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カーネリアン - 紅玉髄 -

「おいで」


彼はそう言って細い腕を広げ紫の瞳を細めて笑った。

()えた臭いのする汚い路地裏で、暗い影に埋もれただ息をしながら生を消費するだけのオレを、お日様みたいな柔らかな微笑みで(すく)い上げてくれたその手の温もりを、オレは決して忘れる事はないだろう。


前世のオレは孤児だった。父親の顔なんて知らない。

母親はオレが6つの時に死んだ。

幸せとは何かなど知る事もなく、ただただ使い潰されるだけの娼婦だった母は客の子どもを身籠りオレを産んで、病気であっさりその人生に幕を下ろした。


オレが生まれた町は国境近くにあって、さして大きくもない田舎の宿場町だった。

これといった産業もなく、度重なる魔物の襲撃を受けた土地はやせ細り、貧困に喘ぐ者たちで溢れている。

俺の母親も見た目は綺麗だとよく褒められていたが、身体が弱く学もない、手に職があるわけでもない、ただのか弱い女だった。

母親には特別な力なんてなかったけど、たぶんオレの父親は魔物を狩って生計を立てるような魔力持ちだったのだろう。

ふらりとこの町に立ち寄って、また別の町へと流れて行くその他大勢の旅人の一人が、たまたま立ち寄った町でたまたま出会った娼婦と一夜をともにして生まれてきたのがオレだった。

ゆるく波打つ赤い髪は母親譲りで、獣のような金色の瞳はきっと父親から貰ったものなのだと思う。


物心ついた頃にはオレも魔法が使えるようになっていた。

ただ、オレの魔力は強すぎて自分でコントロールする事が出来なかった。感情に飲まれて度々(たびたび)力を暴走させる事があって、周りの人間からは忌避されていた。

そんなオレに母親はいつも困ったようにため息をついて「人に迷惑をかけないで」とよく言っていた。

魔力を持たない母親には、オレの身体の中で暴れ狂うその苦痛を理解する事は出来なかったし、知ろうとすら思わなかっただろう。いつも困ったように眉尻を下げてため息をつく。

(いわ)く「この町を追い出されたら行くところなどない」のだからと。


病に侵されてベットから起き上がれなくるまで、その細い腕に抱きしめてもらった記憶はない。

母親の機嫌が良い時はたまに、窓の外をぼんやり眺めながら子守歌らしきものを口ずさむ事はあったけど、それもオレに向けられたものではなかった。

唯一オレが知る母親の温もりは、自分ではもはや動かすことができなくなった瘦せ細った身体を支えて、口元に塩味だけの薄いスープを運んでやる時に触れる骨の浮いた背中の体温だけだった。

それすらも、そう長くは続かなかった。


それは春にはまだ浅い、2月の終わりの頃だった。

その日は(みぞれ)まじりの雨が降っていて、俺は冷たくなって動かない母親の傍でただじっと(うずくま)って震えていた。どれくらいそうして居たのかも覚えていない。日が沈み夜が来て、朝が来て、また夜が来る。

