大西洋の戦い
第二次世界大戦の勃発はドイツ海軍には寝耳に水だった。
ドイツ海軍は戦争のための準備はまったくできていなかった。それもそのはずで、ヒトラーは1944年までは大きな戦争は起こらないと言っていたのである。
第二次世界大戦は、ドイツが東ヨーロッパの領土を獲得することを目的にはじめられた。しかしドイツにとっての真の敵はイギリスだった。大英帝国を倒さない限り、この大戦に勝利はあり得ない。
大英帝国はヨーロッパの秩序が乱れるのを嫌っていた。20世紀末の覇権国家はなんといってもイギリスであり、アメリカもソ連も力はあったがまだイギリスには及ばなかった。しかし、ドイツがポーランド、フランスを占領し、大陸の覇者となればイギリスにとっては最大の脅威となる。
イギリスを頂点に置いてできている世界秩序は守らねばならない。ドイツの拡大は許せることではなかった。
大英帝国は世界中に領土を持っている。海外領土とは海上連絡路で繋がり、物資の流通を行っていた。戦争に必要な資材も当然、海上を運ばれてイギリス本国に輸送される。
大英帝国を倒すにはこの海上輸送路を断つしかない。
海上輸送路への攻撃は潜水艦が行う。開戦当初は潜水艦以外の、海上を航行する軍艦も使用される予定だったが、すぐに潜水艦が最適であることがわかった。
潜水艦部隊の司令官デーニッツ提督によれば、大英帝国を倒すには300隻の潜水艦が大西洋に配置されている必要があった。
大戦勃発時、使える潜水艦は30隻。絶望的だったが、デーニッツは力の限りを尽くした。
ドイツの潜水艦はUボートと呼ばれる。それぞれのUボートは番号がふられ、固有名となっていた。
Uボートは開戦直後から行動を開始した。大西洋に散らばり、イギリスとアメリカの輸送船を破壊する。また、プリーン大尉の乗るU-47はイギリス海軍の重要港スカパ・フローに侵入し、停泊中の戦艦ロイヤル・オークを撃破したことで英雄視された。
1940年6月、フランスが降伏。ドイツ海軍はフランス海岸沿いの港も使えるようになり、大西洋の支配力が強化された。
イギリスはもはやアイルランド以南の海域は使えなくなった。アイルランド、アイスランドは参戦していなかったが、イギリスに協力的だった。二国の協力がイギリスの命を繋いだ。
同年10月、デーニッツ提督が新戦術を考案する。
当初、Uボートは個々で活動していた。新戦術では何隻かでまとまって行動し、協力して敵船団を襲う。
まずは陸地に置かれている司令部が敵船団の位置を特定。Uボート部隊の一隻が船団の場所へ行って尾行し、仲間を呼び寄せる。そして夜になると全船が浮上して攻撃を行う。昼になったら潜り、また夜になれば浮上して攻撃。これを何日かに渡って繰り返す。
潜水艦は当然、潜水するのだが、水上を走る方が速度が出る。中間は飛行機からの攻撃を避けるために潜航する必要があったが、夜間は浮上して攻撃できた。
Uボート集団が夜間浮上して攻撃する作戦は狼群戦術と呼ばれ、高い戦果をあげた。
しかし連合側も防御体制を整える。
アメリカは参戦前から、大西洋の戦いには大きく関与していた。イギリスに英海軍基地8ヶ所と交換で50隻もの駆逐艦を与える。さらに支援部隊を編成し、英海軍を助けた。
カナダもイギリスのための護衛部隊を編成する。カナダの協力により、イギリスはアイルランド以南の海域も使えるようになった。
1941年12月、アメリカが参戦すると海空軍ともに本格的に動き出す。
特に厄介なのは空軍だった。アメリカとイギリスは空から船を援護し、ドイツの潜水艦を攻撃した。デーニッツも空軍に支援を要請したが、空軍総司令官のゲーリングは空軍が海軍の下につくことを嫌い、性能の悪い機体をほんのわずか寄越しただけだった。
護送船団と空軍の優勢。もはやデーニッツの持つ兵力だけでは太刀打ちできなかった。
さらに1943年、アメリカのホートン提督が大西洋での責任者となる。ホートンはもと潜水艦乗組員であり、潜水艦の専門家だった。ホートンはドイツ海軍の新たな脅威となった。
年が明けて1944年、最初の三ヶ月間で36隻のUボートが撃沈された。デーニッツは新型Uボートの開発と、新たな防御装置の完成が終わるまでは活動できないと報告。大西洋での攻撃を中止。
こうして連合国は大西洋を制した。