ユークレース - 脆玉石 -
帝都は春を盛りと咲き誇る色とりどりの花々に彩られ、人々の活気に包まれた美しい都市だった。
多種多様な様式が混ざり合い、独特の雰囲気がある。
四方を帝国に属する4つの国に囲まれているため、それぞれの文化が絶妙に入りこみ溶け込んでいるのだろう。
色彩豊かな織物や、新鮮な果物と珍しい野菜。焼きたてのパンの香りに、沢山の種類のスパイスが並ぶ市場。
石畳の道を歩く蹄の音と、行き交う人々の明るい笑い声。
庭先にはハナミズキの淡い紅色の花が可愛らしく花びらを綻ばせ、フリージアの甘い香りがふんわりと風に運ばれてくる。
通りに植えられた街路樹のミモザは黄色い花の房を青空に伸ばし、鮮やかなコントラストで目を楽しませてくれた。
そんな帝都のど真ん中、帝城のすぐ傍にジェムストーン学園は威風堂々と建っている。
敷地の真ん中にある広々とした広場を、石造りの重厚な建物がコの字に囲むように建っていて、大きな門をくぐると正面に噴水がありその向こうにあるのが一般教養科、右側に騎士科、左側には魔術科とそれぞれ校舎が分かれている。
校舎から少し離れた奥にある、バラ園を挟んだ向こう側にレンガ造りの円柱の塔が建っていて、そこは薬草や魔道具の研究施設になっているのだと兄様から教えてもらった。
そのすぐ隣に騎士科の鍛錬場があり、一般科の校舎と渡り廊下で繋ぐように図書室や職員室のある特別棟が建っている。
ルースが所属する騎士科は魔術科ほどではないにしても、入るにはそこそこ難しい条件があった。
まず、ある程度の剣の腕前が必要になるため、現役の騎士団に所属する部隊長以上の役職を持つ者、もしくは出身国の王族からの推薦が必要だ。
これについては、剣術の家庭教師として教えを乞うた、自国の騎士団に在籍している近衛騎士団長から推薦状をもぎ取った。
ルースは5歳の頃から兄様と同じ鍛錬を必死でこなし、ひたむきに努力を重ねてきた。小さな手のひらには幾度もマメが出来てはつぶれて、体中アザだらけになりながらも必死で掴んだ推薦状だ。
初めて騎士科の制服に袖を通した時には、今までの努力が実を結んだ達成感で胸が熱くなった。
その憧れの騎士への第一歩を踏み出すために、ルースは逸る気持ちを抑えるように学園の門の前に立ち大きく深呼吸した。
真っ白な詰襟の制服には金糸で繊細な刺繍がしてあり、金の釦には帝国の紋章である剣を抱く龍の姿が刻まれている。細身のパンツのサイドには金糸で校花の蔓バラの模様が刺繍されていて、黒い剣帯が差し色になり、華やかな中にも落ち着いたデザインになっていた。
青銀色の長い髪を頭の高い位置で1つに結び、腰には使い込まれた柄に不釣り合いの真新しい鞘に収められた剣を差している。
「本当にその剣で良いの?」
兄のアンバーが心配そうに、腰の剣を見て言う。
「この剣が良いの」
私はそっと腰に差した剣の柄を撫でた。
この剣はあの日、帝都に向かう途中で魔物に襲われて命を落とした護衛騎士が使っていた剣だ。
鞘は騎士の身体ごと蛇の胃袋に収まってしまっていたので、後日、剣に合わせて鞘だけ新調してもらった。
彼はまだ若い騎士だった。
5年ほど前に騎士科を卒業して侯爵家の護衛として雇われた子爵家の三男で、いつかは王宮騎士団に入るのが夢なのだと言っていた。
生まれて初めて目にした魔物に、私が怯えたりしなければ、しっかり戦う事が出来ていたなら
誰かを守る事までは叶わなくとも、せめて足を引っ張るような事がなければ、あの若い騎士は命を落とす事はなかったかもしれない。
自分の命を賭して私を守ろうとしてくれた、彼への感謝と自分への戒めのために私はこの剣と共に騎士への道を志すと決めた。
幼い頃から憧れた騎士の姿に、少しでも近づけるように。
私はぐっと顎を引き、真っ直ぐ前を向いて門を潜ると、入学式が行われる講堂へと向けて足を踏み出した。
☆ ☆ ☆
人混みの中を泳ぐようにすり抜けながら、前を向いて歩くルースの姿に、周囲の人達が息を呑むのが伝わってきてアンバーは小さく嘆息した。
生まれてから今まで、ルースは自国の領地から出た事はない。
家族であるベリル侯爵と兄のアンバー、そして屋敷の使用人達以外とほとんど関わる事なく育ってきた。