母親を亡くして悲しかった訳ではない。涙の一粒さえ流す事はなかった。

オレはこれから先、たった一人でどう生きてゆけば良いのか分からなくて途方にくれていたのだ。

何度目かの朝が来て、やっと異変に気付いた近所に住む大家が様子を見に来た時、オレはその小さな部屋の中で倒れたままぼんやりと虚ろな目で母親を眺めていた。


母親が死んでからは、汚い路地裏がオレの住処(すみか)だった。

残飯を漁り、泥水を啜って生きてきた。

ここでは弱ければ奪われるだけだ。

殴られ、踏み躙られ、(さげす)まれてオレは常に独りだった。

金色の瞳は獣の目だと、人々はオレを恐れ見下して居た。


その日も傭兵崩れの旅人に思い切りぶん殴られて、オレは怒りで力を暴走させかけていた。


「テメェ、俺の財布スリやがったな?」


怒りでこめかみに血管を浮かせながら、そいつはいきなり丸太のような腕を振り上げて問答無用でオレを殴り飛ばした。

その時オレはまだ12歳になったばかりの栄養失調でガリガリに痩せた貧相なガキだった。


大通りから少し逸れた酒場の裏側にある細い路地。

酔っ払った客の1人とすれ違いざまにぶつかって、慌てて道の端に避けようとしたオレの襟首を筋肉の塊なような男が乱暴に捕まえ、苦しくて顔を(しか)めるオレにその拳を叩き込む。

派手な音を立てながら、積み上げてあった木箱を薙ぎ倒すように背中からレンガの壁に(したた)かに背中を打ちつけて一瞬、息が止まった。


「知らねえよ」


オレはそいつを睨みつけながら口の中に溜まった血をプッと吐き捨て、怒りの感情を押さえつけようと奥歯を噛み締める。

その態度が気に入らないのか、相手はさらに怒声を上げながら拳を振り上げてオレに殴りかかってきた。


この町の煤汚(すすよご)れた路地裏では毎日のように目にする光景だ。オレたちみたいな孤児には守ってくれる大人なんて居なくて、毎日残飯を漁り盗みを働いてその日を食い繋ぐ。

ここは出稼ぎにきた労働者と、魔物を狩って賞金を稼ぐハンター達が集まる宿場町で常に他所から人が入って来ては通り過ぎてゆく。

それ(ゆえ)血気盛(けっきさか)んな荒くれ者が多く居た。

そんな奴らは理由なんてなくてもオレらのような孤児を殴りつける。

自分の苛立ちをぶつけ、不平不満を吐き出し、鬱憤をはらすように難癖を付け、圧倒的な力の差を見せつけるように幼い子どもを殴りつける。


2発目の拳を腹に受けて、オレは一瞬で身体中の血が沸騰したように熱くなり、目の前が真っ赤に染まった。必死で耐えようとしても、その熱はどんどん膨れ上がり自分でも抑える事ができなくなっていく。

気が付くと自分の身体が青白い炎に包まれていた。


「オレに、触るな…!」


食いしばった歯の隙間から呻くように言うと、傭兵崩れの男が恐怖に歪んだ目でオレを見つめる。


「ば、ばけもの!」


ギラギラと光る金色の瞳は、まるで獣のような縦長の瞳孔を開かせ、燃え立つような赤い髪が熱を持った風に吹き上げられて逆立つ。

青白く燃え上がる炎が荒れ狂う風に巻かれて周囲を焼き尽くそうと渦を作る。

辺りは騒然とし、あちこちで悲鳴が上がっていた。

遠巻きにオレを見つめる街の人々の顔は皆んな青ざめ、恐ろしさと怒りの表情を浮かべて、忌まわしい怪物を見るような目でオレを見ていた。

オレ自身どうしようもないのだ。自分の魔力をコントロール出来ない。オレの意思でこれを鎮める事が出来ない。

たいていはオレの力が尽きるまで、ひたすら暴走した魔力を垂れ流し気絶するように意識を失うまでこれが続く。


身体中の血液が沸騰したような激しい苦痛に息も出来ない俺の耳が、煩い雑音の中から一つの声を拾った。


「大丈夫?」


周りの喧騒(けんそう)の中で、その人の声は静かで優しくとても柔らかに響いた。

声の先を探して涙で滲む瞳を上げれば、そこには魂まで奪われそうなほどの美貌を持つ、その人が立っていた。


オレとそう歳の変わらない、少女にも少年にも見える美しい顔立ちは、少しの幼さを残した精巧な人形か人智を変えた異界の神のようだった。

青銀色のプラチナに似た長い髪は(うなじ)で一つに纏めて結び、毛先を左肩から胸の方に流している。アーモンド形の菫の花に似た紫の瞳を長いまつ毛が縁取り、薄く色づいた唇が緩やかに弧を描きながら、優しい声でオレに向かって手を差し伸べる。


