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白い世界で君を見る

作者: スミンズ

 気が付くと朝になっていた。手に滲んだ汗は今までの悪夢のせいだった。


 もうあれから6年もたったのに、忘れることはできない。あの冬山で、雪崩の中に飲み込まれていくお母さんを助けられなかった自分を。ただ、見ていることしかできなかった自分を、だ。


 私はゆっくりとパジャマを脱ぐと、ブラジャーを着ける。それだけのことなのに、お母さんが初めて私にブラジャーをつけてくれたときのことを思い出す。全然、昔から解離することができていない。そう思いながら首をブンブンと振ると、セーラー服に着替えて、昨日のうちに纏めておいた荷物を持って玄関を出た。


1月の東京は好きだ。冷たい風が吹き付けるが雪など殆ど降らない。その寂しさが、何故か大好きだ。けれど雪が降ったら、大嫌いだ。


 編み手袋の端っこの、輪っかを手でブンブンと振り回して多摩川沿いを歩く。川の向こうの武蔵小杉のタワマン郡はいつ見ても無機質で、たまにニョキっと増える建物はちょっと面白い。一方のこっち側は東京にしてはしんみりとした住宅街で、自分にとってはのんびりと歩けて良い。本当はもっと南の方の田舎が良いのだけれど、私の家族が東京に来たこと自体、私のせいであるのだから、文句は言えない。



 「お前は、お前だけは絶対に死ぬまで幸せにするからな」お母さんが無くなったとき、お父さんは泣きながら何度もそう言った。だから私は無茶苦茶なお願いをしたのだ。


 「それじゃあね、北海道から出ていきたい。雪の降らない場所に行きたい」


 そんなわがままを叶えるべく、お父さんは新たな仕事を探し求めた。そして東京の出版社にたどり着いた。


 だから、私はこの街でずっと生きていくんだ。そう心に決めている。


 歩いてちょっとするともう高校についた。クラスの半分ほどがすでに来ていた。仲の良い友達数名挨拶すると、私は席についた。朝礼前の10分間の朝読書のための本を、少し早いけど読み始める。するとまもなく予鈴という頃にクラスがざわざわし始めた。


 「由香」すると隣の席の子が小さな声で言った。「今日さ、転校生が隣のクラスに来るらしいよ」


 「へえ」私はそんなに興味も無かったので、顔だけ隣を見て、本は閉じなかった。やがて予鈴がなって生徒がゆっくりと席についていった。


 一時間目が終わって、私は購買にパンを買いに行った。うちの高校の全校生徒は1000人と普通の数であるが異様な狭さのせいで所々で渋滞が起きるのが常である。用事はとっとと済ませて、教室に帰るしかない。私は少し急ぎ気味で一階から2年生の3階フロアへ戻る。そして階段を登った先で、突然男子生徒が私を呼んだ。


 「え、もしかして佐久間さん??」


 私は驚いてそっちを見た。するとそこには6年前に絶交を言いつけた工藤明博くんがいた。


 私は知らない振りをすると明博くんの前を急ぎ足で歩いていった。


 明博くんは北海道で一緒の学校だった。スキーが上手な人で、私とはよく気があった。小さな裏山でいかにミニスキーを上手に扱えるかで勝負して一緒に怪我をしたり、スキー学習で二人で勝手にアクロバティックなことをして先生に怒られたりした。


 だけど、私はそんな彼を一方的な感情で縁切りした。そう、お母さんと二人でスキー場に向かう途中の道で、車ごと雪崩に飲み込まれて、お母さんだけ車外に押し出されて死んでしまったあの事故をきっかけで、だ。


 明博くんを思い出すと、あの冬を思い出してしまいそうだからだ。


 だけど、まさかまた明博くんと一緒になるとは考えてなかった。いくら仲良かったとは言え、彼とはスキーで繋がっていたようなものだ。今更接する必要もないのではないか。ふとそう思った。


 しかし……。


 私は教室に戻ると、ひとりでパンを握りしめながら泣きそうになっていた。



 次の日から、明博くんは律儀に「おはよう、佐久間さん」と言ってきてくれた。しかしそれ以上を言うこともなかった。私がスキーを嫌いになってしまったと言うことも勘づいていたはずだから、あえて話題を出さないようにしているのかもしれない。それが申し訳なかった。だから、精一杯の返事だけをしていた。


 そして明くる日、東京にも雪が降ってきていた。


 私は空からふる雪を教室の窓から見ないように頑張っていた。だが、ますます強くなってきているのがわかっていた。路上に雪が積もり始めていた。このままいけば一時間後の下校時間ごろには足首くらいまで積もってるかもしれない。


そんな不安を抱いて授業を受けていたら、案の定終わる頃には雪は路上をすっかりと埋めていた。私は仕方ないと思い図書室にいくことにした。


 朝読書用の本を読み続けると一時間ほどがたっていた。もうやんだかなと外を見ると、雪はまだやむ様子もなかった。私はどうすれば良いのかわからなくなって、机にうつ伏せになって目を閉じた。


