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epilogue4 ハッピー⭐︎ウェディング前 狂騒曲 に

王太子夫妻の寝室から飛び出したマリアベルだが、遠くには行かなかった。

というか、10日後には正式に自室となる『王太子妃の間』にいた。

寝室を挟めば『王太子の間』。つまり、隣の部屋である。

ひとりになりたいといっても、そこは公爵令嬢。本気でひとりになれるわけがない。闇雲に走ったら騒ぎになるだけで、余計に人が集まってくる。

ならば、王太子であっても無断で立ち入ることの許されない『王太子妃の間』が最適解である。侍女たちにも、迷惑かけずにすむし。……と、脱走さえも謙虚堅実なマリアベルだった。


とりあえず、まずは窓辺に立ってみた。

大丈夫、こわくない。

バルコニー直結の窓を、ふたりの侍女が開けてくれた。

さわやかな秋風が、マリアベルの巻き毛をなびかせる。

大丈夫、まだこわくない。

だけど、もう一歩が踏み出せない。

窓辺はこわくないけど、バルコニーはダメだ。ここ5階だし。堅牢なバルコニーが落ちるとは思わないが、ワイバーンが横切る強風で揺れることはある。予期せず足元がぐらつくなんて……考えるだけで、冷や汗で背中がぐっしょりだ。動揺を顔に出さないので、秋風を受けてリフレッシュしている体ではあるが。


(うう。ひとりじゃなければ、バルコニーまでは大丈夫なのに)


マリアベルは、人知れずへこんだ。

現在、お隣の寝室では、寝具を清める祝詞の最中だ。

教会からの伝統的な好意かつ、法螺貝シスターズが後宮の側妃たちとキャハハウフフなお茶会をしたくてねじこんできた行事なので、フレデリックがいれば問題ないだろう。実際、ふたりで立ち会えなんて言われてないし。

入れ違いにエイミが来たから、何かしら彼女なりの事件だろうけど。今のマリアベルには、付き合う余裕がない。


(せ、せめて『おひとりさまバルコニー』をクリアしなくちゃ)


と、高所恐怖症の改善でいっぱいいっぱいなのだ。

しばし、窓の前で立ちすくんでいると、隣の部屋からエイミの声が聞こえてきた。


「だってー。お兄さま呼ばわりしたら、フレディさまのことをなんとも思ってない感、出ません? 聖女って、国王様以外は重婚フリーダムじゃないですか。社交界的に、私がクリスさんとも結婚して、フレディさまを愛人にするんだってキモい噂が、ひっそり蔓延してるんですー!!!」


なにかしらフレデリックがツッコミを入れたようだが、うまく聞き取れない。バルコニーに出れば、はっきり聞こえるだろうけど……マリアベルには無理だ。


「でも! でも! フレディさまを狙ってる説が、1番根強いんですよ! ちょっとフレディさまとお話しただけで、アーチさまやベルベルさまに『エイミ様の御心は、尊き御方にあるのでは?』ってチクる令嬢いるしー! 今は信じていただいてますけど、チョーしつこいし! いつか誤解されたらやだー!!!」


マリアベルの良心に、クリティカルヒット炸裂!