「おいで」


近づくな、危ないぞ!と誰かが怒鳴る声が聞こえた。

それでも彼はそんなものを気にする事なくオレの方へゆっくりと近づいてくる。


「来るな!」


オレは制御できない魔力が体内で暴れる苦痛に、必死で耐えながら叫んだ。

来るな、怪我をさせてしまう。


だけど彼は止まらなかった。オレの側まで来ると広げた両手でふわりとオレを抱きしめて、甘く優しい声で言った。


「大丈夫。僕は傷ついたりしない。君は僕を傷つけない」


その人の温もりが、柔らかな声が、甘い香りが、オレの中の魔力を鎮めてゆく。

煮えたぎるような熱がゆっくりと静まって、身体が千切れそうだった苦痛が嘘のように引いていった。


「一緒に行こう?」


体内で荒れ狂っていた魔力がその人の触れた場所から凪いでいく。内臓が捻れて引き裂かれるような激痛に代わって、胸を締め付けるような甘い疼きで満たされていった。


ぎゅっと抱きしめてくる細い腕の中で、オレはたった1つの希望を見つけた気がした。

そこに理由なんて必要なかった。ただ本能が叫ぶのだ。

あぁ、見つけた。この人こそオレにとって唯一無二の、かけがえのない特別なのだ。

オレはこの人に会うために生まれてきたのだ、と。

気がつけばオレは、泣きながらその人の背中を抱きしめ返していた。


「僕の名前はルース。君の名前を教えてくれる?」


彼がオレの耳元で優しく問いかける。


「オレはカーネリアン。リアンって呼んで」


リアン、とルースが口の中で転がすように小さく囁いた。

その音が、常に得体の知れない怒りと不安に苛まれていたオレの心を穏やかにする。


「大丈夫?」


心配そうに形の良い眉を寄せてルースはオレの殴られて腫れた頬にそっと触れた。

羽根が触れるほどの微かな熱が、指先からオレに流れ込んできて全身に広がっていく。

オレはドクドクと自分の心臓が高鳴る音を聞いた。


一目惚れ?そんな安いものなんかじゃない。

自分でもよく分からないけど

ただ、ルースに触れられるとオレの身体中の()()()()()のが分かる。


もしも神様が居るなら、ルースこそがオレに与えられた奇跡なんだと思った。




            ☆  ☆  ☆




「勘違いするな。ルースは俺のだ」


憮然とした態度でそいつはルースの(かたわ)らから俺を見下ろして眉をしかめる。

華奢(きゃしゃ)なルースとは対照的に彼は長身で、すらりとした身体は鍛えられしっかり筋肉がついている。灰銀色の髪は無造作に後ろに流され、狭い額の下で不機嫌そうに眉が寄せられていた。

