは冷たいシーツの上で小さな身体を丸めて耳を塞いだ。

古びた教会にはあちこちガタがきていて、強い風に煽られると木の扉や窓枠がガタガタと震えて音をたてる。

怖くない、怖くない、と幼いルースは自分に言い聞かせるように呟いた。


カーテンの向こうが一瞬、真っ白な光で包まれる。

その刹那、空気を震わせるような雷鳴が響いた。

ビクリと大きく背中を震わせて、ルースは涙でにじむ紫の瞳をギュッとつむる。

ドクドクと首元で脈打つ心臓が全速力した後のように早いリズムを刻んでいた。


「ルース」


優しく自分を呼ぶ少年の声にパチリと目を開き、頭の上まで被っていた毛布からそろりと顔を出す。


「俺のベットに来るか?」


コクコクと頷く幼いルースに、2つ年上の少年が片手で毛布を持ち上げて「おいで」と呼ぶ。

その言葉に、ルースは勢いよく自分のベットを飛び出すと自分のとは反対側の壁に寄せられた少年のベットに潜り込んだ。


「泣いてたのか?」


冷たい身体を腕の中に抱き寄せて、少年はルースの小さな背中をトントンとあやしながら柔らかな銀の髪に顔を埋める。


「大丈夫。俺が守るから、泣かないで」


あんなに荒れ狂っていた心臓がゆっくりと落ち着いてゆくのをルースは感じていた。

トクン…トクン…とお互いの鼓動が重なって、いつしか同じリズムを刻む。

自分よりも高い少年の体温と、森の中の木々に似た優しい匂いに包まれてルースはそっと目を閉じた。

トクン…トクン…トクン…

二つの心臓が重なる音を聞くのがルースは好きだった。


「ルースは花の匂いがする」


少年は自分の腕の中にルースを閉じ込めたまま、優しく青銀色の髪を撫でる。

ルースより少し濃い灰銀色の髪と、優しく細められた黒い瞳。

幼いながらにうっすらと筋肉をつけた長い手足。

いつでも、どんな時でも、この腕が自分を守ってくれる。

この場所がルースにとって世界で1番、安心できる場所だ。

あんなに怖かった雨の音も、少年の力強い心臓の音に掻き消されて、ルースの耳に優しく響いてくる。


「ルース」


まだ幼さの残る少年の声を子守唄代わりにそっと長いまつ毛を閉じた。


「ルース…」


大好きな優しい声。

沈むようにゆっくりとルースは眠りの淵へと落ちてゆく。


「…ルース」


軽く背中を揺すられる


「ねぇ、ルース、起きて」


まって、あと少し…

もう少しだけこのまま…


「ルースってば、起きて!」


はっと目を覚ますと、私を見つめる蜂蜜色の瞳がほっとしたように柔らかく緩んだ。


「起きた?こんな所で寝てたら風邪ひくよ」


「兄様?」


ゆっくり顔を上げると、兄のアンバーがさっきまで私が突っ伏していた、机の上に広げたままのノートを長い指でトンッと叩いた。


「試験勉強?」


「もうすぐテストだから」


乾いた紙とインクの匂いがする図書室には、数人の生徒が居てチラチラと兄様を見ている。

うーん、と両手を上に伸ばしてふわぁっとあくびを漏らすと、兄様がクスリと笑う気配がした。


「ほっぺたに(よだれ)の跡がついてるよ?」


「っえ⁉︎」


慌てて両手でゴシゴシとほっぺを擦ると、兄様はお日様みたいな笑顔を浮かべて吹き出した。


「…ぷっ!くく…嘘だよ。あぁ、ダメだよ。そんなに強く擦ったら傷になってしまう」


優しい蜂蜜色の瞳が深い琥珀に色を変える。


「ほら、赤くなってる」


私の手をそっと外して、親指で頬を撫でながら兄様が顔を覗き込み、切れ長の瞳を細めた。


「ほら、早く準備しないと午後の授業が始まっちゃうよ」


夢の名残りを纏わせながら、夢の中の少年に似た面影の兄様の顔を、私はぼんやりと見つめていた。

瞳の色は違うけど、髪の色も声質も似ている気がする。

私にじっと見つめられて、兄様は少しだけ首を傾けると小さく問いかけるように片眉を上げた。


「図書室で勉強してたらいつの間にか眠ちゃったみたい」


軽く両目を擦って、大きなあくびを噛み殺しながら、開いたままだったノートを閉じて立ち上がる。


「兄様のおかげで午後の授業に遅れずに済んだわ」