それはひとえに、ルースの生まれについて自国の王家との密約があっての事なのだが、当の本人であるルースはそれについて何も知らない。
出来る事ならこのまま、領地に閉じ込めて死ぬまで手元に置いておきたいと心の底から願っていたのだが、そうも言って居られない事態が起きてしまったのだ。
色素の薄い、透き通った白い肌。それ自体が輝くような光を放つ青銀色のまっすぐな長い髪。ぱっちりと大きな瞳は澄んだアメジストの紫で、お人形のように長いまつ毛がくるりとカールしながら瞳を縁取っている。薔薇の花びらのような愛らしい唇と小さな鼻。小柄ではあるけれど、長い手足が優雅な足取りで歩く様は、見る者を惹きつけ息を飲ませる。
ルースの数歩後ろを着いて歩きながら、アンバーは自分の大切な妹の背中を見つめて苦悩していた。
性別こそ違えど、その姿は前世と変わる事なく1000年の時を経ても輝きを失う事はない。
あの時、約束した通り今世ではルースが生まれた時からずっと傍に居てこの手で守ってきた。
このまま自分の腕の中に閉じ込めて誰にも見せず、一生傍に存れたらと今も強く願い続けている。
それが叶わないと知ったのは、3年前に帝国の皇太子であった第一皇子殿下が急逝された時だった。
帝国中が悲しみの中で一年の喪に服し、皇家はその後さらに2年の間喪に服した後、それまで存在が隠されていた今年で17歳を迎える第二皇子殿下が立太子される事になり、そのお披露目が第二皇子殿下の誕生祝いと共に行われる事になった。
それに伴い、帝国中の15歳以上の貴族の娘がそのお披露目に招待されるのだと言う。
簡単な話、お見合いを兼ねての顔合わせと言う訳だ。
今まで第二皇子は、その存在自体が隠され表に出てくる事はなかった。
皇太子殿下が狩の最中に落馬され、不幸にも薨ずられてから、帝国中が喪に服している間も第二皇子殿下の存在を誰も知らなかった。
唯一の皇子であると思われていた皇太子殿下を亡くし、現皇帝の後継についてどうするのかと、元老院でも日夜話し合いが重ねられ、3年もの月日が流れてからやっと第二皇子殿下の存在が明らかにされたのだ。
どうして帝国の皇子でありながら、その存在そのものを秘匿されてきたのかについて貴族達だけにとどまらず平民の間でも真偽不明の噂がまことしやかに囁かれている。
第二皇子は病弱でとても二十歳まで生きられないから、だとか
とんでもなく醜い容姿をしていて人前に出られないからだ、とか
実は呪われている皇子だからなのでは、だとか
皇后の不義の子なのではないか、等その噂は様々だ。
そんな訳で第二皇子は、皇族としては珍しく未だ婚約者が居ない。
立太子されるにあたり喪が明け次第、慌ててお相手を見繕う算段なのだろう。
帝国の盾であるフリント国の侯爵家に生まれたルースも、例に漏れずこれに「必ずご参加下さいますように」と招待を受けている。
アンバーは蜂蜜色の瞳を歪めてもう一度深く溜め息を吐いた。
本当は何もかもが嫌だった。
そんなお見合いパーティーのような場所に可愛いルースを連れて行かなくてはならない事も、帝国の貴族として義務付けられている学園への入学も、脳筋が集まった騎士科の狼の群れの中にルースを送り出す事も。
何もかもが気に入らない。
自分の夢に向かって紫の瞳を輝かせるルースとは相反するように、アンバーの心はドロリとした昏い感情で埋められてゆく。
ダメだ。こんな負の心に飲まれてはいけない。
もう2度と間違えないと決めたのだから。
何より、ルースの望む未来を僕が守ってやると誓ったのだから。
心持ち緊張で強張らせた顔を上げ、胸を張って歩くルースの小さな背中に、アンバーは3度目の溜め息を落とした後いつもの優しい兄の笑みを貼り付けた。
「兄様、見て!」
ふいにルースが振り返り、広い講堂の入り口を指差した。
そこには在校生である生徒が花籠を腕にかけ、講堂に入る新入生の胸にピンク色の可愛らしいラナンキュラスの花を刺してやっているのが見える。
「ルースも貰っておいで」
柔らかな声でアンバーが言うと、ルースは少し恥ずかしそうに頬を染めながら頷いて花籠を待つ上級生の方に向かって駆け出した。
立派な制服を着ていても、中身はまだまだ幼さを残した少女のままだ。
ルースの背中で揺れる銀糸の髪を見つめて、アンバーは緩く口端を引き上げて微笑みかけ、突如はっとしてその場から駆け出した。