切れ長の瞳は黒曜石のように深い夜空を思わせる闇色で、高く通った鼻筋と、男らしい唇。顎から耳にかけてのラインには、匂い立つような雄の色気があった。


「だれ?」


「彼はフリント。僕の幼馴染みなんだ」


オレの問いかけにルースが答えて微笑んだ。


「僕の幼馴染みで、唯一の家族で、友達で、兄で…」


「守護者だ」


フリントは黒い瞳を眇めて俺を見ながら言った。


「リンは無愛想に見えるけど、本当は面倒見の良い優しいヤツだから。慣れるまで時間がかかるかもしれないけど、仲良くしてやって?」


ルースは天使の微笑みでコテンと首を傾けながらオレの顔を覗き込む。

オレは頬を染めながらコクンと頷いて熱に浮かされたようにぼんやりとルースを見つめていた。

それを見てルースは嬉しそうに紫の瞳を細める。


「いつまで引っ付いてんだ」


フリントは忌々しそうにオレの首根っこをひっつかんでルースから引き離した。


「行くぞ」


とフリントが言うと、ルースはオレの手を引いて「行こう」と笑う。

オレにとって、母親以外にはじめて「家族」と呼べる仲間が出来た瞬間だった。



                ☆ ☆ ☆



ルースたちは旅の途中なのだと言う。


「なんでなのか分かんないけど、僕が勇者なんだって」


えへへと照れたように笑うルースが可愛い。


「お告げがあったんだって。神殿にある剣に選ばれた者が、この世を救うって」


「ルースが選ばれたの?」


日の落ちた暗い森の中、小さな焚火を囲んで3人で僅かなパンを分け合って食べながらオレたちはお互いの事を話していた。


ルースにくっついて町を出てからは、次の町に向かってひたすら歩いた。行先は「なんとなく」決めているらしい。そんな計画性のない自由なルースも可愛い。

いくら腕に覚えがあるとは言え、フリント一人では妖精みたいに綺麗なルースを(よこしま)な気持ちで近づいてくる乱暴な大人達から守り切るのは難しいと考えて夜は大抵、暗い森の中や洞窟、川辺の岩陰など人の居ない場所で休息を取っていた。

魔物より人間の方が怖いのはオレも同感だ。


「選ばれたって言うか…」


ルースは膝を抱えて座った姿勢で、その膝の上に頬っぺたを乗せて小さく爆ぜる焚火を見ながら言った。


「呼ばれた?って感じ」


「え?誰に?」


指に着いたパンくずを舐めながらオレが聞くと、ルースは小さく笑って空を見上げた。


「夢で剣が僕に早く来いって言うんだよ。魔王が復活するぞって。それで僕、神殿に行ったんだ」


雲一つない空には数多(あまた)の星が輝いている。

満月には少し足りない欠けた月は、柔らかなベールのように青白い光を放って煌めいていて、まるでルースの背中で揺れる銀糸のようだと思った。


「神殿に行くと僕を導くように剣が光って、神官に促されて剣に触れると、剣が僕の中に入ってきた」


「え?入るってどこに?」


びっくりしてオレはルースの華奢な身体を眺めまわした。

ルースはふふっと笑ってオレの方を向くと


「剣のまま入ってきたわけじゃないよ。剣が光の粒子みたいになって僕の心臓に吸い込まれるように消えたんだ」


と言って胸の上に手のひらをあてる。

フリントは何も言わず黙って焚火に木の枝を放り込みじっと燃える火を見ていた。

その横顔はどこか苦しそうにも見えて、オレは心の中で首をひねる。

勇者に選ばれるなんて名誉な事なんじゃないのか?

ルースはどこか他人事のように淡々としているし、フリントはなんだか辛そうだ。


「勇者に選ばれて嬉しくないの?」


オレの問にルースは少し困ったように眉尻を下げた。


「僕たちも孤児なんだ。ここよりずっと西にある小さな村の教会に、生まれたばかりの僕は捨てられてた。リンは隣国との戦いで両親を失って戦争孤児になったんだ。まだ2歳になったばかりの頃だよ。そうしてうちの教会の神父様に拾われて、それからはずっと一緒に居る。僕にとって、神父様とリンが唯一の家族なんだ」


パチリと焚火の火が()ぜる。フリントが木の枝で弱くなった火を(おこ)すように炭をつついた。


「俺たちはただ、静かに平凡に当たり障りなく、生きてゆけたらそれで良かった。大それた夢など見なくて良い。父親代わりの神父様とルースが傍に居れば、それだけで良かった。だけど神殿がそれを許してくれなかった。毎夜、剣に呼ばれる夢を見てうなされるルースを心配した神父様が神殿に宛てて手紙を出したんだ。」