その誤解を、出会い頭から10年間続けたウツケがいる。マリアベルである。

メインヒーローの真心も恋愛感情もガン無視。まさに、極悪非道の悪役令嬢である。


マリアベルは身震いして、そっと我が身を抱き締めた。

真鍮の扉を叩く音がして振り向けば、侍女のステラが恭しく頭を下げた。


「マリアベル様、王弟殿下がいらしてます。エイミ様を探されていると。扉を開いても?」


「ええ。かまわなくてよ」


鷹揚に頷くと同時に、王弟ファルカノスがやってきた。


「ご機嫌よう。ファルカノス殿下」


「なんだ、バカ娘はこっちじゃねえのか」


「エイミさまをお探しですのね?」


王爵家の養女かつ聖女なので、呼び方を『エイミさん』から『エイミさま』に変えた。これも、エイミ保護の一環である。


「ああ。聖歌の練習をブッチして飛び出したらしくてな。回収にきたんだよ」


「隣室にいらっしゃるわ。フレデリック殿下と、歓談されているはずです」


「おめーもバカか?」


魅惑の流し目に辛辣なお言葉。マリアベルは、扇子を開いて首を傾けた。


「なんで王太子夫妻の寝室に、王太子と聖女をふたりきりにさせとくよ? 不義密通が疑われっぞ?」


「ですが、『祓いの巫女』たちが清めの儀式をされていますし。ふたりきりでは」

 

「オレ様だって、あのフレディとバカ娘がどうにかなるなんざ、思っちゃいねーわ。くだらん噂の火種を放置すんなって話だ。平民あがりの聖女を守りたいなら、狸どもに隙を見せんなよ。王太子妃になろうって女が」


ファルカノス、相変わらず容赦がない。

だが、全くをもってその通り!

グッサグサにダメージをうけて、マリアベルのライフはデッドゾーンだ。が、見た目がノーダメージゆえに、説教を忖度されない。


「ご高説、痛み入ります」


しおれたいけど、余裕の笑顔でニッコリ。

これぞ、王妃教育の成果である。

ファルカノスの方は毒気を抜かれたのか、左手で頭を掻いた。


「ま、そこまで信用できる伴侶やツレって、大事だけどな」


ファルカノスは、聖歌隊メンバーからエイミの脱走理由を聞いている。

ようするに、王太子の初夜に『立会人』を必要とする風習が、受け入れ難くてパニックになった、と。

さもありなん。

かつてファルカノスも、平民の恋人に激怒されたし。


竜鱗の衝立なら、昔からある。あれも、まあまあな防音にはなる。ただ、現王の婚礼当時、『鳳凰の羽根の天蓋』なんて結界級の秘宝はなかった。

聖職者たちが大音量で祝詞を唱えたところで、衝立の中にいたら、天蓋の内側の流れくらいはわかるだろうって厚さの、ビロード布だった。



ファルカノスは、20年前の婚礼式典を回想した。




「なんでカノスが、夫婦の寝室に入るのさ?!」


屋台が立ち並ぶ王都の広場で、赤子を背負う女が怒鳴った。甥の婚約者マリアベルと同じ名前のマリアベル。当時、ファルカノスが立ち上げた海軍で、シーサーペントライダーの指南に従事していた女傑だ。現在は、軍港の居酒屋を切り盛りしている。