 「嫌だ」私はそう呟いた。すると、頭上から声がした。


 「まだ雪が怖いんだな」


 ハッとして顔をあげる。そこには明博くんがいた。明博くんはそう言うと窓際の、私から少し離れた席の方へ座った。


 「うん」


 「僕だってあれはショックだった。佐久間……由香のお母さんが亡くなって、由香が気を失ってるって聞いて、僕だって雪を怖いと認識できた。その怖さを知ってるベクトルが由香と僕じゃ全然違うというのはわかっているけどね」


 「そう」私はただ、相槌だけをうった。


 「けどやっぱウィンタースポーツは面白い。僕はその面白さから逃れることができなかったよ」そう言って明博くんはふふっと笑った。


 「だからさ、ホントは東京なんて来たくなかったんだ。けれど親の都合でこう東京に来た。そしたらさ、そこに由香がいるんだもの。ビックリしたよ」


 「それはお互い様だよ」


 「だからさ、雪がない街でも良いかなって思ったよ。知り合いがいて良かったって」


 「……」まさかそんな風に言われるとは思っていなかったから少し下を向く。


 「けれども、やっぱり雪が好きだし。……由香も、やっぱり雪が似合うと思うんだけどね」


 「……それは、ごめん」私は声を小さくした。


 「そか。ところで、由香は雪がやむまで待っているんだろ?けど、まだいくぶん止みそうにもないし、いま帰った方が良いと思う」


 「それは嫌だ。怖いよ」私は本音を言い切った。


 「大丈夫だよ。一緒にいこう」そう言うと、明博くんは私に片手を差し伸べてきた。私は少し悩んだけど、まるで昔の彼が戻ってきたようだったから、思わず片手を明博くんに手を預けた。


 「ふふ、カッコつけて。転ばないでよ」


 「バーカ。じゃあいこう」そして私達は図書館から出て、玄関を出た。


 少し外へ出るのを戸惑っていた私を、先にいって待っていた彼が手招きした。私は自然と明博くんを信じて走り出した。転びそうになったけど、彼はぐいっと私の手を握って受け止めた。


 「そう言えば、由香って何故かゴンドラから出てスキー履こうとするとき転んでたよな」


 そんなことを言いながら笑う彼は、やはり雪が似合っていた。


 「やっぱり変わらないんだね」そうやって笑うと、雪道に足を踏み入れる。すると、私はふと思い出した。


 ずっと私は雪の中で生きてきていたこと。そうだった。雪が怖いとは言え、雪は生きてきた世界でもあった。その世界で明博くんと遊んだ。その事実を忘れていた。


 高校の向こうの武蔵小杉のタワマン郡は、雪にかすんでよく見えなかった。今はこの孤立した世界で、また昔に戻りたいと願った。


 けれど、微かに冷や汗をかく。やはり完全には雪を信用できていないようだった。


 「大丈夫か」ふと、明博くんが訊ねてきた。


 「うん……。私ね、やっぱ雪は嫌いだよ」


 「無理もないさ」彼はそう言うといきなり私から手を離して、道端にパタッと仰向けに倒れた。


 「え、明博くん?」ビックリして近寄ると彼はニカッと笑った。


 「ね、大丈夫さ。いま由香はここまで歩いてきた。だから、ほら」彼はまた手を空にかざしてきた。


 「一緒に戻ろう」


 私は、少し迷ったけど、フッと思わず笑って


 「ありがとう。戻ろう」と言って彼の手を握り返した。



 次の日になると、雪は溶けていた。まるで昨日のことが嘘のようだ。最高気温は15度だそうで、いきなり暖かくなるそうだ。しかし、もう大丈夫だ。雪が降ろうと、私は怖がらない。向き合いたい。


 昔の思い出を……、明博くんを遠ざけたくないから……。


 「どうした、ボーッとして」向かいの席で卵焼きを食べながらお父さんが言った。


 「え、いやー」私は少し頭を上にやりながらとぼけて見せる。


 「……昨日はあの雪の中でよく帰ってこれたな」お父さんはふとそう言う。


 「いや、それはね……」明博くんが東京に来たんだよ、そう言おうとすると


 「明博くんに会ったなら、もっと早く教えてくれないか」お父さんはそう言い出した。


 「え?」私がキョトンとしてると、お父さんはハハハ、と笑い出した。


 「昨日な、偶然会社の帰りに歩いてる男の子を見つけてな、よく見ると明博くんだったんだよ。なんかやけに幸せそうに歩いてたから、おちょくってやると、『由香は絶対に幸せにします。今度スキーに誘いますから』とか言ってたぞ」


 「あ、あいつ……」ふとポッと顔が赤らむのがわかって、顔を背ける。


 「まあ、でもさ。明博くんはああいうけど、絶対に無理にスキーなんか連れてこうとはしない筈さ。だから、ゆっくりと生きていこう。幸せに」


 「う、うん」私は目をパチパチさせながら言う。


 「ごめんな、昨日は迎えにいけなくて」


 「それはね、全然大丈夫だよ」


 もう。大丈夫だから。ね、明博くん。

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