「神父様は僕を心から心配してくれてたんだよ。僕の夢の内容を手紙に書いて神殿に“このような夢を見るのを止めるにはどうすれば良いか”と聞いてくれようとしたんだ」


「ある日いきなり神殿から迎えがやってきて、ルースを連れて行くって言われた。神父様も俺もびっくりして理由を尋ねたさ。そしたら勇者の剣が近頃、たまに淡く光を発することがあるんだと言われた。きっと剣の持ち主を呼んでいるんだろうと」


「それが僕なんじゃないかって神殿は考えたみたい。僕の意思を尊重して欲しいと言う神父様を押しのけて、なかば強引に僕は神殿に連れて行かれたんだよ」


そこでルースはふふっと天使の微笑みを浮かべてアメシストの瞳をフリントに向けた。


「リンは僕の後を追って来てくれたの。僕は馬車に乗せられて連れて行かれたけど、リンはずっと歩いてその後を追いかけてくれてたんだ。きっと過酷な道のりだったと思うよ。まだ14歳の子どもが、魔物が出る森を超え、山を登り、川を下って、たった一人で10日もかけて追いかけてきてくれたんだ」


「ルースが勇者に選ばれたなんて、何かの間違いじゃないかと俺は思ったよ。ルースは剣を振るうどころか、雷が怖くて嵐の夜は必ずオレのベッドに潜り込んでくるような臆病な奴なんだからな」