「知らねーよ。スペアじゃね? クソ兄貴の」


「そのおにー様が失敗したら、アンタがヤルのかって聞いてんのよ?!」


「するわけねーだろ!」


「でも、その為に居るんだよな?! その場に! 気色悪い! 無理! 別れる!!」


若き日の恋人が、肩車を楽しんでいた我が子をファルカノスから引き剥がした。


「え、かーちゃん? なに怒ってんの? 今日はとーちゃんと遊ぶ日じゃねーの?」


「あたしらだけで行くよ! 知るか! こんな変態男!!」


激怒しながら、女は雑踏に消えた。

残されたファルカノスは、「変態って……?」と、絶句した。

お忍びのファルカノスは貴族には見えない。チャラそうな海兵に見える。

露天商や客たちが「浮気かな?」「浮気がバレたんだな?」「する前にバレたんじゃん?」と、口々に囁き合った。



サンドライト王国第二王子ファルカノスは、幼少期から自由奔放だった。

貴族との婚約は拒むわ、子種の有無を知るために孕ませた『借り腹』を溺愛するわ、最終的に三児の父になるわ。

咎められても罰せられないのは、王太子サーガフォルスのスペアとなる人材が他にいないから。

素行不良で停学を食らうこと7回。成績は良かったが、学園を卒業できたのは奇跡だろう。


不良王子は、その足で王太子夫妻の寝室を訪れた。

今日は「祓いの儀式」とやらで、巫女たちが法螺貝をふいて寝具を清めている。

屋内で法螺貝って、だいぶ頭がおかしいと思うファルカノス。衝立の外にいてさえ大音量で耳が変になりそうだ。


「カノス。下見か?」


儀式は教会側の善意らしく、立ち合う義務はない。

が、数日後にはこの部屋の主人となるサーガフォルスは、律儀にソファで寛いでいた。


「まーね」


「そなたに期待はせんが、問題は起こさないように」


「へいへい」


完璧主義で優秀なサーガフォルスと、優秀だがちゃらんぽらんなファルカノスは、とにかくソリが合わない。

幼少期はファルカノスの素行をサーガフォルスが諌めた瞬間、取っ組み合いが始まった。現在でも、剣舞の舞台では割と本気でやり合っている。


とはいえ、最低限、第二王子の役目は果たしているつもりだ。


今回は『初夜の立会人』などというケッタイな役を押し付けられた。マリアベルに怒鳴られるまでは『めんどくせえな』としか思っていなかったが……。改めて寝室を見ると、『確かに気色ワリィ』と、思った。


衝立の外ならともかく、天蓋の間近にいれば、どうしたって褥の音を耳が拾うだろう。およその流れもわかりそうだ。軍港の壁の薄い逢引宿だって、似たようなものだが……こいつら平民じゃないし。王族だし。


(俺、居る意味あんのか? このクソ兄貴がしくじるわけねえだろ。ガキの頃から、失敗したことねーんだから)


カフスの下から煙草を出そうとしたら、「私の寝室で吸うな」と追い出された。

その場は舌打ちして退室したが、夜に忍び込んで、天井に細工をしておいた。




鳴物入りで嫁入りしたミネルヴァ・マンティカン公爵令嬢は、ファルカノスの母『鉄の正妃クラウディア』から満点の評価を受けた才媛だ。

他の追随を許さない美貌、あふれんばかりの気品、たおやかな物腰。だが、正直、ファルカノスは彼女が苦手だ。

遺伝的に体が丈夫ではないので、もとはファルカノスの王子妃候補だった令嬢である。見合いを脱走した結果、詫びに来た兄と一目惚れの相思相愛になったので、まさに結果オーライ。

客観的に見て整っているとは思うが、女神とまでは思わない。

全ての民を愛し、慈しみ、民の為に生き、民の為に死ねる高潔さと、切り捨てるとなったら逡巡なく見放すであろう傲慢さを併せ持つ兄にとって、都合の良さげな人形というか。


純白のドレスをまとう18歳の王太子妃を、ファルカノスは『感情のないビスクドールみてえだな』と思った。


初夜の儀にて、王太子の寝室は、成年王族と聖職者であふれかえった。

サーガフォルスは新妻のベールを外し、正妃に預けた。

長く広がるベールを外した花嫁の華麗なドレス姿に、日頃は鉄面皮の正妃も聖職者たちも、感嘆のため息をもらした。


大司教の先導で、サーガフォルスとミネルヴァ、ファルカノスが衝立の扉をくぐった。


天蓋を開いた大司教が、踵をかえした。手にした錫杖がシャランシャラン鳴り響く。


「未来の王とその伴侶に、永遠の祝福を捧げる。幾久しく、護国の礎となれ」


「未来の国母と我が祖国に、永遠の愛を誓う」


台本どおり、ファルカノスが祈祷済みの葡萄酒をサーガフォルスに手渡した。こんな時でもなんとなく睨みあってしまうのは、癖だろうか。王太子はそれを口に含み、口移しで妃と分かち合った。


普段は海軍の軍服か、カフスを外したスーツ姿で髪もボサボサのファルカノスだが、式典の日だけは化ける。王族の正装姿で髪をきちんとまとめれば、兄王子と瓜二つ。麗しの第二王子の完成だ。