「見つけた」
小さな呟きと共に握られた右手首に、ルースは驚いたように目を見開いて立ち止まる。
そのルースを後ろから抱きしめるようにアンバーが、ルースの手首を掴む男の腕を掴んでいた。
☆ ☆ ☆
突然掴まれた手首に驚いて、私は目の前の新緑に似た碧緑の双眼を見つめた。
顎のラインで切り揃えられた藍白の髪に、少しタレ目がちの翡翠のような碧の瞳。
黒地に銀の刺繍が入ったローブを纏い、黒い手袋をはめている。
絵本の中の王子様が抜け出してきたようなその人は、私の手首を掴んだまま信じられないものを見るように、その目を見開いて固まっている。
「放せ」
兄様が私を後ろから抱きしめて、その人の腕を掴み短く言うと
「あ、あぁ…ごめん」
と、慌てたように手を放して、彼は私をじっと見つめたまま謝った。
「まさか、こんな所で会えるなんて思ってなくて…」
薄い藍色の髪にクシャリと指を差し入れて、その人は泣き笑いのような顔をしていた。
「どこかでお会いした事がありましたか?」
おずおずと私が問うと、彼は礼儀正しく優雅な仕草で挨拶してくれる。
「失礼いたしました。私はジェイドから参りました、ユークレース・ルチル・ジェイドと申します」
「ジェイド...様?...って、まさか」
国名を冠する名を持つ意味に気づいた私の言葉を肯定するように、兄様が胸に手を当て深く腰を折って礼をする。
「ジェイド国の王太子殿下にご挨拶申し上げます。私はフリントより参りました、ベリル侯爵家の嫡男アンバーと申します。こちらは妹のルースです。ご無礼をお詫び致します」
「いや、私が最初に失礼な事をしてしまったから。気にしないで欲しい」
「失礼致しました。ジェイド国の王太子殿下にご挨拶申し上げます」
私も慌てて膝を折って礼を取ると、殿下は困ったように眉尻を下げて笑った。
「本当に気にしないで。学園では共に学ぶ身で皆同じ立場だ。最初に驚かせてしまった私に非があるのだから、これ以上の謝罪は不要だよ。それにしても、驚いたよ。まさかここでルースに会えるなんて…」
嬉しそうに目尻を下げて微笑むユークレース殿下に私はまたしても小首を傾げる。
知らない人からこんな風に話しかけられるのはこれで2度目だ。
軽く既視感を覚えていると
「あれ~?皆そろって何やってんの?」
と、のんびりした声が割り込んできた。
「アルマンディン様」
ルビーのような燃え立つ赤い髪をふわふわさせながら、人懐っこい笑顔を浮かべてアルマンディン様がこちらに向かって歩いてくる。
「ルース!久しぶりだね」
アルマンディン様は金色の瞳を輝かせて、お日様みたいな笑顔を見せると私にギュッと抱き着いてきた。
この方の距離感はどうなっているのだろう。
「久しぶり?…昨日もうちのタウンハウスに押しかけてきて日が暮れるまで居座ってた奴が…久しぶりだって?」
呆れたように兄様がアルマンディン様を睨んで眉を顰める。
「昨日別れてから12時間ぶりだもん。充分ひさしぶりでしょ?」
「僕が追い出さなければ朝まで帰らないくせに」
むぅっと頬を膨らませるアルマンディン様から私を引き離して兄様はわざとらしくため息を吐く。
「えぇっと…もしかして、リアン?」
ユークレース殿下がアルマンディン様を覗き込むように問いかけると、今気づいたとばかりにアルマンディン様が金色の瞳をパチパチと瞬いた。
「あれ?ジェイド?うわぁ~めちゃくちゃ久しぶりだね!1000年ぶり?」
「リアンは相変わらずだね」
ユークレース殿下はくすりと笑って碧緑の瞳を細めた。
灰銀の髪に煮詰めた蜂蜜のような瞳の兄様と、ルビーのような燃え立つ赤い髪に金色の瞳を持つアルマンディン様。そして藍白色のサラリとした髪に翡翠の瞳の優し気な雰囲気を持つユークレース殿下。
3人の見目麗しい美丈夫たちに囲まれて、私は周囲の視線が痛いほど刺さるのを感じていた。
この3人、とにかく目立つ。スラリとした長身に加えて、その容貌が三者三様に整っている事もあり、誰もが振り返り、または立ち止まって見惚れている。
私の頭越しに会話にいそしむ3人の間で、私はできる限り身を小さくして縮こまっていた。
そんな私の気持ちを知ってか知らずなのか、アルマンディン様は屈託のない笑顔で私に話しかけてくる。
