表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第二次世界大戦 概観  作者: 孫覇
9/9

日本

 ドイツのポーランド侵攻以前から、日本は中国との戦争を続けていた。

 中国は弱体化していたにも関わらず、日本は攻めあぐねていた。中国の抵抗力が強かった原因のひとつは、英米から支援を受けていたことだ。

 英米の支援物資はビルマ(今のミャンマー)に陸揚げされ、ビルマルートと呼ばれる経路を通って中国に輸送されていた。この輸送路を断たなければ、日中戦争に勝利することはできない。


 日本はビルマルート遮断のため、東南アジアへの侵攻を企てる。占領それ自体は難しくない。しかし、占領したあとに米軍が太平洋から反撃してくることが予想された。当初は近くの海域に海軍が防御網を貼る予定だったが、山本五十六提督が真珠湾の奇襲を提案。

 真珠湾には米海軍の主力艦隊が停泊していた。これを壊滅させることで、太平洋での米軍の力を失わせるのだ。

 山本提督の案は通った。


 1941年12月7日、日本は陸海ともに攻勢に出た。

 海軍は山本提督の指揮下で真珠湾を攻撃。米軍の戦艦4隻を沈め、他にも多大な被害を与えた。この一撃で米海軍は麻痺し、当分は活動できなくなった。

 同日、陸軍もマレー半島に上陸。マレー半島に配置されていた英軍を駆逐し、シンガポールを攻略。


 当時のイギリスにとって、シンガポールは特別な街だった。

 イギリスは東南アジアに多く支配地を持っていた。そこには白人優位の考えが下地にあった。白人の優秀さを示し、アジア人に反抗の気概を失わせていた。巨額の富をつぎ込んだ近代都市のシンガポールは、ヨーロッパの富と力、そして支配の象徴だったのだ。

 これはアジアだけの問題ではなかった。アフリカも同じく、白人によって支配されていたからだ。

 白人神話は絶対的だった。

 それを覆したのが日本であり、シンガポール陥落は白人神話を終わらせる象徴的な出来事だった。


 シンガポール攻略後、日本はさらに西へ侵攻する。42年4月までにはビルマルートを完全に遮断した。

 また、別働隊はフィリピンも占領していた。

 日本は資源に乏しい。石油はその最たるものだ。しかしフィリピンの油田があれば、中国戦に勝利するには十分の石油が得られる。さらにマレー半島も含めればゴムと鈴も手に入る。

 ビルマルートの遮断、戦争に必要な資源の獲得、太平洋の支配、日本はこれらをわずか五ヶ月足らずで成し遂げた。


 このあと予定ではビルマ、太平洋では守勢に転じ、中国に全力を向けるはずだった。しかし、容易に侵攻が成功したことで、一部の人間が欲を出す。予定を変更し、さらなる侵攻を主張したのだ。

 計画通りに行くか、さらに領土を拡大するか、答えが出る前に米軍が行動を起こした。


 日本海軍が完全に制海権を持っていたのは、本土から500マイル以内の海域だ。

 42年4月18日、真珠湾での奇襲を逃れていた米海軍の空母二隻、ホーネットとエンタープライスを含む船団が500マイルの手前まで接近。両空母から航空機が飛び立った。航空機は東京を空襲し、中国の浙江省に着陸。

 日本はただちに航空部隊を東京、そして浙江省に送る。これが兵力の分散を招いた。


 空襲を受けた日本は対処を迫られた。そのためには太平洋の支配権を広げることだ。

 太平洋侵攻の第一段階として日本はツラギ島を占領。島の占領はうまくいったのだが、周辺の珊瑚海での海戦で空母が一隻沈められた。

 続くミッドウェーの海戦では空母4隻を沈められる。

 海洋での有利を得た米軍は日本が占領していたガダルカナル島に上陸。ガダルカナル島の戦いでは日本の戦艦2隻が沈められる。航空機も多く失った。

 ミッドウェー、ガダルカナルと続いた戦いで、太平洋での日本海軍は抵抗力を失う。


 支配地の拡大はビルマ方面でも行われた。

 日本軍は密林戦、夜戦を得意としており、密林地帯のビルマでは圧倒的な優勢にあった。

 イギリスは状況を打破するため、チンディット部隊を創設した。これは密林戦の訓練を受けた兵士で攻勢された部隊だ。

 チンディット部隊は日本軍を攻撃。撃退されたが、英軍は密林でも日本軍と戦えることを示した。脅威を排除するため、日本軍はインパール(インド北東部)までの侵攻を決めるも、英軍の反攻にあって失敗。

 アジア、太平洋、ともに日本は後退する。


 1945年2月、侵攻を進めていた米軍が小笠原諸島の硫黄島に上陸。一ヶ月かけて島を占領。

 硫黄島で勝利を収めると、米軍は沖縄に上陸した。激しい戦闘ののち、沖縄の日本軍を駆逐する。


 米軍は沖縄では勝利を収めたが、日本人の、文字通り命を捨てての特攻には強い恐怖をすり込まれた。

 米軍は次なる作戦として日本本土への上陸を考えていたが、沖縄戦以上の抵抗は必須であり、勝てるとしても損害はあまりにも大きい。

 また、ソ連の動向も阻止したかった。2月に行われたヤルタ会談で、ソ連の日本への宣戦布告が決まっていた。ソ連は連合に協力する代わりに、千島列島と樺太、満州の割譲を要求。英米はソ連の拡大は抑えたかったため、ソ連が参戦してくる前に戦いを終わらせたかった。


 7月14日、チャーチルがルーズヴェルトからメッセージを渡された。「babies satisfactorily born」

 babyとは原子爆弾のことだ。ただ生まれただけではない、兵器として使えるか否かである。それの答えはsatisfactorily、満足いくように、だった。

 原爆を使うかどうかは問題にされなかった。問題となったのは、どこに使うかだ。結論として、広島と長崎が選ばれた。


 実は日本は降伏をすでに決めており、日本の暗号を解読できたアメリカはそれを知っていた。

 日本の敗北を決めたのは制海権だ。

 日本は資源を輸入に頼っている。輸入用の船舶はほとんどが米海軍に沈められた。日本海軍も壊滅しているので、残った船も自由に航行できない。

 資源がなければ戦争はできない、それどころか食べ物すら残っていなかった。

 すでに決着はついていた。

 それでも原子爆弾は落とされた。名目上は、日本人に圧倒的な力を見せつけ、戦争意欲をなくすとあった。しかし原爆の投下は戦後まで報道されず、日本人の士気を挫くことはなかった。

 原爆がまったくの無駄かといえば、多少は終戦を早めはしただろう。だが決して必須ではなかった。


 終戦のための御前会議は6月22日に開かれたていた。無条件降伏を受け入れるか否かで議論が分かれたが、最後には昭和天皇自ら意志を示し、無条件降伏となる。

 日本時間8月15日、玉音放送で天皇の意志が国民に伝えられる。

 ここに第二次世界大戦は終結した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] とてもよかったです [一言] 駆け足ながら要点を抑える手法は素晴らしいです 多くの人に読んでほしいですね 次回作を楽しみにしています
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