中身はファルカノスなので『兄貴のキスシーンなんぞ見たくもネエわ』とか思っていたが。


大司教が天蓋を下ろした。

聖職者たちの祝詞が始まった。正直、クソうるさい。

すれちがいざま、大司教から『こちらにいればいいから、いるだけでいいから、問題を起こしなさるな』と、口パクされた。


知るかよ。


かくしてファルカノスは、細工しておいた天井によじのぼり、「立会人」のお役目から脱走したのだった。


純潔の証を得たドレスを手に、サーガフォルスが「あのウツケが」と呟く頃、ファルカノスは屋根裏にいた。

朝陽が登ると同時に屋根に出て、アリスト辺境候の食客で、ドラゴンライダーのダノンに捕まった。


「よう坊主。やはり脱走しおったか」


当時のドラゴンライダーは、ファルカノス、サーガフォルス、ダノンの3人。フィジカル的には60歳近いダノンの分が悪いが、相棒の風竜イフリートは活動期まっさかり。ちょっと手に負えない感じだ。

逆に、ファルカノスのリヴァイアサンは老齢なので、だいたい海底で寝ているし。


「師匠がお目付けかよ。ご苦労なこった」


「坊主の脱走は、想定内だからのー。武装姿で夜明けまで屋根裏におったとは、思わんかったがな」


「ふん」


けったいな正礼装なんざ、屋根裏に捨ててきた。

ファルカノスは王族の装束が嫌いだ。でかいカフスはポケットになるからいいとして、装飾過多で暑苦しい。見た目が兄と鏡写しみたいになるから、よりイヤだ。


抵抗せずに捕まったファルカノスは、そのまま貴族牢に収監された。

平民たちのお祭り騒ぎが盛り上がるのは、挙式後3日間の後夜祭だ。マリアベルと屋台をまわる約束が、反故になってしまった。しばらくは、口を聞いてもらえなくなるだろう。

怒った顔も可愛いから眼福ではあるけど、こんな場所にいたらそれも拝めない。

とはいえ、ダノンと戦って脱走したいかといわれたら、そうでもない。本気でやり合ったら、王都が壊滅するだろうし。兄まで参戦しやがったら、目も当てられない。

結婚式が修羅の式典になってしまう。


結果、ファルカノスは3日間、独房の中で後夜祭の喧騒と、花火の音を聞いた。

3日目の真夜中に、国王レイアリスが訪ねてきた。豪華な正礼装に、庶民の屋台飯と安酒を抱えて。


「ほい。差し入れじゃ」


イカ焼き、串肉、麦酒にどふろく。つまみ豆。

チョイスが庶民的すぎるが、ファルカノスは破顔した。


「イイねえ。オヤジの趣味?」


「借り腹のお嬢さんからの、差し入れじゃよ。立会人の役目を放棄した罰でしばらく収監されると伝えさせたら、余の私室に忍び込んできたのじゃ」


「相変わらず、アグレッシブだな。なあ、オヤジ。マリア、怒ってただろ?」


「3か月間は店に顔出すな、とさ」


「立会人になるなら別れるって怒鳴られて、ブッチしたら顔出すなって。理不尽だよなあ。女って」


「カッカッカッ! 不良王子の汚名を一緒にかぶる為に、不遜な女を演じておるのじゃろ。イイ女じゃな」


「やんねーぞ?」


「わしゃー、グラマーはグラマーでも金髪のグラマーが好みじゃ」


「50をいくつも過ぎて、あにいってんだ」


サンドライト7世ことレイアリス国王は、年明けに譲位を予定している。自身の高齢と、王太子サーガフォルスの優秀さを理由に。

学園在籍中から公務を任されてきたサーガフォルスは、その全ての案件で過去に例を見ない成功をおさめてきた。議会でも、満場一致で譲位が可決されたほどだ。

公務どころか停学をくらいっぱなしのファルカノスは、むしゃくしゃする青春の苛立ちを海賊にぶつけた。ら、北海の海賊一掃というサンドライト建国以来の悲願を成し遂げてしまった。結果はともかく、とことん正反対な双子である。


