フォニー・ウォー
ドイツと英仏連合は戦争状態に入ったが、ポーランド崩壊から翌年春まで、ドイツと英仏の間に戦闘は行われなかった。アメリカの新聞はこの平穏な期間をフォニー・ウォー(らしからぬ戦争)と名付けた。
ドイツはポーランド領を獲得したが、これを維持するためにはイギリスやフランスといった大国に認められる必要がある。しかしこの二国は打倒ドイツの気勢に燃えていた。交渉などは試みるまでもない。二国のドイツに対する敵対意図をくじくことが、次なるヒトラーの目標となる。
そのためにはまず、フランスを倒すことだった。ヒトラーは、フランスさえ倒せばイギリスも抵抗は続けられないと見たのである。フランス侵攻は39年の11月に行う予定だった。しかし、天候の悪化、侵攻計画に関する情報漏洩が重なり、1940年5月まで延期される。
対する英仏連合ではドイツに対しての一大攻勢が計画されていた。西からはフランス、東からはギリシア、さらにソ連に対しても海から攻撃するといった具合に。しかしこれは実現の見込みがまったくない絵そらごとであった。連合が空想に耽っている間、ドイツでは将軍たちの手により、フランス侵攻の具体的な計画が立てられていた。
ソ連はドイツと共にポーランドを占領した。しかし、ソ連はドイツを信用していなかったし、ドイツも英仏を倒したあとはソ連と敵対するつもりだった。
ソ連はドイツ侵攻に備えてバルト三国を支配下に置く。これらの国々をドイツに対する防波堤とするためだ。
バルト三国を抑えると、次はフィンランドにも圧力をかけた。しかし、フィンランドはソ連の支配下に入ることを拒否した。
ソ連は武力での解決を決める。1939年11月30日、ソ連軍がフィンランドを攻撃。誰もがソ連が圧勝すると思った。しかし、フィンランドの抵抗は激しかった。
フィンランドの国境周辺は森林に覆われて、湖が点在する。フィンランド軍は複雑な地形を巧みに利用し、ソ連軍への抵抗を行った。スターリンはついにフィンランドの占領を諦め、停戦条約を結ぶ。このとき、フィンランドの港町ひとつはソ連が買収した。ここにドイツ海軍を砲撃するための砲台を置く。
翌年4月、ドイツはノルウェーに侵攻した。鉄を確保するためだ。
ドイツはスウェーデンの鉄鋼をノルウェー経由で輸入していた。
イギリスはこの輸入路を断つため、ノルウェーの占領を企てる。しかしヒトラーは先手を打ち、イギリスより先にノルウェーに軍を送った。首都オスロの他、ノルウェーの主要な港町を同時に襲撃。ノルウェーは6月10日に降伏した。