ルースはむっと頬を膨らませてフリントを睨みつけた。


「子どもの頃の話しだろ?」


「今もだろ?」


常に不機嫌そうに鋭く尖らせている黒い瞳を、ふいに優しげに細めてフリントは微笑する。

その柔らかな気配にオレはハッと息を飲んだ。

焚き火のオレンジ色の光を映して、黒い瞳に赤い影が差して揺らめいて見える。

(ひたい)(こぼ)れた灰銀の髪を長い指でかきあげて後ろへ流しながら男らしい唇が緩く弧を描く。

その横顔は男のオレから見ても惚れ惚れするような美しさだった。


「リンは男前だろ?」


そんなオレに向かってルースがニヤリと笑って言った。


「僕なんか背も伸びないし、どんなに鍛えてもなかなか筋肉もつかないし、強くてかっこいいリンの方がずっと勇者らしいよね」


確かにフリントはすげーやつだ。剣も使えれば魔法も使える。川で魚を獲ってくるのも、森で小動物を狩ってくるのも、食べられる木の実を見つけてくるのもお手の物だ。

鍛えられた身体はしなやかな筋肉で覆われ、身長も高い。しかも顔が良い。

神様は不公平だとオレは自分の貧相な身体を見下ろして溜息をもらした。


そんなオレを見てルースは声を上げて笑った。


「今リアンが何を考えてるか分かるよ」


ふはっと息を吐き出してルースはとびっきり可愛い笑顔を(ほころ)ばせる。


「僕もよく同じ事を考えるから。でも、」


そう言って右手でそっと隣に座るオレの頬を撫でた。


「今は可愛いリアンも、もっと大人になったらリンに負けないくらい良い男になるよ」


「可愛いのはルースの方でしょ」


不満げにオレが言うとルースもむぅっと眉を寄せる。


「男に向かって可愛いは褒め言葉じゃないよ」


「そっくりお返しするよ!」


「お前ら、(じゃ)れあってないで早く寝ろ。明日も沢山歩くぞ」


フリントに呆れたように言われてオレたちは顔を見合わせて笑った。



               ☆ ☆ ☆



目の前で困ったように破れたドレスの裾を気にして頬を赤くするルースは、あの頃と変わらない綺麗なアイオライトの瞳をしていた。


菫青石(きんせいせき)の二つ名を待つ紫の石(アイオライト)が光る左耳のピアスにそっと触れる。

シャラリと金の細い細工が揺れて音を奏でた。


1000年待ったのだ。それはほんとに長い長い時間だった。

たとえ記憶がなくても、たとえ性別が違っても、この美しい紫色の瞳を待つルースの魂を見間違う事はあり得ない。


きっと、ルースの隣に立つ兄のアンバーにとってもそれは同じだろう。


前世では運命によって引き離されてしまったけど、今世では絶対に間違えない。

何があっても離れてなんかやらない。


オレはにっこりと微笑みを浮かべ、なるべく怖がらせないように優しくルースの手を取る。


「馬車がこの状態なら帝都に向かうにも困るだろ。よければオレの方で新しい馬車を用意するよ」


その言葉に弾かれたように顔を上げたルースは、慌てたように横倒しになった馬車の方へ顔を向けた。


「兄様、騎士が蛇にやられてしまって…。御者は大丈夫でしょうか?」


「うん、僕が結界を張ってたから馬車から離れてなければ大丈夫だと思うよ」


良かった、とルースは小さく息を吐いた。

そこに護衛らしき騎士が怪我を負った騎士を抱えるように馬に乗ってやってきた。


「アンバー様!護衛を置いて1人で行ってしまわれては困ります」


「ルースが心配だったから、ごめんね?」


軽い調子で答えてアンバーが微笑む。


「馬車の方の御者と馬の様子を見て来て欲しいんだけど」


「かしこまりました。ルース様、ご無事で何よりです」


騎士は怪我をした同僚を抱えて馬から降りると、その場に寝かせさっとルースに挨拶をすると横転した馬車の方に歩いて行った。


「ひとまず、新しい馬車の手配をするね」


オレの言葉にアンバーが「いや」と軽く静止するように手を振る。


「必要ない」


「怪我人も居るんだろ?馬車がないと困るんじゃないの?」


(いぶか)しむオレに向かってアンバーはゆるく首を振ると、パチンと指を1つ鳴らした。

すると、倒れた馬車が浮き上がり正しい向きに方向を変えて再び地面にその車輪を着地させる。


「僕の結界があるのに、傷1つ付ける訳ないでしょ」


確かに、派手に横転していた割に車輪にも車体にも壊れた所は無さそうだ。


「アンバー様!」


騎士に支えられながら、御者らしき男が馬車の下から這い出て来てアンバーに向かって安堵の表情を浮かべる。


「お嬢様をお守りできず、大変申し訳ありません」


いまだに青い顔をしたまま御者の男は、震える両手で帽子を握りしめて頭を下げた。


「私なら大丈夫です。それより貴方が無事で良かった」


ルースは優しく御者に声をかけると、アンバーに


「さすが兄様の保護魔法ですね」


と微笑んだ。


「馬の方も少し興奮気味ですが怪我などはなく大丈夫そうです」


様子を見に行っていた騎士がこちらに戻ってきながらアンバーに報告する。


「馬が落ち着くのを待って出発しよう」


アンバーが騎士に周囲の安全確認と、御者に馬の様子を見てくるよう指示を出して、ルースの手を取り馬車の方へ促しながら


「そう言う訳で心配はいらないよ。君も任務に戻って大丈夫だ」


と、オレに不適な笑みを浮かべて早く行けとばかりにひらりと手を振って見せた。

そうは行くか。

オレだってやっと会えたルースとそんな簡単に離れる訳にはいかない。


「この度の失態はこちらの責任によるものが大きい。せめてものお詫びとして、帝都までオレが安全に護衛させて頂きたいのですが、宜しいですか?」


オレは敢えてアンバーではなくルースに向かって、騎士の礼を取りながら恭しく伺うように問いかけた。

ルースは困惑したようにパチリと大きな瞳を瞬いたあと、花が綻ぶような笑顔を咲かせる。


「ありがとうございます」


はい可愛い。

オレのルースは世界一可愛い。


「まて。ルースは君のものじゃないからね?」


無意識に心の声が漏れていたらしい。

アンバーが形の良い眉を寄せて不満げな顔をしながら自分の背中にルースを匿う。


そんなアンバーの背後からぴょこんと頭を覗かせるルースは、やっぱり可愛かった。


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