「まあなんだ、すまなんだな。カノス」


「はい?」


兄に這いつくばって土下座させたい案件は山ほどあるが、父に恨みはない。むしろ、不肖の息子で申し訳ないのだが。


「建国前、この地の豪族の婚姻は、血縁を守るべく衆目で行われていたらしい。時を経て衆目は廃れ、立会人制度も自然に失せると思われたんじゃか……下手をこいた王太子がおった。ワシじゃ」


「ハア?」


サンドライト7世ことレイアリス陛下は、正妃腹の末王子として生を受けた。正妃腹の兄がふたりに姉がひとり、側妃腹は兄がふたりに姉が5人。

兄王子たちはすこぶる優秀で、姉王女たちも押しも押されぬ淑女ばかり。気楽な末王子は、全ての兄姉から可愛がられて育った。継承権を持っていた自覚すら薄かった。

いちおう、王太子教育は受けた。王太子の子らの教育係にでもなるつもりで。

つまり、末弟レイアリスは最低限の努力しかせず、複数の音楽サロンに入り浸ってはピアノを弾き、酒を酌み交わすことを喜びとする、与太者だったのだ。

婚約を急かされることもなく、サロンで知り合った子爵令嬢との恋もあっさり認められた。

身分的には、まずあり得ないのに。第二王子が養女に迎えてくれて、第二王子妃が妃教育をほどこしてくれたのだ。

令嬢は不得手な作法を磨き、どうにか王子妃となる体裁を整えることができた。

つまりまあ、何の苦労も知らないボンクラ王子だったってことだ。そんな順風満帆だった毎日、疫病の流行で破壊された。跡形もなく。徹底的に。

対策に奔走したサンドライト6世がまず罹患し、重度の脳障害を患った末に崩御された。

妻を養女にしてくれた第二王子夫妻も、帰らぬ人となった。

王太子は一命を取り留めたが、後遺症で首から下が動かせなくなった。

レイアリスだけは軽症で済んだが、最愛の妻を失った。

側妃腹の兄たちは他国の王配となっていて、呼び戻すわけにもいかない。独身の王女もいない。


五体満足で生き延びた末王子に課されたのは、王冠を受けること。そして、長兄の妻である王太子妃を正妃として娶ること。


緊急事態だ。他に選択肢などない。

体裁を整えるためか、寝具に横たわるフォルスデリックが初夜の立会人を勤めた。彼なりのけじめでもあったのだろうか。

レイアリスは、愕然とした。

世界で一番、長兄フォルスデリックを尊敬していた。頭脳明晰だが驕ることのない人柄で、立太子の日には次兄と共に、永遠の忠誠を誓った御方だ。

王太子妃クラウディアは自他共に厳しい人だが、見通しの甘い末王子夫妻を叱咤し、激励し、引き立ててくれた恩人だ。



無理だった。

できなかった。


幸いというか当然だが、王太子妃は嫁いだ時に純潔を証明している。経産婦に純潔の証は必要ないから、まあまあ事なきを得たが……。


「そんなわけでのー。ワシが下手こかなんだら、カノスが立会人を押し付けられることもなかったかもしれん。すまんかったな」


なかなかヘビーな過去だが、この人が語るとのんきな昔話に聞こえるのは、なぜだろう。


「しゃあねえよ。そりゃ」


「おっかしーのう。2年後にゃー、ちゃーんとアストレアが生まれたのに」


「いやいやいや、ムリだろ。エレオノーラ妃が亡くなって、数日後の結婚式じゃ」


「ほー。ノーラを知っておったか。意外に勉強家じゃの?」


「サボり以外で、点数落としたことねーし」


ファルカノスはイカをもぐもぐしながら、レイアリスはどぶろくをチビチビしながら、牢ごしにポツポツ話した。


「つうかさ、俺のマリアは怒髪天で嫌がったんだけど。ミネルヴァは嫌じゃないのかね」


「さてな。予期せず王冠を得たワシにゃ、覚悟を決めて王太子妃になった女の気持ちは、わからん。ただ、ワシができんかった時、クラウディアはホッとしてた気がするよ。幼い王子らを失い、不具になった良夫と離縁させられて。悼む間も悲しむ間なく、8歳下の末王子と子を為せと言われたんじゃ。顔や態度には出さんかったがの。サンドライト史上、最尊の国母じゃから」