「それは良かった。ほら、急がないと遅刻するよ?」


壁にかかった柱時計に視線を向けてアンバーが言う。

もうすぐ昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る頃だ。


「ほんとだ!」


慌てて兄様に手を振ると騎士科の校舎に向かって図書室を飛び出す。


「兄様!また後で!」


ひらりと片手を振りながらアンバーは優しくルースの背中を見送った。



               ☆   ☆   ☆



「今日の授業は剣気についてだ」


剣術の教師であるピーターサイトは白い手袋に包まれた手を腰の後ろで組み、ピシリと整列した生徒の列の間をゆっくりと歩きながら話す。


「剣気とは、己の魔力を覇気に乗せ剣に纏わせて放つ力の事だ」


騎士科と言う事もあって、まだあどけなさを残す少年たちであっても、皆それなりにしっかりとした筋肉に覆われた体格の良い者たちばかりだ。

その中に一人だけ、明らかに周囲とは違う小柄な少女が居るのを見つけ足を止める。


「剣気を込める事によって、通常では斬れない岩や金属などの硬い物、逆に空気や水など形をなさない物も斬る事ができる」


背筋を伸ばし、ぐっと顎を上げて真っすぐ前を向いて立つ少女の姿にピーターサイトは灰色の瞳を少しだけ細めた。


「見ていろ」


再び足を進めながら自分の腰に()いた剣を左手でスラリと抜いて、整列する生徒たちの前に出ると、自分の剣に魔力を集め剣気を込める。

たちまち足元からピーターサイトを取り巻くように風が渦を巻いて吹き上がった。

それを20メートルほど先にある(まと)に向かい薙ぎ払うように剣を振るうと、風が幾つもの刃となって的を切り刻み引き裂いた。


「俺は風属性の魔力を持っているので纏う剣気も風になる。炎や雷、水など自分の適性をしっかり把握して最大限の効果を得られるよう剣技を鍛えるように」


灰色の目がひたりとルースを捉える。

魔力を持たないルースは、ピーターサイトの見透かすような眼差しにきゅっと唇を噛んだ。


「…では、次に剣に魔力を纏わせる方法を説明する」


ふいっと視線を外して最前列に居た男子生徒を前に呼ぶと、ピーターサイトは魔力の流れをコントロールする方法を幾つか実践を交えながら説明し始めた。


「ねぇ」


ルースの隣に立つ少年が小さな声で囁いた。

一通りの説明を聞いた後、生徒たちは各人それぞれ剣に魔力を集める練習をしている中、魔力を持たないルースはその様子を見つめて立ち尽くしていた。


「魔力がないってほんと?」


同じ騎士科一年生のハウライトがルースに向かってニッと人懐こい笑みを浮かべて言う。


「お前、魔力ないんだろ?」


色素の無い真っ白な髪を短く刈り込み、それとは対照的な浅黒い褐色の肌と桃色の瞳を持つハウライトは悪びれる様子もなくルースに問うと、返事を待たずに自己完結するように頷いた。


「うんうん。わかるよ。俺も魔力少ないからさ。肩身狭いよな~」


そう言って腕組みしながら大げさに眉根を寄せて、したり顔をして見せる。


「ピーター先生は帝国の元第一騎士団 副団長だけどさ、第三騎士団みたいに魔力なしでも充分戦えるんだから俺らにもチャンスはあるって。魔力がなければ無いなりの戦い方があるんだし」


「先生は元副団長なの?」


紫の瞳を瞬いてルースが問うとハウライトは「うん」と大きく頷いた。


「しかも第一騎士団の副団長だぞ。帝国には第一から第三まで騎士団があって、魔法剣士は第一騎士団。騎士団の中の超エリート。主に皇族の護衛や魔物討伐を担ってる。 第二騎士団は魔力があっても覇気までは使えない騎士がほとんどで、国境の警備や他国への牽制が任務だな。第三騎士団は魔力を持たない騎士たちで帝都内の治安維持が主なお仕事」


そこまで言うとハウライトは少し声を落として


「噂だけど、超エリートの第一騎士団の副団長だったピーター先生は魔物との戦いで傷を負って利き手が使えなくなったらしいよ。それで第一騎士団を退いて今は騎士の卵を育てる教員として学園に居るらしい」