「その制服、ルースは騎士科に入るの?オレも騎士科なんだよ!ルースの1つ先輩だけどね。お揃いの制服、嬉しいな~」
「私は癒しの魔力持ちで、強制的に魔術科への入学が決められているからな…」
残念だ、とユークレース殿下が肩を落とした。
「私もルースと一緒が良かったのにな」
「ジェイドは1000年前から癒し担当って決まってるんだから仕方ないよね〜」
アルマンディン様はニコニコしながらそう言って私に向かってユークレース殿下を指差した。
「こいつも前世でオレたちの仲間だったんだよ。こう見えてめちゃくちゃ根暗で、今でこそ爽やかイケメン風に装ってるけど、本当はムッツリだから気をつけてね?」
「おい、やめろ?不敬だぞ」
ユークレース殿下はにっこりと微笑みを浮かべたまま、アルマンディン様のふわふわ癖のある赤い髪にゴツンと拳骨を入れる。
「っいってぇ…!」
殴られた頭を撫でながらアルマンディン様が唇を尖らせてユークレース殿下を横目で睨んだ後
「それにしても」と、話題を切り替えた。
「前世の仲間がこうも集まるって言うのは、面白いな」
アルマンディン様は考え込むように指先で自分の顎をトントンと叩いて首を傾げる。
「シトリンも近くに居るのかもしれないね」
ユークレース殿下が嬉しそうに頷くのを、兄様は黙って聞いていた。
普段から物静かではあるものの、いつも以上に口数の少ない兄様に私は少しの違和感を感じて見つめていると、それに気づいた兄様が優しく微笑んだ。
「...ルース。そろそろ行かないと式が始まってしまうよ」
兄様が指さす先で、花籠を持った上級生たちがこちらを伺うように見てるのに気づいて、私は慌てて辞去の挨拶をした。
「申し訳ありません、今から入学式なので失礼致します」
「私もだ。一緒に行こうか?」
ユークレース殿下が微笑んで左手を差し出してくれる。
私がちらりと兄様に視線を向けると、兄様が小さく頷いた。
それを見て殿下の手にそっと右手を乗せると、柔らかく握られ講堂の入口へとエスコートするように引かれて行った。
☆ ☆ ☆
今年の騎士科の新入生は18名。
魔法科には6名、一般科には57名の入学があった。
ジェムストーン学園に入学できるのは帝国に属する国の爵位を待つ貴族のみなので、平民たちは各国にあるそれぞれの騎士学校と魔塔に属し学ぶ事になる。
ここに居る者は皆んな、いずれ帝国の中核を担う役職に着くか自国で爵位を継ぐ者たちだ。
「オレは魔法剣士だから、魔力はあるけど騎士科なんだ」
と、アルマンディン様が言う。
「オレが使える魔法は剣を媒体にしてしか発動出来ない。以前ルースも目にしたような、剣に炎を纏わせたり、斬る物を瞬時に凍らせたりする魔法だよ。剣を使わず魔力を放つと、力が暴走して制御できなくなるだ」
見てて、と言ってアルマンディン様が腰に差していた大ぶりの剣をすらりと抜き、真っ直ぐに伸ばした右手に掲げると、右腕から剣にかけてバチバチと青白い光が走り眩い光を纏った。
それを20メートルほど離れた場所にある的に向かって剣を振り下ろすように放つと、光が矢のように空を切り次の瞬間、的が激しく弾けて砕け散る。
「これは雷の魔法。夜見るとピカピカして綺麗だよ」
剣を鞘に戻しながらアルマンディン様が私に向かって悪戯っぽく微笑んだ。
「雷も氷も風も使えるけど、オレが1番得意なのはやっぱり炎かな。どう?かっこいい?」
こてんと首を傾げて「褒めて褒めて」と頭を向けてくるアルマンディン様のふわふわした癖のある髪を、私は無意識にポンポンと撫でた。
「すごいです、アルマンディン様」
「アルって呼んでって何度も言ってるでしょ?」
「…アル様」
「敬称も敬語もいらないんだけどな」
私たち騎士科の一年生は、1つ上の学年の先輩とペアを組み、何事もなければ先輩が卒業するまで面倒を見てもらう。
来年になれば先輩に指導を受けながら、私たちが新入生のお世話をする事になる。
私が入学してすぐ、騎士科の新入生と先輩方との対面式があり、アル様のたっての申し入れで私のペアはアル様に決まった。
「ルースは魔力がないから、剣技を磨く事に重点を置いて鍛錬して行こうか」
「はい!よろしくお願いします」
「うん、任せて!」
瞳を輝かせながら見つめる私に、アル様はお日様みたいな笑顔で頼もしく頷いた。