レイアリスの昔話は、長い。

だが、ファルカノスは知っていた。父はこういう話を、兄にはしない。同じ内容でも、無駄を省いて事実だけを伝える。ファルカノスには、感情を語る。息子らがそれを求めるからだ。


「ミネルヴァも、ホッとしてるかもしれんの」


「どうだかな。オヤジには言うけど。そもそも俺、勃たねえんだよ。ミネルヴァにだけは」


「カッカッカッ! そりゃー『立会人』失格じゃな!」


「だろ?」


父と子は、不謹慎に笑い転げた。

その後、マリアベルとは和解したが、ミネルヴァには上品な笑顔と鈴が鳴るような声でチクチク言われた。

超貴族的な湾曲表現を直訳すると『どうしてあの場にいて、溺愛絶倫魔神を止めてくれなかったの?! 危うく死にかけたわよ! バックレるなら、医者と侍女を置いていきなさいよね?!』ってことだったらしい。

知らんし、としか言いようがない。

けどまあ、「感情のないビスクドールみたいな女」とは思わなくなった。




ーーーーーそして、今。


ファルカノスはエイミとフレデリックにも説教をかまして、「祓いの巫女」こと法螺貝シスターズを買収して醜聞を抑え、エイミを連れて退室した。


残されたフレデリックとマリアベルは、めずらしくケンカでもしていたのか、少々よそよそしい様子だった。

新婚当時のミネルヴァの絵姿より、今のマリアベルの方が見た目には大人びているが、ファルカノスはマリアベルの方がおぼこいと思う。


ミネルヴァは、プライベートでも公の場でも、あまり態度に差がない。というか、あの夫婦は結婚前から「隠れカカア天下」だったのではないかと、ファルカノスは睨んでいる。


マリアベルは公の場では不遜に見えるほど華麗に振る舞うが、フレデリックとふたりきりだと楚々とした乙女になる。もともとの性格は、純朴なのだろう。

「困らせるつもりはなかったんだけど、ごめん」とか言いながら、抱き寄せて髪や頬にキスを降らせるフレデリックに「あの、私も、ごめんなさい。も、もう怒ってないですから……」とタジタジなマリアベル。


正直、こそばゆい。


「お養父さま、ベロチューするとこまで覗きません?」とほざくエイミを「アホか」と引っ立て、ファルカノスは王太子夫妻の寝室を後にした。

20年前にほどこした細工を横目に、「まだ使えるな」とほくそ笑みながら。










欄外人物紹介


前正妃クラウディア

フレデリックの祖母。サンドライト6世の長兄フォルスデリックに嫁いだ。疫病によって2人の王子が夭折。夫は半身付随となり、8歳年下の末王子レイアリスと再婚した。

初めはギクシャクしたが、ちょっと頼りない夫を支えるのが生き甲斐になった。

現在はファルカノスの居城「藍の離宮」に引き取られ、前夫の隣部屋で暮らしている。


前王太子フォルスデリック

フレデリックの大伯父。

疫病の後遺症で首から下は動かせなくなったが、頭はしっかりしている。「藍の離宮」在中。

末弟レイアリスの死を、誰よりも悲しんだ人。

前正妃とは口頭チェスをしながら、レイアリスの思い出を語るのが日課。ちなみに、口頭チェスは国内最強。


エレオノーラ王子妃

レイアリスの前妻。24歳の若さで夭折した。

ビオラの演奏とレイアリスのピアノを愛した金髪のグラマー。


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