と、耳打ちするように話した。

ルースはピーターサイトの白い手袋に包まれた手を無意識に見つめると、そう言えばさっきも左手で剣を振るっていたなと思い出す。


「ま、何にせよ俺たちみたいに魔力が少ない奴らはひたすら身体作りと剣技を磨くしかないさ」


ハウライトの言葉にルースも頷いて同意してはみたものの、鍛えてもなかなか筋肉が付かない自分の手をじっと見つめて溜息を零してしまう。

それに気づいてハウライトは唇の端を上げて笑った。


「同じ事だよ。魔力がないなら無いなりの戦い方があるって言っただろ?でかい奴にはでかい奴の、小柄な奴には小柄な奴の戦い方ってのがあるんだよ」


くしゃりとルースの頭を撫でてハウライトは白い歯を覗かせながら悪戯っぽく片目をつぶる。


「うん、ありがとう」


ルースは見つめていた自分の手を握りしめた。

強くなりたい。そして今度こそ必ず守るのだ。

そこまで考えてふと首を傾げる。

今度こそ?誰を守ろうと言うんだろう。

自分で自分の感覚に疑問を持ち少し眉を寄せた。


「難しく考えるなって!騎士科に入れただけでも、充分素質はあるって事なんだからさ!」


ハウライトのお日様みたいな笑顔に、ルースも今度は明るい笑顔を返した。


「でもさぁ、見た目だけならお前も相当な魔力持ってそうなのにな」


う~む、と首を捻りながらハウライトはルースを上から下まで眺めて言った。


「魔力持ってるやつらって、その魔力量に比例して容姿が整ってるだろ?」


お前の兄貴とか、アルマンディン先輩とか、ユークレース殿下とか、とハウライトは指を折って他にも何人かの名前を挙げる。


「やっぱ魔力が強い人ほど人間離れした綺麗な見た目してるし、それから考えるとお前もかなり強い魔力待っててもおかしくないのにな」


「第一騎士団の魔法剣士って、どのくらいの魔力があればなれるのかな?」


ルースの問いにハウライトは考えるように首を傾けた。


「アルマンディン先輩は規格外だから、あのレベルの騎士はそうそう居ないと思うよ。あそこまで魔力があれば騎士じゃなくて魔法科でもトップレベルだと思うし。普通、使える属性だって一つか二つくらいだろ?第一騎士団の副団長まで勤めたピーター先生でも風魔法だけだしな。でも、そう考えるとピーター先生って魔力持ちなのに(いか)ついよな。美人って言うよりは男前だし」


「俺は魔力はあるがそこまで豊富に持ってるわけじゃない」


ハウライトとルースの会話に突如、別の声が割り込んで二人はビクリと肩を揺らした。


「俺は人並みより少しだけ強い魔力はあるが、それよりも腕力の方が自信あるぞ」


ピーターサイトはニヤリと片方の唇を引き上げて笑うと、大きな手のひらでガシリとハウライトの頭を掴んだ。


「努力すればお前らだって副団長くらいなれるかもしれんぞ?」


ワシワシと豪快にハウライトの白い髪をかき混ぜながらピーターサイトは笑った。


「先生!やめてー!ごめんなさいー!」


ピーターサイトの腕から逃れようとジタバタ暴れるハウライトを見て、ルースは可笑しそうに片手で口元を隠した。


魔力がなくても騎士にはなれる


その言葉がとても嬉しくて、ルースは緩む口元を戻せなかった。



               ☆   ☆   ☆



「騎士にさ〜、詩の暗記とか本当に必要?」


立てた教科書の向こうでハウライトは机に頬を乗せて、本日16回目になる溜め息と共に泣き言を吐き出した。


「基礎学力は必要でしょ」


私の言葉にむぅっと頬を膨らませると、もう一度大袈裟な溜息を吐く。


「一般科は通常のテストだけじゃん?騎士科は筆記テスト終わったらすぐ、剣の実力テストもあるしズルくない?」


「それ言うなら魔術科もだよ?」


「魔術科は別格!」


「確かに別格かも。基礎学力のテストに加えて魔法陣や薬草の知識、自分の待つ魔力属性の理解についてのレポートと定期的な魔力測定…。兄様の教科書見せてもらったけど、あんなに複雑な魔法陣なんて私は1つも覚えられる気がしないもん」


「ルースの兄貴って幾つ属性持ってるの?」


「火、水、土、風、雷、の5つかな」


「全属性じゃん!それ全部レポート書いてんのか!?」


うへ〜と心底うんざりした様子でハウライトは眉を顰めて見せた。

放課後の図書室には試験前と言う事もあり、私たち以外にもたくさんの生徒たちが思い思いの勉強をしている。


「よし決めた。俺は古文は捨てる」


強い決意を込めて言うハウライトに思わず苦笑いしてしまう。


「何言ってるの。苦手な所を頑張らないとだよ?どこが分かんないの?」


「俺は暗記とか出来ねぇ脳みそなの!その代わり数学は自信ある」


「数学だって数式覚えないといけないでしょ」


「それとこれとは違うんだって」


ゴホンッ!と司書の先生のわざとらしい咳が聞こえ、ハウライトは「やべ」と声をひそめてペロリと舌を出した。


「真面目にやるか…」


18回目の溜め息を()いて教科書を開くハウライトに苦笑しながらルースも自分のノートに視線を落とした。

カリカリとノートを引っ掻くペンの音だけが響く中で、ルースは帝国史の教科書に集中する。


1000年前、この地は幾つもの小国があり領地を巡り血で血を洗う乱世の時であった。

魔物が蔓延(はびこ)り人と人、人と魔物が絶えず戦う混沌の時代でもある。

帝国の始祖は勇者であると誰もが知っているが、実際に国を興したのは勇者と共に戦った英雄の一人、智のシトリンだと言われている。


勇者は自らの魂と共に魔王を封印し、その命を落とした。

その時、勇者と魔王の魂を縛るために使われた剣がこの帝国の地にあるのだと言う。

魔物との戦いで英雄の一人である癒しのジェイドも命を落とし、残された3人の英雄のうち剣のカーネリアンと盾のフリントの2人もまた、後を追うようにこの世を去った。

1人残された智のシトリンは勇者と魔王を封印した剣を守るため、この地に帝国を築く。

そして帝国を囲むように英雄の名前を冠した国を四方に置き、それから約1000年もの永き間この地は安寧秩序(あんねいちつじょ)を保ってきた。


そこまで読んで私はふとシトリンはどうなったのだろう?と思う。

魔物との戦いでジェイドが死に、勇者は魔王と共に封印され、カーネリアンとフリントも何らかの理由で命を落とした。

ではシトリンの最期はどうなったのだろう。


帝国の初代皇帝の名はオブシディアンと言う。現帝国の名と同じだ。

そう言えば、アル様は自分の事をカーネリアンの生まれ変わりだと言っていた。そしてユス様はジェイドの生まれ変わりだと。

ならばフリントとシトリンも居るのだろうか。

今度2人に聞いてみよう。


とりとめもなく考えていると、いつの間にか窓の外は薄闇に包まれていた。

隣に座って勉強していたはずのハウライトは、気持ちよさそうに自分の腕を枕代わりにして机に突っ伏して眠っている。

周りを見ても図書室に残っているのは私とハウライトだけのようだ。


「ハウライト、起きて」


私が肩を揺すると、ハウライトは眉を寄せながら大きな欠伸(あくび)をして桃色の瞳を瞬いた。


「もう朝か?」


「何言ってるの。もう夜だよ。寝ぼけてないで起きて」


「んー、眠い…」


「ハウライトは寮だっけ?」


「うん、そう。お前は家から通ってるんだよな。御者が待ってんじゃねーの?」


「心配してるかも。兄様が探しに来る前に帰らなくちゃ」


2人で急いで教科書とノートを片付けると図書室を後にした。

特別棟の校舎の薄暗い廊下を抜けて、渡り廊下に出るとザワリと風に煽られた木々の葉が揺れて私はブルリと肩を震わせる。

5月とは言え日が落ちると肌寒い。


ハウライトの背中を追うようにパタパタと廊下を歩いていると、突然ハウライトが立ち止まった。

危うく背中にぶつかりそうになりながら、私も足を止めるとハウライトが肩越しに振り返り


「何か聞こえね?」


と言う。

首を傾げながら耳をすますと、確かに葉擦れのざわめきの中に微かな音が聞こえる。


「…ピアノ?」


私の呟きにハウライトが青い顔で私の後ろに回り込んできた。


「まさか、ウワサの幽霊?」


「え?…まさか」


「だよな、まさかな…」


ごくり、とお互い喉を鳴らして顔を見合わせる。

するとまたピアノの音が聞こえてきた。

今度は曲を奏でているのが分かるくらいハッキリと聞こえた。


「やべー!!絶対、幽霊じゃん!」


「やめて!早く帰ろ」


「ルースが先行って」


「何でよ!ハウライトが先行って!」


「俺は魔物なら怖くねぇけど、殴れないものは無理なんだ!」


「大丈夫、ハウライトなら出来る。やれば出来る。きっと出来る」


「無理 無理 無理!」


お互いに押し合っていると


「何やってるの?」


ふいに背後から声がして、私とハウライトは飛び上がって振り向いた。


「どうしたの?2人とも」


そこには帰りが遅くなった私を心配して探しに来た兄様が、きょとんと首を傾げて立っていた。


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